「兄貴と紅って仲良いの?」
「は」

 どうせ碌なものを食っていないんだろうと思った俺は、日が沈んだ頃肉じゃがを持って兄貴のマンションを訪ねた。相変わらず兄貴の部屋はテレビ、ベッド、テーブルと必要最低限なものしか置いてない殺風景な部屋だ。いや、殺風景というのは語弊がある。部屋の隅に置かれた大きな本棚にはぎっしりとDVDが仕舞われており、それが妙に浮いていた。
 また何か借りて行こうかなとDVD――全て映画だ――を見て、ふと疑問に思ったことを口にしてみた。兄貴にとっては予想外な質問だったのか、箸を止めて口をぽかんと開けた。三白眼の瞳を見開き、ぱちぱちと瞬きをしている。今日も隈が酷い。

「いや、だから――」
「心配しなくても俺は秋緋一筋だが」
「真顔で何言ってんだ」

 そういうことじゃないと首を振れば、じゃあどういうことなんだと眉を顰められた。
「だから、兄貴は紅のことを……」と、そこまで続けて俺は口を噤んだ。「兄貴、紅って誰のことだかちゃんと解ってる?」

「あぁ? "コウ"って誰だ?」

 ああ、やっぱり。俺は思わず頭を抱えた。
 兄貴は基本的に他人に興味がなく、そんな人間がいちいち他人の名前など覚えてるはずがない。紅だったらもしかして覚えてるかもと思った自分が馬鹿だった。
 紅は兄貴がいつも腹を立ててる紅い髪の子だよと教えてやれば、「ああ」と思い出したのか、途端に表情を歪めた。

「あの赤毛のか。そいつがどうしたって? 死んだか?」
「そういうこと言うと怒るよ。兄貴と紅は仲が良いなーって話」
「はぁ!?」

 始めと言っていることは微妙に違ったが、俺の言葉に兄貴は予想通りな行動をした。
 心外だとばかりに憮然とし、グサリと箸をじゃが芋に突き刺した。行儀が悪い。

「なんでそうなる!? しかも最初は仲が良いのかって疑問形だったくせに何で今は断定したんだ!」

 しまった、バレてた。
 俺は視線を泳がせると、兄貴は訝しげに「何でそう思うんだよ」と訊ねた。

「だって人と関わらない兄貴が紅と元気に鬼ごっことかしてればそう思うさ」
「誰も鬼ごっこなんてしてねぇよ。アイツがムカつくから殴ろうとして、そのくせ逃げやがるから……」
「ほら、そこ」

「どこ?」キョロキョロと辺りを見回す兄貴。この人って時々天然だよなぁ、と俺は華麗にスルーした。

「特に女の子とそういう……なんていうのかな。プラトニックというか、じゃれ合って遊ぶような人いなかったじゃないか。紅みたいな女の子がいなかっただろ」
「……何が言いたいんだ? 俺はあんな奴嫌いだし、何より『赤』を嫌ってるのを知ってるだろ、お前」

