誰かが哀しいと云った


懐かしい本を図書室で見つけた。ページを捲って行く。
これは、人魚と王子様の哀しい切ないお話。哀しい結末だと言うことはいつまで経っても覚えているのに、お話の細部はすっかり頭から抜け落ちてしまっていて、読み返すたびに奇妙に懐かしい。

「こいつってさ……」と佐伯くんが横から口を挟む。“こいつ”とは人魚姫の王子様のことだ。

「情けないよな」

ごく控えめに言っても、身も蓋も無い言い方。確かに、最後まで人魚姫のことを思い出さなかった王子様はボンヤリだなあと思わなくもないけど、けれど、もう少し言い方があるんじゃないのかなあと思ってしまう。

「そこまで言わなくてもいいんじゃない?」
「いいや、俺は言うね。こいつは、正真正銘、間抜けで情けない奴だ」

佐伯くんは断固とした口調ではっきりと言い切った。どこから来るんだろう、この自信は。

「自分を助けてくれた人魚に気づかないなんて」

とんとん、と指先で挿絵の王子様を突きながら、佐伯くんは言った。

「どう考えても間抜けだろ」

挿絵には砂浜に横たわる王子様と、王子様の額にキスをする人魚姫の姿。これは、お話の最初の頃、難破した船から王子様を助け出した人魚と、気を失っている王子様のシーン。
それを見つめながら、仕方ないんじゃないかなあ、と思う。だって、王子様はこうして気を失っていたのだし。すこし考え、口を開く。

「ねえ、佐伯くん」
「何だよ?」
「もしも王子様が、人魚姫のことを思い出していたら、結末は違ったのかなあ?」

もしも、結末を迎えてしまう前に、王子様が思い出していたなら。
人魚姫が、溺れる自分を助けてくれた娘だって思い出していたら。
哀しいお話の結末は違っていたのかな?

「それは……」と佐伯くんは言い淀んで、目を逸らした。何かを考え込むように、眉を顰め、それから、今度はこちらを真っ直ぐに見詰めて、口を開いた。

「違ったよ。きっと」

真摯な目だった。

「ちゃんと気づけたなら、きっとハッピーエンドだったよ」

「本当に?」とわたし。

ひとつ頷き、「本当に」と佐伯くん。

「でも、王子様は王子様なんだから、難しいんじゃない?」
「そんなことは、どうだって出来るだろ」
「そうかな?」
「そうだよ。だって大事なのは、ほら、アレだろ」
「アレって?」
「だから、その……」
「?」
「二人が愛し合っているかどうか、だろ?」

気恥かしかったのか、佐伯くんの最後の台詞は、ほとんど消え入りそうな声だった。思わず、笑顔になってしまったわたしの顔を見て、佐伯くんが盛大に顔を顰めた。

「何だよ、ニヤニヤすんなっ!」

怒ったような顔で、そう言われたけど、全然怖く無かった。佐伯くんの顔は真っ赤だった。
わたしは佐伯くんの言う“ニヤニヤ”顔を止められないまま、口を開いた。

「でも、そうだと良いな」
「何が?」
「ハッピーエンドって。人魚姫と王子様、幸せになっていたら良かったのに。人魚姫のお話を読むたびに、そう思っていたから」
「…………ああ、そうだな」
「好き合っているのに一緒になれないなんて、かなしい」


いつか、二人で交わした会話が、今は胸に突き刺さる。一人きりで読むには、このお話の結末はあんまりにも、哀しい。

かさり。
童話の最後のページを捲る。
読み返しても、ハッピーエンドに変わっているはずは無くて。何度読んでも切ない結末は変わっていない。

人魚姫は、王子様を想い、泡と消え。
王子様は最後まで、人魚姫のことを思い出さない。

今はもう隣りにいない、遠く離れてしまった“王子様”のことを思う。

「“きっと”って、言ってくれたのに、ね」

ぽつり、呟いた台詞は冬の図書室の、しん、とした空気の中に、ひっそりと消えて行った。





[title by.傲慢さま/clap:2011.10.04~site:2011.11.26]
*三年目の冬のこと。

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