お弁当箱ふたつ


「あ〜、お腹すいた〜」


四限終了のチャイムが鳴ってみんながガタガタと席を立つなりする中、私は体をぐっと伸ばしながらそう呟いた。すると今の今まで熟睡していた犬夜叉が目を覚ましたらしく、こっちまで眠くなりそうなくらい大きなあくびを一つこぼして振り返ってくる。
本当に熟睡だったんだろうなあ、目がショボショボしてる。


「…お前、いつも四限が終わった途端に腹減ったって言うよな」
「えっ。私ってそんなに毎日言ってる?」
「結構なー」


ぼんやりとした声でそう言うと、犬夜叉はもう一度大きなあくびをしてさっきの私のように体を伸ばす。

そんな姿を横目に見ながら、私はどこかほんの少しだけ緊張に似た感覚でお弁当を取り出した。もちろんこれは私のお弁当。だけどそれとは別に、スクールバッグからもう一つお弁当を出して、それを眠そうな犬夜叉の前に置いてやった。


「……なんだこれ」
「なにって、あんたの分のお弁当」
「…悠月が作ったのか…?」
「ついででね。前みたいに私の分が食べられても困るから」


なぜだかやたらと慎重に聞いてくる犬夜叉にそう教えれば、彼は「ふーん…」と小さな声を漏らしながらお弁当を見つめ始める。持ち上げて色んな方向から見たりもしてるけど、残念ながら私が作ったのはその中身であってお弁当箱でも包みでもないのだ。
…中身をそんな風にじっくり見られてもなんだか恥ずかしいんだけど。

なんて思っている間にも、犬夜叉は包みを開いてお弁当の蓋を外していた。


「おっ美味そうだな。やるじゃねえか」
「ありがとう。でもなんで上から目線なの」


美味そうって言ってくれたのは嬉しいけど、そのあとの一言がちょっとうざくて睨むような目を向けてやった。
そもそもまずはお礼でしょう。ありがとうの一つくらい言ってよ。そんな思いを込めてじとー、と睨めば、犬夜叉はこっちをほんの一瞬チラ見しただけでお構いなしに箸を手に取った。そして卵焼きを口に放り込む。

結局お礼はナシか。まあでも普通に食べてくれてるし、口に合わないこともなさそうだから良しとしよう。

特に文句を言う様子もなさそうな彼に安心して、私も自分のお弁当の蓋を外した――途端、なぜか横から私の分の唐揚げがひょいっと攫われていった。


「え!? な、なんで私のを取るわけ!?」
「美味そうだから」
「いや、同じおかず入れてるじゃん!」
「足りねえからに決まってんだろ」
「あのねえ…“足りない”って言う前に、まず自分の食べてから取ってよ!」


見れば犬夜叉のお弁当箱にはまだしっかりと唐揚げが残っている。というか一つも食べてないんじゃないの。せっかく取られないために犬夜叉の分まで作ってきたのに、これじゃなんの意味もないじゃん。

私のお弁当を少し遠ざけてから「返せ!」と犬夜叉のお弁当箱に箸を向ける。けれど、それは素早く反対方向へ避けられてしまった。
くっ…こういう時だけやたらと俊敏になるんだから…。
口元に卵焼きのかけらを付けながら人のおかずを奪って自分の分は死守するなんて。子供っぽいにもほどがあるぞ、そう言いつけてやろうかと思った途端、犬夜叉が箸の先をびしっと私の方へ向けてきた。


「交換条件だ。明日もおれの分作ってくるなら、もう悠月のには手を出さねえ。もちろんおかずは多めにな。それでどうだ」


なぜかやたらと偉そうにそう提言してくる犬夜叉。なんで作ってもらった立場でそんな偉そうにできるんだ、こいつは。

お弁当は元々これからも作ってあげるつもりだったし、なにより私の分が減らされちゃ困る。偉そうにしている犬夜叉に従うのはなんだか癪だけど、この際仕方がないから従ってあげることにした。


