1999年8月1日12時36分

アメリカは記録的な冷夏に見舞われている。大雪にさらされるNYから中継するアナウンサーは、完全防備でそう断言した。中東では海面の温度が上昇しすぎて台風が大量発生し、集中豪雨に伴う土砂崩れや洪水の被害が報告されているという。本来その風土であるはずの東南アジアでは、全く雨が降らない干ばつ状態が続いており、国立公園の大湿地が干からびたり、山火事が頻繁に発生しているらしい。環境破壊の警鐘を鳴らすにはあまりにもアトランダムに発生する異常気象。ノストラダモスの大予言を予感させると街頭インタビューで、アメリカ人のニッチな話題が素通りする。ジュンがリビングにやって来た時、大輔はソファを一人で陣取ってテレビのニュースに釘付けになっていた。



「えー、違うよー」


「なにが違うのよ、大輔」


「え?あ、お姉ちゃん。ねえねえ、聞いてよ!面白いんだよ、あの人。へんなことばっかりいってるんだ」



大輔の指差す先には、猛吹雪に見舞われている真っ白な摩天楼がうつっている。大輔は分厚いコートを必死で押さえつけながら、実況を続けているアナウンサーではなく、ブラウン管の何も映っていない背景を食い入るように眺めていた。



「真っ白な雪だるまの怪物が雪を降らせてるのにさ、見えないんだって。あんなに大暴れしてるのに。なんでやっつけないんだろ」


「は?」



きょとんとした顔でジュンは聞きかえす。あんた何言ってんの、頭大丈夫?とでも言いたげな表情をしているジュンをみて、え?と大輔はまばたきをした。くりくりとした大きな目が不思議そうにジュンを見上げている。



「お姉ちゃんにはみえないの?」


「見えないって何がよ?」


「あそこで大暴れしてる雪だるま」



ジュンはテレビを見た。



「あんた大丈夫?もうすぐキャンプなのに熱でもあるんじゃないの?」


「えええっ!?ぼく、風邪ひいてないよ、お姉ちゃん!うそついてないよ、ほんとだもん!あそこに、ほんとに、おっきな雪だるまがいるんだよ!」



ほら、ほら、そこ!とテレビの目の前まで駆け寄った大輔は、アナウンサーの後ろに見える雪山を指差した。真っ白な雪をかき集める作業に追われている除雪車が積み上げた路肩の雪の塊が、たくさん寄せ集まって出来ている、かちこちの雪山の上を指差した。いまいち反応がにぶいジュンに、大輔はホントに見えていないんだと分かったようで、困ったような顔をしている。うそはついてないもん、と小さくつぶやいた大輔は、しょんぼりとしてしまった。さすがに大輔がうそをつける性分じゃないことは、ジュンが一番よく知っている。ジュンは、ソファの前に置いてあるテーブルにやってくると、チラシとペンを大輔に渡した。きょとんとしている大輔に、ジュンは、こつこつとテーブルを叩いた。



「どんな雪だるまなわけ?ちょっと描いてみせてよ、あんただけ見えるなんてずるいわ」



ぱっと表情を輝かせた大輔は、大急ぎでつるつる紙面のチラシの裏に大暴れしているという雪だるまを描きはじめた。幼い頃、なにもないところを見つめて、耳を澄ませていたかと思うと、突然引っ付いてきて、抱きついてきたことがある。急に怖がって一緒にいたがったことがある。さすがに7歳にもなるとある程度落ち着いてきたけれど、大輔はなにかあるとすぐにジュンのところに飛んでくる。いつかくる反抗期になれば、いやでも離れていくだろうから、ジュンは好きなようにさせていた。6歳も年が離れているし、ジュンは前世の記憶も加算すると精神年齢はかなり高くなってしまう。どうしても大輔は弟というより年の離れた親戚といった感覚なのである。基本的に大輔の好きなようにさせていたジュンがよほど居心地がよかったのか、なにをいっても大輔のいうことを信じてくれるのがよほどうれしかったのか、無邪気な弟はよくなついていた。かけた!と渾身の力作を見せた大輔は、ジュンが目を見張ったのをみて、笑った。おどろくほど上手だった?って感じで。でも、ジュンの反応は、はるか斜め上に飛んでいった。



