9話

どこかで誰かに見られている気配がずっとしていた。ジュンは振り返るがなにもない。あたりを見渡すがなにもいない。気配の主は非常に抜け目が無く、人に姿を見せない術を心得ているようだ。

常にジュンの背後に忍び寄り、気配だけを悟らせるが、どれだけすばやく振り向いてもその姿を見ることはできない。

そして味をしめたのかしらないが、かすかな、はっきりとは聞こえない声で話し掛けてくるようになる。気持ちが悪いことこの上ない。鳥肌が立つ。

「チョコモンよね、いるんでしょう?」

わざと声をかけてみる。ぴたりと音がやんだ。

「チョコモン、鬼ごっこしてる?違うわね、かくれんぼかしら。たしか、見つからずに後ろからタッチしたら勝ちってルールだったもんね。上手だったもんね、チョコモン」

声が少しだけ大きくなる。かなり陰湿ないやがらせといえるが、実際に危害を加えてくることはなさそうだった。

「少しだけ世界が明るくなったけど、機嫌治った?」

会話が上手くいってるのかと期待したが、そうではないことは直ぐにわかった。ふと目にした手が服から出ないのだ。半袖のはずなのに。

「縮んでる!?」

あわててジュンは自分の服を見た。

「違う、それだけじゃない、服まで代わってる!」

それは去年きた服だ。忘れもしない、井ノ上一家にきせかえ人形にされたよそ行きの服装になっていたのだ。ジュンは青ざめた。

「時間が......戻ってる......うっそでしょ......ミレニアモンじゃあるまいし......」

感じたのは異様な寒さだった。黒い雪が吹き荒れていた。

「ここ......どこよ......亜空間てとこ?」

ミレニアモンが作り出した時間と空間を圧縮した亜空間とはまた違う異様な空間だ。ただただ寒い。なにもない。薄暗い世界だ。

「チョコモン?」

いつしか耳元で聞こえていたはずの囁きが聞こえなくなっていた。

「......!」

黒い雪の吹きすさぶ中、ジュンは体を縮こませながら歩き出した。煌めくなにかが見えたからだ。

「これ、は」

凍りついた花畑だった。黄色い花畑が凍りついた平原と化している。ジュンはふれてみた。

「......氷じゃない......結晶だわ......」

ジュンは顔を引き攣らせた。たまらず黒い雪に手を伸ばす。嫌に固い感触があった。

「黒い結晶.....?いや、違うわね」

デジモンが不完全な形で顕現する時に発生するジュンの体を結晶に作り替えてしまおうとする恐るべき現象ではない。ただプラスチックの破片のようなものにみえた。

「黒いチップかあ......なにかしら。デジモンの構成データ、デジゾイドみたいな鉱物、デジコア、それもダークコアみたいな暗黒デジモンの......うーん、解析できたらよかったんだけど......これだけじゃわかんないわね」

ジュンはため息をついた。

「......うっそでしょ、また縮んでる......」

靴がスニーカーではなくサンダルになっているものだからジュンはうんざりした顔をした。少し歩いただけなのに服が変わっている。姿形もかわっているに違いない。こころなし視界も低くなっていた。

「どんどん若返ってる......チョコモン......あなた、いったい......」

ジュンの中ではチョコモンは既に別のなにかへ変質してしまっていて、もう元へは戻れないところまで来ているのではないかという予感があった。

あの頃のまま凍りついて、もう未来へ進めない、願いや努力だけではどうしようもない運命にいたってしまったかつての親友のような。あまりにもおぞましい想像だ。

「ねえ、チョコモン。あなたに何があったの?あの日、デジタルワールドに帰ったんじゃなかったの?」
 
ジュンは想像を振り払いたくて問いかけるのだ。歩き続けているのは止まったら動けなくなる気しかしないからである。

5年前にお迎えが来て、連れていかれたチョコモン、残されたグミモン。引き裂かれた双子のきょうだい。たぶん、やがてはウォレスのパートナーデジモンになるであろう子達の片割れ。