「はいはい、作ってあげる。だから早くから揚げ返せ」
「……」
「ほら」
「……」


ずい、と私のお弁当箱を差し出せばどこか不満げに唐揚げを一つ移してくれる。ちょっと意外。てっきり返してくれないかと思った。


「これでいいだろ。次は絶対おかず多くしろよ」
「分かった分かった。それより、卵焼きのかけらがついていますよ犬夜叉さん」
「あ? どこに…んぐ…!?」
「これ。気付かなかった?」


そう聞きながら私は犬夜叉の口元についていた卵焼きのかけらを摘まんで、犬夜叉の口にぴとっと押しつけた。昔から犬夜叉が口元につけたりした時によくやってたこと。
だけど犬夜叉はすぐ私の手を振り払うように大きく顔を逸らしてしまった。


「ひ、人の口に押し付けんな! それくらい自分で取れるっ」
「ずっとついてて気になったんだもん。それに昔からこうしてたでしょ?」
「いつの話だっっ」


私が首を傾げて問えば、犬夜叉は顔を真っ赤にして吠えかかってくる。そ、そんなに嫌だったのかな…ああでも、この歳でそんなことされちゃ確かに恥ずかしいかも。ここ教室だし。
それは私が悪かった。仕方がないからこの卵焼きのかけらは私が食べておこう。

そう反省しながら指の先にあるかけらをはむ、と食べてしまえば、それを見ていたらしい犬夜叉が目を真ん丸に見開いて唖然としていた。な、なにその顔。欲しいならさっき顔を背けないで食べればよかったのに。


「残念ながらもう私が食べちゃいました」
「ち…ちげえよ! 気付けバカっ!」
「はあ? なにそれ…どういう意味?」


気付けって…なにかあったの? 実は卵焼きのかけらに虫がついてたとか? さすがにそんなのはなかったし…。

犬夜叉の言っている意味が全然分からず首を傾げていると、なぜかわなわなと震えていた彼は真っ赤なまま変な顔をして、突然お弁当の残りをかき込み始めた。その勢いに呆気にとられた私がついぽかんとしていると、犬夜叉はすぐさま空になったお弁当箱を押しつけてくる。

わけが分からない。分からないけどとりあえずお弁当箱を受け取れば、犬夜叉は授業中に居眠りするのと同じように机に突っ伏してしまった。


「なんでもねえ! 忘れろっ」


どこか不機嫌そうに、拗ねたように怒鳴られる。

なんだろう、私そんなに機嫌を損ねるようなことしたかな。そう思って心当たりを捜してみるけれどなにも思いつかず、私はしばらく何度も首を傾げ続けた。
でもそれも中断。ふと見えた時計が休み時間の残り少なさを示していて、このままぼんやり考えごとをしているとお昼ご飯を食べ損ねてしまうことに気が付いた。結局犬夜叉には謝るべきかどうかも分からないけど、今はお弁当を片付けてしまおう。そう考えてはいそいそとお弁当の残りに箸をつけた。

すると私がご飯を口に含んだ時のこと。


「…弁当…」


ふと隣から、そんな小さな声が聞こえてきた。え? と振り返れば、未だ突っ伏したままの犬夜叉がちらりとだけこっちを見て、


「弁当、ありがとな」


とだけ呟いてくる。その顔はすぐに机の上で組まれた両腕の中に隠れてしまうけれど、ほんの一瞬だけ見えた犬夜叉の気恥しそうな表情はしっかりと私の中に刻まれていた。


「…どうも」


ごくり、とご飯を飲み込んで返せたのはそんな他人行儀な一言だけ。なんだかこっちまで気恥ずかしくなってしまって、いい言葉が見当たらなかったのだ。
だけど彼はなにを言うでもなく、ずっと机に伏せたまま。

最近…なんとなくだけど、犬夜叉が変わった気がする。

なんて、ほんのわずかな変化に少しだけ昔の彼を思い返していると、わずかに音割れのするチャイムが大きく鳴り響いた。


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