Grimoire
第十一話 Furiae・2:フリアイ・2






何者かに放たれた火はあっというまに少女の家を飲み込んでいく。
家は木造のみすぼらしい小屋のような家だった。
火の回りの速い家の中にまだ少女は居た。
もはや逃げ場などない。
黒々と煙があがり、少女を包んでゆく。

「逃げなさい!」

少女が振り返る。
ベッドの上で寝たきりの母親が叫ぶように言った。
少女の腕を引っ張り、言い聞かすように、逃げなさい、逃げろと言う。
しかし、少女は嫌、嫌と首を横に振った。
額に汗が滲む。
灼熱の中に二人は居た。

「嫌よ!かあさまを置いてなど、逃げられるはずは無いわ!」

少女は言う。
綺麗な金髪の長髪も火に燃えてじりじりと焦げていた。
綺麗な自慢の白い肌も火に焦げて黒々としている。

「何を言っているの!わたしはいいのよ!逃げないと貴女まで死んでしまう!」

母親は自由の利く上半身を力いっぱい使って、少女を自分から遠ざけ、燃えさかる家から逃げさせようとした。
しかし、少女は母親にすがり、離れない。

「おかしいわ!おかしいわ!」

少女は泣く。
火がそこまで迫ってきている。
じりじりと、ごおごおと迫っていた。

「なぜ、とおさまが!とおさまが!」

燃える柱が崩れ、ベッドの端に倒れる。
炎がベッドに移る。
少女がその炎を必死に掻き消す。

「なぜ!とおさまが火を!わたしたちを殺そうとするの!かあさまを殺そうとするの!」

少女は一部始終をみていた。
実の父親が、母親が眠る小屋に火を放つところを。
父親は笑っていた。
あいつは笑っていた。
母親が腕を伸ばし、火を掻き消そうとしている少女を力いっぱい抱きしめた。
火が迫る。
めらめらと、じりじりと。

「誰も恨んではなりません!誰も恨んではなりません!」
「かあさま!かあさま!火が!火が!火が!」

火が母親の腕を焦がす。
少女の目の前で母親は燃えてゆく。
自分を抱きしめている母親が燃えてゆく。
視界いっぱいの赤い炎。
燃えている。
少女の身体も燃えている。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

「主よ!主よ!どうか!この子を!この子をお助け下さい!」






毎晩のように同じ夢を見る。
それは己の過去。
まだアスカがアスカである頃の夢。
生きていた頃の夢。
アスカは薄っすらと瞳を開いた。
ぼやけて辺りがはっきりと見えない。
しかし、自分に自由が無いことははっきりと分かった。
身体の節々が熱く痛む。
自身に迫る現実にアスカは口角を上げた。
自分の下半身が無い。
代わりに辺りは血の海だ。
腸が黒々と垂れ流れている。
やはり、どうやら心臓を捻り潰すか首を落とすしか私は死ねないようだ。
アスカは無情に続く拷問に、冷え切った牢獄の中で耐え続けるしかなかった。





小さな小部屋に女どもはひしめき合っていた。
集められた女は20人程度。
子どもから年老いた老人まで、年齢に分け隔てなく集められている。
悲鳴が上がる。
小部屋に神父が入ってきたのだ。
集められている女たちは魔女の罪がかけられていた。
異端審問官たちは女たちに審問をかけるため連れ行く。
嫌がる女の髪を掴み、腕を、足を持って引き摺って連れて行く。
フリアエはそれを睨みながら見つめた。
子どもがフリアエにすがる。
幼すぎるその子もまた魔女であった。

