天の夫婦には敵わない

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暑さのせいか寝苦しくて目が覚めてしまった。
寝起きは弱いはずなのにこういう時に限ってすっきり目覚めるのはなんなのだろう。おかげで二度寝に入ろうにも目が冴えて全然眠れやしない。私の体が私を苛めてくる。

思わず大きなため息をこぼして体を起こせば生ぬるい風が頭上の葉をザアと鳴らした。

どうやらまだそれほど遅い時間でもないらしい。月の位置からなんとなくそれを察した私は音を立てないようにそっと立ち上がって木々の間を歩いた。
少し散歩でもすれば疲れて眠くなるでしょ。そんな思いだった。

しかし残念ながら森を抜けた私は大きく開けた景色に目を奪われてしまい、どこか片隅に残っていたかもしれない眠気を全て吹き飛ばしてしまった。


「すごい…初めて見た」


無意識の内に大きく開いた目を向けるのは紺碧色に染まった夜空。視界を遮るものがなくなった目の前で、それは無数の白んだ光点からその形を成していた。

いわゆる、天の川。

現代のコンクリートジャングルに身を置く私は生まれてこの方天の川なんて見たことがない。もちろんテレビや写真なんかでは十分見ているけれど、この目で直接、しかもこんなに開けた場所で見たことなんてただの一度もなかったわけだ。

思えばしばらく現代に帰っていなかったし、今が何月何日だなんて全然知らなかったな。そうか、もうそんな時期。完全ノーマークだった。

おかげで私はサプライズを受けたような気分になってます。神さまありがとう!


「…なにをしている」
「せ、殺生丸さま…!?」


年甲斐もなくバンザイをしてはしゃごうとした瞬間に声を掛けられるもんだから声が少しばかり裏返ってしまった。

ドキドキしながら振り返ってみれば、今晩はどこかへ行っていたはずの殺生丸さまの姿。いつの間にお戻りに…と思う反面、主である殺生丸さまが傍にいることに心地よい安堵を覚えた。


「ちょっと目が冴えてしまって、気分転換に散歩をしてました」


そう言いながら私はそっと背を向けて数歩進めてみる。どうやら殺生丸さまは特に文句もないようで、そうかとさえ言うこともなく私を眺められていた。

私はその姿をちらりとだけ見ながら、傍にあった小川に歩みを寄せて穏やかなその水面を覗き込んだ。


「今日って七夕だったんですね。天の川、初めて見ました」


水面に映るは満天の星空。至極浅いこの川は底の砂利が顔を出してしまいそうなのだけど、それを覆い隠すほどの星々が色濃く映し出されていた。


「なまえ」
「はい?」
「たなばた、とはなんだ?」
「……あれ?」


殺生丸さまは七夕をご存知ではなかった…?
なんだかとても予想外だったけれど七夕の風習が人間だけのものなのかな、とまで考えてようやく察することができた。

きっとまだ日本に伝わってすらいないんだ。元はといえば中国のお話。外国と交流のないこの時代では知る方法もないだろう。

そう思った私は「そうですね…」と呟いて、すぐ傍の川に視線を移した。幅は1メートルほど。これくらいなら、と力を込めて向こう側へ飛び移った。


「七夕にはお話がありまして、この天の川が関係して来るんです」


そう言って空を指差せば殺生丸さまは同じように空を見上げてくれる。本物の川のように空を縦断する星の大群は優しく煌めき、私たちの瞳を幻想的に耀かせていた。

それを閉じ込めるように瞼を下ろし、再び殺生丸さまへ向き直った私は時には手振りを交えながら、七夕にまつわるあのお話を口にした。


「空には神さま…天帝がいて、天帝には織姫という大層美しい娘がいました。機織りの上手な彼女は神さまたちの着るものを織り続けます。年頃になってもそれだけに勤しむ彼女を哀れに思った天帝は天の川の川岸で真面目に働く牛飼いの男、彦星と引き合わせることにしました。すると2人は互いに惹かれ合い、めでたく夫婦となりました」


――しかし、2人は仲が良すぎるほどでいつしか仕事も放り遊びほうけてしまったのです。おかげで神さまたちの着るものはなくなり、彦星の牛も痩せこけて病気にかかってしまいました。

それにはさすがの天帝も大激怒。無理矢理2人を引き離して天の川の端と端に追いやったのです。

けれど娘の織姫は大号泣。あまりにも悲痛な姿に心を痛めた天帝は妥協し、1年に1度だけの逢瀬を許すことにしました。


「おかげで2人はその日を楽しみに一生懸命働くようになりました…というのが、七夕のお話です」


なんというか、子供っぽい話ですよね。そう付け加えれば殺生丸さまは小さく鼻を鳴らした程度で大した興味もなさそうだった。まあ相手は殺生丸さまだし、当然の反応と言えるでしょう。

思わず小さな苦笑が浮かんだ私は足元の“天の川”に視線を落として、憐れな天の夫婦に思いを馳せた。


「もし私だったら…殺生丸さまと1年に1度しか会えない、なんてことになったら、毎晩夜泣きしちゃいますね」


少し冗談めかしてそう言って、遅れて気が付いた。こんなの、ほとんど告白してるようなもんじゃない!

しまったと思った時には殺生丸さまの顔色を窺っていた。取り消さなきゃ、いやせめて誤魔化さないと。そう思いながらも私はどこか殺生丸さまからの言葉を待っているような気がした。


「……」
「……」
「……」
「…む、無反応はやめてください。立派なボケ殺しですよ」


どれだけ待とうとこちらを見つめられたままなにも言う様子のない殺生丸さまに耐えかねた私の方がさっさと折れてしまった。ボケ殺し、と言ったことでなんとか冗談だったと匂わせたけれど、なんだか虚しくなってくる。

堪らずはあ、と大きなため息をこぼした私はもう一度“天の川”を見下ろした。
するとそれはパシャ、と音を立てて、まるで遮られるかのように黒い履物に踏まれてしまう。


「なまえ」


私が顔を上げると同時に、ほど近い距離から名前を呼ばれた。どういうわけか先ほどまで少し離れた場所にいた殺生丸さまが目の前――“天の川”の上にその身を移していた。


「そもそも私とお前は主従だ。分かたれるものでもない」


抑揚のない声でそう告げる殺生丸さまの手が静かに差し伸べられる。
いい加減帰るぞ、言葉はなくともその手が静かにそれを伝えていた。


「…それも、そうですね。ふふ、夜泣きせずに済みそうです」


そう言い返せば殺生丸さまは呆れを滲ませ、それでもわずかながら笑んでいるようにも見える表情でフ、と小さく息を吐かれた。

伸ばした手は容易く握られて引き込まれる。彼同様に“天の川”を踏み渡った私は呆気なく向こう岸に辿り着き、同時に握られていた手を音もなく放された。

これがまるで、彼の“答え”を示している。そんな気さえしたけれど、それでも私はしかと残る指先の温もりに小さく笑みを浮かべて、先に行ってしまう殺生丸さまのあとに追いかけた。


関係は違えど、私たちも天の川を渡り合った2人。
天の夫婦のようにはなれないけれど、今はまだ、この関係で十分。

これから、いつかは、きっと。

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