07



「ん…?」


ふと、目を覚ます。するとどうしてか傍に焚き火が揺らめいていて、違和感を覚えた私はゆっくりと体を起こして辺りを見回した。
知らない間に、移動している。眠る前は焚き火から少し離れた木の根元で、殺生丸さまの隣にいたはずだった。けれど私はいつの間にか焚き火の傍に転がっていて、殺生丸さまの姿もない。それどころか、邪見すら見当たらなかった。

どこにいったんだろう…。ぼんやりする頭で何度も辺りを見回しながら目を擦っていると、不意に背後でガサガサガサとなにかが草木を揺らす音が聞こえてきた。思わずビク、と肩を跳ね上げて振り返ると、茂みの揺れが徐々にこちらに近付いてきているのが分かる。


(え、ど、どうしよう…! 殺生丸さまも邪見もいないのに…もしあれが妖怪だったら…!)


最悪の可能性がよぎっては、すぐさま周囲を見回して、咄嗟に焚き火から一本の大きな枝を拾い上げる。茂みの高さもそれほどないし、それに隠れるサイズなら撃退できるかもしれない。
そう思って火がついたままの枝を握り締めていると、茂みの揺れがとうとうすぐそこまで近付いてきた。


「ん? ようやく起きた…」
「きゃーーーっ!」
「どわーーっっ!?」


茂みからなにかが姿を現した途端に目を瞑るほど思いきり枝を投げつけると、なんだか聞いたことのある悲鳴が聞こえた。と同時にバシ、と打ち払うような音まで鳴らされる。それに恐る恐る目を開けてみると、そこには人頭杖を振り下ろした邪見の姿があった。


「じゃ、邪見…! よかったあ…」
「全然よくないわっっ。わしを殺す気か!」


見知った相手だったことに安堵する私に対して、邪見は人頭杖を振り上げるほど大きな動きで声を荒げてくる。
そうだ、私なにも見ないで火のついた枝を投げたんだった。彼の傍に転がるそれにようやく思い出して、「ごめん…」と頭を下げながら枝を拾い上げた。それを焚き火の中へ戻すと、邪見はそれを見つめたまま「…ったく、」と呆れた様子で眉間にしわを寄せてしまう。


「自衛するのは良いが、せめて相手をよく見んか。それでは本当に襲われてもなんの意味もないぞ」
「う…お、おっしゃる通りです…」


腕を組んで説教モードに入ってしまった邪見の言葉に頭が上がらない。けれどいつもならぐちぐちと文句を言う邪見の口も珍しくすぐに止まって、「お前に説教しに来たのではなかったわ」とため息交じりぼやかれてしまった。


「殺生丸さまがお戻りになられたらここを発つ。それまでに支度を済ませておけよ」


どうやら邪見はそれを伝えに戻ってきたみたいで、それだけを言い残すとすぐに立ち去ろうとしてしまう。それに慌てた私はすぐさま彼の小さな手を掴んでその体を引き留めた。


「ちょ、ちょっと待って。二人ともどこでなにしてるの…?」
「昨晩の準備の続きだ。殺生丸さまもそれで出ておられる。じきにお戻りになられるだろうから、すぐに行動できるようにしておけ」


わしも準備が終わっとらんのだ。そう付け加えると、邪見は私の手を払ってすたこらと去って行ってしまった。おかげで、またも一人ぼっちになる。
一人になるなって言ったのに、二人とも置いて行っちゃうんだなあ…なんて思ってしまったけれど、妖怪に襲われそうになった時に助けてくれたくらいだ。きっとこの辺りには妖怪の気配がないのだと思う。

一人そう納得しては立ち上がって、着物の汚れを簡単にはたき落とした。
本当はその準備とやらのお手伝いをしたいところだけど、なにをするのかも知らされていない私にはできることなんてなさそうで。少し申し訳ない気もしたけれど、ここは大人しく言い付け通り、いつでも動けるように私の支度を済ませておこうと思った。
そうして、慣れない着物のままよたよたと歩き出す。

向かったのはすぐ近くの、昨晩私が落ちてしまった川。昨晩の冷たさや暗さが脳裏に甦って少し怖かったけれど、顔を洗うにはそこが一番近いはずだった。
そう考えて歩いていけば、やがて舟をつけた岸辺が見えてくる。その向こうには、白い霧がかかる大きな川。けれど昨晩の姿とは打って代わって明るく、水も底が見えるくらい透き通った綺麗な景色が広がっていた。

明るさだけでこんなに変わるんだ…。ついそんなことを思いながら川の傍へ腰を落とすと、そっと水面を覗き込んでみる。そんな時、穏やかな水面に映った自分の姿に思わず目を瞬かせた。


(わ、すごい…なんだか私…別人みたい…)


