目覚めは君の隣


ふわふわとした感覚の中で、自分がいま触れているものの感触をゆっくりと実感していく。そうして私が感じ取ったのは、顔の左側に広がる温もり。あったかい、けど、少し硬い気がするそれ。顔の側面の感覚だけじゃその正体が到底分かりそうもなくて、私は夢現にまどろみながらも手を伸ばし、それを確かめるようにそっと摩ってみた。

するとそれは、驚いたようにビク、と小さく震えた気がした。


「…おい」


ゆっくりと二回ほどそれを撫でた時、頭上からなにやら不愛想な声が降らされる。けれど未だ夢の中に片足を突っ込んでいる私はうまく反応を返せなくて、目を開けることもなくただ訝しむように眉根を寄せながら自分の下のそれを撫で続けようとした。
その時、突然ぎゅっと握られるような感覚によって手を止められる。


「おめーな…寝ながらおれの脚を摩ってんじゃねえ」
「……んえ?」


手を取り上げられたこと、呆れたように向けられる声、言葉。それらによってとうとう現実へ引き戻されるような感覚を抱いて、つい腑抜けた声が漏れた。

いまの声…犬夜叉だよね。それは分かるんだけど…“おれの脚を擦るんじゃねえ”って、どういうこと? 確かに私はなにかを摩ったけど、さすがに犬夜叉の脚を摩った覚えはないぞ。だって私は顔のすぐそばを摩っているんだもの。犬夜叉の脚がこんなところにあるわけがない。きっと私が摩っていたのはソファの背もたれ。犬夜叉とは関係ない。

……あれ? でもさっき摩った時…確かにビクってしたよね。背もたれが動くわけないし…じゃあ、私が摩ってたものって…一体……

そう考えた途端に得も言われない予感がして、すぐさまぱか、と目を開けてみる。そうしてようやく景色を映した私の視界は、なにやら思っていたよりも低い位置にあるようだった。しかもなぜか横向き。
どうしてこんなことに? と見上げるように首を回してみれば、そこには半眼で私を見下ろす犬夜叉のほんのり赤い顔がある。ついでに、視界の端には彼の手に捕まった私の手。それでも状況がよく分からなくてもう一度首を元の角度へ回せば、私の顔の真下に見慣れた黒色が広がっていることに気が付いた。
見慣れた黒。学生服の、黒。

やだ私、犬夜叉の膝に乗ってるじゃん。


「わーーーっ、ごっごごごごめん犬夜叉! ほんっっとごめんっ!」


がばっと飛び起きてはすぐさま犬夜叉へ向き直って土下座を決め込む。
まさか知らない間に幼馴染みの膝の上で寝てるとは思いもせず、もう恥ずかしいのか申し訳ないのかなんなのかさっぱり分からなくなってしまった私は、土下座の勢いにぼよんぼよんと小さくバウンドするソファに揺られながら、ただ縮こまるように頭を下げていた。

どうしてこんなことに…私はただソファにもたれ掛かって寝ていたはず…それがどうして幼馴染みを枕にしているの。一体寝ている時になにがあったんだ私。そんなに寝相悪かったのか私。なんで傾いた時に起きないんだ私〜〜〜!!

なんだかもう混乱してしまう思いで額をソファにびったりくっつけたまま動かずにいたのだけど、そんな私の目の前で大きなため息をこぼした犬夜叉がふと私の両肩に手を掛けてきた。


「土下座することでもねえだろ…ほら、いいから頭上げろ」


呆れたようにそう言う犬夜叉は私の肩をぐい、と持ち上げるように引っ張る。それについ「うう…ごめん…」と情けない声を漏らして体を起こせば、やっぱり呆れの色を含んだ犬夜叉のジト目と視線がぶつかった。

ああ…いつにも増して視線が痛い…気がする…。根拠はないけれどなんとなくそう感じてしまった時、その犬夜叉は私に視線を合わせたまま不躾にソファの背もたれへ頬杖を突いて言った。


「この程度でなに情けねえ顔してやがんだ…らしくねーぞ」
「この程度って…さすがに悪いじゃん。幼馴染とはいえ勝手に枕にして…絶対重かっただろうし、邪魔だし…重いし…」
「別に、気にするほど重くねーよ。第一、重いと思ったら一時間もそのままにしねえっての」
「ほんとに…? …って、んんん…?」


珍しく優しい雰囲気の犬夜叉に慰められかけたのに、なんだかおかしい言葉が聞こえた気がして首を捻る。聞き間違いじゃなければ、いま“一時間もそのままにしない”って言ったよね? え? “一時間”? …ってことは、犬夜叉は一時間前からすでに起きてたってこと? それで私は、そんな彼の膝で一時間も寝てたってこと? ぐっすりすやすやと、一時間も???


