賢視点

ショートカットキーを叩き、タクスマネージャーというページを起動した治兄さんは、緑の棒グラフが満タンなのをみて、眉を寄せた。無理もない。これはパソコンが起動している時間の中で、どれくらいのソフトが起動しているのか、を示しているからだ。これが0パーセントなら何も起動していない状態を指すし、100パーセントならパソコンがフリーズするほどの容量を使って、いろんなソフトを同時に起動させていることになる。マウスもキーボードも反応しないフリーズ画面の前で、イヤホン姿の治兄さんはため息をついた。記憶には無いのに、いつのまにか無限ループを繰り返すプログラムが存在している。ウィルスにでも感染したのかと青ざめながら、治兄さんは淡々と作業を進めていた。パソコンに搭載されている容量をはるかに超えた容量を要求してくるプログラム。極端に重くなっている理由は明らかだった。治兄さんは無許可で勝手に起動しているプログラム一覧をみて、見覚えのないプログラムを片っ端から削除する作業を開始した。しばらくして、ようやく治兄さんは、ゲンナイさんが送ったメールを受信できる環境になったようで、こちらと繋がるページを開いてくれた。


イヤホン姿の兄さんは、フラッシュ画面に広がる日本庭園と古民家に佇むゲンナイさんと僕たち、そしてデジモン達のアイコンを見て、硬直してしまった。目が皿のように丸くなる。さっと血の気が引く。たらりと汗が流れる。こわばっていく表情は、驚きを通り越した、なにかをにじませていた。でも、僕も遼さんも治兄さんがここまで息を詰めるほどショックを受ける理由が分からない。なんでだよ、どうしてだよ、なんでこうなるんだよ。いいかけた言葉は声にならないまま沈黙にかわり、口をつぐんでしまった治兄さんは、落ち着くためか目を閉じてしまった。明らかにひどく狼狽していた。僕と遼さんは治兄さんが悪い奴らに浚われたかもしれない、という嫌な予感が外れてほっとする一方で、顔を見合わせた。困惑と焦燥感が滲んでいる治兄さんは、僕たちの想定していた反応とはあきらかに違っていたからだ。てっきり、兄さんのことだから、タチの悪い悪戯はよせと不機嫌そうに眉を寄せるとばかり思っていたから。もしくは、おまえら、と咎めるような視線と怒りを秘めた静かな声が聞こえてくるとばかり思っていたから。


だって、普通、そうだろう。突然の停電。意味不明な羅列の新規参加者。全ての文字がカタカナという不気味なメッセージを最後に、僕と遼さんはパソコンの中に吸い込まれてしまって、デジタルワールドにいる。そんなこと、いくら治兄さんが天才でもわかりっこない。兄さんからすれば、わけのわからない怪奇現象の直後に僕と遼さんがチャットを離脱してしまう。しかも他の参加者たちは存在自体が消えていて、ログを遡っても僕たち3人の会話だけしか残っておらず、残っているのはそのチャットルームだけ。HOMEキーを押しても、並ぶのは404エラーメッセージのみ。ゲンナイさん曰く遼さんお気に入りのサイトが忽然と姿を消してしまったのだ。そして、僕の家のパソコンアドレスを借りて送られてきたメールを開いたら、ゲンナイの隠れ家というサイトにジャンプした。普通に考えたら、ドッキリを仕掛けられた、と勘違いすると思う。


なのに、兄さんの反応は違っていた。今、目の前で起こっていることが理解できなくて、本気で混乱してる。パニック状態になってる。頭が真っ白になっているようで、なんにも言葉が出てこないみたいだった。ゲンナイさんは、そんな治兄さんを観察しながら、うむうむ唸っている。選ばれし子供の素質があるかどうか、見極めてるんだろう。僕はどうしたんだろう?と首をかしげた。さあ?って遼さんは肩をすくめる。


もともと治兄さんは常に二歩先を行くような人だから、ほんとに滅多なことじゃ驚かない。未来予知してるんじゃないか、ってレベルで冷静沈着に生きている兄さんの表情を崩すのが好きで、ちょっかいをかけ始めたって公言してる遼さんですらわからないなんて。僕は兄さんを見上げた。大画面で表示される兄さんはなんだか変な感じだ。緊張しているのか、口元が震えているなんて、兄さんらしくない。無理やり動揺を抑え込んで、何でもないように振る舞う兄さんは、とても違和感があった。もどかしかった。でも、今はそれを問いただすような状況じゃないことは、僕はもちろん遼さんも兄さんも分かっていて、あえて僕はそれには触れないことにした。