いつもとは違った着物姿の自分に感動してしまう。普段は洋服しか着ないから、着物を、それもこんなに鮮やかで豪華なものを着ている姿がとても不思議で、自分なのに、見惚れてしまうような気さえした。

着物を着るだけでこんなに違うんだ…。まるでどこかのお姫さまみたい。そう思えてしまうほど綺麗な着物に見入ってしまいながら少しばかり大きく身を乗り出した――その時、突然背後から首根っこをグイ、と強引に引っ張り込まれる。驚いた私はそのまま後ろへひっくり返るように倒れ込んでしまって、はっと目を見張った先には、どこか呆れた様子で私を見下ろす殺生丸さまの姿があった。


「そのように身を乗り出すなど…また川に落ちたいのか?」
「えっ、ち、違います…! その、貸していただいた着物がすごく綺麗で…つい、水面に映った自分の姿に見入っちゃって…」


怪訝そうな殺生丸さまへすぐさま弁解の言葉を並べるけれど、口にしながらなんだか気恥ずかしくなってくる。なんというか…これじゃナルシストみたい。決してそんなつもりはなかったのだけど、あながち間違いでもなくて。どうか伝わっていてほしいと思いながら、そっと殺生丸さまを見上げてみた。

すると殺生丸さまはどこかきょとんとしたような、少しだけ不思議そうな、けれども変化の乏しいそんな表情で私を見つめてくる。


「ただの着物だろう。貴様はそのようなものが嬉しいのか?」


純粋に、疑問を投げかけられる。もしかしたら殺生丸さまはファッションなんかに興味がないのかもしれない、そう思うほど、その様子は本当に不思議そうに見えた。きっと、私がこんなにはしゃいでいることも理解できないって思っているんだろうな。殺生丸さまの姿からなんとなくそう感じては、「はい」と答えながら小さく笑い掛けてみた。
私にとっては確かに嬉しかったから。例え一時でも、こんなに綺麗な着物が着られてすごく感動したから、それを伝えるように。

すると殺生丸さまはただ黙り込んだまま。相変わらず感情の読めない表情で私を見下ろし続けて、ふ、と静かに目を伏せられた。


「それほど気に入ったのなら、それは貴様にやる」
「えっ…い、いいんですか…? これ、なにかに使う予定だったんじゃ…」
「必要なものは足りている。好きに使うがいい」


私が慌てて問いかけるも、殺生丸さまは淡々とそう言って踵を返してしまう。いただけるのは嬉しいけど…いいのかな、こんなに綺麗な着物…。なんだか申し訳ない気もするけれど、くれると言われたものを返すのも悪い気がして。せっかくだからと、素直にもらっておくことにした。

袖を緩く握って、着物を見つめる。殺生丸さまにとっては不要品を押し付けただけかもしれない。けれど私にとって、なんだかまた一歩距離を縮められたような、そんな温かい感覚があった。

なんて、私が余韻に浸るように着物を見つめていると、足を進め始めた殺生丸さまがまたも呆れたような声を向けてくる。


「行くぞ。いつまでも転がっているな」
「へ? あっ、はい…!」


その言葉にはっとして、慌てて起き上がる。指摘されてようやく思い出したけれど、そういえば私、殺生丸さまに引っ張られて地面に転がっているのだった。着物にうつつを抜かしすぎた、とまた少しばかり恥ずかしさを覚えた私は、先を行ってしまう殺生丸さまの背中をぱたぱたと追いかけた。



* * *




着物と一緒にいただいた風呂敷に私の服を包んで、どこに向かっているのかも分からないまま、ただ殺生丸さまと邪見の後ろをいそいそとついて行く。どこまで行くんだろうと思っていると、やがて辿り着いた場所にとんでもないものが鎮座していて、私は失神してしまいそうなほど強くぎょっとした。というか、思い切り悲鳴を上げて怒られてしまった。

だけどどれだけ怒られようとも怖いものは怖くて、私はこの前鬱陶しいと言われたばかりだということも忘れて殺生丸さまの背中にぴったりくっつくよう縮こまってしまっていた。
するとそんな私を見た邪見が「はあ〜」と大げさなため息をこぼしてくる。


「お前は本当に怯えてばかりだな、風羽。この程度の鬼に驚いていては身が持たんぞ」
「ぜっ…全然“この程度”じゃない…!」


平然とした様子で言う邪見にぶんぶんと首を左右に振りながら言い返す。
そう、私たちの目の前にいるのは“この程度”という言葉が最も似合わないほど恐ろしい鬼だった。頭には脳みそのようなものが露出しているし、目は赤く光っているし、なにより私たちとは比べものにならないほど圧倒的に大きい。もはや悪魔のようにさえ見えるそれが怖くないわけがなくて、私はただ震えながら殺生丸さまの背中にしがみついていた。

