どんどんどん、と思いっきりドアを叩く音がする。
「ししょー!ししょー!おししょうさまー!あけてください、おししょうさまあーっ!」
朝っぱらから響き渡るミコトの声に、お師匠様と呼ばれた家の主はドスをきかせた声で叫び返す。
「うっさいわねえ、朝っぱらから何叫んでんだ!書いてあるでしょ!?ルスダカエレ!」
「そんなあっ!おししょうさま、おねがいです、あけてください、おししょうさまあーっ!」
諦めずにドアを叩き続けるミコトの手はおそらく真っ赤になっているに違いない。一度決めたら地の果てまで突っ走る猪突猛進ぶりが長所であり短所であるミコトのことは、お師匠様ことエテモンがよく知っていた。
ミコトを拾ったのはエテモンだからだ。
モノクロモンに笑門号をひかせ、ガジモンたちをこき使いながら宣伝し、設営したリサイタル会場。相変わらず断れなかったデジモン達がまばらにいるだけだった。これで何度目だとナノモンにマジ切れされながら修理したニューマイクを片手に、気持ちよくジャイアンリサイタルを開催したエテモンである。失神するもの、そそくさと退散するもの、ひきつった笑みを浮かべて拍手をするもの。満足いくリアクションは得られず、憤慨したエテモンが辺りのセットに怒鳴り散らし、びっくりした観客はガジモンたちの必死のカンペを見ながらサクラをするはめになる。そんな中、盛大な拍手をしたのがミコトだった。目をキラキラさせてサインを求めてくるミコトに、エテモンのテンションは急上昇した。ガジモンたちはこの世の終わりを見たような顔をしたし、モノクロモンはぎょっとした顔でサインを家宝にすると宣言したミコトを見た。それがエテモンとミコトの邂逅だった。
ミコトは記憶がなかった。気が付いたらデジタルワールドにいたようで、他に行く所がないと笑った。なら、記憶を思い出すまでいればいいじゃない、と引き留めたのはほんの気まぐれだ。転生前にコテンパンにやられた選ばれし子供と同じくらいの人間だったから、なんだか懐かしくなったのもある。ガジモンたちは男所帯のエテモン軍団に紅一点が出来るとそれはもう喜んだ。なにせミコトは料理ができた。ガジモンたちが交代でやっていた貧相な食事が、今までには戻れないと思うほど劇的に変化した。これくらいしかできないから、と進んで掃除洗濯をやってくれる。くるくる働いてくれる女の子はそれはもう貴重な存在だ。エテモンに歌を教えてもらうんだ、と意気込むことだけが残念すぎるミコトの欠点である。ほっといたら人並みに歌えるかわいらしい旋律が惨たらしい戦慄に変わってしまう。それだけは嫌だとガジモンたちはエテモンに隠れて、こっそりこそこそ歌を教えていた。エテモンは全然気づいていないが、その上達を見てやっぱしアチシには才能があるわねえ!と自画自賛したのでなんとかなった面もある。それなりに楽しい毎日だった。
全国公演をするには資金がいる。今はとあるエリアの守護デジモンをやりながら、ガジモンたちのアルバイト資金を巻き上げつつ、せっせと次の全国イベントのための軍資金を溜めているところである。ミコトは今、エテモンの一番弟子のところに厄介になっていたはずなのだが。
「あーもう、うっさいわねえ!なにがあったのよ、ミコト!アチシの魅惑のバスタイムを邪魔するくらい大事なことじゃなかったら承知しないんだからね!」
「だいじです、だいじです!すっごくだいじです、おししょうさま!」
ばーん、と豪快に開かれた扉をみて、エテモンは顔色を変えた。
「たすけてください、おししょうさま!シャウトモンが、シャウトモンがしんじゃうーっ!!」
今にも泣きそうな顔をして、ここまで必死でシャウトモンをおぶってきたらしいミコトは、エテモンを見上げていた。ぐったりしているシャウトモンは意識が朦朧としているようで、どーしたのよ、あんた!?とびっくりしているエテモンの声すら反応しない。ミコトから受け取ったシャウトモンは熱い。身体が全体的に熱い。風邪ではない。風邪をこじらせて肺炎になっている気配がする。えぐえぐ泣きはじめてしまったミコトが後ろからついてくる。エテモンはとりあえずシャウトモンをベッドに寝かせた。
「ミコト、冷蔵庫からありったけの氷とビニール袋をもってきなさい!」
「は、はいです、おししょうさま!」
ばたばた走っていったミコトを見送って、エテモンは毛布をひっかぶせる。呼吸が荒いわりに呼吸が浅い。手を当てても火傷しそうな位だ。これはまずい、非常にまずい、元気が取り柄のシャウトモンがここまでぐったりするなんて何があったのやら。ちょーっと目を放すとこれだ。これだからミコトも、おれはデジモンキングになるんだ!と弟子入り志願してきたシャウトモンも世話が焼けるのだ。
