現代歩き

▼ ▲ ▼



「え゙。く、来るんですか?」


絶対に引き攣ってしまった顔を向ける先は殺生丸さまだ。

現代に帰って来た今、私が少し買いものに行くと言ったらこのお方はなんと“私も行こう”と仰られた。確かに以前も私が危なっかしいからという理由で着いて来られそうになったことはあるけれど、まさかまた、しかもこんなに堂々と宣言されるとは思わなかった。


「えっとー…なにか欲しいものがあるなら私が買ってきますけど…」
「そうではない。なまえの世界のことも知っておくべきだと思っただけだ」


端的にそう告げられた私はぎゅう、と眉間にしわを寄せてしまった。たぶん今の私、男梅みたいな顔をしていると思う。ものすごく返答に困るから。

どうして急に現代を知っておくべき、なんて思ったのかも分からないし、なんとなく感じる“着いて行きたい”という雰囲気のせいでものすごく断り辛い。これは恐らくどれだけ強く断っても着いて来る気だ。


「その…前にも言った通り、殺生丸さまは目立ちますし…そのまま出られるのはちょっとやばいかと…」
「ならば着物を寄越せ。お前のようなものを着ていれば馴染むだろう」


いや、いやいやいや。なにを言っているんですかあなたは。なーんにも分かってない。確かに一番目立つ要因はその時代離れしたお召しものでしょうよ。けれどそれをどうにかしたところで、その長い銀髪に金色の瞳、そして超絶美形なそのお顔ですよ。目立たないはずがないじゃないですか!!

――なんて言葉が声になることはなく、私はただ肩をすぼめて「分かりました…」と小さく返事をしていた。もうこうなってしまった殺生丸さまはなにを言っても聞いてくれないし、下手をすれば実力行使で私をねじ伏せてしまわれる。そんな結果が見えている以上、なんとしてでもそれだけは避けておきたかった。

…それに…殺生丸さまと現代でお出掛けできるということが、ちょっとだけ…いや、かなり嬉しくて、断ってしまいたくなかったのだ。

思わず緩んでしまいそうになった頬を慌てて引き締めると、すぐさま気を正すように首を横に振るう。にやけてる場合じゃない。そうと決まれば早く準備だ。
私はなんだか気が引き締まるような気持ちを抱えて「ちょっと待っててください」とだけ言い残すと部屋を駆け出した。


――そうして私が持って来たものはお父さんが置いて行った服。私&お母さんから“お父さんにしては服が若い”という文句を言われたために一度しか袖を通さなかったやつだ。もう着ないし好きにしていいよって言われていたけど、特に触ることもなく放置していたもの。これならたぶんサイズは大丈夫、なんだろうけど…


「こんなものでいいんですか…?」


殺生丸さまに一般庶民のさほど高くもない洋服を渡すのがなんだか申し訳なくて、つい無意識の内に確認をとっていた。
それを聞いてか聞かずか、殺生丸さまは私の手から服を取り上げてまじまじと見つめ始めてしまう。さすがに安っぽすぎたかな…


「や…やっぱり、ダメ…ですか?」
「……これはどう着ればよい」
「へっ?」


私の予想とは裏腹に、殺生丸さまは服の質などよりも今まで袖を通したことのない形状に難しい顔をされていたらしい。ということは、その服でいいんだろうか。てっきり厳しいことを言われると思っていたのに。

私が思わずぽかんとした表情で見つめてしまう中、殺生丸さまは洋服を傍らのベッドに置いてご自身の鎧に手を掛けられた。そして慣れた手つきで鎧を外し、着物に手を……って!!