「怖い・・・」
「大丈夫よ。大丈夫。」

自分にも言い聞かすようにフリアエは言った。
神父の手がフリアエの肩に伸びる。
順番が回ってきた。
フリアエは立ち上がった。

「お姉ちゃん!」

胸の中に居た子どもが声をあげるが、すでにその声はフリアエには届かない。

「ついて来い。」
「貴方たち、本当に神父なの?」

辺りが静まり返る。
それでもフリアエは神父に立ち向かう。

「こんなことをやって、ただ貴方たち狂っているしかいえないわ!」

子どもから老人の女まで連れ出し、一人ひとり嬲り殺していくなんて、そんなこと神は望んでいないはずよ!
フリアエは叫んだ。
彼女も一人のカトリック信者であり、ここに集められた女たちすべてがイエスを信じているのだ。
神を信じているのだ。
それなのに、異端と罵られ、冒涜したという。
それが悲しくてフリアエにはどうしようもなかった。

「お前は魔女か?人間か?」

神父の問いにフリアエは黙る。

「処罰は甘んじて受けるわ。でもここに集められたみんなは違う。みんなは―――」
「私は貴様に問いかけているのだ。お前は魔女か?人間か?」

神父はフリアエの髪を掴み、引っ張り部屋の外へ連れて出す。
フリアエは漏れ出しそうになる悲鳴を必死に我慢して神父についていった。
己は魔女か。
人間か。
フリアエには答えられなかった。
同じような問いをかけられたことを覚えている。
己は吸血鬼か。
魔女か。
問いかけ続けるその背中はとても寂しかったことをフリアエは覚えていた。





「私は吸血鬼なのか。魔女なのか。」

湖畔でアスカは自問自答し続けていた。
自分の身体には魔女の血が流れている。
しかし自分は吸血鬼だ。
月が昇る夜に行動し、他者の血を主食とし、柩の中で眠る。
死の訪れの概念は心臓を杭で打たれるか、首を切り落とされる時だけであるし、簡単には死ねない。
しかしアスカの中には魔女の血が流れているのだ。
はるか昔から続く血族の血が。

「私は何者なのか。何者でもないのか。」

背中を丸めて考えるアスカがフリアエには不憫でしょうがなかった。
自分は自分なのだ。
フリアエはアスカに何度も言い聞かせてきた。
それでもアスカはずっと何十回、何百回、何千回、何万回と自問自答し続けた。

「私は半端者なのだよ。どちらにもなることが出来ない。どちらにも。」
「そんなことを云わないでアスカ。」

こんな夜のアスカの目には、フリアエなど映っていなかった。
映っているのは遥か昔の紅き炎。
魔女の母親と共に焼かれた炎だけである。

「貴女は貴女なの。どちらにならなくてもアスカはアスカよ。」
「違う!」

今にも泣き出してしまいそうな声にフリアエは驚いた。

「それでは、駄目なんだ。駄目なんだよ。それでは。」

そうやって答えは出ないまま終わるのだ。
フリアエの前で啼く化物は、彼女が知るずっと昔から孤独と渇望の中を生きてきた。
そんな化物がフリアエは哀れに思い、同時に愛おしくも思っていた。





自分は自分なのだ。
アスカにあんなに簡単に言っていた言葉も、いざ己のこととなると信じ続けることができなくなってしまう。
フリアエはアスカのことを考え、また胸を痛くした。
神父に連れられて暫くすると、彼女は牢獄の前に居た。
牢獄の中はとても寒く凍えてしまう。
牢獄の扉の前に審問官・ジョヴァンニが居た。
ねちねちとした笑みを浮かべるジョヴァンニはフリアエが来るのを確認すると、牢獄の扉を開いた。
冷気がフリアエの身体を撫でたのが分かった。

「最期の逢瀬を楽しむがいいさ。」

フリアエは目を見開く。
牢獄の中にまるでぼろ人形のような者が居る。
下半身はもがれ、辺りは血の海だ。
それでも人形の様な者は息をして生きていた。

「貴方たち、なんてことを―――・・・」

変わり果てたアスカの姿を見てフリアエは絶句した。
特別な牢獄は銀と鉛で出来ていて、アスカは自らの身体を再生させることも出来ないし、吸血鬼の力も使うことができない。
それでも心臓が脈打ち、首が繋がっている間は、アスカは死ぬことが出来ないでいた。