そもそも、どうしてこんな鬼なんて用意したの。犬夜叉さん…って人に会いに行くだけじゃないの。想像していることと現実があまりにも噛み合わなくて、私はこんな鬼を連れてきたという殺生丸さまについ恨めしい気持ちを抱えてしまいながら一層小さく縮こまった。

そんな時、邪見がとんでもないことを言い出した。


「いつまでも固まっておるでない。ほれ、さっさと鬼に乗るぞ」
「え…!? お、鬼に乗るの…!?」
「当たり前であろう。他になにに乗るというのだ」


あまりの衝撃的発言に驚く私とは対照的に、邪見は呆れのため息すらこぼすほど当たり前に怪訝そうな顔を見せてくる。

どうして。鬼に乗るなんて聞いてないし、もし聞いてたとしても怖くて絶対に無理。そもそも鬼って乗り物じゃないよ。どうして鬼に乗るなんて発想になるの。
わけが分からなくて、全然理解できなくて、私は狼狽えるように辺りを見回していた。なにか代わりのものがないかと思いながら。そんなものあるわけがないって分かっていたけれど、それでも縋るように辺りへ視線を巡らせる。

そんな時、ふと鬼の陰に隠れるなにかが見えた気がした。艶やかな、黒いなにか。なんだろうと思って目を凝らしてみると、それは漆塗りの立派な牛車のようだった。

あった…! 代わりになる乗り物! 思わずそんな思いで表情を明るくしそうになった時、ふと、牛車の中になにかが動いた気がした。


(あれ…中に、誰かいる…?)


牛車に掛けられた御簾の向こうに薄っすらと見える、人影のようなもの。はっきりとは見えないけれど、それは一人の女の人のようだった。とても長い黒髪を床に広げているし、それに、昨晩邪見が抱えて行った着物と同じものを着ている。
ということは、あの人も今回の“準備”に関わっている人なのかな。でも、あの人は誰なんだろう…。

小さく首を傾げながらその姿を見つめていると、そんな私に気付いたらしい邪見が「んん〜?」と声を上げて同じように牛車の方を見つめた。


「ああ、牛車か。諦めろ。あれには乗れぬ」
「え、なんで…? 鬼よりあっちの方が…」
「貴様のその身が潰されても良いのなら、牛車に乗るが良い」


私の声を遮って投げかけられた殺生丸さまの脅しのような言葉に耳を疑う。つ、潰されてもいいならって、どういうこと…? あの牛車は乗るために用意されたものじゃないの? 違うなら…中にいるあの人は、大丈夫なの…?

なにも分からなくて、殺生丸さまを見上げる。けれど彼はそれ以上詳しいことを教えてくれなくて。なんとなく感じてしまう不安からもう一度牛車へ視線を向けると、突然牛車の陰から小さな妖怪たちが姿を現した。どこか少しだけ邪見に似た妖怪。それに思わずビク…と肩を揺らしてしまうも、彼らは真っ直ぐ邪見の元へ向かっていって、なにかを話しているようだった。
気になって耳を傾けてみるけれど、人の言葉が喋れないのかキッ、キキッ、という声しか聞こえなくて分からない。それでも邪見にはちゃんと伝わっているみたいで、


「うむ。手筈通りに頼むぞ」


と、頷きながらなにかを指示したようだった。すると小さな妖怪たちは鳴き声のような音を返して、あっという間に牛車へ駆け戻っていく。そうしてカラカラカラ…と軽い音を鳴らしながら、女の人を乗せたままの牛車を空へと走らせて行ってしまった。

…いいのかな、あの人を乗せたままで…。
さっき殺生丸さまに向けられた不穏な言葉が気に掛かって、空高く上がっていく牛車をじっと見つめてしまう。その時、突然お腹に腕を回されて思わず「ひゃっ」と短い声が漏れた。慌てて顔を上げてみると、殺生丸さまが私を小脇に抱えている姿がすぐ傍にある。


「あ、あの…殺生丸さま…? なにを…」
「口を閉じろ。舌を噛むぞ」


戸惑う私の問いかけに素っ気なくそう言うと、邪見がしがみついた殺生丸さまは不意にタン、と地面を蹴って跳び上がった。突然のことに驚く私に構わず殺生丸さまは空高く鬼の頭の高さまで跳び上がってみせて、そのまま静かに鬼の肩へ降り立ってしまう。

心の準備もなにもできていないのに突然、それも強引に鬼に乗せられて、さらにはそこにどさ、と放られたものだから、私はまたも大きな悲鳴を上げてしまって。殺生丸さまと邪見、二人から“うるさい”と素っ気なく怒られてしまったのだった。


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