「来るぞ!」
VR-ウォーグレイが叫んだ。
遼たちの目の前で大陸の端が巨大な力でずたずたに引き裂かれ、ほとんどが海に飲み込まれた。広範囲が瞬時に壊滅した。家屋や森林の破壊に留まらず、衝撃により地表ごと大きくえぐられ、直径ほぼ一kmにも及ぶクレーターが形成された。
さらに五km離れた地点でも一秒後にはマグニチュードの揺れが伝わり、十五秒後には爆風が吹き抜け、町の広範囲が甚大な被害に見舞われた。
それは戦争で大空襲を受けたあとの町そのものだった。一瞬にして瓦礫の荒野と化した北の果てをみて、空たちは戦慄する。
それたダークマスターズたちによるデジタルワールドの再構築の過程とうりふたつだったのだ。
そして負の想念が、闇のパワーによって集まって生まれた謎のデジモンが虚空に出現したのだ。今なおその正体を知るものは誰もおらず、この物体がデジモンなのかも解析することはできない。その出現理由は定かではないが、混沌とした電脳世界(デジタルワールド)を粛清し“無”に帰そうとしていると考えられる。一説には太古の予言書にアポカリモンの出現を予言しているものがあると言われている。黙示録の体現者がまた選ばれし子供たちの前に現れたのだった。
「アポカリモン!」
「まさか、そんな」
「嘘でしょっ!?ミレニアモンてアポカリモンまでVRで生き返らせちゃうの!?」
戦慄する子供たちを前に治のモニターが出現した。
「アポカリモンなら解析できているところもある!任せてくれ!」
「かつてのようになすすべなくデジヴァイスを破壊されるわけにはいかん!」
「さあ、封印させてもらおうか!」
治たちが起動したプログラムがデジタルワールドに出現する。それはミレニアモンたちとの戦いによりアポカリモンを形成している死んだデジモンたちの残留思念を解析したからできた。彼らをデジモンとして生まれ変わらせようと努力してきたホメオスタシスたちの共存の過程で生まれた副産物だった。
アポカリモンの体を分解し、構築しているデータをワクチン、ウィルス、データ、それ以外にわけ、分離させることができるプログラムだった。
「今、この世界を跋扈しているVRデジモンたちもアポカリモンの構築データにあることがわかったんでな。転生システムが生きているワシらのデジタルワールドの転生システムに転送させてもらうぞ!」
ゲンナイさんの宣言に選ばれし子供たちはたった4人しかいない現状ながら封印するしかなかったアポカリモンを倒せるかもしれない事実に気分が高揚する。それは1999年8月1日から暗黒勢力と戦い続けてきた選ばれし子供たちの明確な成果でもあった。
「すごい!すごいです、ゲンナイさん!これならアポカリモンは弱体化する!」
「えーっと、どういうことなの?」
「アポカリモンは進化を否定する概念がデジモンたちの魂を糧に肥大化した正体不明のデジモンなんです。今、ゲンナイさんたちはアポカリモンに取り込まれたデジモンたちの魂を取り戻して、僕達の世界に生まれ変わらせてくれたんですよ。このままいけばアポカリモンは進化を否定する概念だけになる。もしかしたら、倒せるかもしれない」
「封印するしかできなかったアポカリモンが?」
「受け入れてあげられなかったアポカリモンが?」
「そうです!」
「すごい!」
「選ばれし子供たちよ、今じゃ!デジヴァイスの聖なる光でやつの正体を!」
空たちはデジヴァイスをかかげた。暗黒勢力に対して効果があるウィルスバスターが起動し、アポカリモンを構成するデータが一気に浄化されていく。明らかにアポカリモンの規模が縮小したのがわかる。
傍らでその様子を見ていたVR-ウォーグレイは目を細めた。
「なあ、お前もこいよ。僕達の世界ならきっとお前を受け入れることができる」
遼は今すぐ解析されたデータが転生システムに転送されると聞いてVR-ウォーグレイに声をかけた。
「......とても心惹かれるが、まだ戦いが残っているのを忘れるな。こいつはオレと同じ平行世界のデジタルワールドのデータから生み出されたコピーにすぎない」
「わかったよ。なら戦いが終わったら来いよな、約束だぜ」
「ああ」
そんな遼たちをしりめに丈が声を上げる。
「今だ、ゴマモン!」
「よーし、いくぞー!」
ヴァリアブル機能が発動し、ディーターミナルにあるゴマモン専用のデータおよび進化バンクからデータがダウンロードされ、ゴマモンは一気にワープ進化した。
