Grimoire
第十話 Furiae・1:フリアイ・1





「おはよう。」

アスカはフリアエの姿を確認するとご機嫌取りに彼女に笑って見せる。
アスカが眠っていた場所は墓地だった。
新しい墓地の埋葬者が居たのでアスカはその者の墓を掘り返し、死体の体の中に残っていた腐りかけの血を飲んでいて、いつのまにか眠ってしまっていたらしい。
空には銀色の三日月が昇っている。

「こんな姿、誰かに見られたどうするつもり?さあ、もう戻りましょう。」

溜息混じりにフリアエはアスカの腕を引っ張り、無理やり自らの住まいに連れ戻そうと歩き出した。

「夢を見ていた。」

自分の腕を引っ張る、色白の美しい女を見つめながらアスカは言う。

「・・・どんな夢?」
「とても、とても、古い夢。」

フリアエは金色の瞳をアスカに向ける。
月夜に照らされた瞳はまるで宝石のようで美しい。
アスカはフリアエのすべてが好きだった。
人間としての彼女が愛おしくてたまらなかった。
アスカが見た夢はとても紅い夢であった。
しかしその紅もはるか昔、みたことのある光景。
まだ彼女が彼女であった頃の夢であった。

「悲しい夢?」

フリアエは問う。
彼女はアスカが吸血鬼であるということを知っていて、それでもなお、アスカと共に暮していた。
フリアエは純潔を持つ処女であるが、一緒に暮らすアスカはその純潔を汚そうとも思わないし、その処女血を吸血しようとも思ったことは無い。
吸血鬼としての欲求をフリアエに対してアスカは向けることは決して無かった。
死人の血を喰らうこともフリアエのことを思ってのことである。

「悲しい夢といえば悲しい夢なのかも。」

フリアエがアスカの腕をぐっと引っ張った。
いつもより彼女の歩くペースが早い。
何を急いでいるのか、とアスカはフリアエに問いかけた。

「・・・隣の村に異端審問官がやってきたそうよ。」

アスカはフリアエの腕を引っ張り、歩むのを無理やり止めさせた。
フリアエの金色の瞳にアスカの姿が映る。
大きな瞳。
表情がみるみるうちに曇ってゆく。

「次ぎはきっとこの村よ。」

フリアエには不思議な力があった。
それは他者の怪我や病気を、薬を使わずに癒すことのできるヒーリング能力だった。
医者が居ないこの村にとってヒーリング能力を持つフリアエの力は、どんな名医よりも貴重な存在であった。
彼女の力は村の仲間たちこそ、全員に有り難く思われているが、村の外の人間からしてみたら不気味な力であるし、異端審問官からみたらその力は魔女の力そのもののはずだ。

「わたしは裁きを受ける覚悟はできているわ。」
「お前は魔女じゃない!魔女裁判など受ける必要など無い!」

悲鳴のような声をアスカは上げた。
異端審問官たちが村の直ぐ近くまで来ている。
奴等は魔女を探して魔女を狩っている。
隣村でもきっと誰かが狩られているはずだ。
アスカは異端審問官たちが酷く憎くてたまらなかった。

「それにまだ、奴等がこの村に向っていると決まったわけじゃない。隣村で引き返したのかもしれない。」
「・・・アスカ・・・」

まるで子どものように今にも泣き出しそうなアスカの頬をフリアエは撫でた。

「フリアエ!!」

叫ぶような声。
フリアエの小屋の前に女が立って居た。
女の胸の中には声を立てて無く赤ん坊が抱かれていた。
おぎゃあおぎゃあと喧しく赤ん坊は泣く。
フリアエはアスカの元を離れて、その赤ん坊の元へ駆け寄った。

「どうしたの!?」
「蛇に咬まれたんだよ!!どうしよう!どうしよう!フリアエ!」
「大丈夫。わたしがなんとかするから。」

フリアエは女から赤ん坊を受け取ると、小屋の中へ入って消えてしまう。
置いてかれたアスカはその後を追うように小屋の中へ入る。
小屋の中ではフリアエは毛布の上に赤ん坊を寝かせ、服を脱がしていた。
隣で母親である女が苦悶の表情を浮かべている。
フリアエの右手が輝く。
黄金の輝きだった。
彼女の額に汗が滲む。
黄金に輝く右手を赤ん坊の傷口にあてた。

