交通事故がよく発生する場所というものは存在する。交通量が多い道はもちろん、三本以上の道が複雑に絡まる交差点や郊外のカーブした農道なら、ドライバーは意識して運転するものだ。しかし、一見すると普通の交差点だったり、見晴らしのいい一本道なのに交通事故が多発する場所がある。特に交通事故の起こりやすい理由が全くないなら、まさにオカルト現象である。だが、理由もなく事故が多発する場所は存在しない。実はそれなりに起こりやすい理由があるものだ。



交差点はいうまでもない。そもそも交通事故が起こりやすい場所だ。ちょっとした不注意や強引な運転が原因で事故を招きやすい場所である。見通しの悪い道路も事故が起こりやすい場所としては定番だろう。曲がりくねった山道、海岸沿いの歪な道。一見すると見通しがよくても、路地からいきなり子供が飛び出してくるような生活道路もある。あるいは高速道路などの交通の大動脈に続く県道、国道といった速度が出やすい道をあげられる。ドライバーの未熟さ、うっかりミス、路面の状態といった条件の重なりで引き起こされる場合もある。



そんな一般的な交通事故が起こるとは思えない場所でも、やはり交通事故は起きる。その場合は、道路自体に原因があるものだ。交通量のわりに異様に交通事故が多い交差点や一本道。たとえば、道路全体が微妙にカーブしていて、ちゃんと曲がったつもりでも曲がり切れていなかったり、曲がりすぎたりする。道路に気付かない勾配があり、知らぬ間にスピードが出てしまう場合もある。そうした事故多発ポイントは地元の人間ならば、ひやりとした経験や口コミ情報、噂で分かるから事前に気を付けて運転するだろう。しかし、知らない土地を走る場合は、隠れた事故多発ポイントを知らないわけだから、事故を起こしやすくなるのだ。



今月に入ってから交通事故が多すぎる。なんとなくそう思って調べてみたら、案の定、警察が注意報を発令したというニュースが目に留まった。すぐ下にあった交通事故の解説をスクロールしていた光子郎はため息をつく。光子郎が交通事故のニュースを見るたびに暗い気分になるのは、きっと実の両親の死因が交通事故だからである。今の両親の遠戚だったという大学教授の数学者夫妻が交通事故で死んだ。光子郎がまだ赤ちゃんの頃の話だ。光子郎位の子供を亡くしたばかりの泉夫妻は、親戚の勧めで天涯孤独になった光子郎を引き取って15年になる。新聞で調べればすぐに出てきた。名のある大学教授が一人息子を残して夫妻が事故死なんてショッキングなニュースである。著名な論文を出筆する。コメンテーターとして活躍する。有名な専門書を出版する。精力的に活動していた大学教授の突然の訃報なのだ、当然と言えた。光子郎が仄暗い気分になるのは、交通事故警報が出されるきっかけになった交差点が、実の両親の命を奪ったいわば魔のT字路だからだろう。



ついさっきみた解説のかぎりだと、典型的な隠れ交通事故頻発区域だった。一見すると見晴らしがいい交差点だが、実はカーブを描いている直線とT字路。整備された年代が古すぎて傾斜がある。しかも生活道路と農道を兼ねていた道を潰して国道に格上げしたものだから、バイパスに繋がる関係で飛ばす車が結構ある。実の両親の命を奪った交通事故の詳細を今の両親から聞いたことはないが、調べればデータベースからいくらでも調べられる。今の時代、著名な人間なんてウィキペディアを検索すれば一発だ。自損なのか、人身なのか、それくらいはわかる。自損事故だからこそ、行きどころのない気持ちもあることは、光子郎よりも今の両親の方が知っているはずだ。亡くなった実の両親は、今の両親と旧知の中だったらしいから。



今日が実の両親の命日だということも光子郎にしんみりとさせるには、十分だった。墓参りは今度の休みに家族みんなで行く予定だ。生徒手帳に囲ってある丸はひとつではない。今日も丸がついている。この日は誰とも遊ばないし、デジタルワールドの手伝いもしないと光子郎と親しい人たちはみんなしっている。下校時刻のチャイムが鳴る。別れを告げるクラスメイトたちに紛れて校舎を後にした光子郎は、いつもと違う通学路を歩く。お台場小学校にいく道とも、自宅に帰る道とも違う、正反対の道だ。光子郎が目指す場所を知ったのは、今から5年前。光子郎の実の両親が亡くなった魔のT字路、ニュース速報が正しければ昨日、人身事故があった場所。ここに犠牲者が出るたびに光子郎はこっそり足を運んでいる。



