02



電気のついていない廊下を懐中電灯で照らしながら歩いていく。夏休み、しかも夜ということもあって普段は生徒でいっぱいだという校舎も静かだ。監督がリアルにこだわる人だからこうして学校を貸し切っているらしいけど、学園とはまた違った雰囲気で楽しくなる。そんな中、面倒くさそうにぼくについて来てくれるランランがつまらなそうにあくびをこぼした。

ぼくたちの出番はまだ先だから、今のうちに探索でもしようよって誘ってみたのだ。ランランは最初こそ「面倒くせぇ」って否定してたんだけど、結局こうしてついて来てくれた。彼も自分の学生時代を思い出してるのかなと思いながら、「学校なんて懐かしいね〜」と呼びかけてみる。するとランランが呆れた様子で「年寄りくせぇぞ」なんて言ってくるから「そんなことないでしょ!」とすぐに反論した。
そんな時、ふと扉が薄く開いている教室が目に留まった。


「お、見てよランラン、この教室だけ開いてるみたい。おっ邪魔しま〜す」
「おめぇには遠慮ってもんがねぇのかよ…」


躊躇いなくガラ、と音を立てて開ければランランがさらに呆れた声を向けてくる。それでもお構いなしに教室へ踏み込んだぼくは壁の掲示物やロッカー、机、黒板と眺めるように照らしていった。普段使われているだけあって、ドラマのセットよりも生々しいというか、そこに生きる時間を感じる。監督はこういう細かいところにもこだわりたいんだろうなぁ、なんて考えながら眺めていれば、不意にランランが「あー、」と気だるげな声を漏らした。


「腹減ったな。戻ってケータリングでも摘まむか」
「えー。ランランさっきも食べてたじゃん。ぼくちんと学生ごっこしようよ〜」
「うるせぇ。警備員の格好した奴が学生ごっこなんて矛盾してんだよ」


そう言い残すとランランは問答無用で一人戻ってしまう。つれないなぁ。ついそう思ってしまいながら教室に視線を戻すと、すぐ傍の机を覗き込んでみた。学校って、たまに教科書とか置いて帰っちゃう子がいるんだよね。なんて考えて、一番後ろからたくさん並んだ机の中を次々照らしてみた。すると予想通り、ノートやワークを置きっぱなしにしていてる机を見つけて歩み寄った。秋月紗夜…女の子なんだ。置いて帰る子なんて大抵男の子ばっかりだと思ってたんだけど、意外だなぁ。そう思ってノートを開いてみれば、置いて帰るような大雑把な面とは裏腹に、板書だけはしっかりと分かりやすく綺麗にしてあるようだった。
几帳面なのか、そうじゃないのか。ついそんなことを思っては、紗夜ちゃんとやらがどんな子なのかを考えようとした。

その時、ほんの一瞬動く人影が見えた気がした。だけど振り返ってもそこには誰もいない。ランランが戻ってきたのかと思ったけど、彼はわざわざ隠れるような人間じゃない。他の共演者やスタッフさんにもそんな茶目っ気のある人はいなかったはずだ。ただの見間違いかな…そう思いながらも、ぼくは確かめるように扉へ歩み寄っていた。
取っ手に手を伸ばしたその時、扉の向こうで軽快な音が確かに響いた。やっぱり、誰かいる。撮影のことを知った誰かが忍び込んだのかも。そう思ったぼくは帽子を目深に被って躊躇いなく扉を開けた。

するとそこで大きく肩を揺らして見上げてきたのは高校生くらいの女の子だった。可愛い子だ。この学校の生徒かな。


「君、こんなところでなにしてるの?」
「す…すみません…教室に、忘れ物をして…」


少しだけ声のトーンを落として真面目に問いかけてみれば、その子は戸惑った様子で一度視線を落とし、それでもすぐにこちらを見てしっかりと答えてきた。驚いているようだけど、嘘をついているようには見えない。…もしかして、あの机の紗夜ちゃんかな。