「なんで起こしてくれなかったの!? 起きてたなら声掛けるくらいしてくれればいいのに!」
「な、なんでって…そりゃー…あれだ。お前があんまり気持ちよさそうに寝てっから、その…起こすのもわりーかなと思ったんだよ。そう、それだけだ」


私の必死な訴えに犬夜叉はたじろぎながらも言い聞かせるようそう返してくれる。

けれど、私にはその様子が“なんだかおかしい”と直感的に感じてしまった。
言いながらなんとなく泳がせるように逸らす目線。どこか濁りを感じる説明の仕方。まるで自分自身に言い聞かせるような最後の言葉…もしかしたら私の考えすぎかもしれないと思うほど、それらは本当に些細なことだった。それでも、そんなわずかなぎこちなさでも、幼馴染みである私には十分“怪しい”と考えられてしまう。

そう、まるで…なにかを隠しているかのような…。

そうだ。考えてみれば、相手はあの犬夜叉だ。昔からいたずらを仕掛けてきたり、ことあるごとに私をからかってきていたあの犬夜叉。そんな彼が無防備に寝ている私を、それも勝手に枕にしている私をただ大人しく放っておいたとは考えにくい。きっと私が気付いていないだけで、なにか仕返しをしているに違いないだろう。

私が気付きにくい仕返し…典型的なものでいえば、顔に落書きとか?そう思ってスマホを鏡代わりに確認するけれど、どうやらそんな痕跡は一切見当たらない。

じゃあ一体なにを…と考えた時、目にしていたスマホにふと嫌な予感を感じ取った。


「…ねえ。まさかとは思うけど、私の寝顔撮ったりしてないよね?」
「え゙。し、してねえっ」


問い詰めるようにじっと見つめて言えば、犬夜叉は明らかに一瞬の動揺を見せた。すぐに否定されたけど、これはどう考えても怪しい…きっと私の予感は的中しているに違いない。
そう悟った私は、すぐさま犬夜叉を追い詰めるようにずいっ、と顔を迫らせてやった。


「ちょっとスマホを貸してもらおうか」
「なっなんでだよっ。撮ってねえって言ってんだろっ」
「信じられないからチェックするの。ほらっ、いいから貸して!」


私がすぐさま犬夜叉のポケットへ手を伸ばそうとすると、先にスマホを手にした犬夜叉が私から遠ざけるようにそれを高く掲げてしまう。

やっぱり撮ってたんだ。犬夜叉の必死な行動にそれを察しては、むっと顔をしかめてさらに手を伸ばしてやる。けれど犬夜叉も諦めなくて、ソファの肘置きに体を乗り上げるくらい懸命に私からスマホを離そうとした。と同時に、体を捻ってソファから逃げ出そうとする。
それを見逃さなかった私は途端に犬夜叉の行く手を阻むようソファに手を突いて、彼の体の上に身を乗り出すほど大きく手を伸ばした。

――よし、これならいける!


「もらっ――」


“た!”、そう言い切るはずの言葉はずるっ、という音と急転する視界に途切れてしまう。代わりに犬夜叉と揃って「え゙」という短い声を上げた直後、体をぶつける微かな衝撃がじんわり広がった。
それがやがて溶けるよう消えていけば、今度はほのかな温もりが伝わってくる。それを自覚すると同時、少し先でゴトン、となにかが落ちる固い音が鳴った。そしてすぐ傍の耳元で、トクントクンと慣れない音が聞こえてくる。

これは、私の音じゃない。そう感じて顔を上げると、すぐ目の前――鼻先が触れ合ってしまいそうなほどの近距離に、犬夜叉の顔があった。


「あ…」
「なっ…!?」


またもほぼ同時に、私たちの短い声が重なる。それもそのはずだ。手を滑らせた私が犬夜叉を押し潰すよう上に乗ってしまい、私たちはいままでに経験したこともないくらい、あり得ないくらいぴったりと密着していたのだから。

そう理解できたのは、こんな状況に陥って数秒後。しばらく呆然とするようにこの状態のまま固まっていたのだけど、途端に犬夜叉が顔を真っ赤にしては突然肩を押すようにして私をソファへ座らせた。その直後、


「あーその…べっ、便所っ。借りるからな!」


と気まずそうに声を上げるなり、彼は私の返事も聞かないままトイレの方へと駆けていく。そしてばたんっ、とそこそこの勢いでドアが閉められた。

その様子を、ただ呆然とするように見つめる。未だに状況判断が追いついていなくて目を瞬かせるばかりなのだけど、もしかして私は犬夜叉を怒らせてしまったんだろうか…? 大きい声を上げていたし、顔は赤かったし、ドアは結構強めに閉められたし…。
い、いくらなんでもやりすぎたのかな。

そんな思いがよぎっては少しだけ忙しなくなる鼓動を抑えるよう胸に手を当てる。その手の下で響くトクントクンという小さな音は、なんとなく、犬夜叉に乗ってしまった時に聞いたそれと似ているような気がした。

彼の胸の奥から聞こえた音…彼から伝わった温もり、触れてしまいそうなほど近くにあった、彼の顔…
どうしてか連鎖するようにさっきの光景が、感覚が甦ってくる。すると途端に鼓動が速さを増したような気がして、それを抑えることができない私はただ困惑するように緩く手を握り締めた。