この辺りにはめずらしい、とおりゃんせのメロディー。生活道路と隣接するため交通量が多い。押しボタンが設置されているため、頻繁に信号機が切り替わる忙しない場所だ。さすがにもう事故車両は片づけられ、すべて警察による清掃もおわったばかりのようだ。もう面影はない。一昨日起こった人身事故の詳細と、情報提供を求める看板が目に入る。その近くには近所の人が善意で設置している献花台。よく人身事故が起こる場所だからか、近隣住民は手慣れたものだ。処分するのは近所の人である。冥福を祈るのに必ずなにか供えないといけないわけではない。手を合わせ、名前も知らない人に冥福を祈った光子郎は、息を吐いた。



夕焼けに染まる街に、影が伸びる。それを追いかけていくと、小さな女の子がいた。路肩に咲いている小さな花を集めたのだろう、ビンの中にはちいさな花束ができている。それを隅の方においた女の子は、手を合わせてじいっとしている。よく見れば肩が震えている。光子郎はさすがに気になって声を掛けようとした。顔を上げた少女は、知らない人に声を掛けられたら逃げろとでも教わっているのだろうか。ぐしぐしと顔をぬぐって、少女は踵を返して走っていった。


「あら、こんにちは」

「こんにちは」


後ろから声をかけてきたのは、献花台を設置している隣のおばさんだった。献花台に雑多に置かれている食べ物がカラスに食われないよう、世話をしているのをよく見る。置かれたまま放置されたそれらはすべてゴミとなる。愚痴を時々聞くこともある。それから光子郎は何も用意しなくなった。初めはお友達が亡くなったのか、と聞かれた。いえ、と光子郎は両親のことを話した。そしたらおばさんはよく覚えていたようで、当時のことを世間話程度だったが教えてくれたのだ。ここにきていることは今の御両親は知ってるの、とあんまりいい顔はされない。仲が悪いのか、と心配もされた。光子郎はとんでもないと首を振る。内緒にしてください、とお願いしてからもう5年だ。大きくなったわねえ、とおばさんは笑っている。


「ニュースで見たんです」

「そうなの。ここのところ、なんだか多くて嫌になるわ」

「そうなんですか?」

「まあ、どっかに出掛ける人が多いっていうのもあるし、遊びにくる人が多いってのもあるとは思うのよ。でもねえ、なんだか多い気がして」

「そんなに?」

「もともと多いでしょ、ここ。それでもね、あぶないなーと思うことはあっても、人身なんてしょっちゅう起こるものでもないのよ。でも、ここのところ、ねえ」

はあ、とおばさんは憂い顔だ。

「いつからですか?」

「そうねえ、3月?」

「3月」

「あのクラゲがたくさんいた事件あったでしょ?」

「ああ、ありましたね」

「あの時からよ」


ぎくりと肩を震わせた光子郎だったが、おばさんはテレビはみるがパソコンはあまりしない人のようだ。光子郎たちの正体はゲンナイさんたちを通じてメディアに関してはシャットアウトすることは可能だ。しかし、個人が撮影したものまで介入するにはデジタルカメラもケータイも普及しすぎている。光子郎たちの噂はゆるやかに広がりを見せているが、おばさんたちに届くにはまだまだ時間がかかりそうだった。


「可哀想にねえ、今回はひき逃げだったのよ」

「ひき逃げ?」

「雨、降ってたでしょ?」

「ああ、はい」


土砂降りの雨だった。春先の安定しない空模様を象徴するような、これから本格的に暖かくなる兆しの雨だった。一日中ずっとふりっぱなしで、退屈だと太一たちがごねていたのを思い出す。


「最近、交通事故が多いから、ご近所で集団下校してるのよ。このあたりの小学校はね。あの日も見守り隊のみんなで子供たちを送っている途中だったのよ。そしたら、ろくにブレーキもしないで走ってきた車があってね」