 徐々に兄貴の表情が険しくなっていく。どうやら俺の言いたいことを何となく察した兄貴は、それを不快に感じたようだ。空気がどんどん不穏なものに変わっていく。

「でも、俺の赤毛は嫌いじゃないんだろ」
「それは秋緋だから」

 即答する兄貴に、俺は苦笑した。「俺は紅のことが親友として好きだよ。あの赤毛だって、綺麗じゃないか」

「だから、何だよ」
「別に」

 あっさりと俺が引き下がると、兄貴はちょっと意外そうに目を僅かに瞠った。だがすぐについと視線を外し、「うまかった」と呟いて

肉じゃがが入っていたタッパーを差し出した。
「お粗末様でした」俺はそれを受け取り、兄貴の部屋を後にした。きっと今頃ぐるぐると考えているのだろう、と思いながら。


***


 雹は似合わぬ考え事をしていた。原因は実弟の秋緋のせいである。
 昨日、自分の食生活を常日頃から心配している秋緋が肉じゃがを持って訪ねて来た。特に好物というわけはないが、嫌いでもないし何より弟が自分のために作って持ってきてくれたものを無下に出来るはずもなく。雹は三日ぶりにマトモな夕食を取った。
 その際だ、秋緋が妙なことを口走ったのは。
 自分とあの紅いのが仲が良い? 一体何を言ってるのだ。ありえない、と頭を振るが、その言葉が脳にこびり付いて離れない。しかも考えれば考えるほど、脳内が自分の大嫌いな赤色で染まっていく。非常に腹立だしいことだ。

「おにーさん、遊びましょ」

 そんなことを考えていると、会いたくない人物に会うものだ。雹は自分でも解る程顔の筋肉が歪むのを感じ、またそれを隠そうともしなかった。
 心底お前に会いたくなかった、嫌いだという表情を向けられた相手――雨宮紅、雹の脳を埋め尽くすその張本人は、慣れたとばかりにニコニコと笑っている。

「そんなに眉間に皺寄せちゃ痕が残っちゃうよ、おにーさん」
「てめぇが消えれば皺も消えるんだけどな」
「それは残念!」

 ケラケラと高い声で笑う紅の姿を一瞥し、雹は離れるように歩き出した。当然紅もその背中を追いかけるが、足の長さが違うので半ば小走りになっている。

「ねーねー、遊ぼうってば。おにーさーん」
「俺は忙しい」
「どう見ても暇そうなんだけど? おにーさんいっつもそう言ってはぐらかそうとするよね。一度も成功したことないけど!」
「うるっせえな! 人が考え事してる時ぐらい黙ってろ!」

「考え事?」紅は歩を止めて、驚いたように目を丸くした。まるで信じられないものを見るような目で見られ、雹も「そうだよ」と足を止めて振り返る。
「似合わない!」と、紅は吹き出した。雹はひくりと頬が引きつるのを感じ、堪えるようにぐっと拳を握り締めた。

「俺だってお前のことなんざ考えたくもねぇよ」

 不意に、今まで響いていた笑い声が止んだ。
 何だと雹が視線をやれば、そこには先ほどよりも目を見開き、固まっているような紅の姿。
「な、なんだよ」不気味に感じたのか、ちょっと引き気味で雹が訊ねる。今まで見たことのない紅の姿に、困惑を隠しきれないようだ。

「おにーさん、私のこと考えてたの……?」

 刹那、雹の脳裏に秋緋の言葉が甦った。「あの赤毛だって、綺麗じゃないか」

 雹は自分のことを酷い人間だとわかっていた。わかっているくせに、そうし続けている自分もわかっていた。それが世間一般的に見れば『最低』に値することもだ。だが彼は自分を変えようとはしなかった。そこまでして誰かに愛されたいとは思わなかったからだ。
 そんな『最低』な雹にも、大切なものがある。大切な人がいる。弟はその中でも特別な存在で、雹は秋緋が好きなものはどうしても嫌いになれなかった。その気になれば紅のことも突き放すことなんて出来るだろう。離れることだって、今の自分だったら出来るはずだ。
 なのに、それをしないのは彼女が秋非の『大切な親友』だから?

「俺は、お前のことが嫌いだ」

 雹がそう言えば、紅はいつもの笑みを浮かべて、「知ってる」と笑う。雹が大嫌いな、あの道化のような笑みで。

「赤も、嫌いだ」

「うん」にこにこ、にこにこ。紅はただ笑って雹の話に相槌を打っている。
 今すぐにその笑みをやめて欲しかった。それを見ていると、どうしようもなく苛ついて、胸が痛むから。

「でも、お前の赤毛はそんなに嫌いじゃない」

 何故こんな気持ちになるのか、雹にはいくら考えてもわからなかった。



透明の嘘

title by Discolo
20100604

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