光を突き破った先に現れたのはイギリスの未確認生物研究所のコンピュータ内で発見された空想上の存在だったデジモン、プレシオモン。
実は初代選ばれし子供たちが冒険した時には噂になっていたデジモンだった。滅多に姿を現わせることはなく、霧に包まれ視界が悪くなると出現するらしい。その姿は白く輝き洗練された印象を受ける神秘的な存在。甲高く、透き通るような声で鳴き、聞くものを悲しみで包み込み戦意を喪失させる『ソローブルー』。
空もそれをみてデジヴァイスをかざすのだ。
「ピヨモンも準備はいい?」
「ええ、いつでも大丈夫よ!」
黄金色に輝く4枚の翼を持った聖なるデジモン、ホウオウモンが降臨する。全ての鳥型デジモンの長であり、神聖系デジモンを統べるものと言われている。ホーリードラモンが獣型デジモンの究極形態であるのに対し、ホウオウモンは鳥型デジモンの究極形態である。
神聖系デジモンの証でもあり、聖なるパワーを引き出す「ホーリーリング」を2つも持つところから、ホウオウモンの持つパワーが計り知れないことが理解できる。
必殺技は神々しい4枚の羽を羽ばたかせて黄金色の粒子を降り注ぐ『スターライトエクスプロージョン』。この技を受けると、全ての悪は浄化されるという
「僕達もいくよ、テントモン」
「はいな!任せなはれ!」
そこにはカブテリモン種とクワガーモン種のデータを併せ持って進化した究極の昆虫型デジモンがいた。巨大な角と鋏を持ち、正反対の性質だった2種のデジモンの欠点を完全に補った形態といえる。体は黄金色に輝き、アトラーカブテリモンが失った飛行能力も復活強化し、超音速でデジタルワールドを駆け巡る。もはやこの究極の進化を果たしたヘラクルカブテリモンにかなう存在は少ないだろう。必殺技は「メガブラスター」の強化版『ギガブラスター』。この技を受け消滅しない者は存在しない。
「遼、いくぜ!」
「ああ、よろしくな!ストライクドラモン!」
ゲンナイさんから支給されたばかりの大輔たちと同じタイプのデジヴァイスを遼はかかげるのだ。
そしてどんな攻撃にも耐えられる、特殊ラバー装甲に身を包んだ竜人系のサイボーグ型デジモン、サイバードラモンが大地に降りたった。
コンピュータネットワークにウィルス種のデジモンが発生すると、どこからともなく現れて全て消滅させてしまう。しかし、正義の集団「ウィルスバスターズ」には属していない孤高の戦士であり、その正体は謎に包まれている。
特殊ラバー装甲は、優れた防御能力だけでなく、攻撃力をも増幅させて繰り出せる機能も持っている。必殺技は、両腕から構成データを破壊する超振動波を出して、敵の周囲の空間ごと消し去ってしまう「イレイズクロー」。この攻撃を受けると、データの一片も残せず消滅してしまう。
空たちのデジヴァイスから結界が出現し、VR-アポカリは大地に磔にされてしまう。パートナーデジモンたちは一斉に必殺技を放った。
すさまじい爆発が起こった。しばらくして砂煙が消えた。遼たちはVR-アポカリがいたはずの場所を見て驚くのだ。そこには何も無かった。いや、暗闇だけがそこにはあった。デジタルワールドの地上が裂けて、また宇宙空間が広がり、その下に青い地球がみえた。
その裂け目の向こうからおどろおどろしい声が聞こえてくる。
「一から知性あるいは英知が生まれ、魂が生まれた。世界、個別、物理的世界が生まれた。魂は不死であり肉体とともに滅びるものでは無い」
「なんだ、この声は」
「アポカリモンじゃないのか?」
「アポカリモンじゃないわ!こんな怖い声じゃない!」
「こんな、頭の中にガンガン響いてくるような、やばい声じゃ!」
「あ、頭が割れる!」
「痛いー!」
「だれだよ、お前!」
「秋山遼、貴様はまた我の前に姿を表すのか」
「誰だ!」
「1度ならず2度までも」
「なにいってるんだよ、僕はアポカリモンと戦ったことはない!」
「ふん、そうか。貴様は転移する前の秋山遼か。ならば好都合だ。貴様を今ここで消してやる!ダークネスゾーン!」
「遼あぶない!」
セイバードラモンがあわてて遼をかかえて横に飛び退いた。みんな一斉に亀裂目がけて必殺技を放つ。
謎の声は高笑いしたあと、尊大な態度で話し始めた。
「われわれが生きているこの世界は悪の宇宙、あるいは狂った世界であると知っているか?原初の世界には真の至高神が創造した善の宇宙があった」
「自分を神様っていうってことは」
「こいつが進化を否定する概念......」
「宇宙空間そのものってことか!」