(な、なんだろう…なんか…落ち着かない感じがする…)


強さを増す鼓動に合わせて姿を見せた不思議な感覚。まるで地に足が着かないような、ちょっとした浮遊感さえ覚えてしまうような感覚だった。

どうしてこんな感覚を抱いてしまうんだろう。最初こそは、犬夜叉を怒らせてしまったかもしれないという焦りかと思った。けれどこれはそんな不安を覚えるような嫌な感覚じゃない、それよりももっと温かくて…複雑で形容しがたい感覚だった。

そんな初めての感覚に胸を押さえながら小さく首を傾げた時、不意にドアの開く音が聞こえてくる。それにはっとして振り返ってみれば、同じくこちらに顔を上げた犬夜叉と目が合って、少し気まずそうに逸らされた。それでも犬夜叉は足を止めることなく近くまで戻ってきて、ソファの横に落としていたらしいスマホを拾い、ポケットに入れる。

そんな動作をただぼんやりと目で追っていたのだけど、徐々に持ち上げられる顔に、また目が合う、と思ってしまって。咄嗟に「え、えっと、」という声を出すことでどうにかぎこちなさを押し殺そうとした。


「さ、さっきの…その、ごめんね。ちょっとやりすぎちゃって…」
「いや…おれも、ムキになって悪かった」


少し煮え切らない言葉を向けてしまう私を犬夜叉は責め立てず、それどころか同じように申し訳なさそうな様子さえ見せてくる。それがちょっとだけ意外だと思ってしまいそうになったのだけど、同時に、なんだかほっとしたような感覚があった。たぶんそれは、彼が怒っていないことが分かったからだ。

…ということは、やっぱりさっきの胸の高鳴りの原因は、犬夜叉を怒らせたかもしれないっていう不安だったんだろうか。気付けば高鳴りも治まっているみたいだし。
なんとなく、不安とは違うと思ってたんだけどな…

なんて考えていると、不意に「もうこんな時間か」という声が聞こえた。それに釣られて視線を上げれば、壁に掛かった時計が八時前を指しているのが見える。
途中で寝てしまったとはいえ、思ったより時間が経っていたらしい。そんな実感のないままそれを思い知らされると、ふと視界の端で犬夜叉が自分の荷物に手を伸ばそうとしているのが見えた。
あ、と胸のうちで声が漏れそうになる。


「ね、ねえっ。よかったらその…ご飯、食べて帰ったら? さっきのお詫びも兼ねて、私が作るからさ」


犬夜叉が“帰る”と口にするよりも早く、私は咄嗟にそんな言葉を向けていた。まるで引き留めるようなそれに自分でも少し驚いてしまったのだけど、でも、確かにお詫びの気持ちがないわけではない。

きっと私の心の奥深くで、数々の非礼を詫びたい気持ちが強かったんだと思う。咄嗟に出てきた言葉の理由をそう決めつけるようにして、私は“どう?”と犬夜叉の様子を窺ってみた。すると犬夜叉は少し驚いたように呆然と立ち尽くしていて、なんとも言えない表情のまま私を見ている。

それは一体、どういう感情なんだろう…。
肯定とも否定ともとれないようなその姿を見ていると、なんだか余計な提案だったかな…とさえ思えてくる。それに慌てて、私はすぐさま付け足すように言葉を続けた。


「ほ、ほら、犬夜叉は帰ってもカップ麺食べるつもりでしょ? それなら一緒にちゃんとしたご飯を食べた方がいいかなーと思って…って言っても、簡単なものしかできないし…なにより、犬夜叉が良ければ…だけど…」


咄嗟に口にしながらも段々となにを伝えたかったのか分からなくなるくらい言葉が纏まらなくて、次第に犬夜叉の顔色を窺うよう声をすぼめてしまった。対して彼は、なおも私を見つめて立ち尽くすばかり。

やっぱりごちゃごちゃした言葉じゃなにも伝わらなかったかな…。そう思いながら、でもどう言い直せばいいのかも分からなくて、ただ戸惑うように犬夜叉を見つめていた。すると不意に、ようやく「あー…」という声を漏らした犬夜叉が視線をそっぽへと向ける。


「じゃあ…ありがたく食って帰ってやる」


なぜだか頬をほんのりと染めて、照れくさそうに呟かれる偉そうな言葉。まさかそんな言い方をされるとは思ってもみなくて、私はしばらくきょとんとしたまま犬夜叉を眺めていた。

だけどそんな言葉遣いがいつもの彼らしくて、馴染み深くて。
まるでその言い草にぎこちなさを忘れさせられるような、いつもの調子に戻されるような安堵感を抱いては、つい小さく吹きだすように笑みをこぼしてしまった。


「あはは、なにそれ。食べさせてもらう立場なのに、偉そうなやつ」


堪らずくすくすと笑いながらそう返す。すると犬夜叉は私のその反応が不本意だったのか、ほんのり顔の赤みを深くさせながら「うるせー」と不満げに顔をしかめていた。


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