芽生える気持ち


「ごちそうさまでした、っと…ごめんね、ちょっと作りすぎた」
「食える量だったからよかったけどよ…いくらなんでも多すぎだろ」
「いやー、思ったより賞味期限が近いものが多くて…」


呆れたよう目を伏せがちにする犬夜叉にあはは…と乾いた笑みを返してしまう。

――あのあと、私は宣言通り晩ご飯を作って犬夜叉に振舞ってあげたのだけど、いざ作らんと冷蔵庫を見てみたら賞味期限の近いものがちょこちょこと見つかって、諸々消費するために品数を増やしすぎてしまったのだ。
おかげで犬夜叉も驚くくらい、パーティ紛いの食卓に…。ある程度はお弁当とか後日のご飯用に取り分けて減らしたけど、それでも十分多くなってしまったものだから、一時はどうなることかと頭を抱えそうになった。


「でも、犬夜叉が頑張って食べてくれたから本当に助かったよ。ありがとね」


こういう時、男の子って存在はすごく頼もしい。そんなことを実感しながらお礼を言えば、椅子に深くもたれ掛かる犬夜叉が「次があっても手伝わねーからな」と釘を刺してきた。
さすがの私も同じ過ちを犯すことはない。…と思う、けど、あまり自信がなかったから「善処します」と言って濁しておいた。

まあそんな誤魔化しはすぐに見抜かれて“本当か?”という疑いの目を向けられたけど、私はそれから逃れるよう、そそくさと食器をまとめ始めることにした。すると呆れを見せる犬夜叉も、私に続くように体を起こして食器を手に取り始める。

そんな時、ふと彼の口元に視線が止まった。


「あ。犬夜叉、ちょっと」


そう呼び掛けながらテーブルの隅のティッシュを一枚手に取る。それに「ん?」と小さく漏らす彼の口元に、ちょっとだけソースがついていたのだ。それに気が付いた私が拭き取ってあげようと少し身を乗り出して、ティッシュを彼の口元へ近付けようとした、その時。
犬夜叉の口元を――唇を見つめているこの状況に、なぜだか突然、顔がみるみる熱くなっていくのを感じてしまった。


「あ、れ…?」


思わずそんな声を漏らして、テーブルに身を乗り出したまま硬直してしまう。

なんで。私はただ、犬夜叉の口元のソースを拭き取ってあげようとしただけなのに。そのために、そこを見ていただけなのに。
なんでこんなに、恥ずかしいような気持ちになっているんだろう。

よく分からない自分の感情に、感覚に混乱してしまう。すると、そんな私を不思議に思ったらしい犬夜叉が少しばかりぎこちなさそうに「…な、なんだよ…」と言ってきて、その声にはっとした私は、彼の目を見るように視線を上げて。またすぐに、逸らしてしまった。


「ご、ごめん…口元に、ソース…ついてるから…拭こうと思って…」
「あ…? あ、ああ、確かについてんな…」


私の言葉に犬夜叉が確かめるよう口元を触って、ようやく気が付いた様子を見せられる。かと思えば、私の手からそっとティッシュを取って、「…ありがとよ」と呟きながら口元を拭った。
そんな彼に私はうん、と声になっているかも怪しいほどの小さな声で返事をして、無意識のままに脱力するよう座り直していた。


(な…なんだろ…おかしいな…なんでこんなことで、緊張…? してるんだろ…)


そっと膝に置いた手を見つめながら、慣れない感覚に頭を悩ませる。
恥ずかしさを覚えるようなことなんて、なにもなかったはずなのに。そんな思いを抱えながら、なぜだか少し高鳴っている鼓動を抑えるように縮こませていた。

すると、ティッシュをごみ箱へ放り込んだ犬夜叉が立ち上がって、さっき中断させてしまった食器のまとめ作業を再開し始める。かと思えば、慣れた手つきで食器を流しに運んでくれるものだから、私も慌てて立ち上がって同じように残りの食器を流しへと運び込んだ。


「あ、ありがとう。わざわざ運んでくれて…あとは私がやっておくから、そのまま置いてていいよ」
「皿洗いくらい、してやるよ。こんだけ飯作ってもらってんだからな」


休ませようとする私に反して、犬夜叉はそう言いながら「洗剤とかこれでいいんだよな?」と手に取り始める。犬夜叉がそこまでやってくれる姿が珍しくて少し驚いてしまったけど、なんだか嬉しくもあって、私は素直にお願いしてはソファで待っておくことにした。

