Grimoire
第八話 Secret of Secrets:秘中の秘





薄暗がりの中でアスカは椅子に腰掛けていた。
アーカードに乱暴をされ、服と髪が乱れている。
しかしアスカは何事も無かったように椅子に座り、瞳を閉じて眠っていた。
その整った面はまるでフランス人形のように美しく、可憐であった。
人形は静かに眠る。
しばらくしてアスカの腕を、手を白い影がなぞる。
まるで繊細なものを撫でるようにそそそと白い影はアスカの身体を撫でた。
白い影がしっかりとした人型を持って、アスカの唇に自らの唇を近づける。
しんっと辺りは不思議なくらいに静まり返っていた。
白い影がアスカの唇に迫る。
その人影は女の人影だった。
アスカが瞳を開く。
蒼い硝子玉のような瞳が開く。
辺りには誰も居ない。
辺りにはもう何も居ない。
アスカはにいっと笑った。
とても気味の悪い笑みだった。

「みぃつけた。みぃつけた。」

足元の魔陣が輝き、くるくると回る。
アスカは楽しそうに目を細めた。

「見つけたぞ。」

アスカが立ち上がる。
椅子が転がる。
その場に誰も居なくなる。
誰も。
薄暗がりが広がるだけだった。





『先ほど第二調査部隊が20番地から25番地の侵入を試みましたが、やはり駄目でした。音信不通です。』

何が起きたのだ。
インテグラルは窓の外を眺めながら、電話の言葉にいらいらと腹を立たせた。
数刻前、ロンドン市内の20番地から25番地にかけてすべての世帯、企業、公共施設の連絡が原因不明の音信不通となっていた。
そして半刻経って警察の調査部隊が音信不通となっている地区に調査に入ったが、まるで迷いの森に侵入したように、彼らもまた音信不通となってしまった。
第二部隊もそれに習って音信不通。
化けの者仕業ではないのか、と指揮権が王立国教騎士団へ移ったのだが、指揮官のインテグラル自身、この事件の原因が分からないでいた。
まるで被害のあった地域だけが時空を切り取られよう。
インテグラルは悔しそうに窓を叩いた。

「何があったというのだ!」

途方に暮れるインテグラルの背中をウォルターとセラス、ベルナドットは見つめた。
原因が分からない以上、何も動くことが出来ない。
こつこつ
大理石で作られた廊下を鳴らしながら歩く音。
書斎のドアが開く。

「結界よ、インテグラ。」

そこにウィネが居た。

「結界?」
「ええ、結界。今、20番地から25番地は過去でも現実でも未来でもない、別の空間に飛んで行ってしまった。何者かによって切り取られてしまった。」

公務は終わったかしら、とウィネは落ち着き払った素振りで書斎のソファーに座った。
そして向かいにインテグラルも座れと促す。
ウィネの鋭い視線と痛いほどの気配にインテグラルはただ従うことしかできなかった。
インテグラルがソファに座ることを確認したウィネは自分の手帳とペンを取り出して、慣れた手つきで魔方陣を書いて見せた。

「オルガの輪。まじない、我は時空を切り取る者なり。」

そしてその魔方陣をインテグラルに掲げる。

「こんなことが出来る者は、この世に二人しか居ない。」
「誰だ!?」

ウィネがにやりと笑った。
初めて見る彼女の闇だった。
悪魔に魂を売りし一族、プランシー家。
インテグラルはその言葉の本当の意味を知った気がした。

「アスカとアスカが最後に吸血を行ったと云われる男。」

ウィネがソファーの背に凭れかかった。
気だるそうに溜息を吐く。

「シトリー。きっと結界を張ったのはシトリーよ。」





黒の鴉はただ待っていた。
ビルの屋上で、風を一身に浴びながら待ち続けた。
シトリーは100年以上も前からこの日が来るのを待っていた。
じっと、時の流れを一身に浴びながら。

「許すものか。許すものか。」

シトリーは青白い肌に、ひょろひょろとした体つきの男であった。
黒髪に黒い瞳。
まるで女のような男であったが彼もまた吸血鬼であった。
100年以上も生きてきた吸血鬼であった。

「貴様だけは僕が許さない。」

シトリーは謳うように口走る。

「アスカ、貴様だけは僕が、俺が許さない・・・!」

四角い結界の中はまるで異世界のような情景だった。
空は無い。
歪みだけがそこにある。
十字路の真ん中に魔方陣が輝く。
魔方陣がぐるぐるぐると回る。
奴が来る。
100年待ち望んだ奴が時が来る。