「お前は魔女か。人間か。」

ジョヴァンニが問う。

「お前は神を、カトリックを、キリストを冒涜する魔女か。」

ぴくりとアスカが反応する。
蒼いアスカの瞳がフリアエに向いた。
アスカが首を横に振る。

「答えるな。答えなくていい。」

アスカの言葉にジョヴァンニは喉を鳴らした。
意識が朦朧としているはずのアスカが、フリアエが訪れた途端に意識を取り戻したのだ。
神父たちは楽しくてしょうがない。

「お前が認めないからお前の吸血鬼はこの様だ。お前が口を割らないからお前の吸血鬼は弄られ続ける。」

フリアエはアスカの元へ駆け出した。
血の海に白い肌を紅く濡らし、垂れ下がった腸をアスカの中へ戻そうと両手を汚す。
自由の利かない身体でアスカはフリアエをただ見つめていた。

「二人で仲良く話し合うことだな。これからを。」

はははとジョヴァンニは高らかに笑うと牢獄を外から施錠し、神父たちを連れて立ち去ってしまった。
牢獄の中には二人だけ。
フリアエのすすり泣く声が響く。

「泣くな。泣くな。フリアエ。お前は泣く奴じゃないだろう。」
「ごめんなさい。わたし、貴女がこんなことになっているなんて知らなくて。」

からからとアスカは笑う。
すると腹からは血が溢れ出た。
その姿にフリアエはまた泣く。

「魔女狩りはいつも私からすべてを奪っていくな。」

白く細い指がアスカに伸びる。
ぎゅっとフリアエはアスカを抱きしめた。
己は何者なのか。
何者で、何故、存在し続けているのか。

「アスカ、貴女はまだ子どもだから。」

すり潰したような声でフリアエは呟いた。
フリアエの胸の中でアスカは静かに瞳を閉じる。

「とても寂しがり屋で、とてもとても怖がりで。」

誰よりも人間らしい。
誰よりも何よりも人間らしい化物。

「まだまだ幼い子ども。どんなに姿形を変えようとも、どんな振舞い方をしようとも、貴女はまだ子ども。」

フリアエ。
アスカはフリアエの胸の中で彼女の名を呼ぶ。

「私にはまだあの晩の残り火が身体に十字の傷となって残っている。それは復讐の刻印だ。」

轟々と燃える。
身体を灰にして、魂も灰にして。
肉体は未だに生きている。
あの時、死んでいれば魔女として死ねたのだろうか。

「もう誰も失いたくない。もう独りになりたくない。独りの100年はあまりにも長すぎた。やっとお前に出会えたのに。もう一人になってしまうのか。」

蒼い瞳にフリアエが映る。
大きな猫の様な瞳。
すべてを見つめてきた瞳。
世界を。
三千世界を。

「私にお前の血をくれないか。そうすれば、お前はここで死ななくても済む。」

血とは魂の通貨。
命の貨幣。

「奴等に殺されなくても済む。」

その言葉にフリアエは首を横に振った。
泣きながら首を横に何度振る。

「どうしてだ!」

アスカは声を上げ咎めた。

「どうしてだ!!フリアエ。このままだとお前は死ぬんだぞ。そんなの、私は嫌だ。お前が死ぬなんて嫌だ。」
「私は駄目。出来ない。私には貴女のようになることは出来ない。」

金色の瞳はとても美しい。
それが涙に濡れようとも、苦悶に悶えていようとも。
美しい女神だ。

「貴女のように永久の苦痛を耐え続けるようなことは出来ない!」

吸血鬼は吸血鬼。
魔女は魔女。
人間は人間。
交わることは無い。
絶対にありえないこと。
アスカ。
アスカ。
フリアエは名を呼ぶ。

「わたしは私の。わたしは私であって、貴女の私ではないの。貴女の物にはなれないの。」

フリアエは立ち上がる。
その始終をアスカはただ見つめることしかできなかった。
身体に自由が残っていたら彼女を引き止められたかもしれない。
否、たとえ自由が残っていたとしてもできなかっただろう。