『賢、だよな?』

「うん、そうだよ、兄さん」

『なんでそこにいるんだ』


僕が応えようとしたら、ゲンナイさんが代わりに説明してくれた。


「……というわけじゃ。賢のお兄さんなだけあるわい。お前さんも遼と同じく、テイマーとしての才能があるという判定が出たようじゃ。全治三か月のけがを負っているところすまんが、ワシの隠れ家に来て、この二人をサポートしてやってはくれんかの」

『ゲンナイさんはできないんですか?』


ゲンナイさんは小さく首を振り、申し訳なさそうに背中をさすった。


「申し訳ないのう。何者かによって時間軸が8月1日に戻されてしまったせいで、わしはまた暗黒の勢力に呪いをかけられたんじゃ。その呪いは瞑想の修行をすることで悪化が防げるが、ここのエリアから出てしまうと、たちまち体を蝕んでしまう。精神を乗っ取られる恐ろしい呪いじゃ。遼たちの冒険に同行することはできんのじゃよ。精いっぱいのサポートはするつもりじゃが、限界があってのう」

『でも、パソコンなら僕より賢の方が優秀ですよ、ゲンナイさん』


兄さんが面と向かって褒めてくれることは滅多にないから、間接的でも認めてくれる発言が聞けたのは嬉しかった。よかったなって遼さんが言ってくれたから、はいって僕は大きく頷いた。ゲンナイさんは、しかしのう、とその先を制した。


「お前さんの言うとおり、賢の才能は目を見張るものがあるわい。じゃが、今回、賢は遼と共にこの世界を救うため、敵と戦わねばならん。治、お前さんには二人をサポートするために、いろんな情報を集めて、二人に伝えたり、バックアップしたりする仕事を手伝ってほしいんじゃ」

『………ひとつだけ、聞いてもいいか。賢』

「え、僕?なに、兄さん」

『本気なのか?本気で遼と一緒にそんな危険な旅をするつもりなのか、と聞いてるんだ。お前はまだ小学校2年生じゃないか。遼もそうだ。いくらなんでも危なすぎるだろ。ゲンナイさんのいうこともわかるけど、そんな簡単に決めてもいいことなのか?そっちは、あの光が丘テロ事件とかお台場霧事件とか引き起こしたデジモンがたくさんいるような危ない世界なんだぞ。ほんとに、いいのか?』


本気で僕たちを心配してくれる治兄さんに、僕たちは大きく頷いた。そして、決意をぶつける。そのウソ偽りない、まっすぐな言葉を受け取った兄さんは、はあ、と大きくため息をついて、わかったよ、と観念したようにつぶやいた。ということは。僕と遼さんは顔を見合わせる。にって遼さんは笑った。腕を組んで頭の後ろに回す。そしてニヤニヤしながら笑った。


「素直じゃないなあ、治君は!心配なら心配だって言えばいいじゃないか」

『うるさい』

「ありがとう、兄さん」

『弟がやるっていってるのに、兄が見送る訳にはいかないだろ。弟だって、友達だって、心配しないヤツがどこにいるんだ。あたりまえのこと、いちいち言わせないでくれ』


僕は胸が熱くなった。だから、兄さんの両耳が赤いのは気付かないふりをしたのに。遼さんはますます嬉しそうに笑って、治兄さんをからかっている。もういい、と気恥ずかしさから語尾が荒くなる兄さんに、ゲンナイさんがゲートを開くからしばらく待ってくれいと告げた。殴る。絶対殴る。それまで待てよ、覚悟しろ、覚えてろ、この野郎、という恨み節が聞こえたけど、遼さんは突然音声が聞こえなくなったふりをして口笛を吹いている。ゲンナイさんは治兄さんのパソコンとゲンナイさんの隠れ家をデジタルゲートでつなげているようで、画面を占領してしまった。これが終わるまでは僕たちは待機だろう。近くにあったベンチに腰を下ろした僕に、ずっと会話を聞いていたワームモンが、お疲れと笑った。


「あれがケンのおにいさん?」

「うん、そうだよ、ワームモン。治兄さん、僕の3つ上の兄さんなんだ。今は病院に入院してるから一緒に旅は出来ないけど、運動神経もいいし頭もいい。僕の自慢の兄さんなんだ」

「でもパソコンはケンの方が得意だっていってなかった?」

「兄さんだって負けてないさ。兄さんは僕の目標だもの」

「へーえ、そうなんだ。まあ、さっきの会話聞いてたらなんとなくわかるけどさ、こういうのってケンから聞くことに意味があるんだよ。だからさ、おしえてよ。治ってどんな人なのさ?」

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -