1999年8月2日10時30分

イビルモンは無言で最敬礼した。ガーゴモンはあまりにもキャラが外れているイビルモンに思わず破顔して、顔を上げるよう促す。


「なにを恐れているのです?アナタはよくやってくれたではありませんか。ワタクシはきちんと己の役目を全うする者は優遇するタチでしてね、己の立場を弁えている者にまで、罰を与えるほど愚か者になった覚えはありませんよ」


優しい声色にもかかわらず、イビルモンは態度を崩さない。そこには、名状し難い恐怖と直面した精神状態ににた、混乱があった。怯えているのだ。このデジモンは。世代的にはおなじ成熟期どうしであるにもかかわらず、この二体には越えられない上下関係が確かに存在していた。衣食住を提供してくれるジュンにはおくびにもださず、彼女との接触が終わったとたんに発生したこの関係は、きっと直接人目に触れることはないだろう。さすがにイビルモンも自分が所属している組織の長に楯突くことが、どういった事態を招くのかくらい把握している。脳筋ではあるが、筋金入りの能天気ではなかったのである。


「アナタはよくやってくれました。ネットワークセキュリティに察知されないよう、あの女と交渉し、今の地位に落ち着けたのはひとえにアナタの働きの賜物でしょう。この広大な東京というエリアで、経緯はどうあれあの女と接触し、保護され、ワタクシに報告した。おかげでワタクシはあの女とあうことができました。感謝しますよ」


心地よい言葉が並べられているが、イビルモンは安堵のため息などできない。新しいノートパソコンの住人だ、とジュンに紹介され、ガーゴモンから握手を求められた時など生きた心地がしなかったのだ。

拘束具に覆われた天使の使い魔、と自称するガーゴモンこそ、ダークエリアにある主なき軍勢の一端に過ぎなかったイビルモンを、異次元のデジタルワールドというとんでもない時空から召喚した張本人なのだから。凄まじい年月を経ての再会だった。ヴァンデモン勢力の幹部として、己の軍勢の何体かをヴァンデモンに貸出していることをイビルモンは知っている。だから、私的な任務のために召喚され、今まで死に物狂いで働いてきたイビルモンは、それこそとんでもないプレッシャーの中にいた。解放されるかどうかは、まだわからない。


時空を超えてまで執拗に追跡し、再会を熱望するほど愛している人間に、己の軍勢の一端をけしかけたのだ、このデジモンは。しかもしれっとやってのけ、ジュンから信頼を得るために、まるで正義のヒーローのごとく平然と必殺技の餌食にしてしまう長である。さすがに現実世界で配下を殺してしまうと、データ回収ができないとふんだらしく、石像に姿を変えてから送還するという器用なことをしていたが。さすがにダークエリアの守護デジモンから、言葉巧みに死ぬまで借りると契約して巻き上げた、番犬を使い捨てるのは少々口惜しかったらしい。


ジュンはガーゴモンの能力は、天使の彫刻を召喚することだ、と勘違いしているようだが、違うのだ。ガーゴモンの必殺技は、相手を彫刻に変えてしまうことである。その彫刻をダークエリアにある己の領地に戦利品として持ち帰り、必要な時に召喚術を用いて自由に召喚する。ここまでがガーゴモンの得意技であるホワイトスタチューなのだ。イビルモンたちが召喚されたのもその応用に過ぎない。つまり、あの彫刻はガーゴモンに敗北したかつての敵なのだ。光の眷属の姿をしているため、天使の彫刻しか召喚しないガーゴモンである。ジュンは天使の彫刻を召喚する能力をもつデジモンだ、と勘違いしているため、なんにも思っていないようだったが、イビルモンにとってはケルベロモンの地獄の業火に晒されたかつての敵に同情を覚えざるを得なかった。こうして壮大な自作自演をやってのけた上、新参者ですがよろしくお願いしますよ、などと言いながら現れた長を前に、生きた心地などするわけがないのだ。


