何だかもう目が回るくらい忙しくて、てんてこ舞いだった。
夏休みで、天気もよくて、海日和で、海が目と鼻の先にあるのに、疲れ切って泳ぐ気力もない。
お客さんの波がひと段落したから、少しだけ休憩。テーブルにもたれるようにして休んでいたら声が降ってきた。この状況に巻き込んだ張本人、佐伯くんだ。

「お疲れ」

次いで、目の前に、どん、とお皿を置かれた。熱々のトロピカル焼きそば。日暮れ間近とはいえ、まだまだ蒸し暑い真夏に、熱々のトロピカル焼きそば。クーラーなんて贅沢なものはない。何せ、ここは海の家なので。

8月の初日、朝から佐伯くんに呼び出された。天気もいいし、海日和だから、これから浜に来ないかって、そんな誘い文句で。
あんな風に言われたら、誰だって海水浴に誘ってくれたんだと思うに違いない。……甘かったかも。だって佐伯くんだもの。“あの”佐伯くんが、ただでわたしを誘う訳がないもの。

そういう訳で、春に新しく買った水着(可愛くて気に入ってるのに!)を持って、いそいそと珊瑚礁まで駆けつけたわたしに、佐伯くんは何だか含みのある笑顔と態度で、今日一日、海の家を手伝うことを言いつけた。
帰る、なんて言い出せなかった自分と、素直に水着(可愛い、しかも新調のお気に入り)を持ってのこのこと誘いだされてしまった自分が、とても恨めしい。
夏休み真っ最中、海日和の海の家は大盛況だった。一日中働きまわって、足が棒のよう。明日、絶対筋肉痛だと思う。

――佐伯くんは、ひどい。

目の前にいる相手をトロピカル焼きそばが盛られたお皿越しに睨みつける。佐伯くんはというと、そんな視線にはビクともしないで、こともなげに顎をしゃくる。

「昼、まだだったろ。食べろよ」

さっきまで佐伯くんのオニ悪魔ウニのトゲトゲが刺さっちゃえばいいのにと思っていたのに、この一言と、目の前の焼きそばのおかげで、やっぱり優しいのかなあ……と考え直し始めている自分がいる。これだからいけない。ムッとトロピカル焼きそばを見つめる。作りたてなのか、まだホカホカと湯気が立っている。この暑い中にも関わらず。

「……パイナップル」
「何か文句あるのか?」
「……折角のパイナップルが熱々……」
「焼きそばだからな」
「フルーツはフルーツとして、冷やして食べたいよぉ……」
「おまえな、これ、ウチの人気メニューなんだぞ」
「だって、こんな暑い中なのに……」

佐伯くんが出してくれたトロピカル焼きそばは勿論おいしそうだし、人気メニューなのも分かるけど、あんまり暑過ぎて。ただでさえ、一日働きまわってへばっているのに。

「パフェとか食べたい……」

冷たいアイスクリームの上にはフルーツソースをかけられた生クリーム、そしてよく冷えた、新鮮なフルーツ。缶づめのじゃなくて、剥き立ての果物が飾られた、そういうフルーツパフェ。パイナップルだって、目の前の焼きそばみたいに熱々じゃなくて、よく冷えてるんだ。……食べたいなあ。

「贅沢言うな」

佐伯くんがよく冷えた麦茶の入ったコップを前に差し出す。透明なガラスのコップが汗をかいていた。中の氷が、からん、と涼しげな音を立てる。見た目も音も涼しげだった。

「食わなきゃ、明日持たないぞ」
「あ、明日も!?」

差し出された麦茶を受け取りながら声を上げる。まだ声を上げる元気が残っていたなんて、ビックリだ。

「当然だろ。夏は書き入れ時なんだよ」

しれっと言われてしまう。

「あ、水着、忘れるなよ?」
「明日も、これなの?」

これ、と言って、エプロンを指さす。店員さん用の黄色いエプロンの下は水着。今年の夏用にと春先に新調した可愛いビキニ。背中に大きなリボンがあしらわれていて、とても気に入っているのに、まさか初めて着る機会が、海で泳ぐのじゃなくて、アルバイトになるなんて思いもしなかった。可哀想な、わたしの可愛いビキニ……。折角の背中のリボンもフロントのフリルも、素っ気ない店員さん用エプロンに覆われて隠れてしまう。

「当たり前だろ。今日、噂が噂を呼んで、大盛況だったんだからな、“水着エプロン”」

まさか、今日の忙しさが、この恥かしい格好のせいだったなんて思いもしなかった。思わず声を上げる。

「絶対、やだ!」
「バカおまえ、女子高生の水着エプロンが珊瑚礁に与える経済効果を考えろ」

お昼に言われたのと、そっくり同じ台詞で佐伯くんは説得してくる。ひどい、佐伯くんは、ひどい。

「佐伯くんのオヤジオニ悪魔……」
「何とでも言え。それより、早く食べないと冷めるぞ」
「熱いから冷ましてるんだもん」
「冷めた焼きそばなんかうまくないだろ」

……それはそうかもしれない。割り箸を割って、焼きそばに箸をつける。……結構おいしい。あっさり塩焼きそばに、パイナップルの酸味がアクセントになっている気がする。

「うまいか?」
「うん……」
「よかったな。たくさん食べて、明日も頑張れよ」
「………………」
「頼りにしてるからな、おまえの“水着エプロン”」

しれっとした顔が、とてもとても、小憎らしい。――やっぱり、佐伯くんなんて、ウニのトゲトゲが刺さっちゃえばいい。

口に出す代わりに、案外おいしいトロピカル焼きそばをほお張りながら、海に視線を向けた。……泳ぎたかったな、海。新しい水着で。分かってる。一緒に泳げる、なんて思ったわたしが甘かったんだ、きっと。

ため息をついたら、「もう腹いっぱいなのか?」なんて台詞が向かい側から降ってきた。「そうじゃないよ」とまた箸を動かす。甘い甘い、夏の思い出なんて、今年は望むべくもないのかも。汗と砂まみれでほこりっぽい体で、もう一度ため息をつく。――本当に、海へ入りたくて堪らない。疲れてなければ、という話。



0/last summer(去年の夏)

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