「お父さん、お父さん。アタシ、ケイトさんに会いたい。ウォレスくんにも」
「僕も!」
2000年3月4日、世界中を襲ったサイバー攻撃とお台場に核兵器ピースキーパーが着弾する事件の真相がデジモンであること。太一たちの活躍で爆発は免れたがアメリカ空軍のネットワークセキュリティに閉じ込められたとき、助けてくれたのがウォレスたちであること。それを知った父親はとても喜んだ。
サマーメモリーズの爆弾テロ事件のせいで前後の記憶が飛んでいた我が子がようやく笑顔をみせて、かつてお世話になったアメリカ人一家にあいたいといったからだ。
そのとき、ジュンの傍らには父親がアメリカ支局で初めて手がけた本があったから尚更。
それはアメリカの映画の原作だった。
1942年、戦時中の米陸軍が「砲撃射表」の複雑な計算を機械的にできるようにするために、6人の数学者を選出してプログラムを組ませた。
この6人のプログラマーたちは、各自が持っている数学的・技術的なスキルを結集して、世界初の電子計算機の一つとされる「ENIAC(エニアック) 」を創り出すのに尽力した。
この6人は全て女性だった。ENIACは当時のメディアからは「巨大な頭脳」と呼ばれた。その加算能力は毎秒5,000回であり、同時代の計算機の1,000倍の速さを誇った。これが今、コンピューターの祖父母として広く知られるものである。
「コンピューター」(当時は「計算手」という仕事の名前だった)は、こういったテーブルを使って正確な結果を生み出すための計算を行ったのである。
そのため、計算手(コンピューター)の役割は広い意味で事務仕事と見なされ、女性に割り振られることもしばしばあった。特に戦時中は男性が徴兵されるのでそうなることが多かった。
ENIACは「ファンクションテーブル」と呼ばれるハードウェアを基に設計されていた。このテーブルによって、複雑なシーケンスを持つさまざまな操作を実行するためのプログラムが実行可能となった。そのプログラムは一度紙の上に書き表され、それからENIACにプログラムを組み込まなければならなかった。この作業に数年が費やされた。
こうした苦労があったにもかかわらず、ENIACが立ち上げられたとき、6人のプログラマーは功績をたたえられることはなかった。彼女らは記念パーティーに呼ばれることすらなかったのである。
映画はあるアメリカ女性記者が6人の名もなきプログラマーについて取材するためにある有名紙に載ったENIACの写真を見つけ出したことから始まる。記事では、写真に写っている男性にしかキャプションが付けられていなかった。
そこで彼女は、写真の女性たちについて周囲に尋ねてみた。すると「彼女たちは冷蔵庫の広告でそばに立っているご婦人のようなモデルであって、マシンの前でポーズをつくってそれを引き立たせているのだ」といった説明を受けた。「ところが、それは真実からはほど遠いということが明らかになりました」という下りで始まる映画だった。
その1人がケイト・マクナルティだったのである。
だが取材中に起こったサマーメモリーズの爆弾テロ事件により父親は子供たちのために緊急帰国するはめになりお蔵入りになってしまった。結局当事者に対する取材は採用されず別の編集者が担当することになった。父親は表にこそ出さないが心残りだったのである。
「せっかくだからアメリカ旅行しましょうよ。お父さんもアメリカ支局の人にあいたいでしょ?」
「そうだな、マクナルティさんにも連絡してみよう」
そうしてジュンたちは夏休みにニューヨークに旅だったのである。ニューヨークからフィラデルフィアまでのちょっとした横断気分のつもりだった。
ニューヨーク支局に挨拶して、当時の仕事仲間に観光地を案内してもらい、ディーターミナルでみんなに画像を送っていた。
ヒルトンのはす向かいにある宿泊したリーガルニューヨークは全室スィートがコンセプト。リビングやウィンドウサイド、ベッドルーム、バスルームとお上りさんのように写真を撮りまくった。マジェスティック劇場で両親がオペラ座の怪人を見に行っている間はアメリカ支局の人の家族とご飯を食べた。
次の日にはロックフェラーセンター、レディオシティ、セントパトリック大聖堂にいった。
そして、ルーズヴェルト島へのロープウェイにのり、街中をいろいろ回った。セントラルパークの馬車にも乗ったし、マンハッタンからJFK空港までのセダンサービスの車窓から国連本部にまわるツアーにも参加した。
「大輔、大輔、そろそろウォレスくん来るんじゃないかしら」
「!」
サマーメモリーズの爆弾テロ事件以降、ニューヨークに引っ越していたウォレス一家との待ち合わせが迫っていた。
ジュンは両親を急かし、フットワーク軽くグランドセントラル駅に向かった。そこには1階広場の中央にある案内所は目印になる時計台があり待ち合わせ場所に良いとアメリカ支局の人に聞いたのだ。
駅はどこでも出入り口が多く迷いやすいが、この場所はオンリーワンだなら間違えることはないと。