「ワタクシはアナタと共にある、それがねがいなのですよ。だから教えてください。ワタクシは何をすべきですか」


ジュンに寄り添いながら、誓いを立てるその口で、平然とヴァンデモンと内通する。現在進行形で行われているであろう、選ばれし子供たちの情報を、ヴァンデモンに使い魔を出して密告する。ジュンもガーゴモンを信用しすぎではないだろうか、とイビルモンは思ったが、悪魔紳士はそれが常套手段だったと思い出す。結局のところ、イビルモンの上司は自分以外誰も信用していないのだ。ヴァンデモンに未来の情報を一切与えず、助言もせず、傍観に徹し、ジュンが行う正史にはない行動を平然と許容する。そのあとに起こる改変の果を50年後の未来から観測できる配下と連絡が取れるくせに、ジュンに言わない。ガーゴモンがジュンに伝えていることなど、ほんの少ししか過ぎないのだ。末恐ろしい話である。とんでもないデジモンに気に入られてしまったジュンに、イビルモンは同情した。


ちなみに、イビルモンは、この世界にあるデジタルワールドのデジモンではない。40年後の世界にあるデジタルワールドのデジモンだ。故郷に帰還できるかどうかは、召喚士である長のこころひとつである。処刑台前に立たされた死刑囚の心境で、イビルモンはガーゴモンの言葉を待った。


「アナタの行動はヴァンデモンの鏡像で、逐一確認していたので、アナタの働きはよくわかっています。今までご苦労様でした。さあ、ワタクシの領地にお帰りなさい。今回の件で、アナタはとても信用おけるデジモンだとわかっただけ、大収穫となりました。いずれ相応の褒美をとらせましょう。そのときまで希望を決めておきなさい。では。ジュンの傍にいるのはワタクシだけでイイのですから、アナタはもうここにいるべきではありません。さあ、行きなさい」


ここでようやく、イビルモンは顔を上げた。そこには拘束具を解き放った悪魔がいた。光の眷属が居住するエリアに送還するならガーゴモンのままでいい。しかしイビルモンはダークエリアのデジモンだ。光の眷属はダークエリアに接触しただけで堕天する。もとの姿に戻れなくなる。ジュンと共にあるために、光の眷属の姿を選んだガーゴモンは、この姿を失うわけにはいかないから、一時的に解除したのだろう。ここでようやくイビルモンは死線を超えた。契約は絶対である。それは今も昔も変わらない。イビルモンは故郷への帰還が約束された。言葉のニュアンスからして、いつもどおりのキャラでいってもおとがめはないだろう。いつもの軽口で失言し、痛い目にあうのを避けたくて、ひたすら沈黙を守った甲斐があったというものだ。イビルモンは大きくため息をついた。


「変わったなあ、旦那」

「おや、そうですか?」

「ああ、そりゃもう、びっくりするくらいにな」


へらへらとイビルモンは笑う。ガーゴモンだった者は咎めるでもなく笑ってみせた。先を促すので、イビルモンはいう。悪魔といっても、誰もが想像する野蛮で知能が低い悪魔ではない。紛れもなく闇の軍勢を率いる総司令官である。もともと変わっていた。賢くて、よくしゃべる、暴力とは縁のないデジモンだった。世界を光と闇に分けて考えるのなら、間違いなく闇の領域の存在だ。人間が悪と呼ぶすべてがこのデジモンの領域だったはずだ。光と呼ばれる領域が嫌いで、特にテイマーとしてデジタルワールドを出入りする人間が嫌いだった。大嫌いだった。そんな雄弁と欺瞞の悪魔だったはずのデジモンが人間の女に執着しているのだ。滑稽なことにはかわりない。


「ワタクシもそう思いますよ。堕天したワタクシの境遇を後悔し、光の眷属にもどるのを夢見るくらいには、変わってしまったようだ」

「へえ、そりゃ初耳だ」

「ダークエリアの君主階級の一人にして、地獄の七大王子に数えられる堕天した大天使とはワタクシのことですよ」

「ぎゃはははは、なんだよそれ、うそばっか。そりゃテイマーどもが言ってることじゃねえかい、旦那。大天使っていやあ、ケルビモン、オファニモン、セラフィモンと同格ってことじゃあねえか。ベルゼブモンの使い魔してたアンタがねえ、随分とえらくなったもんだ!」

「わかっていませんねえ、アナタは。デジタルワールドはテイマーと共にある世界なんですよ。テイマーの歴史はワタクシたちの歴史でもある。今は俗説でも、本気で信じる者たちが増え、ネットに書かれ、それが信仰の対象となればデータの残骸は流れ込み、ワタクシたちの世界を形作るのです。テイマーの価値観がデジタルワールドのあり方を決めている。悪魔が天使になるなんて、それくらい簡単な事なんですよ。それをあの女はワタクシに思い知らせたわけです。相応の報いを受けてもらわねば、割に合わないではありませんか」

