日本の梅雨はどうしてこう、じめっとしているのだろう。肌に纏わりつく湿った空気が何よりも不快で、その上いつもの偏頭痛のせいで俺のイライラは怒髪天を衝きそうだった。
 雨足が弱まったら家を出ようと思ったが、雨は一向に止む気配がない。テレビをつけて天気予報を見れば、一日中雨――むしろ午後にかけてもっと強くなるでしょう、ときたもんだ。ふざけるなとリモコンを叩きつけそうになったが、昔壊してしまったことがあるので何とか堪える。リモコンが使えないのがあんなに不便だとは知らなかった。
 学校なんざ行きたくもないが、卒業資格は欲しい。中卒だと今の時代なかなか厳しいものがある――というアルジリアの意見のもと、わざわざあのクソ親父を無理矢理説得し、俺を高校に通わせることを許可した。当初は勝手なアルジリアの行動に怒ったが、今はその行動の意味が何となく解ってきたのでなるべく学校には通っている。三年になってからの話だが。
 ――と、そんなことを考えていると、学校の校門が見えた。「あ」声が聞こえ、振り向けばよく見知った顔と目が合った。「アーク」

「今日あたりサボるかと思ったのに……」
「……お前、俺が来るたび言ってないか、その台詞」
「そうか?」

「そうだよ」と睨みつければ、アークはどこ吹く風といった様子で「授業どうすんの?」と尋ねた。

「あー……気が向いたら」
「また単位落とすよ」
「五限目には出る」

 あっそ、と気の抜けるような返事をしたアークはくるりと踵を返した。「どこ行くんだ」と聞けば、「保健室」と至極簡潔な返答が返ってくる。お前もサボる気満々じゃねぇか。

「……雹」
「あ?」
「……付き合ってる子、いるのか?」

 唐突な言葉に思わず咽た。「ッ、あ゛ぁ!?」

「誰と、誰が!?」
「お前と、あの紅い――」
「それ以上言うな!」

 アークが誰のことを指しているのかなんて火を見るよりも明らかで、俺は一瞬想像してしまい、全身が泡立つのを感じた。雨に濡れたせいか、寒気までしてきた。
「お前の目は節穴か!? 何でそう思った、いや別にそんなことはどうでもいい。だが断じて違う!」誤解のないように苛立ちを抑えつつ丁寧に説明する俺に、アークは欠伸を堪えつつ「ふーん」と相槌を打った。

「……アーク、自分から聞いといて実は興味ねぇだろ……」
「……ソンナコトナイヨー」
「カタコトじゃねぇか!」


***


 なんだ今日は、厄日か。
 しんどい授業――といっても、受けたのは一限だけだが――を終え、帰ろうとすれば、下駄箱の近くにある傘立てに自分が持ってきた傘がない。ビニール傘だったし、パクられても仕方ないかと溜息を吐く。まだ秋緋はいるだろうか。
 去年俺が使っていた二年の教室へ行けば、箒を持った秋緋がいた。たまたま掃除当番だったらしい。俺と違って秋緋は真面目なので、掃除もちゃんとしているようだ。俺は今まで数回しか箒を持った記憶がない。
「あれ、どうしたの」俺に気づいた秋緋が手を止めて声をかけた。

「傘、持ってねぇ?」
「パクられたの? ちょっと待ってて」

 秋緋は自分のロッカーをごそごそと漁ると、あまり使われてないような――むしろ新品のようだ――折り畳み傘を持ってきた。「これでいい?」

「さんきゅな、秋緋」

 用意周到な弟は「いや、いいよ」と手を振った。「俺は二つ持ってるから」本当に出来た弟である。
 おう、と返事をして「俺は帰るぜ、じゃあな」と受け取り、背を向けようとしたときだ。不意に視線を感じ、つられるように視線が向く。視線が交わった瞬間、アイツはにこりと音がつくような笑みを浮かべた。取ってつけた仮面のようなソレは一気に不快な気分にさせ、俺は完璧に背を向け、二度と振り返りはしなかった。