実際行ってみると壮麗でクラシックな駅舎と背後にそびえ立つ現代高層建築のメットライフビルのコントラストが面白い場所だった。
「さすがはマンハッタン三大駅のひとつね......!これが噂のグラセン!」
パンフレットを握りしめながら感動しているジュンの横で大輔はキョロキョロとあたりを見渡す。ウォレスからもうすぐ着くとメールがディーターミナルに届いたからだ。
「......あれ?」
大輔はなにか聞こえた気がして辺りを見渡した。ぴこぴこぴこぴこ、ぴこぴこぴこぴこ、といきなりデジヴァイスが発光しながらアラームを鳴らし始める。驚いたジュンは手に取るがデジヴァイスは鳴り止まない。
「どうしたの、大輔」
ジュンが振り返ると大輔は工事現場を見ていた。そこでは、グランドセントラル駅の建て替え工事が行われていて、ごうん、ごうん、と、なにかが潰れる音がする。
大輔がそちらに走り出したので、ジュンは慌ててあとを追いかけた。デジヴァイスはしつこいくらいになっている。
工事現場の壁の間にはすき間があって、砂だらけの工事現場は、小さな砂漠に見えた。大輔は砂漠をもがきながら沈んで行くキリンみたいなクレーンを見上げながら、耳をすませている。
「どうしたのよ、大輔」
「お姉ちゃん、しー」
「え?」
「なにか聞こえるんだ」
ジュンも隙間を覗いてみるが工事の白幕が張られ、外から見えるすべてが暗かった。その向こう側が無性に明るくてまるでロボットか何かみたいにまったく同じ動作で機材をひとつひとつ積みあげていた。
「ただの工事現場じゃないの」
ジュンの言葉に大輔は首をふる。
「えー......まさか、なんかいるの?デジモン?テレビでみた半透明なやつ?」
大輔は違う違うと首をふる。
「まさか、実態があるの?」
ぶんぶん首を縦に降る大輔は怯えたようにジュンの手を探り、繋いでくる。
「どこ?」
「......あそこ」
やけに声を潜めて言う大輔の指さす先に影が差したのでジュンは悪寒が走った。空間に亀裂が走っていたのだ。その向こう側には圧倒的な闇があり、薄気味悪い色をした目がたくさんあった。悪魔が乗り移ったかのように見えて気味が悪い。それらは操り人形のような不気味な動きをしていて、籔の中に潜んでいるさなぎを何万倍かに拡大したような不気味さがあった。
「あ」
そいつは空間の裂け目から現れた。工事現場の作業員たちに襲いかかる。思わずジュンと大輔は目をそらした。
「お姉ちゃん、逃げよう」
大輔がいう。手を引かれてジュンは目を開けた。そして後悔した。見たことも無いデジモンに取り憑かれた作業員たちがこちらをいっせいに見つめていたからである。そして、にたりと不気味に口角を釣り上げたのだ。
その笑顔は、よく見れば見るほど何ともいえないイヤな薄気味悪さがあった。それは笑顔ではない。様々な国籍の作業員たちは少しも笑ってはいないのだ。その証拠に両方のこぶしを固く握って立っている。
人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無い。ただ、顔に醜いしわを寄せているだけなのである。奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情があった。
もっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、全くそれがないのだ。人間の体に精巧な人形の首でもくっつけたなら、こんな感じになるだろう、という雰囲気がある。とにかく、どことなく見る者をぞっとさせ、いやな気持ちにさせる。作業員たちはいっせいに隙間に殺到してきた。
悲鳴をあげたジュンと大輔は一目散に逃げ出した。通行人たちが不思議そうな顔をして振り返るが気にせず、両親のところに向かう。
「どうしたんだよ、2人とも。ウォレスくんたちがもうすぐ来るぞ」
「大人しくしてなさいな」
2人はデジモンか現れて工事現場の作業員たちに取り付いたことを訴えようとしたがぴたりと動きがとまる。ジュンたちは息を飲んだ。両親までさっきの工事現場の作業員たちみたいな顔をしているではないか。手を伸ばしてくる両親から距離をとり、今にも泣きそうな顔の大輔の手を掴み、ジュンは急いでグランドセントラル駅を走り出した。
「おねえちゃあんっ!」
「大丈夫、大丈夫よ、大輔!落ち着いて!」
「でもっ......でもっ!お父さんとお母さんがっ!」
「......落ち着いて、大輔」
ジュンは表通りの陽の光が真上にある大通りに逃げ込む。あたりを見渡し、息を吐いた。
「ねえ、大輔。なにが聞こえたの?さっき。アタシ、何も聞こえなかったのよね」
「えっ?えーっと、その、泣いてるんだ」
「なんて?誰が?誰がなんていって泣いてるの?」
「どこっ、て......どこって......泣いてるんだ......チョコモンが!」
