05


「どうかしましたか? 僕のお顔に、なにか?」
「! いえ…」


声を掛けられて、はっと我に返った。無意識のうちに見つめてしまっていたらしい。それを遅れて把握した私は静かに視線を外して、ポケットを握り締める自分の手を見つめた。

あの人が…天狐さま…。小さい頃から、私を守ってくれているという存在。
姿を見たのは初めてだった。いまが、初めて。だというのにどうしてか…私を守ってくれているのはこの人ではないと、そう思えてしまうような気がした。断言はできない。だけど、この人の気配は感じたことがないと、初めて感じるものだと私は思ってしまった。

もしかして私を守ってくれている天狐さまは…別の天狐さま、とか…? そう考えてしまった時、「桜庭さん?」と声を掛けられてすぐに顔を上げた。


「は、はい」
「大丈夫? なんだか難しい顔をしてたけど…」
「あ…だ、大丈夫。なんでもない」


小さく笑みながらそう返せば、音晴くんは少しばかり首を傾げながら「そう? ならいいんだけど…」と一応納得してくれたようだった。そして音晴くんは手を持ち上げて、縁側の二人をその手で示しながら言ってくれる。


「話の途中だけど、一応紹介しておくね。俺と同じ陰陽師見習いの時晴と、天狐さま」
「初めまして、時晴です」
「僕は天狐さまって呼ばれています。よろしくお願いしますね」
「は、初めまして…桜庭紫乃です。お邪魔してます」


礼儀正しい時晴さんと、なんだかおっとりとした天狐さまのギャップに戸惑いそうになる。それでも名乗って頭を下げれば、天狐さまがぱん、と手を合わせて明るい表情を見せた。


「紫乃ちゃん! 可愛いお名前ですね。紫乃ちゃんは今日どうしてここに? 悪霊になにかされましたか?」
「い、いえ…その…」
「あぁ、俺が説明するよ! ちょっと長くなるかもしれないんだけど…」


どうやら時晴さんと天狐さまも相談に乗ってくれるようで、代わりにと声を上げてくれた音晴くんがここで話した全てを伝えてくれた。私が妖怪に狙われやすい体質であること、そのせいで強力な妖怪に食べられそうになったこと、化け狸に目を付けられて、それにさえ狙われたかもしれないこと。今はその真偽と、どうして私だけが執拗に狙われるのかを考えて話し合っていたこと。

それが全て時晴さんと天狐さまへ伝わると、二人はさっきまでの私たちのように深く考え込む仕草を見せた。やがて時晴さんは顎に沿えた右手の人差し指で下唇を押さえて「なるほど…妖怪に狙われると…」と小さく呟き、右手を残したまま持ち上げた顔をこちらへと向けてくる。


「すみません。いきなりこのようなことを聞くのは失礼かもしれませんが…桜庭さんのご両親は、人間ですか?」
「え…?」
「実は…私の両親は妖怪と人間で、私はその間に生まれたハーフなんです。そして以前の私は、数多の妖怪を取り込みかけたことがありまして…少し、事象が似ているような気がしたものですから」


丁寧に語られる時晴さんの生い立ちに呆然としてしまう。妖怪と人間が結ばれることがあるんだと、その間に子供ができるんだと驚いてしまったから。今までそんなことがあるだなんて考えたこともなかったけど、私や時晴さんみたいに妖怪が見える人だっているんだもの。中には結ばれる人たちがいても、おかしくはない。
…けれど、思い返してみても、私の両親のどちらかが妖怪だなんて話は聞いたことがない。むしろ人間だからこそ、私だけがこれほどまでに狙われやすい体質であることを理解できないのだ。


「両親は…二人とも人間です。親族に妖怪がいたことも、聞いたことがないです…」
「それに、紫乃ちゃんは妖怪を取り込むんじゃない。むしろ食べられちゃいそうになっちゃってるからねぇ」
「あなたがそれを言いますか…」
「えっ。だ、だからあれは冗談だって〜」


時晴さんにさえ呆れと疑惑の目を向けられる化け狸が潔白を示すように手を左右に振るう。ね、とこちらへ目配せしてくるけれど、私は避けるように視線を落として。そんな収拾のつかない様子に苦笑を浮かべた音晴くんは、残る天狐さまへと振り返って問いかけた。


「天狐さまはなにか分からない? 思い当たることとか、ずっと昔に似たようなことがあったとか…」


音晴くんがそう言うのを横目に、私も天狐さまの答えを待った。天狐さまといえば、妖怪の中でも長く生きた、より力を持つ存在だ。長い時を生きているのだから、音晴くんの言う通りに多様な事象を見ているかもしれない。もしそうだとしたら、対策も分かるかもしれない。