「…ここの生徒?」
「はい…」


一応問いかけてみるとその子は迷いなく返事をしながら、肩を落としてうな垂れるようにまた視線を落とした。まるで叱られることを覚悟し始めたかのように。それを見ているとぼくを本物の警備員だと信じているのがよく分かって、思わず小さく吹き出してしまった。それに少し驚いた顔を見せるのが余計に面白くて、ついには声を上げるほどあはははと笑った。


「いやぁ、驚かせてごめんね。ぼく本当は警備員じゃないんだ。どう? 迫真の演技だったでしょ?」
「え、演技…? でもその格好…」
「そういう役なんだ。今度のドラマの、ね」


悪い子じゃないと直感的に思ったぼくはあっさりネタばらしをして、目深に被っていた帽子さえ取って見せた。さすがにぼくの顔を見れば分かるだろうと、信じるだろうと思った。するとその子はさっきほど驚いた顔はしなかったけど、それでも思った通り少しだけ目を丸くして「あなたは確か…シャイニング事務所の…」と呟くように言い出した。次には名前が出る、そう思って「うんうん」と促すように頷いたけれど、その子は段々とわずかながら眉をひそめるようにして歯切れの悪い声を漏らした。


「シャイニング事務所の…えっと……だ、誰か」
「そうそ…って、えぇっ!? そこまで出たのに、ぼくちんの名前出てこない!?」


野次馬として来たわけじゃないというのはよく分かったけれど、これはこれで凹むものがある。それくらい驚いていたらこの子はすぐに小さく謝って、「私アイドルとかそういうのに興味なくて…」と視線を逸らされた。それをアイドルに言っちゃうんだ、と思っていたらそれは自分でも思ったのか、申し訳なさそうにしている。
たまにそういう子はいるけど、一対一で対応したことはなかったな。ぼくも名前くらいは周知されてるだろうって慢心しちゃってたし。


「これでも有名になったと思ってたんだけどなぁ」


少しだけ茶化すように頬を掻いて言えば女の子は一層申し訳なさを滲ませる。そんなつもりじゃなかったけど、本当に分かってないんだな。それを実感してしまうと確かめたくなって、もう一度帽子を被り直して「ぼくは寿嶺二。見たことない?」と問いかけてみた。少しだけポーズも決めるようにして。帽子はぼくのトレードマークと言ってもいいくらいだし、少しは助長してくれるかと思った。
だけど名前を聞いても、ぼくの姿を見ても、この子は大きなリアクションを取ることがなかった。


「マホ…いや、友達から聞いたことはあります」
「えっ。そ、それだけ…!? 目の前にアイドルがいたら、もっとこう、えぇー!? とか、うそー!? とか、驚くもんじゃないの!?」
「い、いえ、私本当に詳しくないので…」


想像の遥か斜め上を行く受け答えにさすがのぼくもびっくりしてしまった。それどころかこの子は「えっと、すみません。私、忘れ物を取りにきただけなので、これで…」とだけ言い残してぼくに興味を示そうともしなかった。驚くと同時に、なんだか新鮮だって、そう思った。たぶんそれは、この子がぼくだけじゃなくアイドルそのものに、ううんそれ以外のものにも著しく興味がなさそうに見えたからかもしれない。

アイドルに興味のない子はそもそも近付いてくることがないから相手にすることがほとんどなかったけど、今までのそういう子たちは別のものに熱中しているイメージだった。だけどこの子はどうしてか、それすら見えない気がしたんだ。

確証なんてなかった。だけどそれが本当なのか、それとも隠すのが上手いだけなのか、確かめたくなった。
ぼくの横を通り過ぎようとする彼女の腕を掴んで、有無を言わさず抱きしめた。触れそうなほど、顔を迫らせた。逃げられないように腕を回した。驚いているその瞳を、間近に覗き込んだ。
隠すのが上手い子だとしても、こうすればほんの一瞬の隙を見せると思った。だけど、目の前の彼女は特に変わった様子もなく「なんですか、これ」と、むしろわずかに訝しむように言ってきた。


「こういうことされても、ドキドキしない?」


隙もなにもない様子に驚きながらも問いかければ、彼女はやっぱりぼくを訝しみながら迷いなく「はい」と答えてくる。なにがしたい、そう言いたげな瞳が真っ直ぐぼくを見つめ返してくる。