「殺生丸さま!?着替えるなら一言言って下さい!目の前に私がいるんですよ!?」
「だからどうした。私がしおらしく恥じるとでも思ったのか」
「あなたじゃなくて私が恥ずかしいんです!!」


着物を脱ぐ手を止めることなく言う姿を見ていられなくて、私は反論しながら咄嗟に背を向けてうずくまった。すると「ふっ」と鼻で笑う声が聞こえてきてなんとも屈辱的な気持ちになる。
好きな人が目の前で服脱ぎ始めたら誰でもびっくりするでしょう…。おかげで心臓が頭に響いて来るくらいの音をバックバック鳴らしてるし、もう色んな意味で死んでしまいそう。


「なまえ」


当分落ち着きそうにない心臓を押さえ込むのに必死になっているところを不意に呼ばれてわずかに肩を揺らす。きっと着替えが終わったんだ。そうは思うものの、まだ服を着ていなかったらどうしよう…という心配が芽生えて、つい警戒してしまいながらゆっくり振り返った。

するとそこにあったのはちゃんと服を着込んだ殺生丸さまのお姿。かすかにぎこちない様子を見せながら確認を取るような視線でこちらをじっと見つめて来ている。


「…ほー……」


思わず、見惚れてしまった。

今まで着物姿しか見たことがなかった殺生丸さまの現代風の姿は違和感があるものの、それでもおかしいとは微塵も感じさせない完璧さに恐ろしくなる。はっきり言ってものすごい衝撃を受けた。
比べちゃいけないのは分かっているんだけど、同じ服を着ていることで無意識に重ねてしまうお父さんの姿とは全くの別物で本当に同じ服なのかとすら思ってしまう。お父さん、あなたじゃ足元にも及ばなかったです。ごめんね。

当分姿を見ていない親へ謝罪の念を抱えている間に、殺生丸さまはわずかに眉をひそめながら指を襟元に引っかけられた。


「…なにか違えていたか?」
「えっ?い、いえ、大丈夫ですっ。バッチリです!」


はっと我に返った私が慌てて肯定すれば殺生丸さまは「…そうか」とだけ呟かれた。もしかして、殺生丸さまでも初めてのものは不安になるんだろうか。なんだか少し意外な反応に、こっちが若干驚いてしまった。

なんて思っていると殺生丸さまは突然、


「行くぞ」


と言い残して踵を返してしまう。唐突すぎるその行動につい「え゙っ」という声が漏れた私は愕然と目を丸くした。

待って待って。なんで平気で外に出ようとしてるんですか。まだ私、心の準備が全くできていないんですけど。
ぐるぐると頭の中を駆け廻るそんな思いに収拾がつかなくなる中、真っ直ぐに玄関へ向かうその背中に慌てた私はすぐさま殺生丸さまの腕を引っ掴んで引き止めていた。


「あのっ、最後!最後にこれだけ、守ってほしいことがあるんですっ」


咄嗟にそんな言葉を投げ掛ければ、なんだという視線をこちらへ返して来る。はっきり言って私が心配しているのはこれから告げることだけじゃないけど、それらはもうどうしようもないことだからせめてこれだけでも、という思いで人差し指を立てて見せた。


「えっとですね、外は今まで以上に見たことないものばかりで溢れてます。でも絶対に攻撃とかしちゃいけません。ちょっと殴るだけでもダメです。この時代ではものを破壊するのも、誰かを傷つけるのも許されないんですからね。ひとまずこれだけは守ってください。分かりましたか?」
「…………」


こと細かに説明して差し上げたら思いっきり変な目を向けられた。しかも訝しげに眉をひそめてくる。


「…お前は私をなんだと思っている」
「え?なにって……あ、大型犬?」
「………………」
「いや…じょ、冗談ですよ?殺生丸さま?」


ほんのちょっとふざけてみたら途端に目を鋭くされてしまい、私は血の気が引いて行くのを感じながらびくびくと怯えて殺生丸さまの様子を窺った。無言の圧が怖い。
顔を覗き込むようにして「あのー…?」と囁きかけてみると、殺生丸さまはただ私を見つめたまま両手をゆらりとこちらへ伸ばして来た。