そう思って生唾を飲み込むほど答えを待ち望んだのだけど、ゆっくりと開かれた天狐さまの口から出た言葉は、私が望んでいたものではなかった。


「……申し訳ありませんが、僕も聞いたことがありません。たまに行き過ぎた悪さをする妖怪もいますが…特定の人間ただ一人を、多くの妖怪が狙うというのは初めてです」


頼みの綱だと思われた天狐さまは、わずかに眉を下げて首を横に振る。

ダメ、だった。天狐さまなら、と勝手に期待してしまったけれど、そんな彼でさえ、私が直面しているこの事象は分からないという。「ごめんなさい」そう小さく謝ってくれる天狐さまの姿にこちらこそと言いたかったけれど、どうしても、“この体質はどうしようもないものだ”と突きつけられたような気がして、私は思わず声を詰まらせるように黙り込んでしまった。

ほんの少しの間、沈黙が訪れる。それを「うーん…」という声で切り裂いた音晴くんは一度ずず…とお茶を啜って、大袈裟な動きで腕を組んで見せた。


「とにかく、今は様子を見ることにしようか。もしかしたら、桜庭さんの行動でなにか分かるかもしれないし」
「そうですね。僕も少し調べてみることにします」
「うん。ありがとう、天狐さま。…ってことで、明日から俺が桜庭さんの送り迎えをするよ。なるべく一緒にいた方が心配もないし。桜庭さんはそれでも平気?」


音晴くんが私の顔を覗き込みながら提案してくれる。確かに見習いとはいえ、陰陽師である音晴くんが傍にいてくれたら安心だ。だけどこの先毎日朝から私に付き合わせるなんてさすがに申し訳なくて、すぐに言葉を返すことができなかった。そんな時だった。


「君が付き添う必要はないよ、見習いくん」
「え?」


不意に化け狸が否定の声を上げたかと思えば、静かに腰を上げる。誰もが不思議そうにその姿を目で追っていると、それは私の傍まできて。すぐ後ろに腰を下ろした途端、彼は私の肩に手を掛けながら隣の音晴くんを見やった。


「紫乃ちゃんは、ぼくが傍で見守っておくから」


そう言い、肩に頭を寄りかけられる。
想像もしていなかった言葉に、小さな声さえ出せなかった。驚いたのは私だけではなく、音晴くんを始めとしたみんなも同じ。目を丸くして、愕然と化け狸を見ている。

…ただ、その中で一人だけ――天狐さまだけは違った。なぜだか納得するようにぱん、と手を合わせて、場違いな明るい笑みを見せていた。


「それはいいですね! 化け狸さんが傍にいれば妖怪も近付きにくくなると思いますし。それでは化け狸さん、よろしく――」
「ちょ、ちょっと待ってよ天狐さま! 桜庭さんになにがあったか話したよね!?」
「そうですよ! この化け狸だって桜庭を食べようとしたんですって!」


化け狸の言葉を肯定して進めようとしてしまう天狐さまに音晴くんとショウノシンくんが慌てて否定の声をあげてくれる。時晴さんは突拍子もない天狐さまに驚きつつ呆れているようで、どこか困ったような表情を見せていた。

この場に、他に賛同する人はいない。そう見える状況だというのに、天狐さまは意見を変える様子もなく、表情さえ変えずに緩やかな微笑みの浮かべ続けていた。


「でも、それは紫乃ちゃんの誤解だったんですよね? それなら大丈夫じゃないですか?」
「た、確かに化け狸はそう言ってるけど…」
「言ってるけど、じゃなくて事実なんだってば。それに、天狐さまは時晴くん、ショウノシンくんは音晴くんについている。ということは、フリーのぼくちんが紫乃ちゃんにつくのは当然の答えだと思わない?」


化け狸がまるでウィンクをするように片目を伏せて、どこか自信ありげにそう言ってくる。それにショウノシンくんが「言っていることは一理あるかもしれねぇけど…」と微妙な反応を見せるように、みんな決定的な返事をできずにいた。もちろん、それは私も同じ。だというのに、ため息を一つこぼした時晴さんが場を仕切るようにはっきりと言いやった。


「私たちがとやかく言っても仕方がありません。こういう時は桜庭さん本人に決めていただくべきです。…桜庭さん、あなたはどうしたいですか?」
「え…」


真っ直ぐ、真剣な様子で問いかけられる。伴って、みんなの視線が集中する。あれだけ化け狸が傍につくことを止めようとしていた音晴くんとショウノシンくんでさえ、私の答えに全てを委ねようとしているのが分かった。ちら、と真横の顔を盗み見れば、この化け狸でさえ私の答えを待っている。

…みんなに任せてばかりじゃいけない。心の中でそう呟いた私は、膝の上で握っていた手にぎゅう、と力を込めた。


「私、は…」


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