「あー・・・・・なるほど、とんでもねえことしやがったんだな、あの女」


ガーゴモンだった者は笑みを濃くした。おっと、ヤブヘビだった、とイビルモンは肩をすくめる。そして、彼の送還術によって、現実世界から姿を消したのだった。1999年には存在し得ないはずの、15GB以上の容量を誇るUSBは、その時間を持って半分以上の容量に空洞が出来たのだった。




USB端子がジュンのパソコンに接続される。ガーゴモンは、モニタ越しにジュンを見上げた。突然軽くなった容量にジュンは不思議そうな顔をしている。ガーゴモンは笑った。


「ワタクシは、異次元から天使の彫刻を召喚する、というのは、ジュンもご覧になったと思うのですが、イビルモンも同様のようでした。ワタクシがあの銅像を送還しているのを見て、あの異次元はどこなんだ、と問われたワタクシは、デジタルワールドのどこか、と申し上げました。光を信仰する者たちが集うエリアです。ダークエリアに住まうイビルモンには合わないと申し上げたのですが、いつまでも狭苦しいところで暮らすのは嫌だと嘆かれたので、送還したのです。ご了承も得ぬまま、先走りました。申し訳ありません」

『あー・・・・・・そっか、なるほど。そこまで考えてなかったけど、そう言われればそうか。ガーゴモンの力って、ヘブンズゲートみたいなもんだもんね。そういう応用効くんだ。まあ、いいんじゃない?イビルモンがそういうんなら、それで』

「ご主人様、という方と契約破棄されるわけですから、セキュリティシステムに保護を求める、と行っていました。ワタクシたちのことは内密に頼みましたので、大丈夫かと」

『ありがとね、ガーゴモン。助かったわ』

「ところで、突然、どうしたのです?今回の件については、ワタクシたちは傍観の立場をとるのでしょう?選ばれし子供達と共に同行するのではなかったのですか?」

『あー・・・・・それがね、ちょっと困ったことになったのよ』

「と、いいますと?」


ジュンは困ったように、パソコンを周りに向けた。

ジュンが1999年にはありえない性能をもつ魔改造済みのノート型パソコンをつくりあげた理由のひとつは、あまりにも不便な生活に我慢できなかったからである。1999年はパソコンも携帯電話も普及し始めたばかりであり、中学生が入手するには高価すぎた。でも、値段の割にジュンの知るデジタル機器の性能とは雲泥の差があった。それがいらいらを蓄積させていたのである。デジタルカメラひとつをとっても、撮影した画像をメールで添付するには、画像のファイル容量が大きすぎたため、画素数を落としたりする手間がかかる。それなのに電子メールが許容できるデータ量がとても小さかったため、通信料も掛かるし、処理落ちしたり、メールが届かないこともよくある。はじめこそ、たった10年で爆発的な進歩を遂げるデジタル機器の変遷を、チラシや大型量販店で確認してはワクワクしていたジュンでも我慢の限界があったというわけだ。その結果がこれである。具体的にいうと、一体につき15GB(デジカメの画像をそのままの状態で添付したメールを5000通分通信するのと同じデータ量)のデジモンを2体も養える。その上、オーバーテクノロジーなデジヴァイスのプログラムをぶち込み、パソコン部の活動で製作中のプログライングを余裕で組める容量だ。そんな未来知識満載のパソコン越しに、ジュンはあたりを見せてくれた。ガーゴモンは把握する。選ばれし子供がいない。


ジュンは経緯を語り始めた。


選ばれし子供たちは、ヴァンデモンのアジトを突き止めることにした。ヴァンデモンが吸血鬼である以上、夜のあいだは表立って動けないからだ。そこで問題になってくるのが、ヴァンデモンたちはどこから現実世界にやってきたのか、ということだ。ゲンナイさんからの情報提供でヴァンデモンの城にあるデジタルゲートは、4000年前に使われた遺跡のものであり、光が丘テロ事件とサマーメモリーズの爆弾事件のときに使われたものだということがわかった。ヴァンデモンは光が丘からやってきたのだ。それなら、きっとヴァンデモンのアジトも近くにあるはずだ。ヴァンデモンが現実世界にきたのは、太陽が最も高い位置にある時間帯である。きっと夜になるまで身をひそめる場所がすぐに必要になったはずだ。アジトは転々とするかもしれないが、デジモンたちを大量に引き連れている以上、表立ってできる場所は限られてくる。埼玉にまで広がってしまったデジモンの被害とはいえ、選ばれし子どもたちはヴァンデモンを叩くのが先決だ。それならアジトから探そう、ということになった。