これはすごく、嫌な予感がする。


「…っい゙!?いだっ痛い!!やっぱりだ!痛っ!冗談っ、冗談ですって!いだだだだわ、私が悪かったです!ごめんなさい!!だからそのっ…はな、離してええっ!」


突然こめかみをぐりぐりと押さえつけられてしまった私は咄嗟に叫ぶように謝罪した。もはやこれはぐりぐりというよりごりごりのレベルだ。控えめに言って死ぬ。

あまりにも痛すぎるそれに必死に懇願した末、殺生丸さまはようやくといった頃合いでその手を離してくれた。ああ…いっっったかった…頭蓋骨がすり減るどころか陥没するかと思ったくらい。まったく、もう少し容赦してくれてもいいと思う。私はクレヨンし◯ちゃんじゃないんだぞ。

そんなことを思いながら必死にこめかみを擦っていれば、電気も点いていない薄暗い玄関に眩い光が差し込んで来た。どうやら主さまは私を沈めるだけ沈めておいて早く外に出たいらしい。
それこそ散歩好きの犬、と言い掛けたけれどその口を咄嗟に強く抑え込んだ。そんなこと口にしようものなら、次こそ朝日を拝めなくされてしまう。

私は決してその言葉を出してしまわないようしっかりと飲み込んで、ドアを開けたまま待っている殺生丸さまに並んで現代の地へ足を踏み出した。



* * *




「殺生丸さまはなんでも似合いますね」
「そうか?」
「はい。あ、こっちの服なんかも合うと思いますよ」


そんな言葉を交わしながら傍のラックに手を掛ける私たちはいつものスーパーではなく少し大きなショッピングモールに出向いていた。せっかく殺生丸さまが来てくださるんだから、この際色んなところを見て回ろうとこっちを選んだのだ。

そして今、どうせなら1着くらい殺生丸さまの洋服を買ってみようということでふらっと立ち寄ったアパレル系のお店にいる。とはいえ、完璧なルックスの持ち主である主さまはなんでも似合ってしまって“これだ!”というものが中々見つからない。


「殺生丸さまはどれがいいですか?」


悩んだ末にそう問いかけてみれば殺生丸さまは「なまえの好きなようにしろ」とだけ呟かれた。興味がないというわけではなくて、あまり分からないからだという。
…って言われても、それが一番困るやつだ。もうこうなったら本当に好きに選んじゃって、あとで文句は聞かないことにしちゃおう。

そう意気込んだ私は候補の服たちを並べて殺生丸さまと見比べるようにしながら選定し始めた。いつもは真っ白な着物だから黒で締めるのもいいけど、色物も捨てがたい。一概に色物といっても様々だし、一体どれを選んだら…と頭を悩ませていれば、不意に隣から「ふっ」と小さく吹き出すような声が聞こえて振り返った。


「? どうかしました?」
「いや…お前がやけに楽しそうに選ぶのでな」


そう言いながら殺生丸さまは私の頭にぽん、と手を乗せてくる。ぽかんとしていた私は殺生丸さまの言葉を遅れて理解し始めて、途端に両頬へかああっと熱を帯びさせた。


「そ、それは…殺生丸さまのため、ですからっ…」


咄嗟に顔を逸らしては呟くように言ってやった。我ながらとてつもなく恥ずかしい台詞だと思う。けれどもう相手の耳に届いてしまったその言葉を取り消すことはできず、恥ずかしさMAXになってしまった私は慌てるように服を選んで「お会計してきますっ」とレジへ駆け出していた。


――そうして会計を終えた私は、むすーっと殺生丸さまを見やってから並んでお店を後にする。頬の熱は引いて来たけれど、またいつなにをされるか分からないから油断もできない。ここは私がリードして隙を与えないようにしよう、と決意を固めては殺生丸さまをインフォメーションの前まで連れて行った。

現在地は飲食店が並ぶフードコートが近く、地図の横にはそのお店の看板メニューの写真が店名と一緒に綴られている。私はそれを軽く指差しながら、ただじっと見つめている殺生丸さまへ振り返った。