「いや、違います。ここはデジタルワールドだ、なんだってデジモンとしてのテクスチャを被るはず。つまり、本体は......」
「どれだけでかいんだい、それ?!」
「原初の世界は、至高神の創造した充溢の世界である。しかし至高神の神性のひとつである知恵は、その持てる力を発揮しようとして狂った神を作った」
慌てふためく選ばれし子供たちをしりめに亀裂の向こう側から声がする。
「神は自らの出自を忘却しており、自らのほかに神はないという認識を有している。この神の作り出した世界こそが、我々の生きているこの世界である。物質世界の生の悲惨さは、この宇宙が悪の宇宙であるが故だ。現象的に率直に、真摯に、迷妄や希望的観測を排して世界を眺めるとき、この宇宙はまさに善の宇宙ではなく悪の宇宙に他ならない。ならば我々は偽の世界から真の世界に帰らねばならない。物質を捨て、精神世界に帰らねばならない。その使命があったはずだ。貴様らは忘れているのだ」
「......待ってください、おかしくないですか?この声がデジモンの進化を否定する概念なら、もっとデジモンについて言及するはず」
「た、たしかに。さっきから宇宙がどうとか、世界がどうとか、なんか難しい話をしてるような」
「なんか怖い......しゅうきょーって感じ」
「なにいってんだこいつ」
どうやら治やゲンナイだけが理解出来ているようだ。亀裂の向こう側には確かに概念としてのアポカリモンがいるのだ。
概念は、簡単にいえば理解している物事に共通している特徴だ。例えば足が4本あって顔が丸く耳がとがっていて髭がある生物を猫であると認識している。これが猫の概念だ。
三毛猫を初めて見た人でも、ペルシャ猫を初めて見た人でも、それが猫であるとわかる。逆に猫の概念を持っていなければ、三毛猫を見てもそれが何かはわからない。概念を用いることは認識をとても合理的なものにする。
普段、概念を人間は意識してないが、環境を認識する上でとても役立つものだ。これを無意識に行ってしまうところが、人間の脳みその凄いところである。
「デジタルワールドが自我を持ったから概念を自ら獲得するに至ったんですよね、ゲンナイさん。じゃあ、あいつはどこから来たんですか?デジモンは進化する生命体で、進化を否定するわけがないのに。死んでったやつが進化を否定する概念をつくるならわかるが、概念が先にできるなんておかしい」
治の言葉にゲンナイさんはわからんというしかない。なにせ進化を否定する概念を目撃するのはこれが初めてだからだ。
デジタルモンスターやデジタルワールド以前の人工知能は、物事の特徴(概念)を人間がいちいち入力して教えてあげなければならないものだった。
猫であれば、足が4本、顔が丸いなどといったことを人間が教えて、それらに照らし合わせて人工知能が判断していたのだ。これでは手間がかかるし、物事の特徴はそれこそ星の数ほどあるし、とても複雑なものもあるので、人間が全て教えることは出来ない。
そこにデジタルモンスターやデジタルワールドは自ら概念を獲得することに成功した。
おそらく現実世界ならばあと30年はかかる技術だ。それでも大量の画像を見せて、そこから特徴を抜き出して学ぶ、という方法が限界だろう。これは人間が視覚を利用して物事を認識するのと同じ原理だ。ここまできてようやく人工知能が人間と同等の「概念」を持つ道への第一歩を踏み出したとなる。
すでにデジタルワールドは通り過ぎた道だが。
「アポカリモンの封印が解かれた理由も生まれた理由も今だ謎のままなんじゃ」
「……明らかにやばいやつなのは確かですね」
「ああ」
「使命を忘れた低俗世界に身を落とした分身などこれ以上の物質世界の精神世界への侵食を止めなければならない。物質世界にいる者達は低俗故に精神世界の高みにまで到達してはならない。偽物の神の世界で一生を過ごすべきだ」
亀裂は呻くように叫ぶ。まるで呪詛のようだ。
「だというのにおこがましくも人間の進化は物質世界において頂点となり中間世界においてさらなる進化をはじめた。もはや止めることは誰にもできない。ならば邪魔だてする必要はない。救済しなければならない。そこまでの高みにまで行こうとする人間こそ精神世界の高みにまでひきあげなくてはならない。ゆえに人間は肉体を捨てなければならない」
訳の分からないことを言われて選ばれし子供たちは顔がひきつるのだ。