「ホントにこいつがいるわけね?」



こくん、とうなずいた大輔は、ペンかして、といわれてジュンに手わたす。ジュンは大輔がかいたシンプルなデザインの雪だるまに手足がはえている怪物のお腹にあるボタンを三つ真っ赤に塗った。こんなかんじ?と大暴れしている様子に書き足されるのは、口から吐かれる粉雪を伴った強風。両腕から繰り出されるアイスボール。そして、冷気を伴った状態で繰り出される拳。今度は大輔が目を丸くする番だった。見えないって言ったわりに、大輔が今まさに目撃していることをそのままチラシに書き加えてしまったのだからあたりまえだ。



「お姉ちゃんも見えてるんだよね?」


「ぜーんぜん、アタシには季節外れの大雪にしかみえないわよ」


「うそだー!お姉ちゃん、ぼくより上手だもん。見ないで描けないよ!」


「見えないとはいったけど、見たことないとはいってないわよ」


「なにがちがうの?」


「全然ちがうわよ。アンタだってゾウやキリンは見たことあるし、描けるけど、実際に見たことはないでしょ?それと一緒」


「よくわかんないよ、お姉ちゃん」


「わかんなくていいんじゃない?今、わかんなくったって、大きくなったらわかるわよ。とりあえずね、大輔、あいつらは見える人には見えるし、見えない人には全然見えないたぐいなわけ。うっかりバレたら追っかけまわされるわよ。反応しないのが一番ね」


「ゆーれいとか、よーかいとか?」


「もっとたち悪いわよ。さっきからテレビの向こう側、大停電になってるでしょ?あれ、あいつのせいだから」


「えええっ!?電気食べちゃうの?」


「そうよ。アメリカで良かったじゃない、大輔」



ジュンの言葉に、大輔はこの世のおわりみたいな顔をしていったのだ。



「いるよ」


「え?」


「ずっと前からいるよ、お姉ちゃん。みんな知らないふりしてるんだと思ってた。東京のあっちこっちでね、あいつの仲間はたくさん見かけたよ?どうしよう、お姉ちゃん」



その日から、ジュンの見回りは始まったのである。明日は臨時休業だけど。



「いきなりトランクなんか引っ張り出してどうしたの、ジュン。どこかお出かけでもするの?」



明日に迫ったサマーキャンプの荷造りに追われている母親は、押入れから修学旅行用に買ったトランクを引っ張り出してきたジュンを見て不思議そうにきいてきた。無理もない話である。父親は数週間前から発生している謎の電波障害事件を追いかけて出版社に缶詰めになっている。母親と大輔はサマーキャンプ。たったひとり家に残されるジュンは、一日中好きなことをして遊ぶんだと張り切っていたはずだ。どこから発掘したのか、圧縮袋に衣類を押し込んで空気を抜きながらジュンはめんどくさそうに言った。どうやら不本意なようだ。



「万太郎さんに頼まれてたチケットあるでしょ?夏フェスのやつ。あれ、百恵と一緒に行ってくる」


「えっ、どうして?あのチケットは1万円近くするやつじゃないの。お父さんが融通してくれたけど、たしか彼女さんと行くって言ってなかった?」


「別れたんだって、万太郎さん。チケットとれたことを報告しに、彼女さんの家にいったはいいんだけど、彼女さんがゼミの打ち上げでお持ち帰りされちゃった挙句、昨晩はお楽しみでしたねってとこをばっちり見ちゃったみたい。さすがに2度目は無理だって言ってた」


「あらー、お気の毒に。でも万太郎さんが出したお金じゃない、払い戻したら?」


「もう期限過ぎてるわよ、お母さん。タチ悪いことに、それに気付いたのが期限日の翌日だったらしいんだよね、万太郎さん。さすがにケチ付いちゃったチケットで夏フェスは行きたくないから、行って来てくれって言ってたよ」


「でも夏フェスは夜でしょ?中学生はあぶないじゃない?」


「アタシが一日一人だって言ったら、なんか百恵がはりきっちゃって。お兄ちゃんカワイソーだから、カラオケとか行ってあげよーっていってた。多分、井之上さん家に泊まることになると思う」


「なんでそんな大事なこと、直前になって言うのよ、この子は!もー、井之上さんのところにお電話しなくちゃ」



誰に似たのかしらねえ、ってため息をつきながら、母親は電話のところに向かった。大輔はプリント片手に明日持って行く荷物を今にもはち切れそうな旅行鞄に詰め込んでいる。お母さん、軍手ってどこ?と叫んでいる廊下に、母親は苦笑いを浮かべて、リビングのソファに置きっぱなしになっている名前入りの軍手を指差した。ジュンはあらかた収納し終えて無理やりトランクを折り曲げる。自分の重さで潰れるトランク。ロックを掛けたらジッパーを降ろした。母親がボタンを押す前に電話がかかってきた。聞き慣れた音に大輔とジュンは振り返る。もしもし、と母親の声が愛想よく高い声に切り替わった。



