02


昼休みになった。あれ以来化け狸は一切姿を見せず、やっぱり私だけが見ていた夢なんじゃないかと思わされるほど平穏な時間が過ぎている。窓の外を見てもいつも通りの青空に、時折小さな妖怪らしき姿が漂っているだけ。特に変わった様子はない。
だというのに、体育倉庫で感じた悪寒や、化け狸にキスをされた感触…それらだけは、体に刻み込まれたのかと思うほどしっかりと覚えていた。


「……」


痕があるわけでもなんでもない頬に触れる。ツ、と指先でそこをなぞった。けれどもうなにも感じないそこにしばらく得も言われない気持ちを向けては、力なく腕を下ろした。

忘れよう。特に危害を加えられたわけじゃない。あやかしの類とは関わらないのが一番だ。そう言い聞かせるように緩く手を握っては、スクールバッグからお弁当を取り出そうとした、そんな時、「桜庭さーん」と私を呼ぶ声がした。


「隣のクラスの音晴くんが呼んでるよー」
「え…隣のクラスの…?」


出入り口で手招きしてくれるクラスメイトの隣で、明るい赤色の髪が特徴的な音晴くんが私に向かってひらひらと手を振っていた。今まで話したことがないけど、確かお家が神社で、彼自身見習いの陰陽師をしているという話を聞いたことがある。そんな人が、一体なんの用だろう。


「ごめんね急に呼び出して。お昼ご飯、一緒に食べない? ちょっと話したいことがあるんだ」
「話したいこと…?」


話が飲み込めず少しだけ眉をひそめると音晴くんは噂通りの眩しい笑顔で頷いてきた。さすがに怪しい勧誘とかではないだろうし、裏表のない性格だということは噂に聞いているから特に警戒する必要もないはず。言葉にするでもなく一人そう納得しては「うん、いいよ」と返しておいた。すると音晴くんはお礼を言って、お弁当を手にした私と一緒に校舎裏へ向かった。

校舎裏というと淡い期待をしがちかもしれない。けれどわざわざ人気のない場所を選ぶ様子に、私はなんとなく彼の話したいことに察しがついていた。だから浮ついた気持ちもなく淡々と彼の隣に腰を下ろしては、少しだけ真剣な顔をする音晴くんに視線を向けた。


「まず単刀直入に聞かせてほしいんだけど…桜庭さんって、“見える”人?」
「……」


向けられた質問に黙り込む。影を落とす樹がザア、と鳴いた。予想通りだ。周りには言わないで隠していたつもりだったけど、同じ“見える”者同士、勘づくところがあるのかも知れない。でも、いくら相手が見習いの陰陽師をしているからと言って、バラしてしまっていいんだろうか…。黙っていて、って言えば口外しない人だとは思うけど、噂なんてどこから広がるか分からない。
そう悩んで言い渋っていると音晴くんは「あ…」と口を開けて、どこか申し訳なさそうな顔をした。


「ごめん、内緒にしてる? 言いたくなかったらいいんだけど…今朝、一限の授業で変なこと起きなかった? なにかの気配を感じたとか…」


これに答えてしまったら“見える”と言っているもののような気がするけれど、もうほとんどバレてるんだ。私は観念して、「小さい妖怪に、絡まれたかな」と呟いた。その視線はお弁当に落として、縛っていた包みを解いた。


「きっと無害な妖怪だったんだけど、その子がボールを咥えて体育倉庫に入って行っちゃって…先生に言われたから探しに入ったんだけど…おかしな気配を感じたのは、そのあと」
「やっぱり…俺も強い気配を感じたんだ。すぐに消えたから大丈夫かなって思ってたんだけど…怪我とか、なにもなかった?」


同じようにお弁当を開ける音晴くんはその手を止めてまで私の安否を確認しようとする。ずいぶん正義感の強い人なんだ、そう感じてしまいながら「大丈夫」と微笑みかければ彼の顔は花咲くように明るくなった。表情がころころ変わって面白い。


「でもあの気配じゃ、桜庭さんが見た小さい妖怪ではないよね」
「たぶん…でもあれ以外、あそこにいたのは…」


思い返そうとして、箸が止まった。小さい妖怪以外に見たものといえば、化け狸だ。私にキスをした、あの変な妖怪。それを思い出してしまいながら頬に指先を触れると、音晴くんが不思議そうな顔をして覗き込んできた。


「どうかした? あの時、なにか見た?」
「え…あ、ううん。なんでもない。小さい妖怪以外、なにも見てないよ」


そう言って笑いかけてはおかずを摘まんだ。なんで化け狸のことを隠しちゃったんだろう。あの時感じた強い気配が、彼のものじゃないと思ったから? 理由は分からないけれど、なんとなく、話さなくてもいいかと思ってしまった。
すると音晴くんは「そっか」と呟くように言って、ポケットに手を突っ込んだ。そうして彼は、真新しい綺麗なお守りと一枚のメモを私に差し出してきた。


「念のためにこれあげるね。うちのお守りと、うちの住所。学校にいる時はすぐに会えるけど、お休みの日とか、場所が分からなかったら困るでしょ? もしなにかあったらすぐに相談にきてよ」
「うん…ありがとう」


お守りとメモを受け取れば、音晴くんは太陽のように頼もしく笑った。私はそんな彼の笑顔に釣られるよう表情を緩めてしまいながら、お守りとメモを制服のポケットにしまい込んだ。そうしてお弁当に箸を伸ばす。すると音晴くんも同じようにお弁当に手を付けた。
彼が美味しそうに頬張っていたのは、黄金色の稲荷寿司だった。


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