「もってきました、おししょうさま!」
「よーし、じゃあ、ビニル袋に氷を入れて、水入れて、塩をいれてきっつく結ぶのよ。そんでもって、頭に乗っけてあげなさい」
「このタオルはどうしますか、おししょうさま」
「汗かいてたらふいてやんなさい」
「はい!」
言われたことはちゃんとできる子なのだ、ミコトは。自分で何かしようとすると、どういうわけか抜けたところが出てきてしまって、そそっかしい所があるのだが。それが目が離せないという意味でガジモンたちの注目の的となった。感謝の気持ちと謝罪をきちんと言える子なものだから、その素直さに魅かれるガジモンたちが多くなった。そのミコトがエテモンをおししょうさまと慕うのだ、間接的にエテモンの支持率が上昇しているのは気のせいではないのだ、きっと。
ごめんね、ごめんね、と謝りながらシャウトモンのお世話をするミコトを見ながら、エテモンはどかりと隣に座った。
「で?一体全体どういうわけで、あの元気印がこうなっちゃったわけ?」
「あの、それが、その」
ミコトは目を泳がせた。嘘をつくのが下手くそなのだ、ミコトは。
「アチシの優雅なバスタイムを邪魔してること忘れたわけじゃないでしょうねい?ミコト、アンタはアチシにすべてをいう義務ってもんがあるのよう」
「あ、は、はい!もとはと言えばシャウトモンが悪いのです!」
自己弁護に走るのは怒られたくないが故だろうか。小さい子供にありがちな思考回路である。とりあえず、物言えぬ相手に責任を押し付けてみる。自分は悪くない、と必死で弁護しながら、言い訳を延々と語り始めたミコトに、エテモンは腕組みをしながらため息をついた。ミコトはおどおどした子供みたいにエテモンの様子を窺いながら首をすくめる。
ミコトはシャウトモンと一緒に、エテモンの行きつけのお店でアルバイトをしていた。住み込みのアルバイトである。もっぱら皿洗いとレジ打ちと接客。調理は植物型デジモン達の領域である。どうやらシャウトモンとミコトが皿洗いをしていた時、ちょっとした言い合いから喧嘩になり、ぎすぎすしたままアルバイトの日々が紡がれていったらしい。デジモンに性別はない。ニンゲンはたったひとり。もちろんシャウトモンとミコトの割り当てられたのはアルバイトたちがお世話になっている狭い寮なのだ。言い合いは過熱し、大げさになり、一歩も引けないところまで拗れてしまった。もうきっかけが思い出せないくらい、顔を合わせれば大喧嘩という感じだったらしい。エテモンの口利きで置いてもらっているアルバイト先ある。アルバイト中は迷惑がかからないように愛想良くしていた。しかし、さすがに寮でまで愛想よくできるわけもなく、その反動からお互い無視することが続いたようだ。
ちょっとした不注意でシャウトモンは、ミコトのお気に入りのリボンをどこかにやってしまったらしい。ミコトが初めてエテモンからもらったリボンである。いつも頭につけているトレードマークだった。さすがにアルバイト中は指定された制服があるから更衣室においてあった。洗濯係はシャウトモンだった。うっかり紛れ込んだリボンを乾した結果、風が吹いてどこかにいってしまったようだ。それくらいいくらでもあげるのに、とエテモンはいう。小包についていたリボンが可愛いというからあげたのだ。エテモン的にはそれほど意味がなかったが、ミコトにとっては尊敬するおししょうさまから始めてもらったものである。それなら、と次からはちょっといいものを選んであげるようになった。でも、はじめてもらったもの、というのは思い入れが違うようだ。一番のお気に入りは安上がりのそれだった。よりによってシャウトモンが失くした、とミコトは怒る。一生懸命探したけど見つからなかったと。シャウトモンからすれば、エテモンが気にしてないことは知っているし、ゴミになるはずだったラッピングの使い回しのリボンである。まさかそこまで怒られるとは思ってなかったらしい。ミコトの地雷を踏んでしまい、いよいよ二人のケンカは佳境を迎えた。
「それで、わたし、シャウトモンのマイク、かくしたのです」
「なるほどねい。はなしはよーくわかったわ。いくわよ、ミコト」
「は、はい!おいしゃさまのところですか?」
「ちがう、ちがう。ナノモンのところよ」
「ナノモンさまですか?」
きょとんとした様子で首をかしげるミコトにエテモンは、うなずいた。機械は全然わからないからメンテナンスから管理からすべてガジモンに丸投げなのを毎回非難するあのいけ好かない完全体である。機械のお医者さんである。
「ガジモンたち呼んでちょうだい、でかけるわよー!」
「は、はい!」