「小腹も空いて来たし、少し休憩しましょう。なにか食べたいものとかありますか?」


そう問いかけてみるも、そこに並ぶ写真は殺生丸さまにとって未知のものばかりで。黙ったままの彼はその盤面に視線を滑らせ続けている。

…なんだかここに来てから、殺生丸さまがどことなく“借りてきた猫”のように見えて仕方がない。……犬だけど。
初めてのものばかりに囲まれているからこの反応は当然だけど、なんだかこんな姿は新鮮でちょっと面白く思えてしまう。こんなこと、絶対に口が裂けても言えないけれど。

なんてことを考えている間にも殺生丸さまは視線をこちらへ向けて来ていた。


「私には分からぬ。なまえの好きな場所に連れて行け」
「私が好きなとこですか?んー…甘いものになりますけど…」
「構わん。今日はお前を知る…いや、お前の世界のことを知るために来たのだからな」


なるほど。なんか一瞬言い直された気がするけれど…確かに殺生丸さまの言う通りだ。それを思っては淡々と言われたそれに「分かりました」とだけ返してインフォメーションに目をやる。あそこがいいけど…あ、あった。しばらく来てなかったけどまだやってるみたい。


「じゃあ行きましょうか」


そう言いながらフードコートがある方へ歩き出そうとした瞬間、荷物をぐいっと引っ張られた。突然のことに驚きながらも緩んでしまった私の手から容易く荷物が取り上げられ、代わりと言わんばかりに温かいなにかにしっかりと握られる。


「えっあ、あの、殺生丸さま…!?」


咄嗟に振り返って荷物を取り上げた犯人である殺生丸さまを見やれば、彼は平然とした様子で私の手を握りしめている。


「この時代の人間は、このような場所でこうするのだろう?以前お前のてれびとやらで見かけたぞ」


殺生丸さまは私にそう告げながら握っていた手をずらし、指を絡め取るように強く握り直してくる。いわゆる、恋人繋ぎ。
まさか殺生丸さまが知らぬ間にそんな知識を得ているとは思わなかったし、なによりもこんな風に手を握られたことなんてないから私の頭は一瞬でパンク寸前になってしまった。


「せっ殺生丸さま…そのっ、えっと…」
「なまえ。顔が赤いぞ」
「! し、仕方ないじゃないですかっ」


突然の指摘に慌てて反論すれば、殺生丸さまはどこか意地の悪い笑みを浮かべられた。この顔…絶対に私がこうなると分かっていてわざと不意打ちしてきたな。卑怯な。
堪らず悔しい思いを胸の内に抱えながら、それでもやっぱり嬉しさの方が勝るこの手を離さないように強く強く握り返してやった。



* * *




さすがにショッピングモールのフードコートは人の込み具合はそこらに比べて格段にひどい。ちょっとげんなりしそうになりながらもなんとか席を確保して腰を落ち着かせた私たちは、それぞれのクレープを手に休憩タイムを満喫していた。


「どうですか?クレープ、気に入ってくれました?」
「悪くない」


私の問いかけにそう答えてくれた殺生丸さまは黙々とクレープを口に運ばれる。嫌な顔もされないし、もしかしたら意外と気に入ったのかも知れない。
思わずくすりと漏れる笑みを隠すように私もクレープを食めば、口いっぱいにクリームとチョコの甘さが広がってくる。はあ〜やっぱりここのクレープ好きだなあ。

ここのクレープ屋さんは私が小さい頃からよく来ていて、昔からチョコバナナクリームを好んで頼んでいる。だからその味を分かってほしくて殺生丸さまのものも同じにしようかと思ったけれど、どうせなら別々の味を楽しむべきかもと思って抹茶クリームにしておいた。
どうやらその采配は間違っていなかったようだし、気に入ってくださってるようだから一安心かな。