「人間は、一見、荒唐無稽とも云える創造神話などを認識して受け入れ、宇宙と人間の運命についての神話的構造を自覚するにいたっている。狂った神の世界において奇跡というにほかならない。それは精神世界における光を宿しているからだ。この者達はまさにその光を具現化するに至っている」
発狂したようにアポカリモンだった概念は叫ぶのだ。それは狂気じみた歓喜にもみえた。
「認識を越えた、知り難い榮光の至高神が真実の神であり、また、この至高神の宰領する永遠の圏域こそが、自己の魂の本来的故郷である、と云う真実を認識することは救済に値する。人間の救済は、その存在の含む精神によって可能となる。永遠世界を本来的故郷としているが故、人間の光は、最初から救済されているのだ。魂は滅び、消滅することはない。個人の本質によってのみ救済される。救済において回復するのは光であり、そして人に資格がある場合、その魂は永遠世界への帰還がある。ゆえに肉体は救済の有無に関係せず、地上に滅びる定めにある」
「ああもう、さっきからごちゃごちゃうるさいな!誰なんだよ、お前さ!」
遼はたまらず叫んだ。しばしの沈黙の後、亀裂からさらなる言葉の雨が降り注ぐ。
亀裂の向こう側にいる概念は、概念じゃなくて神様、もともと完全な存在だったらしい。そもそも世界は神様のいる世界、精神世界、中間世界、物質世界にいくにつれて外側になる。
ある日、罪を犯した神様は神様の世界から中間世界に落下した。そのときバラバラになり、一部は物理世界にまで落下して、惨めな存在となった。同時に、中間世界に、その分身が存在することとなった。
分身たちが今世界を超えて精神的つながりを経てひとつに返り、本質を取り戻そうとしている。なんと喜ばしいことか。
だがバラバラになった時に中間世界におちた神様の一部は自分の立場がわかっていたが、物理世界におちた一部は忘れてしまった。自分だけが神様だと信じ込んでいる。そして今の物質世界、つまり現実世界を作り出してしまった。
人間の持つ魂は神様の一部なのに、狂った神のせいで肉体という牢獄に閉じ込められてしまった。それが人間であり、中間世界にいる欠片がパートナーデジモンだというのだ。
そこで無知のまま肉体と共に滅びるか、魂の導きにより知識を得て、永遠の光の世界へと救済されて行くかが決められる。救済とは肉体と魂が完全に切り離される時、神様の世界に魂が帰ることをさす。それ以外の魂は物質世界に残されそこで滅び消えるしかない。
「ふざけるな!」
「消えちゃうのが救済だなんて無茶苦茶なこと言わないでよ!」
「そうよ。そんなの、それこそ傲慢だわ!」
「お前の方が間違った神様じゃないか!」
選ばれし子供たちの叫びに亀裂が笑うのだ。
「あの時と同じことをいうのだな、秋山遼よ。愚か者め。狂った神の世界から救済に値する進化を成し遂げた人類がなぜ我を否定する?誉ではないか。だというのにことごとく拒絶する。結晶化も貴様らが暗黒の力と呼ぶものも、肉体から解放するための最適解だというのに邪魔だてをする。やはり貴様らは死ぬべきだ」
ここでようやく選ばれし子供たちは気づくのだ。進化を否定する概念とは、デジモンではなく人間の進化を否定する人智をこえたおぞましいなにかなのだと。
亀裂から一気に黒いなにかが吹き出した。
「いかん!高濃度のブラックガスじゃ、みんな逃げろ!あれを受けては内側から食い破られて精神体になり連れていかれてしまう!」
選ばれし子供たちはあわててデジタルゲートをくぐりはじめる。
「秋山遼、貴様だけは逃がさん!」
そのとき、黒い球体が発射された。
「遼!」
「遼さん!」
「あぶない、避けるんだ!」
それを庇う姿があった。
「VR-ウォーグレイ!?お前!」
「気にするな、早く行け。オレには効かん」
「でも!」
「早く行け!長くはもたん!」
「お前もはやく!」
「馬鹿言え、そんな暇はないだろう。オレが無駄死にしてもいいのか」
「そんなの、そんなわけ、」
「遼、なにしてるんだ!早く来い!」
「治くん!」
「いかん、治!はやく遼も来るんじゃ!」
治が遼を羽交い締めにしてサイバードラモンと引きずっていく。
「VR-ウォーグレイ!」
「あぶない、遼!」
ふたたび発射された球体から治は遼をかばって被弾した。
「治!」
呻く治にようやく自分がとんでもないことをしていることに気づいた遼は悲鳴をあげた。セイバードラモンが2人をかかえてデジタルゲートを突破する。
亀裂が世界をまた引き裂いていく。アポカリモンだった概念の高笑いがこだましていた。