07



「ほんっとーにごめん!」
「いいよ、マホのせいじゃないし」


強く手を合わせて頭を下げるマホに笑い掛けながら手を横に振る。「この埋め合わせは絶対にするから!」と言って申し訳なさそうに駐輪場へ向かっていく彼女に手を振り続けながら、私はぼんやりと考えていた。


(さて、どうしようか…)


姿が見えなくなって下ろした腕を胸の前で組む。

昨夜マホと約束をした今日、私たちは約束通りにショッピングモールへ来てだらだらと過ごすつもりだった。だけど昼食をすませて買い物でもしようかといった頃、突然マホに電話が掛かってきて事態が急変したのだ。
電話の相手はマホのバイト先。突然どうしたのかと聞けば、どうやら二人が病欠で人手が足りず、急遽ヘルプに来てほしいということだった。もちろんマホは渋っていたけど、「私のことは気にしないでいいから」と言ったらなんとか承諾し、私たちは呆気なく解散となったのである。

こればかりは仕方がないし、私はマホもそのバイト先も咎めるつもりはない。けど、さすがにショッピングモールでひとりぼっちは虚しいものがあるなと痛感してしまって、小さくため息を漏らした。

家に帰ってもすることはないけど、ここで一人時間を潰すのも大変だ。当初の予定にあった漫画の新刊チャックだけをすませて早く帰ってしまおう。そう考えた私はなんとなく携帯で時間を見て、書店の方へと足を踏み出した。

やがて辿り着いた書店。私は真っ先に漫画のコーナーへと向かおうとしたのだけど、その時、手前にある雑誌コーナーの棚の前で足を止められた。色々な雑誌が所狭しと並べられる中、一冊のファッション誌。そこに、見覚えのある顔が見えたのだ。
なんとなくそれを手に取ってみれば、表紙で肩を並べる三人に掛かる『特集!一十木音也・一ノ瀬トキヤ・寿嶺二の普段着事情』という見出しが大きく主張している。

そういえば、後輩二人と一緒にお仕事をすることも多いって電話で言ってたっけ。確か…寿さんの右隣の黒髪の人が、昨日私が似てるとかって言われた一ノ瀬さん…だよね。ということは、左の赤い髪の人が一十木さん…? 思い出すように考えてみるけど、やっぱり顔と名前が一致しないというか、いまいち覚えられない。
寿さんは色々あったせいか、思ったより早く覚えられたんだけど。なんて思いながら表紙のその人を眺めていると、ふと背後から薄い影が覆い被さってきた気がした。


「そんなにアチチな視線で見つめられちゃうと、ぼくちん照れちゃうな〜」
「えっ…な、ことぶ――」


耳元でそっと囁かれる声に振り返ると同時、驚きのあまり上げてしまいそうになった声を咄嗟に抑え込んだ。危うく、大きな声で名前を呼んでしまうところだった。それをなんとか飲み込むようにしながら、そっと辺りを見回して。誰も気が付いていないことを確認しては、すぐ傍に立つ人へもう一度顔を上げた。
するとその人は私の手の中にある雑誌の表紙と同じ顔で、「驚かせちゃった? ごめんね」と小さく謝ってくる。それに対して、私は戸惑いを隠せないまま訝しむように彼を見ていた。


「な…なんでこんなところに寿さんがいるんですか…?」
「ほら、今日はオフって言ったでしょ? だから久しぶりにショッピングでもしようかなーと思って。そしたら見覚えのある姿が見えたから、追いかけてきちゃった☆」
「……ストーカーですか?」
「ちょっ、そんな変質者扱いしないで! 確信はなかったし、もしかしてと思ったから、ちょっと確かめたくなっただけだよ」