「......」

また聞こえた。ジュンは振り返るが誰もいない。

「チョコモン?」

「かえりたい」

「チョコモン!?」

脳裏に焼き付いて離れない泣き虫の幼年期デジモンの声がした。ジュンはあわてて叫ぶ。大輔がいっていた声はこれなのだろうか。

「かえりたい......かえりたいかえりたい......かえりたいかえりたいかえりたいかえりたい」

チョコモンがいた。すぐ目の前にいる。チョコモンは誰かを探しているようで、あちこちに姿を現しては直ぐに消える。ジュンが手を伸ばしてもすり抜けてしまう。

一瞬ジュンと目が合ったのだが、チョコモンは今にも泣きそうな顔をして去ってしまう。

「待って、チョコモン!」

ジュンは走ったが見失ってしまった。かつてジュンも一緒に遊んだのだが、ジュンをみてもまともに判別できないまでになっているようだ。もはやチョコモンではない何者かに存在そのものを支配されており、冷たい空虚な亜空間にジュンたちを閉じ込めているのかもしれない。

「......まさか、チョコモン、ずっとここにいたの?」

ジュンは喉を抑えた。また声が幼くなっている。今なら絶対に着ないであろうワンピースや麦わら帽子やらポシェットやらがちらついた。またチョコモンが現れた。こちらをみて固まっている。

「......チョコモン、まさか、あなた、ずっと捕まっていたの?ここに?」

今度は届いた。ジュンがチョコモンの知っているジュンだったからだろうか。じわじわじわと涙腺が溜まっていき、チョコモンが大泣きしながらジュンのところに走ってきた。ジュンはだきしめる。

「ジュンー!やっとみつけたー!ウォレスは?グミモンは?大輔は?ウォレス、ウォレス、ウォレスううう!」

よっぽど寂しかったのか、チョコモンはジュンから離れようとしない。でも1番会いたいウォレスがどこにもいない、かたわれのグミモンがいないとチョコモンは泣いている。

「そっか......ここは、チョコモンを捕まえてた何かの中なのね」

チョコモンは腕の中でうなずいている。

「ねえ、チョコモン。なにがあったの?デジタルワールドからのお迎えじゃなかったの?」

チョコモンはぽつりぽつりと喋り始めた。あの日、チョコモンがいなくなったのはデジタルワールドからのお迎えに捕まってしまったからであり、はじまりの街に連れ戻されたのは事実だと。

ただ、チョコモンはウォレスのこともグミモンのことも忘れることができなかった。会いたくて会いたくてたまらなくて、デジタルゲートを監理する守護デジモンにダメだと言われて、諦めきれなくて守護デジモンになることを目指していた。何回転生しても記憶は継承され、チョコモンは少しずつ強くなっていった。

ある日、ダークマスターズが現れ、デジタルワールドは崩壊した。レジスタンスだったチョコモンは完全体にまでなれるほど強くなっていたが死んだ。そしてアポカリモンに取り込まれた。

ジュンは真っ青になった。

「ねえ、チョコモン......あなた、属性は?」

「ワクチン......ずっとワクチン......ウォレスたちにわかってもらえるように......」

ジュンは目眩がした。

「ねえ、もしかして、チョコモン......あなた、2回アポカリモンに取り込まれてる?」

チョコモンは号泣しはじめた。記憶の継承は今なお健在だというのだ。ジュンはいたたまれなくなった。ミレニアモンの戦いもアポカリモンに還元されている以上、デジモンによっては2回死んだことになるのだ。

アポカリモンはウィルス種の構成データがようやくすべて解析され、7つに分割されてデジタマとして転生する日を夢見て要石となっている。他のデータ種、ワクチン種、フリー種をはじめとしたその他の種のデータは解析待ちで要石としてデジタルワールドのアポカリモンの封印と新たなる安定の糧となっていた。つまり。

