22.ため息



珊瑚礁の一人掛けの椅子に腰かけてあかりがうたた寝している。ちなみに、アルバイト中。大失態だ。気持ち良く居眠りしているところへ脳天にチョップを食らっても、あるいは有無を言わさずトレイで頭を叩かれても文句は言えまい。それくらいの大失態だった。目の前の迂闊者の呑気極まりない寝顔を眺めて、深くため息をついた。

バイト中の居眠り。……言うまでもなく、大失態だ。どんな説教をされようと文句は言えまい。

とはいえ……。

今日は金曜の夕方のバイト。金曜と言えば、誰でもそろそろ一週間の疲れがたまってくる頃。まあ、それだけなら、そんな甘えは許さん、という話だけど……。

ちなみに、来週の月曜日から無慈悲な期末テストが始まる。あかりもご多分にもれず、このところテスト勉強で慌ただしくしていた。
バイトが無い放課後はいつも図書室に籠っていたし、どんなに僅かな空き時間でも(バイトの休憩時間でさえ)、テスト勉強に当てていた。つまり頑張っていた。目指している進路がある――いつか、そう言っていたのを思い出す。それには、ちょっと、いや、かなり勉強を頑張らないといけない……そんな風に言って眉を八の字に下げて笑っていたのも。

金曜の夕方のバイト時間中、あかりは迂闊にも客用の椅子に座って、優雅に船を漕いでいる。全くいい気なものだと思う。いくらどしゃ降りで、こんな日には客足が途絶えて、ほとんど商売にならないと経験上分かっていても。例え、期末テストを控えていて、アルバイトと勉強の両立に苦しんでいたとしても、だ。居眠りは居眠り。やはり許したらダメだろう。

……うん、許したらダメだろう。後で説教確実なコースだ。まあ、その……後で、という話。

着ていたカーディガンを脱ぐ。半袖のシャツ姿(いくら空調が効いていても季節柄、そんな薄着は寒々しい。まして、寝ているとあれば尚更)のあかりの肩に掛けてやった。別に許した訳じゃない。後で必ずこの失態への説教はする。必ずする。……けど、まあ、後ででもいいか、と思う。だって今日はまず、人は来ないだろうし、幸い、あかりが座っている席は壁際の予備の席。入口からは死角になって見えないだろうから、客が来たら容赦なく叩き起こす。……それまでは、少しくらい休んでいてもいいかな、と思う。

別に特別扱いなんかじゃない。頑張りすぎて、くたくたになっているのが、見てられなかった訳でもない。ただ、このまま叩き起こして、仕事中にミスされたら、事だ。それだけの話。

大きめのカーディガンは小柄なあかりの肩には随分余った。ずり落ちないように注意してかけてやった。

ふと、背中に視線を感じた。……じいちゃ、マスターが、やたらと微笑ましげな目で、俺とあかりを見ていた。カウンターの向こう側で、コップを拭いているマスターの目が何を言いたげなのか、直感的に分かった。咄嗟に否定していた。

「ち、違うから!」

マスターはニヤニヤ顔のまま、「おや、そうかい?」と空とぼけた顔をして言った。ほんっと、違うから! ちゃんと説明すべく、カウンターへ向かった。――全然、優しさとか、そういうのじゃないから、これは!





「違うから!」

佐伯くんの大きな声で、意識が浮上した。あ、あれ……? わたし、寝てた……のかな? アルバイト中なのに、大変だ……! 咄嗟に身をすくめる。こんな大失態を佐伯くんに見つかったら、まず間違いなく、チョップあるいは、お盆でチョップされること間違いなしだからだ。

「……?」

でも、いつまで目を瞑って身構えていても、想像していた刺激は下りて来なかった。そろそろと目を開ける。背中越しに、佐伯くんとマスターが言い合う声がする。……と言っても、佐伯くんが一方的にまくしたててるみたいだったけど。

――佐伯くん、怒らないのかな? ううん、怒ってないのかな?

不思議に思って、後ろを振り向こうとした。そのとき、肩に何か見慣れないものが掛けられていることに気がついた。柔らかい布地のカーディガン。佐伯くんが時々、アルバイトの制服の上から羽織っているカーディガンだった。佐伯くん、もしかして……。

とても温かかった。カーディガンをかけられた体もだけど、不思議と胸の中も。理由は、分かってる。

きっとお説教は免れないと思う。そういうところは、きちんとし過ぎなくらい、きちんとした人だから。あとで、きっときつくお説教されると思う。何せ、バイトとはいえ仕事中の居眠りだ。酷い大失態だ。きっと、あとで沢山叱られると思う。ため息だって降ってくると思う。それに、あるいは、チョップも。それとも、お盆でチョップかも。それでも、今は……肩に掛けられたカーディガンが、とても嬉しかった。佐伯くんの、言外の気持ちも。

静かに深く息を吸って、一つ、大きく息をついた。それは、ため息じゃない、もっと別の種類の息だった。



2011.12.18
*頑張る君へ
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