#6 ( daisy side )



頭に衝撃を感じて振り返ると、瑛くんがいた。
思わずもう一度名前を呼んでしまう。何故って、ビックリしすぎて。

「瑛くん!?」

名前を呼ばれた瑛くんは、チョップの形に掲げていた手を、二三、宙で振りながら下ろした。うるさい声を払うような仕草だった。

わたしはというと、頭の中がたくさんの「どうして」でいっぱいだ。

だって、瑛くんはアルバイトがあって来られないと言っていたのに。

「瑛くん、どうしてここに?」
「“どうして”、だ?」

瑛くんの片眉がぴくり、と上がる。

「どうしても何も、待ち合わせしてたからだろ。忘れたのかよ、ボンヤリ」
「えっ、でも……」
「待ち合わせ場所にいないから、探してみればボーっとした顔でフラフラしてるし……」
「ボーっとなんて……」

――してない、と言いかけて、手に握ったままの赤い風船に気が付いた。……あまりかわいくなかった着ぐるみのクマさん。着ぐるみのまま器用に手品をする風変わりなクマさんだった。

そうだ、クマさん、だ。

「あのね、すごいもの見ちゃった!」
「すごいもの?」
「手品をするクマさんだよ。この赤い風船も、さっきもらったんだ。ほら、あそこに……」

振り向いて、クマさんが歩いていった方向を示そうと思った。けど、いない。どこにも見当たらなかった。ふらふらと頭を揺らしながらクマさんが歩いていってから、まだそんなに時間は経っていないのに。まるで煙か魔法みたいに消えてしまった。

「いないや……」

おかしいなあ、と首を傾げる。上から、はぁ、とため息が降ってきた。振り仰ぐと、瑛くんが呆れ顔をしている。

「何、夢見がちなこと言ってるんだよ」
「でも、いたんだよ。手品をするクマさん」
「クマが手品する訳ないだろ」

――でも、したんだよ。いたんだよ。

呆れ顔のまま瑛くんが言う。

「真昼間から夢なんか見てるなよ、ボンヤリ」

カチンときて言い返してしまう。

「夢じゃないよ」

胸の奥底から、感情と一緒に声が出てきたような気がした。何故だか無性に腹が立っていた。頭ごなしの否定が癪にさわったのかもしれない。

「本当に、いたんだよ」
「はいはい」

宥めるように、おざなりにひらひらと手を振られてしまう。わたしは何だか納得がいかない。気が済まない。まるで小さな子どもみたいだ。駄々っ子みたいに言い募ろうとして遮られた。

「……ったく。探したんだからな」
「え……」

拗ねたような口調で言われた。呆気に取られて、二、三、瞬きを繰り返してしまう。

……瑛くん、探してくれてたんだ。

探してくれないと思った。追いかけてきてくれないと思っていた。あんな風に「もういい」なんて言って一方的に電話を切ってしまったから、絶対瑛くんは怒っていると思っていた。

「瑛くん、怒ってないの?」
「怒ってるよ」
「…………」

率直な返答に、のどが詰まった。……そうだよね、やっぱり怒ってるよね。

「誰かさんが迷子になったせいで、散々歩かされたしな」
「えっ」

顔を上げると、唇の端を少しだけ上げた瑛くんの顔が見えた。イタズラっぽい目をして、「迷子常習犯」と言って軽くチョップをされてしまう。咄嗟に目を瞑る。「変な顔」という声が降ってくる。散々な言い方だ。

「も、もう……」

小突かれた頭の天辺をさすりながら抗議の声を上げた。

「ひどいよ、瑛くん」
「ひどかない。ふらふら迷うおまえが悪い」
「…………」

それはぐうの音も出ない。迷って……はいないけど、ふらふらしてたというのはあながち間違っていない気がしたので。
言葉を飲み込むわたしに対して、瑛くんは何だかすっきりした表情をしている。ご丁寧にも「ああ、清々した」なんて言って息をついている。「何のこと?」と聞くと、しれっとした顔で言われた。

「チョップ。探してるあいだ、ずっとチョップしたくて仕方なかった」

……。
何だか納得がいかない。わたしだって怒っていたはずなのに。
でも、こうして探しに来てくれた上、ちゃんと見つけてくれたのだから、わたしにはもう怒る理由はないのかも。連続チョップくらい受け入れてしかるべきなのかも。……少し、納得がいかないけれども。

ふと、気がついた。

「瑛くん、アルバイトは?」

今日は本当はお休みだったけど、急なアルバイトが入って、この場所へ来られなくなったはず。
今朝、電話でそのことを告げられた。ドタキャンに怒って一方的に電話を切って、そうして一人でバスに乗ってはばたき山の遊園地までやって来た。時計を確認する。4時少し過ぎ。アルバイトが終わるには少し早い時間なんじゃないかな、と思う。

「アルバイト?」

瑛くんはきょとんとした顔をしている。

「何言ってんだ。今日は休みだったろ」
「そうだったけど……でも、急にアルバイトが入ったんでしょ?」
「は?」
「え?」

瑛くんの顔には“何を言ってるんだ”という表情がありありと表れていた。つくづく、まじまじと顔を覗きこまれてしまう。

「……まさか、本当に寝ぼけてるんじゃないだろうな?」
「そんなことないよ!」

失礼してしまう。寝ぼけてなんかない。……何だか噛み合わないことばかりだ。そうして、至近距離で真正面から覗きこまれて何故かどぎまぎしている自分がいる。そういえば、こうして会うのも久しぶりだった。

瑛くんは怪訝そうな顔でわたしを見つめている。風が瑛くんの髪をそよそよと揺らしていた。首筋にかかる淡い色素の髪を見ていたら、気付いたことがあった。それから、強い違和感が。

「瑛くん……」
「ん?」
「髪、伸びたね」

髪が、長い。
大学生になってしばらくしてから、瑛くんは髪の毛を少し切った。シルエットに大きな変更はないけれど、高校生の頃は首筋にかかっていた襟足の部分が短くなってすっきりとした印象。初めて見たときは少し違和感があったけど、今はもう見慣れてしっくりくる。
今、目の前にいる瑛くんの襟足は長い。懐かしい、高校生の頃みたいに。

「そうか?」

言われて、瑛くんは襟足じゃなく、前髪のひと房を指先で摘まんでいる。そっちじゃないよ、と言いたいのを飲み込んで頷きを返す。

「……うん」

確かにわたしたちはしばらく会っていなかったけど、だからといって、こんな風に印象が変わってしまうほど、長いあいだ会っていなかったのかな? そんなことを考えながら、口にしてしまった。名状しがたい違和感が胸の中で膨らんでいく。

「高校生の頃みたい」
「は?」

瑛くんが目を見張る。次いで、眉を顰めて怪訝そうな顔をしてみせた。

「……みたいって、高校生だろ」
「え?」

今度はわたしが聞き返す番だった。
高校生? そんな訳……。
ざわざわ、と違和感がのど元までせり上がってきている。おさえきれなかった。

「……瑛くん」
「何?」
「……アルバイト先、教えてくれる?」

すがるような心地で訊いた。
瑛くんはというと、何と言うこともない表情で答えた。

「珊瑚礁だろ」

まるで、周知のことを口にするみたいに。当たり前のことを教えるみたいに。
瑛くんは、アルバイト先を珊瑚礁だと言った。
4年前のクリスマスの夜が脳裏をよぎる。忘れていない。忘れる訳がない。

頼りなく細い、赤い風船の紐を、ぎゅ、と握った。
何だか、とても訳の分からないことになっている。




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