ジュンの脳裏にはレッサー型の茶色い幼年期が浮かぶ。チョコモンが行方不明になったのはサマーメモリーズの爆弾テロ事件によるお迎えのためだ。もう5年もたっている。なんで今更チョコモンが泣いているのだろうかと太一のアグモンの先祖のようにデジタルワールドに帰れたと信じて疑わないジュンはわからない。本気でわからない。
「そうだ......ウォレスを探してるんだ!」
「ウォレスくんを?」
「うん」
「その声の先にあのデジモンがいたの?」
大輔は何度も頷いた。ジュンは息を呑む。ジュンのかつていた時代ではチョコモンとグミモンは双子のデジモンであり、性格は反対であるがとても仲が良く、いつも一緒に行動していることで知られていた。仮に2匹を離してしまうと、寂しさのあまり弱ってしまうこともあるくらい一身同体な存在でもあると。片方が現実世界、片方がデジタルワールドに生き別れになった野生のデジモンたち。なにかあったとしかいいようがなかった。
「大輔」
ジュンは大輔の向こう側を見つめたまま話し出す。
「なに?」
「みんながいきなりおかしくなったわよね」
「うん」
「アタシたちが離れたら、みんな元に戻ったのよ。見えた?」
「えっ」
「チョコモンの声は聞こえないんだけどね、アタシの目には影が見えたのよ」
「え、え、なに?なんの影?」
「わかんない、わかんないわ。だけどあの亀裂から出てきた目のやつが作業員の人たちに取り付いて、お母さんたちがおかしくなって、みんな、みんな、影に目があったのよ」
「!?」
「いい、大輔。今の時間帯が一番太陽が高くて影が小さいの。ここが一番日当たりがいいみたいだから、絶対に動いちゃダメよ。それとね、アタシのパソコン貸してあげるから、ゲンナイさんに助けを呼びなさい」
「お姉ちゃんは!?」
ジュンは笑いながら首を振った。
「さっきからデジヴァイスが鳴り止まないのよね......」
「お姉ちゃん!」
2人の間に先程見た黒い影が伸びてくる。それはやがて凍てついた黒い風となり、ジュンの周りにうずまきはじめる。
「お姉ちゃん!」
「来ちゃダメよ、大輔。今すぐゲンナイさんに知らせて。アタシに起こってること全部。いいわね」
「そんな、お姉ちゃん!」
「泣かないの、大輔。おとこのこでしょ」
「おねえちゃあんっ!」
大輔の叫びが木霊する。黒い風が吹き抜けたあと、大通りでたくさんの人が倒れていき大騒ぎになっていく。大輔は泣きながらジュンから預かったリュックからパソコンを探し、ゲンナイさんの隠れ家にSOSを送った。
ゲンナイさんたちがくるまで、大輔は1歩も動くことができなかったのだった。
「なんということじゃ......デジヴァイスからシェイドモンが生まれて選ばれし子供たちを襲っておるのか!」
「!?」
「シェイドモンはとりついたものの絶望を糧に成長するデジモンじゃ。ブラックウィルスに感染したウェンディモンの影から選ばれし子供たちのデジヴァイスにうつり、周りの人達に襲わせておるに違いない」
「そんな......」
「通りで誰も逃げられないわけだわ」
嗚咽をもらしながら泣いていた大輔はぐしぐし涙を拭った。
「お姉ちゃん、どこ?」
ジュンのパソコンにインストールされているデジヴァイスを調べてみるが探知機能が機能しない。どうやら亜空間は特定できないようだ。じわ、と大輔からまた涙がにじむ。それでも我慢して大輔は涙を拭った。
「お姉ちゃんを、みんなを、助けなきゃ......」
それは大輔の覚悟だった。
光が丘霧事件のときは巻き込まれてしまった。今回もまた助けられてしまった。大輔はいつもジュンを助けたいと守りたいと願いながらいつも出来ないでいる。
だがゲンナイさんからデジヴァイスを渡された大輔は選ばれし子供になれたことを知るのだ。
「ウォレス......そうだ、ウォレスを助けなきゃ!」
大輔はいうのだ。
「ウォレス?そういえば、あの時聞こえた声がウォレスって」
「チョコモン、ウォレスを探してるんだ。でも見つからないって泣いてるんだ。どうしてかはわからないけど」
大輔はディーターミナルにメールが来ていたことを思い出す。あわてて新しいメールが来ていないか確認してみる。
「あ......お父さんたちが探してる......」
いきなりグランドセントラル駅で行方不明になったのだ、親やウォレスの両親が探し回るのも無理はない。大輔は事情を説明するために一旦引き返すことにした。
「ねえ、大輔!ウォレスくんしらない?」
「え?」
大輔は目が点になった。
「大輔たちと遊んで来るって別れたんですって」
「えええっ!?」
「実はな、ウォレスくんの両親はサマーメモリーズの爆弾テロ事件以降も離れようとしないマクナルティさんと喧嘩別れしてるらしい。もしかしたらウォレスくんは......」
大輔は真っ青になった。
「サマーメモリーズにいっちゃった!?」
「大輔も急いでいきましょ?ところでジュンは?」
大輔はあわてて両親に説明する。両親は操られている記憶はないようだが足元の影に目玉はもうない。ジュンの誘拐が目的だったようだ。
「実は本宮大輔くんについてお話があるんじゃが」
ゲンナイさんは口を開いた。