「俺は貴様の罰。罪人は咎められ罰せられなければならない!」

裁判を。
裁判を。
公正なる。
不正なる。
裁判を。

「我は異端審問官なり!裁判を!異端審問を!」





「結界を解く方法は?」

インテグラルが問う。

「簡単よ。魔方陣を上から別の魔方陣へ書き換えられればいい。魔方陣の効力は魔方陣を書いた者の物。書き換えれば、書き換えた者の物。」

自分で書いた魔方陣を上からウィネは塗りつぶした。
ぐちゃぐちゃと紙を真っ黒にさせてしまほど、塗りつぶす。

「ウィネ、教えてくれ!書き換える方法を。我々は結界を解いて中に入らねばならない!」

またウィネは溜息を吐く。
今度はインテグラルの鼻につく溜息だった。

「無理よ。貴女たちには無理。もちろん、わたしにも無理。」

無理とはどういうことです?とウォルターが苛立ちを隠しながら横から問いかけた。
インテグラルも苛立ちを必死に隠そうとしているのか、指でとんとんと机を叩き続けていた。

「魔方陣を操れるのは、魔道の血を引き継ぐ者と昔から決まっているのよ。大昔から。ずっとずっと昔から。」
「魔道の血を継ぐ者・・・」

インテグラルが何かに気づいたように瞳を見開いた。
瞳孔が揺れる。
魔道の血を受け継ぐ者しか魔方陣は扱えない。
しかし、アスカは扱える。

「もしや・・・アスカは・・・!!」
「ええ、ええ!そうよ!アスカは―――」

16世紀から18世紀、人類が、キリスト教徒が根絶させようとしていた魔道どもの一族の血を引き継ぐ者。
アスカは純血の魔道の血を、吸血鬼の血の裏に引き継いでいる。

「彼女はねえ!魔女なのよお!!!」





ぱらぱらぱら
古い、古い本をめくる。
ぱらぱらぱら・・・

「貴様、名は?」

黒い影はシトリーに問いかけた。
影の足もとの魔方陣がぐるぐると回る。
黒い影はまるで狼の様な蝙蝠の様な、蜘蛛の様な姿をしていた。
シトリーはその影に興奮するように、にいっと笑った。
震えている。
武者震いだった。

「シトリー、シトリー・コルボノワール!!!」

ぱらぱらぱら・・・
ぱらぱらぱ。
捲る手が止まる。
影が吼えた。
影が叫んだ。
アスカが笑った。

「シトリー、ソロモン72柱の魔神の1柱、60の軍団を支配し、序列12番の地獄の大貴公子。」

アスカは本を読み上げ、屋上のシトリーを睨んだ。

「貴様を72柱の悪魔だと認識した。」
「・・・決着をつけようではないか。貴様を異端審問にかける!」

ぱたん。
アスカは本を閉じる。
にいっと牙を剥き出し笑った。

「ああ、決着をつけようではないか。100年間の決着を179年前の決着を。私を殺しにおいで!貴様にはその権利と義務がある!私は有罪か?無罪か?死刑か?打ち首か?圧死か?火炙りか?どんな殺し方をしてくれる?どんなだ!どんな!」

鴉が飛ぶ。
空は無い。
無限があるだけだ。

「打ち首だ!圧死だ!火炙りだ!樹に釣り下げて晒して殺してやるわ!貴様が殺した人間の分だけ、俺が殺してやる!」

シトリーはアスカを恨んでいる。
彼はアスカを恨んでいた。
そのためだけに人道をはずれ、100年間も待ち続けていた。
100年以上、待ち続けていた。
この日が来ることを。
彼にとってこの戦いは魔女裁判でもあった。






「アスカさんが・・・魔女!?」

セラスが静かに呟いた。
辺りは驚愕のあまり静まり返る。
しかし、そんな中でもウィネは笑った。
声を高らかに笑い、きゃっきゃと笑った。

「アスカは言うなれば、ハーフ。吸血鬼と魔女の血を同時に持ちえることのできた異種。吸血鬼でもなければ魔女でもなく、ましては人間でもない不完全な存在。」

アスカは魔方陣を操ることができる。
他者を吸血することもできる。
それは二種の血を授かっていたからである。
ウィネは続ける。

「そしてシトリーはアスカが残した自身のコピー。だから魔女の血の記憶を彼も持ちえている。だから魔道の道をゆける。」

わたしやインテグラルの様な人間には、セラスやアーカードのような吸血鬼には魔方陣の結界を破ることは不可能。
あの結果内には入れない。
シトリーの首を取ることも出来ない。

「でもインテグラ。安心して。今、アスカはシトリーの結果内に居るはずだから。」
「どういうことだ?」

インテグラルの言葉にウィネは得意げに笑い、懐からまた古びた手帳を取りだした。
日記はとても年季が入ったもので、酷く扱えばすぐにでも壊れてしまいそうだった。
ウィネはその日記をぱらぱらと開いて、読み上げた。

「『99年目127日目の晩。ソロモン72柱の71番目を司る悪魔の名を持つ吸血鬼が現れる。場所はロンドン。それはアスカの分身なる者なり・・・』アスカはこの予言書のとおりに生きている。コラン・ド・プランシーが残した予言のとおりに現れるソロモン72柱を司る悪魔の名を持つ吸血鬼を殲滅してきている。」