まさか本当に紗夜ちゃんだとは。そう言って寿さんは小さく笑う。だけどその表情も不思議そうなものに変わると、少し首を傾げるようにして問いかけてきた。


「紗夜ちゃんこそどうしたの? 今日はお友達とお出かけじゃなかった?」
「さっきまでは一緒にいたんですけど、向こうが急用で帰っちゃって…一人でぶらついてました」


これまでの経緯を簡潔に話せば、寿さんは「そっかぁ」なんて言いながら納得してくれたようだった。

――話す声も小さくしているし、簡単な変装はしているけど…これほど平然としていて、寿さんだとバレたりしないんだろうか。どうしてもそれが気になって、ちらちらと周りの様子を窺っていた。だけど立ち読みをする人も近くを通り過ぎる人も、誰も気付く様子がない。
案外堂々としている方が分からないのかな…なんて思っていると、寿さんが少し顔を近付けてきて「大丈夫。心配しないで」と小さな声を掛けてきた。その自信や根拠がどこから来るのか私には分からないけど、確かに周りの様子を細かく窺っている方が不自然かもしれない。ここは寿さんの言う通り、自然にしていよう。

そう思って静かに向き直ると、寿さんが「それにしても…」となんだか楽しそうに、少し茶化すような声色を向けてきた。その視線は私の手元に注がれている。


「ぼくちんが表紙の雑誌を手に取るなんて、やっぱりぼくちんのこと気になってきたんでしょ?」
「いえ、全然。隣の二人が誰だったか気になっただけですから」
「あ、そっち…。うーん、こりゃ道のりは長そうだ…」


そう言って寿さんは「トホホ…」なんて言いながら肩を落とす。相変わらず表情が豊かな人だな。プライベートでもこれなのか。

――なんて思ったけど、私を見つけてしまった以上、これはプライベートなんだろうかという疑問が浮かんだ。
私はまだ寿さんのファンではないけど、寿さんは私に“好きを教える”と言った。それは私を、ファンにさせてみせるということ。それなら私に対してやっていることは、ファンに対するそれと、アイドルとして振る舞っていることと変わらないんじゃないだろうか。

そう思うと、なんだか悪い気がした。せっかくのプライベートなのに、それは疲れるだろうな、と。


「それじゃ…私はそろそろ帰りますね」


特に用事もないわけだし、そんな私が去るのが手っ取り早いだろう。そう考えて雑誌を棚に戻しながら言えば、寿さんは「え?」と少しばかり呆気にとられたような声を漏らした。


「もう帰っちゃうの? せっかく会ったんだし、用事もないならぼくとデートしようよ」
「そういう関係じゃないでしょう…。私がいると寿さんのオフがオフじゃなくなってしまうので、帰ります。寿さんはお買い物を楽しんでください」


それでは失礼します。そう言って隣を擦り抜けると、寿さんは戸惑った様子で「え、ちょ、ちょっと待って」なんて言いながら私のあとをついてきた。それどころか隣に並んで歩き、私を見下ろしながら首を傾げている。


「ねぇ紗夜ちゃん。ぼくのオフがオフじゃなくなるって、どういうこと?」
「そのままの意味ですよ。私がいると、表の顔を見せなきゃいけないじゃないですか。それじゃお休みの意味がないなって」


歩きながらそう伝えれば、寿さんは「表の顔って…」と困惑するように笑った。確かに語弊がある言い方だったかもしれない。でも言いたかったことは伝わったのか、寿さんはいつも通りの笑みを浮かべて。私のペースに合わせてゆっくりと歩きながら言った。


「そんなこと気にしてくれたんだ。紗夜ちゃんは優しいね」
「優しくは…ただ、思ったことを言ったまでです」
「それでも、相手のことを気遣っていることに変わりはないじゃない? ただ…」


そう言いかけると寿さんは私より一歩先に踏み出して、私の行く手を阻むように立ち止まってしまった。


「君に、マイガールたちと同じ扱いをするつもりはないよ」


私の目線に合わせるように腰を屈めて告げられる。“マイガール”、といえば寿さんの女性ファンの名称だ。それと同じ扱いをする気はないってどういうこと?
その言葉を理解できないまま寿さんを見れば、寿さんはにっこり笑って、


「“ぼくが君に好きを教えてあげる”って言ったでしょ?」


もう一度あの言葉を、繰り返すように向けてきた。それも、“好き”をわずかに強調するように。それはあの夜と同じだ。だから私はそうでしょう、と。そうしなきゃいけないから、オフにならないんでしょうと思って再び説得しようとした。だけど正面にある彼の瞳が全てを見透かすように真っ直ぐ私を捉えて、「この言葉の意味、分かる?」と改めて問いかけてくる。