「殺生丸さま、私のも少し食べてみますか?」


殺生丸さまの方へ少しだけ傾けながら問いかけてみれば、金色の瞳がじっと私のクレープを見つめてくる。もしかしたら少しは気になってたのかも、なんて思った私は「いいですよ」とクレープを差し出してみた。すると彼は緩やかにそれを受け取りながら、同時に自分の同じものを差し出して来る。ありがたいことに交換してくれるらしい。

言ってしまえば私は“こっち”の人間だからいつでも食べられるんだけど…せっかく差し出してくださったんだ。素直に受け取ろう。
私はありがとうございます、とお礼を述べながらそれを受け取り、いざ食べようと口を開けた――けれどその時、突然はっと我に返ったように硬直してしまった。


(あれ…これってもしかして…か、間接キスなのでは…!?)


なにも考えずに私から差し出したけどよく考えてみれば紛れもなくそれだ。しまった、と思って慌てて視線を戻してみるけれど、なんと殺生丸さまはすでに躊躇いなくクレープを口にされてしまっていた。
き、気付いていないのか気にもしていないのか…平気で私のチョコバナナクリームを堪能している。堪能、といっても表情はなにも変わっていないけど。


「なまえは食わぬのか」
「あっいや、食べます食べますっ!」


突然声を掛けられたものだからびっくりしてその勢いのまま殺生丸さまのクレープに噛り付いてしまった。ほろ苦くて美味しい、はずなのに、恥ずかしさのせいで味がよく分からない。

私はとにかく朱が昇る頬を隠したくて顔を逸らしながら、


「お、美味しかったですっ。ありがとうございました」


と押しつけるように差し出していた。すると私の顔を見た殺生丸さまがなにかに気付いたように視線を留めてくる。顔が赤いのバレたかな…言及なんてされたら恥ずかしすぎて答えられる気がしない。どうかスルーしてくださいお願いします…!!

そう願うように念じるも虚しく、小さくも凛とした声で「なまえ」と呼びつけられてしまった。かと思えば、突然殺生丸さまの手が静かにこちらへ伸ばされる。ドキ、とした私は顔を逸らしたまま硬直し、その指先が頬に触れてくるのを感じながら逃げるように目を瞑った。

しかしその手は私の顔を向き直させるわけでもなく、ただ親指の先でしなやかに口の端を撫でつけてくるだけで。私がそんな予想外の動作に拍子抜けするように目を開けてみれば、殺生丸さまの元へ戻って行くその親指に白い生クリームが乗せられているのが見えた。

きっと慌てて食べた時に付いたんだ。それを確信しては取って下さったことにお礼を言おうと口を開いたけれどそこから声が出ることはなく、とうとうその口を閉ざすこともできなかった。

――なぜなら、殺生丸さまは生クリームを掬い取った親指を口元に運ばれ、小さく覗かせた舌に押しつけるようにしてそれを舐め取られたのだから。


「…な……あ…!」


開いた口が塞がらないとはこういうことか、と。私は目すらも丸く見開いたまま、わなわなと震えて殺生丸さまを見つめていた。そんな時、緩んだ手元から殺生丸さまのクレープが落ちそうになったことでようやく我に返ることができたのだけれど、細められた金色の瞳が静かに向けられたことでまたドキ、と意識を奪われそうになってしまう。

これもテレビで得た知識かそれともなにか、明らかに厚意だけではない行動に私はとうとう顔が上げられなくなり、テーブルに突っ伏すように俯いて誤魔化そうとした。
私が懸命に冷まそうとしていたはずの顔は、より一層熱くなっている。

それを自覚した途端、私はなんともか細い声で「殺生丸さまの意地悪…」と恨めしげに呟くことしかできなかった。



* * *




なんとかしてほとぼりを冷まし、掻き込むようにクレープを食べ尽くした私は殺生丸さまの手を引いてすぐ隣のゲームセンターに立ち寄っていた。こうなったら、こっちもカッコいいところ見せてやる。そう意気込んだ私は騒がしいメダルコーナーを避けつつ、殺生丸さまを先導しながらUFOキャッチャーのコーナーに駆け寄って行った。


「私、このゲーム得意なんですよ!」


そう伝えると殺生丸さまはUFOキャッチャー自体初見のため、不思議そうに眺めてくる。やっぱりやって見せるのが一番でしょう。今度は私が殺生丸さまをときめかせてやるんだから!ときめきそうにはないけど!