ちら、と振り返れば、うちの台所に立つ犬夜叉の背中が見える。普段からは想像もできないような、家庭的な姿。それがなんだか不思議でたまらなくて、なんともむず痒いような感覚に包まれて。背を向けるように座り直しては、ぽそりと呟いた。


「私と犬夜叉が結婚したら、こんな感じなのかな…」


何気なく、思ったままをほんの微かな声にしてしまう。するとその瞬間、後ろでがちゃんっっ、と大きな音が立てられて思わず跳ね上がった。咄嗟に振り返って犬夜叉の方を見れば、すごく慌てた様子の彼が「わ、割れてはねえから安心しろっ」と言いながら大きな動きで洗い物を続けている。

ケガとかはないみたいだからよかったけど…も、もしかして…いまの、聞こえちゃったのかな…。分からないけど、もしそうだとしたらものすごく恥ずかしい。
またも顔が熱くなるのを感じながら、私は縮こまるようにして大人しく犬夜叉の作業が終わるのを待ち続けていた。




――やがて、それにも区切りがついた頃。「終わったぞ」と言いながらこちらに戻ってくる犬夜叉にお礼を言えば、彼は一度時計を見やって自分の荷物に視線を落とした。


「明日も学校あるし、そろそろ帰るか」


その声に私も時計を見やれば、もう十時がこようという時間だと分かる。のんびりしていたとはいえ、あっという間に時間が過ぎていたらしい。それに気が付いては「そうだね」と返して、見送るためにソファから立ち上がった。


「遅くまで付き合わせちゃってごめんね。外も暗いし、家まで送ってくよ」
「ばかやろう。お前の方こそ危ねえだろーが。近いんだから気にすんな」


私の提案に対して犬夜叉は正気を疑うような、それでいて呆れた様子で言ってくる。まさかそんな風に気を遣ってくれるとは思ってもみなくて少し驚いてしまったけど、鞄を持って玄関へ向かう犬夜叉の姿に釣られるよう、慌ててその背中を追った。

そうして玄関に立てば、靴を履いた犬夜叉がドアに手を掛けながら振り返ってくる。


「そんじゃ、今日は色々とありがとよ」
「うん。またいつでも来ていいからね」


そう言って笑い掛ければ、犬夜叉は顔を逸らして「…ああ」と少し間を空けながらも短い声を返してくれた。そうしてそのままドアを開けて出ていく犬夜叉へ、


「おやすみ、犬夜叉」


と声を投げかける。すると犬夜叉はどこか驚いたような顔をして。すぐに「お、おう。じゃあな」と少し照れくさそうに返してくれると、そっとドアを閉めてとうとうその姿を見えなくしてしまった。

静かな空間に、ほんの微かに犬夜叉が去っていく足音が聞こえる。けど、それもすぐに聞こえなくなってしまうと、リビングからぼそぼそと届くテレビの音だけが満ちる、とても静かな場所になった。
わずかに感じる喪失感のような、寂しさのような、小さな違和感。一人になった途端に抱くその感覚に包まれながら、私はテレビの音につられるようリビングへ戻って、身を投げ出すようにソファへ横たわった。

ぼう、と呆けるように、テレビの方を見やる。でもその視界はぼやけていてテレビの内容も分からず、むしろ、脳裏に甦るこれまでのできごとの方がよっぽど鮮明だった。

犬夜叉に帰りを誘われて、一緒に寄り道して、うちに来て、一緒に寝ちゃったりして、私の作ったご飯を一緒に食べて…
楽しいのに、どこか恥ずかしいような思いも抱いた、今日のできごと。


(お昼は…犬夜叉の口元に付いてたものも、気にせず食べられたのに…)


ふと思い返す、昼休みのこと。あの時は犬夜叉の口元についていた玉子焼きのかけらを取ってあげて、それを食べてしまえたくらいだった。なのにどうしてか、ついさっきの晩ご飯では、犬夜叉の口元を見つめているというだけで途端に恥ずかしくなってしまった。
同じ日の同じようなできごとなのに、なんでこんなにも違ってしまうんだろう。

それが不思議でたまらなくて、でも、原因なんて分からなくて。家にきてから? 一緒に寝てから? それとも、アクシデントであんなに密着してしまってから? と、きっかけを探るように、今日体験した様々なことを次から次へと思い返していた。

だけど、それがまた恥ずかしくて。
でも、嫌ではなくて。

まとまらない思考にため息をこぼしてしまいながら、一人静かにソファに沈んでいた。


(今日の私…変なの…)


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