お台場海浜公園駅から新橋行きの各駅停車線にのり、汐留駅2番ホールで一度乗り換える。そして大江戸線各駅停車線に乗り、光が丘駅に到着する。1時間ほどで到着するはずだったのだが、思わぬ足止めをくらってしまった。汐留駅で電車が運行を見合わせているというのだ。690円払えばいけるはずの光が丘にいけない。どうしてだろう、と聞き込みをして回った結果、昨日からあちこちで大きな象が大暴れして線路が破壊されてしまい、今も大暴れしているから普及作業すらできない、というのだ。昨日の夜、東京湾に出現したゲソモンがレインボーブリッジを破壊する寸前で、なんとか撃退したという光子郎が青ざめたのはいうまでもない。そして、子供たちは仕方なく、タクシーやバスで向かうことになった。


ジュンは女の子達と共に行くことになり、ヒッチハイクや徒歩、休憩を挟みながら、少しずつ近づいていった。そして、光が丘についた時、彼女たちは異変に気がついたという。


『ヴァンデモンは光が丘を拠点にしてるみたいだったわ。霧だらけで誰もいない上に、バケモンたちがうようよいて、ろくに近づけないのよ。どっかのホラーゲームみたいなことになってたわ。さすがにやばいから、太一くんに連絡入れて、来てもらうことになったわけ。それでみんなで集合することになったんだけど、見張りに見つかっちゃってね。空ちゃんたちに任せて、アタシは隠れてたの。待ってるよう言われて、隠れてるところなのよ。でもさ、もう30分経つんだよね。光子郎くんにメールしたら、結構はなされちゃったみたい。危ないからここで待ってろって言われたけどさ、さすがにやばいわよね?』

「彼女たちがいうのなら、待っていればいいのでは?」

『そういうわけにもいかないのよ』

「どうしてです?」

『これみて、変だと思わない?』

「・・・・・・・・・ああ、これは、結界ですか」

『やっぱ普通わかるわよね。なんで気づかないのかしら、デジモンたち。これが貼られてるとなると、ヴァンデモンたちのアジト、はいれないかもしれないわよ』

「選ばれし子供たちのパートナーには、ワクチン種、データ種、古代種はいましたが、ウィルス種はいませんでしたね。それが原因ではないでしょうか。これはウィルス種のデジモンが感知できる類の結界ですね。ワタクシはこの姿ながら魔獣型、不本意ながらウィルス種なのです。だから拘束具で光の信仰を許されている身。ジュンはウィルス種のデジモンが起こす事件の解決に奔走した経験がお有りだ。だから気づいたのでは?」

『つまり、ウィルス種しか入れない?』

「おそらくは」

『結界の外に引っ張り出さないといけないってこと?』

「ご明察ですね」

『尚更行かなきゃいけないじゃない。このままじゃ、子供たちはアジトが見つけられないまま、夜になっちゃうわ!ああもう、仕方ない。ガーゴモン、お願い、力を貸して頂戴』

「わかりました、では、参りましょう」


ガーゴモンは恭しく一礼をして、姿が掻き消える。そしてジュンの隣に姿を現したのだった。


本来ならば、8月3日、タケルの誕生日に行われるはずだった最終決戦は、ジュンの起こしたバタフライ・エフェクトにより、1日ずれ込むことになったのだ。おかげでゲンナイの予言がまだ解析出来ていない。どのみちヴァンパイアに死という概念が通用しないことは3年後明らかになるので、もっと別の方法で倒さなければいけない。ジュンの知る正史とは大きく異なる展開である。しかも明らかになったヴァンデモンの罠。ウィルス種の仲間がいなければ、絶対にたどり着けないヴァンデモンのアジト。ジュンの許容範囲を超えてしまった。何とかしなければ、と焦りだけが先走る。だから気づかない。ヴァンデモンに結界を進言した張本人が隣にいることに気づけない。ただでさえ、ジュンはデジモンが現実世界で暴れることには、我慢ならない過去がある。デジモンが実体化するたびに出現する結界が彼女を焦らせる。さあ、行きましょう、と背中の翼を広げるガーゴモンに、ジュンは頷いたのだった。

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