指差す先には40代の女性がはねられた人身事故だと書いてある。

「今日、亡くなったそうなのよ。可哀想にねえ、お子さん、まだ小さいのに」


光子郎の脳裏には、先ほどの小さな女の子がよぎった。もしかしたら、あの子は。胸が痛くなる。


「そうなんですか。犯人、はやくみつかるといいですね」

「ホントにね」


遠くでチャイムが鳴る。


「暗くならないうちに、お兄さんも帰りなさいな。気を付けてね」

「あ、はい。ありがとうございます」


こうして光子郎は家路についた。




この日から、奇妙なメールが届くようになる。




最初はよくあるダイレクトメールかと思った光子郎である。書き出しはチェーンメールによく似ていた。光子郎が行ったあの交差点の人身事故についての目撃情報を募るものである。近所のおばさんだとか、お子さんの友達だとか、差出人は様々だが犯人が許せないから、些細な情報があればメルアドか電話番号を教えてくれというもの。あとはこれを5人以上に送らないと交通事故に遭うという不謹慎すぎる内容だ。さすがに不快になった光子郎はすぐに削除したが、毎日1通は届くようになる。へんなサイトを見た覚えはない。太一たちから流されてきた覚えもない。フリーの捨てアドから送られてきて、ブロックしても無駄だった。そのうち登録してある番号やメアド以外は受け付けないようにしたら、今度は太一たちから光子郎からか、と例のチェーンメールの連絡が来るようになった。さすがに笑えない。どこから情報を得ているのか分からないが、個人情報が漏れている。ここまでくると光子郎は番号を変えた。それでも光子郎のところにはメールがやってくる。さすがにおかしい、と思った光子郎は、テントモンに声をかけた。






あの交差点にやってきた。






「ここが例の事故現場やね、光子郎はん」

「そうだよ」

「……やっぱりおかしいでっせ」

「テントモンもそう思う?」


光子郎はパソコンを起動する。デジモンを探知するアプリを起動する。交差点を中心に半径50メートル以内に、とても大きなデジモンの反応があった。ダークタワーによって現実世界に侵攻してきたデジモンたち以来の巨大な反応だ。成長期、ちがう。完全体、いや。下手をしたら究極体かもしれない。光子郎の脳裏に、ディアボロモンがこちらの世界にやってくるために大量にあらわれた、クラモン達が過る。あのクラゲが現れてから、交通事故が多発するようになったという交差点。たしかに交通事故は起こりやすいかもしれない。でも、もし。電波障害によって、車や信号機に異常があったことによってひき起こされたのだとしたら。





嫌な予感は、あたってしまった。





光子郎はD−ターミナルで大輔たちに招集をかける。何度も事故を起こしているのだ。これが意図的にしろ、意図的でないにしろ、たちが悪すぎる。どうして気付かなかったのだろう。いら立ちをこらえながら、光子郎は大輔たちと合流する。回収し損ねたクラゲの捜索が始まった







「ねえ、カオスデュークモン」

「どうした、ミコト

「やっと気付いてくれたね、【光子郎】くん」

「ああ、そうだな。遅いくらいだ」

「今までずっとミコトが鬼だったんだから、今度は【光子郎】くんたちの番だよね」

「ああ、そうだ。お前の言うとおりだ」



えへへ、とミコトと呼ばれたいつかの少女はうれしそうにわらう。はやく追いかけてきてくれないかな、つまんないよ。





「ここです」


光子郎たちはデジタルゲートを潜り抜けた。


「やっときてくれた」


ミコトは笑う。光子郎は驚いたようで、固まっている。彼女の横にはクラモンから急速に進化を遂げたと思われる凶悪なウィルス種のデジモンが佇んでいる。


「君はあの時の」

「【光子郎】くん、待ってたよ」

「どうして僕の名前を?」

「やだなあ、忘れちゃったの?ミコトだよ。泉ミコト。君のお姉ちゃんになるはずだった、女の子の名前、忘れちゃうなんてひどいなあ」

「そんな、まさか、どうして。ミコトさんは、たしか」

「うん、そうだよ。でもね、そんなことどうでもいいじゃない。ねえ、【光子郎】くん、遊ぼうよ。ミコトね、ずっと君と遊びたかったんだ」


光子郎は激しく動揺する。大輔たちはよくわからないのか、光子郎を見ている。光子郎はかすれ声で言葉を紡ぐ。


ミコト。本来なら、泉夫妻の一人娘として育つはずだった、光子郎と年の近い女の子の名前である。光子郎の両親が交通事故に遭う数か月前に、生まれ持った病との闘病生活を終えて、静かに天国に旅立った。そう光子郎は聞かされている。生きていればお姉ちゃん、もしくは妹になるはずだった女の子。幼い姿の面影はそのままに、泉夫妻とよく似ている。雰囲気が似ている。すくなくても、光子郎よりはずっと娘である。生きていれば、なんとなく思いを巡らせるくらいにはもう一人の家族だ。