「アポカリモンを1部しか転生させられなくてごめんね。そうよね、そうだよね、何年かかるかわかんないもんね、待てないわよね......ごめんね」

チョコモンはしゃくりあげている。

「ジュン......いってた......今のデジタルワールドはチョコモンたち受け入れられないって......待ってって......でも......でも......ケイト、おばあちゃんになった.....ウォレスも、おじいちゃんになる......チョコモン......まてないよぉっ!」
 
チョコモンの言葉がジュンの中に深く深く抉りこんだ。ジュンはごめんねとしか言えなかった。

「ジュン、かえろ」

「え」

チョコモンはひとしきり泣いてスッキリしたのか笑った。無邪気に笑った。

「みんな、かえろ。そしたらまた、遊べる。みんなと、遊べる。ずっと、ずっと、遊べる」

ゆるやかに声が変化していくのがわかる。ジュンはチョコモンの向こう側に圧倒的な闇を見た。

「チョコモンを閉じこめてるのはアンタね!」

ジュンはチョコモンを庇うようにだきしめる。

「チョコモンの、過去に還りたいっていう想いを利用して、なんてことするの!」

ジュンは気づいたのだ。アポカリモンと一体化しているはずのチョコモンの構成データは封印状態のはずだ。幾重にも重ねられたそれからチョコモンをピンポイントでサルベージできる技術は今のデジタルワールドには存在しない。

そもそも何度も転生を繰り返しているならばチョコモンの構成データは死ぬ直前の完全体がふさわしい。なのに幼年期のままなのはおかしい。時間経過で進化するはずの幼年期だ。亜空間とはいえずっと若返るならデジタマになるはずのチョコモンがそのままなのは、ただひとつ。

チョコモンがただのチョコモンじゃないからだ。たとえばそう、アポカリモンにとりこまれたチョコモンの残留思念、想いの形がこのチョコモンを形づくっているのだとしたら。

デジモンは感情そのものもエネルギーであり、あまりにも強大ならばデジモンとなりうるのだ。ジュンのパートナーの前世であるメフィスモンのように。前例がある以上デジタルワールド側が取りこぼすとは思えない。今、デジタルワールド側は暗黒勢力であろうとも共存できる余地があるならば、と道を模索していることをジュンは誰よりも知っていた。

チョコモンは利用されたのだ。その特異な生まれを利用されて、こんな冷たいところにずっと閉じ込められて。ジュンは暗闇を睨みつけた。

腰のデジヴァイスを手にするがうんともすんともいわない状況に冷や汗が流れる。

「ジュン......ウォレスに会いたい......グミモンに会いたい......」

「大丈夫、大丈夫よ、チョコモン。絶対にあわせてあげるから。このまま、まわりを巻き込む破滅の化身になんてさせない。絶対に!」

闇が嗤う。ジュンは必死でチョコモンを抱きしめながら走り出した。

「こわい......こわいよ、ジュン......」

チョコモンは腕の中で呟いている。

「アポカリモンになっちゃいそうでこわい......さむい......さむい」

世界がいっそう猛吹雪に襲われる。
恐怖と不安が精神を苛んでいるのか、チョコモンは錯乱しつつある。ジュンが出来ることは何度もチョコモンの名前を呼ぶことくらいだった。啖呵をきったとはいえデジヴァイスがつかえない、パートナーデジモンもいない、しかも小学4年生になっているジュンにできることなんてなかった。
 
だが、諦めきれなかった。黒い海といい、黒い氷雪といい、デジタルワールドの最深部には不気味な何かがいつでも胎動しているとしても。助けを求めている誰かがいるならば、手を伸ばさずにはいられないのだ。どうしようもならなくなるまでつっぱしらないと後悔するのだと親友を失ったジュンは誰よりも知っていた。

 

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