「もしもし、本宮です。あら、八神さん。どうしました?」



八神の言葉に大輔が反応する。よく遊んでもらっているサッカー部の先輩か、初恋の女の子か、どっちかを連想したらしく聞き耳を立てている。軍手を取りに来たのに帰る足取りが不自然に遅かった。ジュンにとってはデジタルワールドの外交官という雲の上の人間という感覚が抜けない。あまりにも知名度が高すぎて、デジタルワールドの冒険を読む前から名前だけは知っていた。保育士になったという妹の存在はしらなかった。こうして今を生きていると著者の創作じゃなかったことだけがただただ驚きだ。母親のトーンが残念そうに間延びした。



「あらー、光ちゃんが?ええ、ええ、分かりました。残念だけど、仕方ないですよ。はい、わかりました。役員の方には私がお伝えしておきますね。無理してこじらせちゃうと大変ですから、大事を取った方がいいに決まってますよ、ええ、気にしないでください。ところで太一君は?あ、はい、わかりました。では、失礼しますね」



受話器を置いた母親は、ホワイトボードに張り出されている子供会役員の連絡網を手に取ると、一人一人に報告を入れ始めた。大輔は残念そうに肩をすくめた。解りやすすぎるほどテンションが下がっている。ジュンはドンマイと肩を叩いた。



「光ちゃん、来ないんだ」


「風邪みたいだしね、仕方ないんじゃない?あの子、一回肺炎こじらせて、入院したことあるじゃない。きっと心配なのよ、親御さん」


「そっかあ」


「でもまっ、太一君は来るみたいだし?そんな心配しなくても空ちゃんも光子郎君もいるじゃないの。京ちゃんたちもいるんだし、大丈夫、大丈夫、何とかなるわよ。ほらほら、そんなとこ突っ立ってないで、さっさと準備しなさいよね、アタシは手伝ってあげられないわよ」


「はあい」



大輔はプリント片手に用意すべき荷物の捜索を開始したのだった。サマーキャンプは8月1日の午前9時に臨海公園に集合したら、チャーターした大型バス2台に乗り込んで向かうことになっている。信州方面に2時間移動し、キャンプ地として有名な渓渓谷山地に向かうとのことだ。2泊3日である。そして、8月3日の4時に臨海公園で解散することになっている。少なくてもジュンは3日間一人で過ごすことになっている。建前上はだ。もちろん、ジュンは豪雪でサマーキャンプが中止になることを知っているので、さらさら警戒を怠るつもりはなかったのである。トランクを引きづり、玄関に向かうジュンは、今度は丈の長い靴下を捜している大輔を見つけた。



「大輔、今日はどうだった?あいつら、いた?」



ジュンと大輔だけの秘密だと勘付いた大輔は、うん、と大きく頷いた。



「すっごくおっきな恐竜がいたんだ。歩くだけでどしん、どしんって地面がゆれたよ。緑色のスライムみたいな、ナメクジみたいなやつも、どんどん増えてる。ビルにいっぱい張り付いてた」


「気付かれてないでしょうね?」


「大丈夫、しらんぷりしたから。誰も気付いてないよ」


「ならいいけどね。もし見えてるってばれちゃったら、追っかけられるわよ、気を付けなさいね。ただでさえ、今の段階で見えてるのは珍しいんだから。もしバレたら、どっか怖い所に連れてかれちゃうわよ。3日間も一人になるんだから、気を付けなさいね」


「うん!」



大きく頷いた大輔に笑ったジュンは、トランクを玄関の踊り場においた。大輔と母親の声が聞けるのは、少なくても8月1日の夕方、サマーキャンプが中止になったという連絡が入る時だ。その時までは家にいるつもりだったジュンである。まさかお昼ご飯を温めていた電子レンジが鳴った直後だとは思わなかったのである。


それは8月1日、日曜日、12時36分ごろのことだった。びりびりびりと家じゅうのカレンダーを破り捨て、7月が8月にきりかわる。夏休みがもうあと1か月になってしまったことを無情にもつげるカレンダーにため息一つ、フジテレビのいいともを見ながら電子レンジを待っていた。丁度テレフォンショッキングが始まった時間帯である。ちーん、と音が鳴ってソファから立ち上がったジュンは、リビングのソファに直行してお行儀悪く、そのままご飯を食べようとしていた。いつもだったらキッチンで食べなさいと怒られるところだ。一人だけの特権を満喫しようとしていた矢先の電話である。居留守でもしようと思ったジュンだったが、母親からだったらエライことになる。しぶしぶ、冷めてしまう料理にがっくりしながら、受話器を取ったのだ。