「・・・アスカ!桶に水を!」

ああ、とアスカは桶を持って外へ出る。
後ろを振り返るとフリアエが眉間に皺を寄せて、右手から蛇の毒を抜いていた。
ヒーリング能力は少なからず、フリアエに負荷を与えているのは確かなことだった。
赤ん坊から蛇の毒を抜いたら、抜いた毒は何処へゆく。
それはフリアエの体内の中へ留まるだけだ。
アスカは桶に水を汲むべく、近くの河原まで走る。
吸血鬼らしからぬ己の姿にアスカは自らをあざ笑うが、フリアエのためならばそれでもいいと思っていた。
彼女のためならば。
アスカは湖畔に向かうと桶に水をくんだ。
湖畔には空の三日月が綺麗に反射してきらきらと輝いていた。
暗闇の中でも木々の緑ははっきりと見え、叢は風にながされゆらゆらと揺れている。
アスカは桶を足元に置く。
奥歯をぎしりと鳴らせながら。

「誰だ?そこに居るのは。」

返事の代わりに弓矢が飛ぶ。
矢は真っ直ぐにアスカの頬を掠めて樹に突き刺さった。
銀の弓矢。
その弓矢は神の代行者たちの弓矢。
アスカはぎろりと瞳を鋭く輝かせながら、弓矢が放たれた方を睨んだ。

「貴様、吸血鬼だな。」

神父が五人。
誰もが審問官の装束に身を包んでいる。

「黙って我々に狩られろ。」

弓矢がまた飛ぶ。
アスカは身を翻してそれを避けた。
吸血鬼を狩ることを生業にしている奴等が居る。
それはハンターたちでもあり、神父たちでもあった。

「貴様たちか。辺りを荒らしている審問官たちとは。」

一定の距離を開いてアスカは身を屈め、腰を低く構えた。
心臓が高鳴っている。
戦闘が、闘争が始まろうとしているのだ。

「荒らしているとは人聞きの悪い。我々は神の意思を代行しているのみ!」

審問官が叫ぶ。

「いかにも。我らは悪魔どもからキリスト教徒たちを守らねばならない。」

一人、落ち着き払った神父が居る。
審問官たちの長。
ジョヴァンニと男は名乗った。

「貴様たちのおかげで幾多の同胞たちが命を落として逝った。」

ジョヴァンニの首から下げる十字架がゆらゆらと揺れている。
短剣をアスカに向けている。

「もう一度、云おう。我々に狩られてはくれぬか。吸血鬼。死んで逝った同胞たちのために。」
「厭だね。」

ジョヴァンニの言葉にアスカは即答する。
そしてツツツとアスカは走り、弓矢を構えていた審問官の喉にかぶりついた。
鮮血が噴出し、審問官は奇声を上げながら倒れ、絶命してゆく。
アスカはからからと笑いながら、審問官の生き血を啜った。
久しぶりの生き血であった。

「私は神父という奴等が嫌いでね。虫唾が走るぐらいに嫌いなのだよ。」

アスカは紅い地獄の業火を知っている。
轟々と燃えさかる炎とその熱を知っている。

「神の意思の代行?カトリック?キリスト?ふざけるな。貴様たちは好き勝手に女共を殺しているだけではないか。魔女と汚名をかけて。」
「・・・ほう、貴様は分かった口で云うのだな。」
「ああ、分かっているさ。分かっている。糞神父ヤロウが。」

視界いっぱいの赤い炎。
燃えている。
燃えている。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。

「悪いが此処で死んでもらうぞ。貴様らが神の救済を受けぬようにバラバラに、跡形もなく消してやる。」

アスカの言葉にジョヴァンニが笑った。
高らかに、狂気を含み、笑っている。

「ほう!ほう!ほう!貴様は他の吸血鬼とは違うようだな。我々を本当に殺せると思っているか?我々を!」

アスカが一歩、ジョヴァンニに向けて足を踏み込んだ。
鋭く磨がれた爪がジョヴァンニの喉仏に向う。
この爪を奴の喉へ。
憎き異端審問官の喉へ。
しかし、血を吐いたのはアスカの方だった。