「うそだ、」


光子郎は静かに言い放つ。


ミコトさんはもういないんだ。君はミコトさんじゃない。ミコトさんの姿をして、ミコトさんの名前を名乗るなんて、死者を冒とくしている。僕は君を許さない。君が誰であろうとも」

「ふうん」


ミコトと名乗った少女はあんまり興味がなさそうだ。


「しってた」

「え?」

「お父さんもお母さんも、そう言ってミコトを拒絶したもの。なによ、せっかく会えたのに。うれしかったのはミコトだけなんてひどいじゃない。ずるいよ、【光子郎】くん。ミコトのお父さん、お母さん、取って、そんなに楽しい?」


歪に笑った少女に、付き従う暗黒騎士は選ばれし子供たちを一瞥した。


「今まで、ミコトはお前たちをずっと探していた。今度は、お前たちがミコトを捜す番だ。せいぜい探し回れ。こちらはいつでも待っている」


左腕にある邪悪な力が宿る真っ黒な盾がかざされる。


「ジュデッカプリズン」


暗黒の波動が辺りに吹き荒れる。ゲートポイントが一気に朽ち果てていくのが見えた。選ばれし子供たちの危機を感知したデジヴァイスから、結界が展開される。それ以外の地帯は一気に錆びついた世界と化した。しかも結界の外側がどんどん腐食していき、ぼろぼろと崩れ落ちていくのが見える。このままだとまずい。子供たちは一時退却を余儀なくされた。


朽ち果てたゲートポイント。穴があいた空間を縫うように逃走した究極体の姿を彼らは追いかけることが出来なかった。デジヴァイスが腐りおち、機能が使えなくなってしまったのである。大輔たちはゲンナイさんたちに修理をお願いするまで、身動きが取れなくなってしまったのだった。


「ねえ、カオスデュークモン」


ミコトを抱えながら滑空するカオスデュークモンに、ミコトは縋り付いた。


「カオスデュークモンは、ミコトのこと、いらないって言わないよね」

「もちろんだ」


言葉少なに肯定した暗黒騎士に、ありがと、とミコトと呼ばれた少女は笑った。


彼女の記憶は、あのクラゲの日から始まっている。クラゲが成長するために選んだデータは、泉夫妻のミコトという少女の記録だった。電子媒体を食べつくし、それによって再構築された亡き娘。それと引き換えにバックアップしていなかった想い出の写真をすべて吸い尽くされてしまった。その衝撃により、泉夫妻は、言葉を失う。思い描いていた亡き娘そっくりのデジタルモンスターが目の前に現れて、お父さん、お母さんと呼んでいる。デジモンのことをしらなければ、ディアボロモンのことを知らなければ。泉夫妻は手を取っただろう。きっと娘として迎え入れたに違いない。でも、できなかった。光子郎に知らせることもできなかった。愛された記憶は構築されているのに、二人は驚き戸惑うばかりで抱きしめてくれない。ミコトは拒絶されたと判断した。クラゲたちが乱舞していたから、タチの悪い悪戯だという、冗談であってくれというつぶやきを聞いてしまった。過去の写真をばら撒いたりする悪行が太一の両親から伝わっていたタイミングが悪すぎた。ミコトという記憶はあるのに、お父さんとお母さんから拒絶された。少女の絶望は、クラゲを引き寄せる。増殖し、分裂し、合体を繰り返し、物凄いスピードで究極体にまで上り詰めた。光子郎たちが気付かなかったのは、悪い悪夢だと泉夫妻が口を閉ざしたこともあり、データから選ばれし子供を学んだカオスデュークモン達が潜伏を選んだからでもある。






ミコトという姿をしたデジモンは、すべてを食らい尽くすべく、深淵で光子郎たちを待ちわびている。
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