「貴女は最期までわたしを見てはくれないのね。アスカ。」

牢獄の扉が開く。
そこにジョヴァンニが居た。
彼が問いの答えを待っている。
フリアエは真っ直ぐと金色の綺麗な瞳でジョヴァンニを見つめた。

「答えはでたかね。」
「答えるな!フリアエ!」

フリアエは口を開く。
芯のある美しい声色がそこにある。

「わたしは魔女。十の時、サバトでサタンと契りを結び、魔女となった。主を冒涜し、民に呪われし力を民に使い惑わしてきた。」

ジョヴァンニがフリアエの胸ぐらをつかみ、引き寄せる。
彼の口元は綻び、すでに笑みが零れていた。

「その言葉、法廷でも話すか。」
「もちろん。好きなようにわたしを裁けばいい。わたしは私なのだからそれを甘んじて受けるわ。」

フリアエの言葉にジョヴァンニは高らかに笑い、アスカはうな垂れた。
その言葉が何を意味しているかアスカはしっかりと理解している。
フリアエは殺されてしまう。
彼女が死んでしまう。
アスカの世界が崩れる音がする。

「裁判だ!裁判!!この女を法廷へ連れて行け!!処刑場へ連れて行け!!」

ジョヴァンニは高らかに笑い、フリアエを牢獄から放り出した。
アスカが神父を睨む。
今にもとって喰いつきそうな恐ろしい眼差しであった。
しかし、ジョヴァンニはその眼差しに屈することなく、笑う。

「吸血鬼よ。お前は捨てられたのだよ。所詮、吸血鬼は吸血鬼。魔女は魔女。人間は人間なのだ。」
「黙れ。」
「いや、黙らんね。貴様の様な哀れな者をみているととても悲しくなるよ。お前のように化物にもなりきれない化物を見ているとねえ!!!!」

かたかたと揺れる。
地響きがする。
かたかたと牢獄が揺れ、地面が揺れる。
崩壊する。
アスカの世界が崩壊する。

「所詮、お前は自分のことしか考えていなかったのだよ!あの女のことなど微塵もお前は考えちゃいない。」
「嘘を云うな!」

足が再生する。
血が身体の中に流れ戻ってくる。
傷が癒えてゆく。
すべてがありのままの姿へ戻ってゆく。
そしてすべてが繰り返されてゆく。

「嘘などではない。貴様は何も分かってはいないのだよ。何も。」

ジョヴァンニはアスカを見つめながら笑った。
アスカが獣の様な牙と瞳を向けている。
それでも彼は笑っていた。
狂信者は笑っている。

「貴様のような化物でも化物だ。俺にお前を殺させておくれ。俺にお前を滅せさせておくれ。無に帰れ。吸血鬼。」

もはや牢獄の銀も鉛もアスカには効いていない。
アスカは両腕の手錠を力で外し、両脚で立ち、自由を完全に取り戻す。

「フリアエを返せ。返せ。返せ。返せ。」

アスカの足元に魔方陣が浮かぶ。
魔方陣は光り輝き、辺りに風塵を撒き散らす。
魔女は魔方陣を使う。
彼女にはその素質がすべて備わっている。

「フリアエを返せ。」






「最期に問おう。お前は人間か?魔女か?」

法廷。
群集の真ん中に魔女達は立たされ、最期の審問を受ける。
フリアエは審問官に真っ直ぐに向い、高らかに云った。

「私は魔女。」

辺りがざわめき。
群集から怒声と罵声が上がる。

「私は魔女!」

フリアエは繰り返した。








to be continued...
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