Grimoire
第六話 Arbatel:アルバテル





「お願い。この子を、この子を、守って・・・。」

大きく腹を膨らませた女が腕を掴み、縋るように言った。
アスカはそれを傍観している。
なおも女は、汗で長い髪を顔に纏わりつかせながら続けた。

「・・・お願い。プランシーの血をここで終わらせるわけにはいかないの。」

女がきつくアスカの腕を握る。
女は身篭だった。
すでに臨月を過ぎた女の腹の赤子は今にも出てきそうに、いまかいまかと母親の腹を中から叩きまわしている。
すでに陣痛が始まってから時間が過ぎている。
誰もが思う難産だった。
身体が弱い女の命は長くない。
アスカは見下ろしながら思った。

「そんなこと。私に願っていいのかい?私は貴様が嫌いだと云っていた吸血鬼だぞ?」
「・・・ええ、吸血鬼は嫌いよ。貴女なんて特に嫌い。・・・でも今、お願いを出来るのはその貴女だけなの・・・」

息絶え絶えに女は言う。
ああ、と女は陣痛に苦しみもがいた。

「この子が生まれればプランシーの当主になる。当主になれば死ぬまで筆を持ち、魔道書を書き続けなければならない地獄が待っているのだぞ。それでもその道を我が子に歩ませるのか?」
「歩ませるわ!歩ませる!それがプランシーの血族だから。・・・先代も先々代もずっと昔から私たちは悪魔に魂を捧げてきた。」

カトリックを守るために。
キリスト教徒を守るために。
神を守るために。

「宿命か。」

悲鳴の様な声が響く。

「地獄の道を生まれてくる我が子に歩ませるのに、子どもを守れと云うのか。また面白いことを云う。」

赤子の頭が見えている。
そろそろ生まれる。
そろそろ。

「お前もまた、地獄を見てきたのだな。文字の海を溺れてきたんだな。」

けたたましい女の悲鳴が響き、アスカの腕を握る手に一番の力が込められた。
悲鳴を聞いた産婆たちが痺れを切らして寝室へ入ってくる。
産婆たちはおのおの出産のための道具を抱えていた。
誰もが息を飲んだ。
息絶えた妊婦の女と妊婦の女が産んだ赤子を抱いている吸血鬼を見て、誰もが息をのんだ。
生まれてきた赤子がわんわんと騒々しく鳴く。

「この子は私が育てる。」

アスカは静かに呟いた。
抱かれた子はアスカの胸の中でけたたましく鳴いている。
まるでその泣き声は生まれてきた世界を悲観しているようだった。

「何を言っている。吸血鬼などに人間の子が育てられるはずがないだろう!」

産婆が言う。
しかしその言葉は今のアスカには届いてなどいない。

「ウィネだ。」

赤子が鳴く。
わんわんと
えんえんと
ぎゃあぎゃあと
鳴く。
この子の世界に自由など幸せなど無いことをアスカは知っている。

「この子の名はウィネだ。」






早朝、インテグラルはウォルターからの内線で目を覚ました。
まだ太陽が昇って間もない頃だった。
インテグラルは寝間着姿にコートを羽織り、ウォルターに指定された場所へ向った。
指定された場所、それはヘルシング邸の中庭だった。
中庭といえども広大なヘルシング邸にすればもはや庭も同然。
インテグラルが向うとすでにウォルターに呼ばれたセラス、ベルナドット、ウィネ、そしてアスカが居た。

「どうした?」

朝の太陽に似合わない面子たちにインテグラルは葉巻を咥えながら問う。

「お嬢様。何者かが昨晩、ヘルシング邸に侵入したようです。」
「何だと!?」

ウォルターが中庭で一番の大きさを誇る樹の根元を指差した。
青々と茂った樹の根元には鴉の屍骸とその血でかかれた魔方陣があった。

「何だ。これは・・・。」
「悪戯ですか・・・?」

セラスの言葉にベルナドットが首を横に振った。
彼が言うには昨晩の警備については完璧であり、不審者の目撃もなかったという。
ならば、誰が。
インテグラルは奥歯をぎしりと鳴らし、咥えていた葉巻を噛み締めた。

「とんだ宣戦布告じゃなあい?アスカ。」

寝間着姿のウィネが大あくびを浮かべながら言った。
一番遠い位置から傍観していたアスカが反応する。

「魔方陣、オルガの輪。まじない。私は貴方を許さない。私は貴方を必ず殺す。」

怖いぐらいに冷静な声色でアスカは呟く。
アスカは黒いコートのうちポケットからチョークを取り出すと、直接その魔方陣の上を書き潰すように慣れた手つきで、まったく別の魔方陣を書いた。

「私はこんな陰気なことをやりたがる男を知っている。」

魔方陣を書き終えるとアスカはインテグラルをまっすぐと見つめ、睨みつけた。

「シトリーだ。奴がここへ来た。」

魔方陣から煙が立ち込める。
魔方陣が燃え、樹が燃えるのは一瞬のことだった。
ごおおっと音を立てて魔方陣から火が燃え広がる。

「吸血鬼の侵入を許したということか・・・?」

悔しそうにインテグラルが言う。
バレンタイン兄弟のヘルシング邸襲撃後、万全を期していたはずだった。
しかし、シトリーという吸血鬼の侵入を許してしまったのだ。
鉛と水銀が込められた塀を破り侵入したというのか。

「なに、悲観することではない。奴は影の様な男だ。闇あれば闇に溶け込み、光あれば何者かの真似をする。今回のことはしょうがないことだ。」

ごおおっと樹が燃える。

「アスカ、シトリーは貴女の居場所を知っていることになるわよ。彼の狙いはずっと昔から貴女なのだから。」

腕組みをしながらウィネ。
アスカはじっと炎を見ながらシトリーが残したと思われる魔方陣を思い出していた。
魔方陣が書かれた場所は丁度、地下のアスカの部屋の真上だった。
彼はアスカの目と鼻の先に降り立っていたということになる。

「目と鼻の先に獲物を捕らえて、こんな陰険なことしかできないのは、実に奴らしい。」

早く私を見つけておくれ。
早く私を追い詰めておくれ。
決着をつけよう。

「燃えろ。燃えろ。燃えて消えてしまえ。」

にやりとごおごおと燃える樹を見つめながらアスカが笑う。
蒼い瞳に紅く燃える樹が映る。
アスカの狂気が垣間見られた瞬間だった。

「殺すのは私のほうだ。」





その頃、アーカードは自らの部屋で眠っていた。
ヘルシング邸に吸血鬼が侵入したのを彼が気づかないわけが無い。
しかし、アーカードはいたって慌てる素振りも見せることなく、椅子に凭れる様に眠っていた。

「シトリー・・・アスカを恨む男。アスカに復讐を誓う男。」

アスカの血を思い出す。
舐めたアスカの血を思い出し、アスカの微かな記憶を辿る。

「そしてアスカが最後に吸血した男。」

アーカードが目を覚ました。





to be continued...
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