 さて帰ろうとしたとき、運悪くアルジリアに見つかった。「最近はちゃんと登校してるみたいじゃないか」「ああ」「三年になってようやく危機感が出てきたか?」「ほっとけ」「そういうわけにもいかない。その上お前は――」と、これ以上は長くなるので省略するが、察しの通り説教されたのは言うまでもない。本当に今日は厄日だ。
 溜息を一つ零し、重い足を引きずりつつ秋緋に借りた傘で帰路につく。雨は朝と相も変わらず降り続いている。何故梅雨が存在するのだ。必要ないだろ。まぁ実際はちゃんとした理由があると思うが、俺は天気について全く興味も知識もない。「おにーさんっ!」よって考えるだけ無駄だ……あ?
 思わず振り向いてしまい、俺は即座に後悔した。何も見てない。傘も差さずに手を振って走ってくる奴なんて知らない。突風が吹こうが雨に塗れようが構わずに、歩く速度を俺は早めた。だがアイツは諦めずに俺の傍に駆け寄ってきた。雨にも負けず、風にも負けず、なんと鬱陶しいことだろう。

「ああもう、待ってよおにーさん」

「知るか」その上話かけてきた。「テメェに構ってる暇なんざねえんだよ」だからさっさと消えろ、と続くはずだった言葉は「うへぁっ」という何とも間抜けな声に遮られた。べしゃり。目線を下に向ければ、唖然とした表情で間抜けな格好で仰向けに寝転がっている。大きな水溜りに足を滑らせ、転んだようだ。
 阿呆か。自分でも解るぐらい、俺は呆れた表情でこいつを見下ろしていた。その様子に気がつくと、赤毛はへらりと笑った。

「……お前、よく笑ってられんな」
「だって面白いんだもん」

 何が、だもん、だ。「びしょ濡れだぞ」
「元々濡れてたし、もう気にならないや」へらへらと螺子が緩んだように笑っている。頭をぶったのだろうか。「それにさ、」

「おにーさんと話すの、楽しいもん」

 …………どうやら、本当に頭をぶったらしい。こいつの言ってる意味が解らないのは俺だけではないだろう。絶対に。そもそも何故こいつは邪険に扱われているのに、「楽しい」のだろう。アレか。「馬鹿だな、お前」もしくは変態か。

「うん、知ってる」

 どうやら自分でも理解はしているらしい。なのにアレな行動に出るとは……と、珍獣を見るような目で観察していたのが悪かった。俺は向こうからやってくる自動車に気づかず、ばしゃん。自動車は水溜りを結構な速度で駆け抜けていった。もう察しただろう。車道のすぐ傍らにいた俺は、見事に、頭から水を被った。

「…………」
「……おにーさん、ぐしゃぐしゃになっちゃったね」

 折角傘を差していたのに、と笑う赤毛を無視し、俺は傘を畳んだ。もうコレは不要だった。

「あれ、傘いいの?」
「今更傘なんて差してても意味ねーだろ」
「なるほど」

 赤毛が相槌を打つと、ぽたぽたと頬から水滴が滴り落ちた。まあ、俺も同じなのだろうけど。
 水を含んだ髪をかき上げると、俺は再び歩を進めた。雨を多く含んだせいか、先程以上に足を重くさせた。無意識に眉間に皺が寄る。赤毛がついてくる。また一本皺が増える。
「おい――」いい加減にしろ、と怒鳴る瞬間、いつもよりも深く濃い紅が視界に映った。濡れた赤毛は、俺の中の嫌な記憶を呼び起こすには十分だった。
 言いかけたまま止まった俺を不思議に思ったのか、赤毛は小首を傾げていた。だがすぐに悟ったように目を細めると、「どうして赤が嫌いなの?」と尋ねた。

「俺から、大切なものを奪った色だからだ」

 思わず答えてしまってから、失言だと気づいた。「……忘れろ」
 俺の声は小さくて、雨に掻き消されて聞こえなかったかもしれない。だが赤毛の目は俺をじっと見据えていた。次いで俺の大嫌いな笑顔を浮かべ、頷く。「うん、わかった」
 こいつにはちゃんと、俺の声が聞こえていたのだ。





雨曝しなら濡れるがいいさ


20101023
またまた蒼真さん宅アーク君お借りしました!

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