それがなにを意味しているのか、なにを伝えたいのか。私はしばらく考え込んでしまったような感覚を覚えるほど理解に遅れながら、それでもまさか、と。不意に浮かんだ可能性に、少しばかり、目を丸くしてしまった。


「…その様子だと、分かってくれたみたいだね」


よくできました。そう言わんばかりに寿さんは私の頭をぽん、と撫でてくる。対する私は言葉も浮かばないまま黙り込んでいた。呆然と、彼を見つめていた。

まさかこの人が“そういう意味”でそんなことを言うはずがないだろうと思って、変な方法でファンを増やそうとしているのだと思っていた。だけどそれは、勘違いだったというのだ。
あり得ない。彼が、アイドルである寿嶺二が、ただの一般人である私を、“異性として好きだと思わせる”――そう言っているなんて。


「…寿さん…」


彼を呆然と見つめたまま、小さな声で名前を呼んだ。それに対して寿さんは笑顔のまま「ん?」と首を傾げて聞いてくれる。そんな彼に私は…――思いっきり眉をひそめた。


「バカなんですか?」
「へ? ……えぇえっ!?」


大きな声を上げるほど驚く寿さんに私が驚いてしまう。当然そんな声を上げるものだから、周りを行き交う人たちが目を向けてきて。慌てた寿さんはすぐ近くのお手洗いがある細い通路へと私を引っ張り込んだ。さすがに今のは私もバレたかと思って焦ったけれど、この通路には人も少なく、誰もついてくる様子はない。それに安堵した私たちは小さくため息をこぼし、仕切り直すように互いに向き直った。


「な、なんでそんな反応になるの…!? ぼくの言葉の意味分かったんだよね!? それなら普通もっとときめいたりするもんじゃないっ!?」
「いや…それができれば苦労しないんで…」
「た、確かに紗夜ちゃんはそうなのかもしれないけど…」


まさかここまでとは…。顔を逸らしてそう呟くように独り言を漏らされる。その反応を見ていると、やっぱり私の反応って冷めているのかと改めて実感してしまった。けれど仕方がない。ときめかないものは本当にときめかないんだもの。


「だから…バカなんですかって言ったんです。私はこういう人間だから、仮にもし…もしも寿さんが私を好きになったとしても、私はずっとこのままですよ。私に構うメリットなんて、ないです」


説得するように、けれど視線は床の染みに落としたまま言葉を並べた。私が今まで告白をされても断ってきた理由、これがそうだ。私はドキドキしたりだとか、ふわふわしたりだとか、そういう淡い感情が感じられなくて。相手の告白を何度思い返しても気持ちは変わらないまま、私は誰かを好きになれそうだと思ったことが一度もなかった。
だから寿さんが、有名人であるこの人がそういう理由で私に構うなんて、本当に無駄だと思った。それに早く気付いてほしいと、そう思った。

なのに寿さんは優しい声色で「紗夜ちゃん」と呼びかけてきて。静かに顔を上げた私を見つめたまま、柔らかく頬を撫でてきた。


「メリットとか、そういうことじゃないんだよ。ただ、ぼくは君に興味を持った。そんな君だから、人を好きになったらどんな感じなんだろうって。そんな君に好きになってもらえるのは、どんな人なんだろうって気になったんだ。だから君を、ぼくに振り向かせたくなった。気になるんだよ…君のことが」


そう話す寿さんの瞳は真剣で。並べられる言葉は私にとって信じられないものであるはずなのに…信じてもいいと、少しくらい信用してもいいんじゃないか、と考え始めている自分がいた。


「……知りませんからね」


そう呟くように言えば、寿さんは「え?」と声を漏らしてくる。そんな彼の瞳を見つめて、


「きっと私は誰も好きになれません。あとで無駄な時間を過ごしたと後悔しても、知りませんからね」


宣言するように言い切った。これは本当に、本気で忠告したつもりだった。だけど寿さんは優しい笑顔を小さく浮かべて、「後悔なんてしないよ」と柔らかく囁きかけてくる。それもどこか、嬉しそうな顔で。
私は受け入れたわけではない。だというのにこの人は、どうしてそんな顔をするんだろう。

やっぱり寿さんは変な人だ。改めてそう感じながら、不思議と以前より警戒心が減っていることを微かに感じ取っていた。


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