吐く息は白く、見上げた空は灰色の雲に厚く覆われていた。寒いと思っていたら先日雪が降り、あっという間に一年が終わってしまった。俺は基本的に、行事に全く興味がないので静かに寝て過ごそうと思ったら大晦日に秋緋とアルジリアがやって来て勝手に人の部屋を掃除して俺を秋緋とアルジリアが暮らすマンションへと連行した。「大晦日は家族と過ごさないと」と言って聞かない秋緋に押し切られた、とも言う。

「お前、家に帰らなくていいのか」

 本棚を整理している秋緋の背中に向かって尋ねると、ピタリと一瞬だけ肩が揺れた。

「いいんだよ」何事もなかったかのように振り返って微笑む弟の姿に、俺はふと違和感を覚えた。何かあったのかと聞き出そうとした瞬間アルジリアが「年越し蕎麦貰ってきたぞ」と帰宅したので、俺と秋緋の会話はそこで終了となった。
 秋緋が作ってくれた蕎麦の丼を挟むように手をくっつける。冷え切った指先が徐々に暖まっていく感覚が気持ちいい。「熱いから気をつけてね」と丁寧に教えてくる秋緋に頷き、ふうふうと冷ましてから啜る。俺と秋緋、アルジリアの三人が炬燵に入って蕎麦を啜っている図は何かシュールだ。適当にチャンネルを弄るが、どれもこれも興味を引かれる番組がない。結局去年と同じく紅白を見ることにした。

「……誰だこいつ」
「兄貴、ちょっとはテレビ見ようよ」
「今年流行ったアイドルさ」

 私もよく知らんがな、とアルジリアが付け加える。なんていうことだ、俗世間に興味が薄いアルジリアすら知っているのに俺は知らないなんて。まじまじとアイドルなんたらとやらを観察してみる。駄目だ、どれもこれも同じ顔にしか見えない。
「兄貴って興味ないことにはとことん疎いよね」秋緋が笑った。
「普通だろ」と俺が返すと、「違うよ」とバッサリと切られた。「普通の人は友達とかと話を合わせるためにも、興味ないことを調べたりするんだよ。コミュニケーションを取るために、テレビの話題は手っ取り早い」

「めんどくせぇー」

 空になった丼の上に箸を置き、ごろりと横になる。

「食べてすぐ横になると牛になるぞ」
「迷信だろ」
「いや牛になるというのは太るということで、食後すぐに横になると胃が……」
「あーあーあー」


 アルジリアのこういう話は長くなるため、聞かないに限る。上半身だけを起こして耳を塞ぐ。年末までこんなのに付き合わされてたまるか。アルジリアは呆れたように溜息を吐くと、自分の鞄からノートパソコンを取り出し弄り始めた。何をやっているのかと覗き込めば、「見るな」と睨まれた。

「仕事の内容を生徒に見せるわけにはいかん」
「じゃあ生徒の前ですんなよ」
「まあまあ」

 秋緋が空になった三人分の丼を片付けつつ宥める。困ったように目尻を下げているが、口元は笑っている。「じゃあデザートにしようか」秋緋は包丁と三人分の小皿、フォーク、そして最後に小さな箱を持ってきた。
「なんだよこれ」俺が指差して尋ねれば、秋緋とアルジリアは互いに顔を合わせて肩を竦める。やれやれ、とでも言いたげだ。おい――と口を開こうとした瞬間、テレビから「3! 2! 1!」とカウントダウンが聞こえた。

「誕生日おめでとう、兄貴」

 箱を開ければ、中からチョコレートケーキが出てきた。「久瑠ちゃんが作ってくれたんだよ。兄貴のために甘さ控えめのビターチョコレートケーキ」
 秋緋が綺麗に切り、小皿に取り分ける。甘いものが苦手な俺がじっとケーキを見つめていると、見透かしたように「久遠くんが"残したら殺す"って言ってたよ」と秋緋が爽やかに笑った。おい、にこやかの割には言葉に毒があるぞ……。渋々口に運べば、口内に苦味のある濃厚なチョコレートの味が広がる。けれども不快なわけでもなく、普通に食べられる味だった。

「美味いな」
「久瑠ちゃん、また料理上手になったよね」

 久遠くんに似なくてよかったねと笑う秋緋に同意せざるを得なかった。




***




 夜も更け、室内にはアルジリアがキーボードを叩く音だけが響く。テレビはつまらない番組ばかりだったので、我慢ならずにさっき消した。何となく寝転がりながら外を見れば、ちらちらと雪が降っている。明日は積もるだろう。
 炬燵の中で足を伸ばすと、向かい側の秋緋の足に当たった。ん、と上半身を起こしてみると、秋緋が机に突っ伏すように眠っていた。
「眠ってしまったようだな」アルジリアが小声で呟いた。俺は炬燵からのっそりと出ると、寝室から毛布を持ってきて秋緋の肩に掛けてやる。アルジリアがこちらを見て笑った気配がしたが、俺は無視した。

「なあ、」
「ん?」
「こいつ、無理してたよな」

 目にかかった赤毛を梳いて耳に掛けてやる。心なしか疲れているような寝顔に、ずきりと胸が痛んだ。秋緋が俺に何かを隠していることには気づいていた。そしてそれを、俺に告げるべきか告げないべきか悩んでいるのにも。
「疲れてるんだ」アルジリアがパタンとノートパソコンを閉じた。どうやら終わったらしい。

「私から見れば、二人とも疲れているように見えるけどな」

 どういう意味だと言い掛けて、やめた。きっとアルジリアは知ってるんだ。俺の知らない秋緋を。そして、俺すらわからない俺を追い詰めるモノを。

「お前たちは不器用すぎるよ。もっと楽に生きていけるのに、その道を絶対に選ぼうとしないんだ」

 危うくて、とても愛しいよとアルジリアは俺の頭をぐしゃりと撫でた。普段ならすぐさま手を振り払うのに、どうしてだかこの時だけは、出来なかった。




そして夜が明ける


20111025

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