柳生比呂士
休日のお昼だが、このカフェが賑わうことはない。ここは路地裏にひっそりとある知る人ぞ知る人の店。
叔父が経営しており、ちょっとしたお小遣い稼ぎに休日だけ働いている。常連さんが数人と新規さんが偶に来るだけで大してすることはない。おしぼりを渡し、注文されたものを運び、洗い物をする。それくらいなのにお金を貰っていてもいいのかな? って思うことがある。多分、叔父だけで店を回せる気がする。
しかし、一年もやっていたら私の顔を覚えてくれている人もいて、私と話すのを楽しみに来てくれる人も何人かいる。そのことを思えば私は全く用無しではない。
「いらっしゃいませ」
早速、顔見知りのお客さんが来た。
「こんにちは、名字さん」
眼鏡をかけ、前髪を左に流したスマートな印象を受ける男の子。最初に見たときは大学生かと思ったけど、私と同じ高校二年生だ。
「先週は風邪でお休みになられたとお聞きしましたが、その後お加減はいかがですか?」
「もう、バッチリこの通りです」
私は小さなガッツポーズと笑顔で元気な様子を表した。柳生さんはそんな私を見て微笑む。
今日もかっこいいな……あ、いけない、見惚れてないで仕事仕事!
「ご心配ありがとうございます。今日も紅茶とスコーンのセットでいいですか?」
「はい、お願いします」
そう、この店はコーヒーというより紅茶が人気のお店だ。だから、紅茶好きが集まってくる。叔父はスコーンにも力を入れており、このセットを頼む人が多い。
茶葉の種類を聞き、私は叔父に注文が入ったことを伝える。私はお手拭きと水を柳生さんの前に出した。
「ありがとうございます」
しっかりと頭を下げて礼を言う柳生さんはどんな時も紳士的な人だ。なんと、学校ではそういった風に呼ばれることもあるそうで、とても納得した。
彼は本当に、容姿だけじゃなくて仕草も性格も全てが格好いい。私はそんな柳生さんに実は恋をしていたりする。私なんてただの店員としか見られていないとは分かっていても、やはり恋愛感情を捨てられない。
「あ、あの、柳生さんはアガサクリスティがお好きと言ってましたよね、それで読んでみたんですけど……」
よく本を読むわけじゃないが、柳生さんの愛読書と聞いて私は頑張って読んだ。なんとか私なりの感想を伝えると、物腰柔らかに聞いてくれた。
「それで、あのシーンの……あっ、」
叔父の呼ぶ声が聞こえる。紅茶とスコーンの用意ができたのだろう。私は話の途中だったが柳生さんに会釈して厨房の方へと向かった。そして、セットを運ぶ。
「紅茶とスコーンのセットでございます」
私は柳生さんの前に慎重に置く。彼の前だとやっぱり緊張してしまって少し手が震えた。
無事に並べ終わると、私は安堵ゆえに小さなため息をつく。胸を撫で下ろす私に柳生さんはまた丁寧にお礼を言って、紅茶を口に運んだ。
そんな些細な動きでさえ、私が知る男の子にはないスマートさがあってドキドキする。本当に素敵な人……。
ぼんやり眺めていたら「どうかされましたか?」と問われて、私ははっとした。
「い、いえ、何でもないです……っ!し、しし失礼します!」
私は頭を下げ、急いでお盆を厨房のほうに戻しに行った。
うう、まだドキドキが止まらないよ……。こんなんじゃ連絡先さえ聞けない。いや、そもそも恋人がいるかどうかも聞いていない。でも、あんなに格好いいんだから絶対いるよね。
「はあ……」
次は大きなため息だ。私はとぼとぼと洗い場に置かれていたものを洗う。それを終えて店側に戻ると、柳生さんが私を呼んだ。それだけで一気に私の顔は明るくなるのだから、自分でも単純なやつだって思う。
「ご注文ですか?」
「いえ、今お時間がございましたら先ほどのお話の続きがしたいと思いまして……もちろんお忙しいのであれば構いません」
少し申し訳なさげに言う柳生さん。私はぶんぶんと頭を振って「時間いっぱいあります!」と答えた。暇な店で良かった、本当に。
そうして私たちはアガサクリスティの話を続けたのだった。柳生さんは色々持っているらしく、貸してくれることになった。アガサクリスティほど有名な著者なら市立図書館でも学校でも借りられるけど、こんな機会を逃すまいと拝借することにしたのだ。
「ふふっ」
ひとしきり話が終わると私は上機嫌で厨房に水のピッチャーを取りに行った。他のお客さん(とはいえ3人しかいないけど)の水がなくなっていたからだ。私は順番に周ってグラスに水を注いでいく。最後に柳生さんのところに行った。
「お水、注いでおきますね」
一言断りを入れて彼の隣からグラスを取る。柳生さんは軽く頭を下げた。
水がコポコポと音を立ててグラスに入る。その時に彼は言葉をかけてきた。
「名字さんに一つお聞きしたいことがあるのですが……」
「何ですか?」
にっこりと問いかけながら私はグラスを机に置こうとした。
「不躾ながら、名字さんに恋人はいらっしゃるのでしょうか?」
「こ、恋人ぉっ!?」
私の手が滑り、グラスが机の上で倒れた。
「きゃっ……!」
机から滴り落ちる水は柳生さんのズボンの上にまでかかっている。
「ご、ごめんなさい!!」
叔父が即座にカウンターに置いてくれた乾いた布巾で私は慌てて柳生さんのズボンを拭く。
「本当にすみません、本当に……!」
「いえ、大丈夫ですよ。お気になさらないでください」
「ああ!そんないいです!私がやりますからっ」
柳生さんは自分より先におしぼりで机を拭き出したのだ。私は咄嗟にそのおしぼりを取ろうとして、彼の手に自分の手を乗せてしまった。
「あっ……」
はっと柳生さんのほうを見る。すると、思いのほか距離が近くなっていて、私たちは至近距離で互いを見つめあった。いつもはあまり感じ取れないシュッとした切れ長の目が私を射抜いている。
「え……っと、あの……っ!」
「す、すすみません!女性のお顔にこんなにも近づいてしまって……!」
さっと私は身を引いた。心臓が脈打ちすぎて言葉も出せない。首をこれでもかというほど横に振る。
「だ、大丈夫です!」
顔を真っ赤にさせて私は俯く。少し奥から、叔父と客の会話が聞こえてきた。
「青春だねえ」
「いいですねえ」
柳生さんの耳にも入ったのか、少し気まずげに視線を落としてしまった。ああ! 叔父さんったら何を言ってくれてるの!!
いや、しかし、このタイミングを逃していつ恋人がいるかどうかこっちからも聞くのよ私! 頑張れ私!
「……い、いません、」
私は未だに茹でタコ状態の顔を上げる。
「恋人、いませんよ。や、柳生さんは……?」
柳生さんは数回咳払いをして落ち着きを取り戻したあと、答えた。
「私もいませんよ」
それから、私たちが付き合うに至るまで日はさほどかからなかった。
柳生さんが来るたびに叔父は「青春だねえ」と言い、その度に私は顔を赤くする。それなのに、彼といえば相変わらずスマートな微笑を浮かべるのだった。
でも、そんなところもたまに赤くなるところも全てに私は惚れているんです。
***あとがき
青春だねえ。某ゲームで柳生が紅茶とスコーンにこだわりがあると言っていたので「カフェ」で書いてみました。
(20180818)執筆