エテモンが守護するこのエリアからファクトリータウンまでは結構な距離がある。モノクロモンとガジモンたちを呼んできて、笑門号を発進させなくては。ミコトの呼びかけに、今までずっとそれぞれアルバイトに散っていた軍団はあっという間に集結する。シャウトモンの危機となればそれはもうびっくりするくらいの速さだった。ミコトはずっとシャウトモンの看病をしている。ガジモンたちは心配そうに扉の前で聞き耳を立てているが、余計なことすんじゃないわよ、というエテモンの鉄拳でしぶしぶ所定の位置に戻っていった。笑門号は入れ代わり立ち代わり動き続け、ひたすら太陽を追いかけ追い越されながら走り続けた。やがてファクトリータウンのおんぼろ工場に突撃することには、すっかり日が落ちていた。
ミコトはいても立ってもいられなくて、シャウトモンを担いだエテモンの後を追いかける。工場のシャッターを抜け、見回りしているナイトモン達に会釈し、ラインをひたすら追いかけていくと工場長の部屋が見えてくる。はいるわよー、とノックもなしで蹴破ったエテモンは、とても小さな完全体のすぐ横にあるソファにシャウトモンを寝かせた。ノックというモノをだな、と説教しようとしたナノモンだったが、今にも死にそうなほど顔色が悪いシャウトモンを見て、合点が言ったのか今回だけだぞと一言こぼすと、すぐ後ろの部屋に引っ込んでいった。
「これを使え」
差し出されたのはマイクだった。シャウトモンの上にぞんざいに置かれたそれ。今まで小さく震えていた指先がマイクを持った途端、ぴたりと震えが止まる。呻きが聞こえた。うつろだった眼差し。焦点があう。目に光が戻ってくる。ぱちぱちと腕白坊主の眼差しが覗き込むミコトやナノモン、エテモンたちを映していた。
「……ここ、は?」
初めてみるガラクタだらけの工場長部屋に呆然としているシャウトモンである。
「さーて、ちょっとしたテストをするわよ、シャウトモン。指は何本に見える?」
「え?あ、あー、っと、2本だぜ!」
「よーくできましたってとこね!さっすがはナノモン、わかってんじゃないの」
「エテモンさま……それにミコト……オレはどーなっちまったんだ?」
「お前はついさっきまで死にかけていたのだ、シャウトモン。今度はマイクをなくさないようにするがいい」
「……あ、そ、そうだ!そうだよ!オレ、大事な大事なマイクが見つからなくて、それで……!」
「え、あ、あの、シャウトモン、もう大丈夫なの?」
「おう!ミコトもありがとな!もうすっかり元気だぜ、このとおり!」
さっきの重病患者とは思えないような元気っぷりにミコトはビックリ仰天である。ふっふーん、とエテモンは笑った。
「ミコトは知らなかったみたいねえ?シャウトモンっていうデジモンは、マイクをなくすと衰弱しちゃうデジモンなのよう。あの喜怒哀楽が超烈しくて、超熱血な性格はこのマイクがないといけないってわーけ!自分の感情をエネルギーに変換して声にしてぶっ放す体質してるから、マイクはもはや体の一部なわけ!暑苦しくて、がさつで、向こう見ずだけど、それもぜーんぶマイクがないとダメなのよ、ミコト」
「そ、そうだったんですか、おししょうさま……!?わ、わたし、わたし…!」
「その言葉はシャウトモンに向けるべきではないか」
「あ、そ、そっか。シャウトモン、ごめんなさい!わたしがあなたのマイクをかくしたの!あのマイクがそんなにたいせつなものだったなんてしらなくて、ごめんなさい!わたし、なんてことを!」
「マジでミコトが隠したのかよ、オレのマイクっ!?あれだけ探しても見つからねえから、てっきり盗まれたもんだとばかり!」
「ごめんなさい!わたしのロッカーのなかにあるの!」
ぼろぼろミコトは泣きはじめた。シャウトモンが死にかけたことが、今さらながら怖くなってきたのだろう。シャウトモンが無事だからこそ、安どの涙ともいえるが。このマイクは予備にしておけ、というナノモンの助言に大きく頷いたシャウトモンは、顔をあげろよと困ったように頭を掻いた。女の子が泣く顔は苦手だ、どうせなら笑って欲しい。
「オレの方こそごめんな、ミコト。リボンそんなに大事なものだって知らなくて」
「ううん、いいの。だって、ちゃんとロッカーにいれなかったわたしもわるいもん」
「じゃあ、許してくれるか?」
「シャウトモンも、許してくれるの?」
お互いに頷いた後、シャウトモンとミコトはぱっと笑った。
「泣いてるのか、エテモン」
「泣いてなんか、ぐずっ……!ないわよおっ…!ぐずっ!これは、心の汗なんだから!!!」
みんなに背を向け、サングラスを外し、男泣きしているエテモンに、ナノモンはため息をついたのだった。