1999年8月2日15時10分

魅惑の世界をウィザーモンは進む。水晶の街路樹には、ガラスの格子が垂れ下がり、涼しい風で揺れている。あらゆるものがクリスタルで包まれついる。街路樹の天蓋からは真っ赤な夕闇が差し込んでくる。水晶化の現象は、ここから一段と進み始めるのだ。街路樹の柵は水晶を被り、1メートルにも及ぶ、ひとつの壁になりつつある。街路樹の天蓋から見えるコンクリートジャングルは、まるで宝石箱のように様々な色の水晶で覆われている。街路樹の根本の芝生は高級な緑の宝石のようにきらめいて、翡翠の塊があちこちに見える。ここまでくれば、ヴァンデモンが居城を構える異空間はもうすぐだ。道路の表面は水晶の針とガラスや石英のトゲが一面に敷き詰められ、どんどん肥大化している。掻き分けながら先に進めば、宝石がちりばめられた螺旋の塔が見えてくる。塔に近づくほど時間の感覚がおかしくなり始め、方向感覚が狂い始めるが、ウィザーモンは構わず進んだ。


一気に黄昏がせまる。ここからはすべてを覆う水晶の層が厚くなり、すべては鈍くかすんで見える。灰色が広がる。色彩豊かな色は消え去り、ほのかな琥珀色の輝きが広がった。やがてすべての結晶世界はこうなるのだと説明したのは誰だったか、思い出せない。いつしか冷たい風が吹いている。冷気は深まり、顔が無感覚になり、両手がもろく骨になる錯覚を覚える。すべての輪郭を包み込み、ぼやかし、夕暮れの闇が押し寄せる。全身にこびりつく水晶の粒子を払いのけても、ここにいるかぎり水晶の作用は加速する。氷のように灰色の空間にある色は、頭の上のわずかな隙間から見える夕闇だけだ。


黄色と虹色のトンネルがみえた。


ウィザーモンはモザイク彫刻のドアに手をかける。猛烈な冷たさで指がじいんとなったが、構わず開く。夕闇に没していく世界から逃れ、ウィザーモンは空間転移した。方向感覚を見失い、ゆくてを阻まれる錯覚を覚え、右往左往しそうになる。今だに慣れない浮遊感を残して、どこまでも続く地下洞窟の地下城にたどり着いた。幹部クラスのデジモンにあてがわれた部屋の扉をあけた。


「ノックもせずにどうしたんだ、ウィザーモン。ずいぶんと慌てているようだけど」

「テイルモン、あなたに伝えることがあります」

「浮かない顔だな、誰かやられたのか?」

「いえ、マタドゥルモンが危なかったですが、間に合いました。なんとか逃げだせたので、ヴァンデモンに報告をお願いしました」

「へえ、選ばれし子供たちもやるじゃない。見直したわ。私を成長期に間違えてた癖に」

「いえ、選ばれし子供たちではありません。だから私はテイルモンに報告にきたのです」


ウィザーモンの膝までしかない小さな体が立ち上がる。先を促され、ウィザーモンは頷いた。


「落ち着いて聞いてください、テイルモン。マタドゥルモンを追い詰めたのはガーゴモンです」

「・・・は?」

「ガーゴモンが裏切りました。選ばれし子供たち側についています。直接聞いたのですが、実はガーゴモンがヴァンデモンの幹部だったのは、ある子供と会うためにの世界に同行させてもらうためだったそうです。もともと離脱するのはヴァンデモンもわかっていたとか。しかし、その子供をヴァンデモンが傷つけようとしたため、選ばれし子供たち側についたと、そう言ってました」

「嘘だろう?」

「いえ、間違いありません。ガーゴモン本人が言ってました」

「そんな、ばかな、なんで、だ」


明らかに動揺しているテイルモンにウィザーモンは肩を落とした。こちらの世界にきてから、ガーゴモンは忽然と姿を消している。幹部になる前所属していた古巣の上司だったデジモンのまさかの裏切りである。混乱しているテイルモンに呼びかける声がある。テイルモンとウィザーモンは顔を上げた。隣の部屋の巨大な鏡からだ。すぐにそちらに向かう。