100年をかけて。
100年をかけてソロモン72柱の悪魔を殲滅しようとしている。
ウィネはまた高らかに笑い、腹を抱えて笑った。
何が楽しいのか、何が面白いのか、理解できないインテグラルは唇を噛み締め、ウィネの狂気をただ見つめた。

「貴様たちは予言を信じているのか。予言などを。」

ゆらりと書斎にアーカードが現れ、アスカの主、ウィネ・ド・プランシーに問いかけた。
ウィネは茶色の瞳を輝せた。

「少なくともアスカは信じている。100年間、ソロモンの悪魔の名を持つ吸血鬼は現れ続け、殲滅し続けた。99年目の127日目は今日のこと。71番目の悪魔の名を持つ吸血鬼はシトリーのこと!アスカは100年間、悪魔と戦い、吸血を我慢する強欲とも戦ってきた。それもこれも、すべてはアスカがコラン・ド・プランシーの言葉を信じているがため!」

古本をウィネはテーブルに叩きつけ、インテグラルの元へ身を乗り出した。
そして茶色い瞳を見開き、言う。

「アスカの主であるコラン・ド・プランシーは云ったわ。100年間、吸血を我慢し、100年間に渡って現れるソロモン72柱の悪魔の名を司る吸血鬼を殲滅したら、サバトへ行けると。サバトは魔道の血を持つものだけが参加を許される宴。」
「―――あいつ・・・!」

ウォルターが声を上げた。
そう!とウィネは続ける。

「100年間、吸血の強欲に打ち勝ち、悪魔共を殲滅させて、アスカは魔女になるつもりなのよ!」

己の吸血鬼という血を浄化させるために。
祈りのために。
魔女になるために。
アスカは100年間、戦い続けていた。

「アスカはきっと71番目の悪魔も殺すわ。99年間そうしてきたのだもの。必ず殺す。」
「何だんだ!何を考えているのだ!?プランシー家は、アスカはいったい何を!?」

インテグラルは悲鳴にも似た声を上げた。






泣くな。ウィネ。何があった。言ってみな。
アスカ、アスカ、あのね。わたしがわるい子なのは、わたしにママやパパが居ないからだって。
誰が言ったの?
みんな。みいんな!わあああああん!
ウィネ、もう泣くな。お前には母親も父親も居ない。それは絶対に変わらない現実だ。そして、私もお前の母親にはなれない。
アスカは、きゅうけつきだからあ?
そう、吸血鬼だからだ。
わああああん!アスカ!アスカ!わたしの事、きらいになっちゃったのおおおん!
違う!違う!可愛い子だから、もう泣かないでおくれ!私はお前のことを嫌いになんてならないよ!嫌いになんてならない!ウィネ。私はお前の両親にはなれない。だがな、私はお前の良き相談相手にはなれる。
そうだんあいて?
ああ、もしお前に悪さをする奴や、お前を悲しめる奴が居たら私にいいなさい。私がそいつらを懲らしめてやるから。ウィネをいじめるな!と言ってやるから。
・・・・・・っアスカ?
だから、もう泣くな。
アスカ、わわあああん!






「プランシー家もアスカも、何も考えていないわ。考えているのは自分のことだけ。そして私も同じ。」

アーカードが目を細めて口を開いた。
とてもとても低い地鳴りのような声だった。

「ソロモン72柱、72番目最後の悪魔の名は―――」
「そうよ、吸血鬼さん。72番目最後の悪魔の名はウィネ。」

ウィネは立ち上がる。

「インテグラル・ファルブルケ・ウィンゲーツ・ヘルシング否、王立国教騎士団よ!!これは命令よ!アスカ・レメゲトンを殲滅しなさい!アスカは必ず71番目を殺してここへ戻ってくる。72番目わたしを殺しに戻ってくる。」
「ウィネ!貴様!自分の云っている言葉の意味を分かっているのだろうな!アスカは、彼女はお前の下僕だろうが!」
「分かっているわ。分かっているからわたしは此処に居る。」

インテグラルも立ち上がり、小柄なウィネを上から見下ろした。
睨みつける眼差し。
二人の眼差しは交差する。

「・・・っ貴様、謀ったな。アスカを業と我々に会わせて、我々と行動させたのか!」
「そうよ。そうに決まっているじゃない!インテグラル・ファンブルケ・ウィンゲーツ・ヘルシングよ、己の役目を果たしなさい。彼女は吸血鬼なのよ!化物なのよ!ヴァンパイアハンター!!」

魔道書を死ぬまで書き続けなければならない、プランシー家。
悪魔に魂を売りし一族・プランシー家。

「アスカを殺しなさい。化物を殺しなさい!」






to be continued...
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