嘘偽りのないその瞳に驚いたぼくは思わず言葉を失って、それを見つめることしかできなかった。透き通った、真の瞳。どうしてここまで真っ直ぐに、全てを“諦めたような”瞳をしてしまえるんだろう。不思議と興味が湧いた気がした。彼女のことを少し、知りたいと思った。そうしてぼくは彼女のポケットからそっと携帯を取り出して。彼女を解放しつつ携帯を後ろ手に隠し、笑いかけた。


「ごめんね。アイドルに興味ないって言うから、本当かどうか試したくなっちゃった」
「はぁ…もういいですか」


ぼくの言葉に眉をひそめる彼女は素っ気なくそう言い残して背を向けてしまう。携帯を取ったことは気付いていないらしい。彼女の携帯を操作してはぼくのアドレスを登録する。警備員の格好をしているのに悪いことをしていると、自分でも思ってしまった。

携帯をポケットに入れて顔を上げてみれば、やっぱり彼女はあの机に手を掛けている。ノート類をバッグに詰め込む後ろ姿を見つめながら「ねぇ、」と声を掛ければ、彼女はまだ少し訝しむ様子のまま振り返ってくれた。


「君は好きな子、いる?」
「…いえ。そういうの、よく分からないんで…」


なんとなく思いついたことを問いかけてみれば、思った通りの言葉が返ってくる。なんでそう思ったのかは自分でも分からない。ただなんとなく、そうじゃないかと思ったんだ。そしてそれは正しくて、小さく挨拶を残して去ろうとする彼女の姿を目で追っていた。その足が廊下へ踏み出した時、


「待って」


そう呼び止めたぼくは彼女が振り返るよりも先に、ポケットに入れていた彼女の携帯を顔の高さまで掲げてみせた。当然振り返った彼女は驚いた顔を見せる。ぼくが――アイドルが目の前にいるって知った時に、抱き締められた時に、そんな反応はできなかったのに。そんなことを思ってしまいながらも顔だけは努めて笑みを浮かべて。戸惑うままに差し出してくるその手の中に携帯を置いてあげながら「君は、“好き”を知りたい?」と問いかけた。彼女は驚く。状況が呑み込めていないのがよく分かるその様子を見つめながら、下げられそうになった手を捕まえた。ぼくよりも全然細くて華奢なその手を握り締めた。少しだけ、彼女の眉根が寄る。


「ぼくが君に、好きを教えてあげる」


真っ直ぐ見つめながら呟くように言えば、彼女は不思議そうに顔を上げる。だけどぼくはそれ以上なにも言わず、ウィンクだけを残して隣を過ぎ去り背を向けた。我ながら馬鹿げてると、少し思った。だけど彼女への興味は確かで。角を曲がったところにある階段をゆっくりと下りながら、携帯に触れた。『これからよろしくね、紗夜ちゃん』、『教科書やノートはちゃんと持って帰った方がいいよ☆』、少しだけ間を空けてそんなメールを二通送る。彼女なら躊躇いなく返事をすると思った。予想通り、早くも『余計なお世話です』という素っ気ない言葉が返ってくる。

相手のぼくがアイドルだからとか、そんな気遣いなんてない。それを実感してしまうメールに口元を覆い隠すと、かすかに足音が聞こえた気がした。


「遅ぇぞ嶺二。いつまで遊んでんだ」


不意に投げかけられた声に顔を上げてみれば呆れたように目を細めるランランがいた。「迎えに来てくれたの? やっさしーい」なんて言えば「てめぇがいねぇから呼んでこいって言われたんだよ」とため息交じりにぼやかれる。それにごめんごめんと返しながらも、ぼくはもう一度絵文字もなにもない素っ気ない文章に目を落としていた。


「嶺二が携帯に食いつくなんざ珍しいな。なんかあったのか」
「んー? えっとねぇ…」


恋の駆け引き、かな。
そう言うとランランが眉間にしわを寄せて「はぁ?」と、心底意味が分からんと言わんばかりに声を上げた。だけどぼくはそれにえへへと笑いかけながら、それ以上震えることのない携帯をポケットに押し込み、共演者やスタッフさんの集まるグラウンドへ踏み出した。


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