なんて決意を固めた私は大きなお菓子が景品の台を陣取ってすぐさま100円玉を投入した。


「見ててくださいねっ」


殺生丸さまへちら、と視線を向けてから台に向き直りポイントを見定める。と言っても大抵はずらして落とすものが主流だから、1発で取れることはあまりない。だから初回は様子見なんだけど…あ、これは案外簡単に行けそう。

なんてことを考えている内に適当にチャレンジすればあっさり落とすことに成功した。景品を取り出して殺生丸さまに向き直っては「ねっ」と笑いかけてみると、殺生丸さまはどこか感心するような目で私を見つめて来る。ふふん、どうやら見直してくれたらしい。


「なまえにも特技があるのだな」
「な゙…!?なんですかその言い方っ、私が能無しみたいじゃないですか!」


予想外すぎる罵声に強く反論すれば、殺生丸さまは「冗談だ」と小さく笑われた。だから殺生丸さまの冗談は冗談に聞こえないんだってば…。

そう思いながらむすっとむくれて他へ行こうとした時、奥の方に大きなぬいぐるみが見えた気がした。釣られるようにその台の前へ行ってみれば、どうやら色んな犬のぬいぐるみが景品だということが分かる。柴犬、チワワ、ダックス、シベリアンハスキーと実に4種類。昔友人間で流行った某育成ゲームを思うとなんだかハスキーだけ浮いているようにも思えるけれど、私としてはむしろそのハスキーが欲しくて仕方がなかった。


「これ、なんだか殺生丸さまに似てると思いませんか?」


ハスキーのぬいぐるみを指差しながら殺生丸さまを見上げれば、明らかに顔をしかめられた。この顔…絶対“似てない”って言いたいんだな。それでも私は似てると言い張るぞ。毛色がシルバーで凛々しいお顔なんて、まんま殺生丸さまだもの。

見ている内にもどんどん愛着が湧き、私は颯爽とお財布を取り出して500円玉を入れていた。
とにかく最初は小手調べ、と狙ったポイントを押さえてみる。まあこんなもんでしょう。それから2回目、3回目でいいところまでずらして行って、早くもあと少しのところまで追い込んでやった。私の手に掛かればこんなもの、簡単に“ゲットだぜ!”してやるんだから!

――と思ってはいたものの……


「………あれ……」


おかしいぞ。

気付けば投入した500円分、計6回が終わってしまった。ちなみにぬいぐるみは落とせていないどころか、未だギリギリの状態を保っていて状況があまり変わっていない。これはおかしい。いつもならもう取れてる頃合いだ。

堪らずむむむ…と唸るように台を覗き込んでいれば、静かに見てくれていた殺生丸さまが覗き込んで来た。


「取れんのか」
「意外と難しいですね…でも、次で取りますから!」


ぐっ!と拳を握って見せてはすぐさま500円玉を突っ込んだ。まだ6回目だからね。まだまだ許容範囲。きっとそろそろ行けるでしょうよ。

そう思って懸命に見定めたポイントを刺激してみるけれど、状況はあまり変わらず。首を傾げながらも挑戦していれば、あっという間に5回を無駄にしてしまっていた。


「あれー…なんでだろ、いつもならできるのに…さすがにこれ以上お金かけるのも考えものだし…悔しいけど、これが最後かなあ…」


夢中になっていた私はそんな独り言をこぼしながら台に向き直る。最後のチャンスだからしっかりポイントを見定めないと。さっきは向こう側を狙ってあまり変わらなかったから、やっぱり狙うならこっちが…いやでもここを押せばあるいは……