「ウィザーモンから話は聞いていると思うが、ガーゴモンが裏切った。テイルモン、ガーゴモンなき今、お前があの軍隊を率いるのだ、いいな」

「はい、わかりました」

「ウィザーモン、ガーゴモンが一方的な理由を告げたようだが、非はあちらにあるのだ。不可侵の協定を先に破棄したのはガーゴモンだ。互いに相手に対して侵略行為を禁止し、どちらかが争いになったら交戦相手に一切の援助や支援を禁じると、他ならぬガーゴモンが持ちかけた協定だというのに笑わせる!」

「そうですか、わかりました」

「状況が変わったのだ。今すぐ侵攻の準備にはいれ。軍勢を集めるのだ。次の行動は迅速さが求められる。ガーゴモンはこちらに向かっているとの報告がある。盛大にもてなしてやれ」

「わかりました。ではいくぞ、ウィザーモン」

「はい、テイルモン」

「期待しているぞ」


そして鏡から影がかき消えた。立ち上がったウィザーモンはテイルモンを見る。


「なぜなんだ、ガーゴモン」


テイルモンは複雑そうな顔をして、拳を握りしめた。




















空から落ちてきたデジタマからユキミボタモンが生まれ、ニャロモンになり、テイルモンになった。サーバ大陸の過酷な環境を一人で生きぬくには、少しずつ進化するしかなかったのだ。誰かを待ち続けていることだけ覚えていたテイルモンは、旅にでた。広大なサーバ大陸でも探し求める誰かは見つからず、やがて迷い込んでしまった。サーバ大陸に存在するこのエリアの名前は、闇貴族の城。ヴァンデモンが支配するエリアだった。


ヴァンデモンは、恐ろしい異能を持っていた。それは敵のデジコアを一度破壊し、悪質なコンピュータウィルスを侵食させながら再構成するというものだ。敵はヴァンデモンに対する忠誠心がデジコアに仕込まれ、アンデットとして復活させられる。あとはもう、ヴァンデモンの意識ひとつで生死を繰り返す羽目になる。テイルモンにおそいかかってきたのは、そんなアンデットに身を落としたダークティラノモンだった。ヴァンデモンの眷属になるとウィルス種に変異してしまうのだ。テイルモンのよく知る大人しいティラノモンの面影はなかった。


ヴァンデモンの眷属として復活させられたティラノモンは、デジコアを構成するデータがバグを起こし、凶暴なデジモンに変貌してしまったのだ。体は黒く変色し、腕もティラノモンよりも強靭に発達し、攻撃力を増している。目の前に映るもの全てを敵とみなし、攻撃を仕掛けるバーサーカーと化した成熟期を正常化させる手段は、もうない。テイルモンに出来ることはなにもなかった。腕に覚えのあるテイルモンも倒しても倒しても復活するダークティラノモンたちに疲弊し、ついに倒れてしまった。闇からコウモリが湧き出し、死を覚悟したとき。テイルモンはガーゴモンと出会った。


闇貴族の城を巣くう眷属たち目掛けて、一斉に悪魔の胸像の群れを飛来させたガーゴモンはたちまちダークティラノモンを絶滅させた。突然の奇襲に反撃を試みるダークティラノモンたちに、今度は剣技が炸裂する。0と1に分解されたデータが、まるで光の粒子のように飛び散ってあたりに四散した。集積してデジタマを形作ろうとした粒子は、風に流され、入り口に続く深淵の入口に消えていく。


「闇の眷属にするのは、おやめになった方がよろしいかと」


呆然としているテイルモンを尻目に、ガーゴモンはコウモリたちに進言した。


「ほう、なぜだ。理由を言ってみろ」


面白そうにコウモリたちは真っ赤な瞳をらんらんと輝かせる。あたりにおびただしい数の笑い声がが木霊した。


「ヴァンデモン様も人が悪い。ワタクシが進言したにもかかわらず結界を解くとは。再三申し上げたではありませんか、ワタクシは反対ですよと。このデジモンは、ワクチン種にしか進化できないのです。進化ツリーが著しく制限されている。ウィルス種になれば、暴走状態になるでしょう。ブラックテイルモンにするのはいけない、このエリアが壊滅する危険性があると申し上げたのに、まったく困ったお人だ。配下に加えるなら、ホーリーリングは取り上げた方がよろしいかと思いますが、いかがいたしましょう?」