「もしもし、本宮ですけど、どちら様ですか?」


『もしもし、ジュン?お母さんだけど』


「うん、そうだけど?どうしたのよ、突然。なにかあった?」


『それがね、大変なのよ。急に天気が悪くなって、あっというまに吹雪になっちゃってね。大輔はオーロラが見えたってはしゃいでるけど、さすがにそこまで寒くないと思うのよねえ。とにかく、サマーキャンプは中止になっちゃったのよ』


「えー、うそー。ホントに?」


『ほんとよ、ほんと』


「大輔は大丈夫なの?」


『大丈夫よ。今はね、キャンプ場の近くにあるログハウスの施設に避難させてもらってるの。役員で点呼したら、7人足りないっていうから、雪がやみ次第、取り残されてる子がいないか捜しに行くつもりなのよ。その子たちがいたところは、直前まで一緒にいた子たちが証言してくれてるから、避難した場所は大体わかるからきっと大丈夫だと思うわ』


「そっか、早く見つかるといいわね」



そうねえ、とため息が遠い。どうしたの?とジュンは先を促した。ジュンの知らないところでデジタルワールドの冒険が現実に起こっているのだと思うと不思議な気分になる。



『ちょっと頼まれてくれない?』


「なに?」


『今から八神さんのおうちに行ってほしいのよ』


「え、なんで?」


『八神君が勝手に家に帰ってるかもしれないから、一応ね』


「はあ?何言ってんの、お母さん。太一君はそっちにいるんでしょ?」


『さすがに悪戯電話だと思うんだけどねえ、それはそれで一人で留守番してる光ちゃんが心配なのよ、ちょっと聞いてくれる?』


母親がいうには、行方不明になっている子供たちは、八神太一、武之内空、泉光子郎、城戸丈、太刀川ミミ、石田ヤマト、高石タケルの7人。キャンプ場を吹雪が襲ったのが、12時ごろ。子供たちが役員の先導に従って施設に避難したあと、7人がいないことに気が付いた。携帯電話を持っている光子郎とは連絡が取れないため、吹雪を待って捜索に乗り出すつもりである。子供が行方不明という一大事だ。すぐに警察に連絡して、捜索を手伝ってもらうことにした。もちろんご家族にはすぐに連絡をいれた。その30分後、まだ猛吹雪が続くため捜索のめどが立たない中、突然光子郎の家から電話がかかってきたのだという。八神家の電話から光子郎は帰ってますか?という少年の声。太一と名乗った少年は、途中でキャンプを抜けてきたと無茶苦茶なことを言ったらしい。お台場からキャンプ場までは2時間かかるのだ。普通に考えてありえない。そもそも太一は電話用の小銭しかお金を持っていないのだ。でも、間違いなくいつも光子郎と仲良くしている太一の声である。さすがに親御さんは混乱してしまったらしい。光子郎はキャンプだと伝えたところ、あっさり切れてしまった電話。一応、太一も行方不明なのかと連絡してきたようだ。問題なのは八神家の電話番号が表示されたということだ。今、八神家は両親が父方の祖父母が入院しており、そのお見舞いに行っている。留守番をしている光しか家にはいないのだ。普通に考えて嫌な予感しかしない。


あー、と心の中でジュンは頭を抱えた。そっか、そうよね、そうなるわよね、ふつう。デジタルワールドの冒険は、あくまでも選ばれし子供の視点で描かれた冒険譚だ。著者が知らないことは、当事者の子供たちから取材したとあとがきに書いてあったはずだから、太一しか出てこない出来事は基本的に太一視点の話と考えていいはずである。ジュンは知っている。母親の心配が全くの杞憂だと知っている。でもそれを教える手段をジュンは持たないのだ。ジュンは、途方もない未来でデジタルワールドの冒険を読んだことがあるテイマーだった記憶がある女の子だ。デジタルワールドから現実世界のお台場に一時帰還しているところまで、エピソードは順調に進んでいることはわかっても、それを証明できることなんてひとつもないのだ。それが出版されるのは、ずっとずっと未来の話だから。



「わかった、八神さんの家に行ってみるわね」



ジュンは、笑うしかなかった。

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