なんて思っていると、ボタンに乗せていた私の手に大きな温もりが被せられた。


「! せ、殺生丸さま…!?」
「…………」


どういうわけか私に手を重ねてきた殺生丸さまは真剣な表情で景品を見つめていた。咄嗟に振り返った真横に顔があったものだからドキッとしてすぐに顔を逸らしてしまったけれど、殺生丸さまはより一層密着するように身を寄せて来る。

殺生丸さまの体に覆われる背中から徐々に熱が昇って来て、じんわりと汗すら滲みそうになってきた。こんな状況に私の心臓が大人しくしてるはずもなく、いくらなんでもこの距離だと聞こえてしまうだろうという思いが余計に鼓動を強くさせてしまう。

どうしよう。殺生丸さまを追い払うわけにもいかないし、私、なにをどうすれば。あれ、呼吸…呼吸って、どうやってするんだっけ。
ぐるぐると思考が巡り些細なことすらも分からなくなり始めた頃、突然ぼすんっという鈍い音が聞こえて来た。それにはっとした時には筐体の中に景品がなく、一瞬状況を飲み込めなくなってしまった私の頭に柔らかいなにかが押しつけられた。


「取れたぞ」


そう声を駆けて来る殺生丸さまはいつの間にか私から離れていて景品のぬいぐるみを鷲掴みにされていた。その表情には小さくも不敵な微笑み。そんな表情にすらときめいてしまった私は単純だと思うと同時に、またしても殺生丸さまに負けてしまった、なんて思いも浮かんできた。

本当にこのお方には勝てそうにない。そう思いながらしずしずぬいぐるみを受け取ってぎゅ…と抱きしめた。


「あの…ありがとうございます」
「…どうやら、なまえより私の方が上手いようだな」


……ん?なんだって?
今平然と勝ち誇ったように言われたけれど、待った。それだけは聞き捨てならんぞ。


「殺生丸さまが1回で取れたのは、私が先にあそこまで寄せてたからですー」
「後に随分手こずっていたようだが」
「だ、誰だってそういう時くらいありますよーだっ」


皮肉っぽく言って来る殺生丸さまへむくれるように言い返せばふっ、と小さく吹き出された。思わず私もそれに釣られて笑んでしまう。

その時「あ、そうだ」と声を漏らした私は強く抱きしめるぬいぐるみを見せながら殺生丸さまへ向き直ってみた。


「このぬいぐるみ、殺くんって呼んでもいいですか?」


せっかく似てると思ったんだもの。そう思いながら問いかけた答えを待っている間、殺生丸さまはじっと私の腕の中のぬいぐるみを見つめられていた。かと思えば、突然ぬいぐるみをひょいと取り上げられてしまい、思いっきり私の顔面に押しつけてきた。


「ぶっ!な、なにをっ…」
「却下だ」
「わ、わかっ、やめますからっ。押しつけるの反対っ!」


ばたばたと慌ただしく抵抗すればなんとかぬいぐるみを離してもらえた。もう少しで息の根を止められるところだった…殺生丸さまの力で押しつけられたらぬいぐるみであろうとなんだろうと凶器に成り得るからやめていただきたい。

堪らずはあーっと思いっきり息を吸い込んだ私は少しがっかりしながらぬいぐるみを返してもらおうと手を差し出した。けれど殺生丸さまは返してくれず、それどころかがっしりと小脇に抱え込まれてしまう。


「あの、殺生丸さま?ぬいぐるみ返してください」
「…これは私が預かっておく」


私のお願いも虚しく、なぜか殺生丸さまは素っ気なくそう返して来た。もっと抱きしめていたかったのに…なんで没収されたんだ。原因は分からないけど、殺生丸さまの抱え方のせいでハスキーくんの首が締まってるように見えるからなんとかしてあげたい…。