「それでは配下に加える意味がないとは思わないか、ガーゴモン。世界を統べる者はいかなる者も従えてこそだ」

「それはつまりですね、ヴァンデモン様。このワタクシが?このデジモンに?ああ、何という悪夢だ。貴方様も人が悪い」


ガーゴモンがテイルモンを見下ろして言った。


「ようこそ、聖なる者よ。せめてもの慈悲です。ここで死ぬか、命ごいするか、選びなさい」


そして、テイルモンはここにいるのだ。この頃から幹部をしていたガーゴモンは、最後までテイルモンを勢力に加えることに反対した。幾度も進言した。しかし、すべて却下された。そして、露骨に嫌がるガーゴモンを面白がったヴァンデモンがテイルモンにした最初の辞令は、ガーゴモン軍への配属だった。


実はあたりまえの辞令である。テイルモンの危険性を正しく認識出来るのは、その出自や未来を知るガーゴモンだけである。ヴァンデモンからすれば、ガーゴモンがテイルモンを監視下におけば問題なし。それからテイルモンはガーゴモンの監視下にあった。劣悪な環境にはおかれないが、冷遇された。衣食住は保証されたが、いくら功績をあげても待遇がよくならない。いつまでも外からきた雇われ兵士の扱いだった。幹部になれたのは現実世界にきて、ヴァンデモンに命じられたからだ。おかげでテイルモンはガーゴモンが自分を気に入らないから出世させてくれないと信じてやまない。認めさせようと躍起になるが、いに介さないのがムカつく。嫌な奴だが嫌いではない。その関係性に暴力のような理不尽さが伴わないし、性質的に合わないだけで実力は認めている。そんな評価である。



ガーゴモンは絶妙なバランスでテイルモンを扱っていた。ただでさえデジコアに制約があり、進化ルートがワクチン種に一本化され、それ以外に進化すれば暴走のペナルティがある。それに感情や周囲との関係性、精神のあり方まで進化条件に設定され、満たされなければ暗黒進化一直線な中、一度も暗黒進化しなかったのは、凄まじい確率である。現場維持しか方法がなかったにしても、だ。おかげで順当に力を身につけ、知恵を身につけ、強くなった。幹部クラスに躍り出た。それでも幾多の策を進言し、絶大な信任を得ているガーゴモンには及ばない。それが悔しくてならないテイルモンである。それが結果として最良の結果を生んだ。実はエンジェモンをはじめとした聖なる者はダークエリアに近づくだけでも堕天する。ヴァンデモンのエリアのような闇の異空間にいるだけで堕天する。それだけ聖なる者は染まりやすいのだ。聖なる者の根源とさえいわれるテイルモンはいわずもがな。そうすれば暗黒進化しかないテイルモンがテイルモンであれたのは、心を強くもったからだ。そういう意味でもガーゴモンは扱いがうまかったのかもしれない。


ちなみに。


「お前はどう思う、ガーゴモン」

「ワタクシは反対ですよ、ヴァンデモン様。ただでさえ不穏分子が巣食うというのに、またデータ種という異端を配下にするとは。闇の眷属化は不可能である以上、止めた方がよろしいかと」

「ほう?」

「ウィッチェルニーはワタクシも存じ上げております。異次元のデジタルワールドですね。デジコアやテクスチャといった構成するデータもこの世界にはないものとお見受けします。高等プロブラミング言語に精通するとは聞いておりましたが、これほどとは。ヴァンデモン様の闇の眷属化はこの世界のダークエリアからサルベージしたデータを流用していますから、この世界にはないデータでできているこのデジモンを再構成するのは難しいのではないかと。復活してもまがいもの、似てひなるものにしかならないのでは?」

「何度も同じことを言わせるな、ガーゴモン。すべてを闇の力で覆いつくすには、まだ時が熟すのを待たねばならん。すべてを統べる力なくして王にはなれんのだ」

「ワタクシは理解に苦しみますがね」


さすがにこのときばかりは、ていのいい厄介払いしているだけではないか、とテイルモンは疑った。




今だに事態が飲み込めないまま、時間だけがすぎていく。テイルモンとウィザーモンは、ヴァンデモンの城をあとにした。

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