「我々を甘く見られては困るなあ!!吸血鬼!!!!」

アスカの腹に短剣が突き刺さり、アスカの身体は地面へめり込んだ。

「吸血鬼、いよく聞け。我らは異端審問官。異端審問官なり!!」

蒼いアスカの瞳にジョヴァンニの歪んだ笑みが写る。
腹に突き刺さった短剣はアスカの動きを封じていた。
身体が動かない。
アスカは歯を喰いしばって神父を睨んだ。

「異端審問官なのだ!貴様の様な鬼を狩るための組織ではない。分かるだろう!?この意味が。貴様ならばなあ!!!」
「ジョヴァンニぃぃぃ!!貴様ぁぁ!!!」
「はははは!!!我らは神を冒涜し、民を惑わす魔女どもを駆逐するために存在しているのだ!!!今、お前の村はどうなっているのかな?ドラキュリーナ。」

フリアエ。
アスカは叫び、ジョヴァンニの手を振り切ってフリアエの小屋へ走った。
腹に突き刺さったままの短剣を抜く。
しかし、アスカは今にも泣きそうな子供の様な表情を浮かべて走った。
足元の樹の根に躓く。
後ろから後を追うようにジョヴァンニが笑いながら歩いていた。

「吸血鬼。お前は売られたのだ。」

アスカは小屋へ戻った。
戸を開ける。
小屋の中ではおぎゃあおぎゃあと子が泣いていた。
フリアエの姿は無い。
あるのは赤子を抱く母親だけだ。

「お前らは売られたのだよ。」

赤子を抱く母親がアスカをただ見上げる。
目を真ん丸に丸くし、怯えながら見上げていた。
そこに鬼が居る。
吸血鬼が居る。

「何があった。」

小屋はとても荒れていた。
家具はすべてひっくり返り、食器はすべて割れていた。
何があったアスカは問う。
しかし、母親は怯え震えたまま答えない。

「お前の村の人間たちに売られたのだよ!!」

アスカが口を開く。
するどく尖った牙。
吸血鬼の牙が赤子と母親に喰らいつく。
その動作は血を啜るようなものではない。
まるで本当に血肉を喰らっているようである。

「裏切ったのか!?裏切ったのか!?裏切ったのか!!!」

跡形も無く、アスカは血肉を喰らうとジョヴァンニと審問官たちを睨んだ。
その姿は醜悪な化物と何一つ、変わらなかった。
黒々とした闇よりも暗い闇がそこに居る。
裏切られた。
裏切られた。
アスカは憎くてたまらなかった。
世界が憎い。

「そうだよ。貴様は裏切られたのだよ。所詮、吸血鬼は吸血鬼。魔女は魔女。人間は人間なのだ。」

ジョヴァンニがアスカに迫る。

「あれはお前の女か?吸血鬼。」
「フリアエはどこだ。彼女を返せ!」

ジョヴァンニの短剣がアスカの腕を切断する。
鮮血。
飛ぶ右腕。
アスカは悲鳴を上げて、のた打ち回った。
吸血鬼の天敵は神父なのだ。

「簡単に貴様は死なせない。」

ジョヴァンニの手には銀の杭が握られていた。
それをアスカの心臓に近い右肺を狙って打つ。
アスカの身体が蒸発してしまうのではないかと思ってしまうほど、身体が悲鳴を上げていた。

「魔女は処刑を望んでいる。しかし、そう簡単に我々も魔女に死なれては困るのだよ。洗い浚い己の罪を認め、犯した罰を話してもらわんとな。」
「・・・フリアエは何もしていない。神を冒涜することも、罰を受けるようなことも。」
「どうかな?」

髪を掴み、ジョヴァンニはアスカの顔を眺めた。

「彼女は魔女なのだ。魔女が何もしていないはずがないだろう。」

悪魔の様な笑みだ。
アスカはジョヴァンニを見つめながら思った。

「お前を使って口を割らしてもらう。」








to be continued...
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