そうは思うもののぬいぐるみを一向に離してくれない様子の殺生丸さまに負けた私は、予想外ながら可愛い感じになってしまった殺生丸さまに並んでゲームセンターをあとにしたのだった。



* * *




――太陽が沈みかける夕空の下。あれから私たちは適当に色んなお店を回り、最後に食材を買い漁るだけでこれといった出来事もなく今日1日のミッションを終えた。
随分多くなってしまった荷物をガサ…と持ち直して、ようやく帰路を辿る私はふと隣の殺生丸さまを見上げながら囁きかけてみた。


「最初は不安でしたけど…今日は一緒に来てくださってありがとうございますね」


微笑みかけてみれば殺生丸さまはちらりとだけこちらを見られる。

殺生丸さまが洋服を着られているからなのか、最初の不安とは裏腹にちらちらと視線を向けられる程度で騒ぎにはならず、いつしか私も心配することなく自然とデートのような時間を楽しむことができていた。
そんな夢のような時間はあっという間で、少し名残惜しさを感じてしまえば不意に殺生丸さまから


「私も楽しめた。礼を言う」


なんて言われてしまった。殺生丸さまが素直にお礼を言うこと自体が珍しくて、なんだかこっちが照れくさくなってくる。そう感じた私は咄嗟に気を紛らわすように「そ、そうだ」と話を切り出していた。


「次はいつにしましょうか。きっとりんちゃんもお買いものに行きたいって言うと思いますよ」


現代へ戻って来る前に“一緒に現代に行きたい!”と駄々をこねていた彼女の姿を思い出しながら言う。

本当はみんなで現代に戻って来るつもりだったんだけど、りんちゃんはついこの間現代に来たばっかりだったために、殺生丸さまとの“約束”を守らせるべくお留守番にさせたのだ。だからまた次ね、って言っては来たんだけど、私と殺生丸さまが一緒にショッピングに行ったなんて知ったら絶対に羨んで行きたがるに決まっている。

それは殺生丸さまも思っていたのか、ほんのわずかに薄い笑みを浮かべて「いつだろうな」と答えられた。この様子だと次はりんちゃんも連れて行ってあげるのかもしれない。殺生丸さまのことだからてっきり隠し通せって言うかと思っていた。

ちょっと意外な優しい反応につい頬を綻ばせてしまうと、不意に殺生丸さまがこちらへ顔を振り返らせて来る。


「りんの前ではあまり赤くなるな。からかわれるぞ」


突然、意地悪くそんなことを囁かれた。思わず「な゙っ…!?」という声を漏らした私は思いっきり目を見開き、すぐさまむくれるようにそっぽへ顔を逸らしてしまう。


「だ、誰のせいだと思ってるんですかっ。あのですね、殺生丸さまが不意打ちなんてしなければ私だって赤くなったりなんか…」
「なまえ」


堪らず説教じみた言葉を並べようとするもそれを容易く遮られてしまう。その声に向き直ってみれば両手を塞ぐように提げられていた荷物が片手にまとめられていて、空いた右手をこちらへ差し出して来ていた。
その行動につい目を丸くして殺生丸さまの顔を見上げてみれば、まるで心を見透かすかのような瞳をじっとこちらへ向けて来る。


「繋がないのか?」
「……っもう、そういうところですよっ」


私は言ってる傍からそれをやってしまう主へぼやくように言いつけ、差し出されたその大きな手を握り締めてやった。すると殺生丸さまはふっ、と小さく微笑みながら力強くも優しく握り返してくる。
それと同時にちらりと私の顔色を窺って来るけれど、ほんのりと赤みが差して見えるのは夕日のせいだ、と。半ば無理やりそういうことにしては、私たちはどちらからともなく指を絡めるように握り直した。

このお方は本当に、とんでもなく意地悪だ。
それなのに、これっぽっちも憎めない。

そんなことをぼんやりと考えながら、背後に長く伸びる私たちの影を境界線も失くしてしまうほどに触れ合わせて家路を辿り続けた。

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