05



あれからというもの、やっぱり妖怪に襲われるんだと思い知らされた私は、殺生丸さまの邪魔にならないほどの距離をぴったりとくっついて歩いていた。おかげで邪見からは普段以上に睨まれているけれど、そんなことは気にしていられない。私だって命が掛かってるんだもの。
この前こそは、殺生丸さまが助けてくれた――と言ってもいいのか分からないけれど、次だって同じように手を貸してもらえるとは限らない。もしかしたら…もう見限られてしまうかも。
そう思うと怖くて、とにかく殺生丸さまのお傍にいれば安心だろうと考えた私は、懸命に彼の後ろをついて歩いていた。けれど…


「鬱陶しい。もう少し離れていろ」


呆気なく、切り捨てられてしまった。う、鬱陶しいはあんまりです…とは思うものの、言えるはずもなく。しゅんと項垂れては、殺生丸さまの言いつけ通り二、三歩後ろをついて歩いた。

この世界に来て…彼らと一緒に過ごして、もう何日も経った。だというのに未だ殺生丸さまの考えていることは分からず、中々打ち解けられる様子もない。邪見からは、“殺生丸さまは貴様ら人間などと比べることすらおこがましい、とても偉大なお方なのだ。よもや馴れ馴れしくしようなどとは考えるなよ”、と釘を刺されているけれど、一緒に過ごすからには少しくらい打ち解けたいと思ってしまう。
名前だってまだ呼んでもらえなくて、ずっと“貴様”か“女”って呼ばれているし…。

なにかいいきっかけでもないかな。そう思ってちら、と殺生丸さまを見てみると、ちょうどその足が止められた。かと思えば突然なにかが真横でフワ…と浮かび上がったものだから、つい驚いて殺生丸さまの陰に隠れてしまった。
い、今のなんだったんだろう…。そっと覗いてみれば、不意に浮かび上がったのは人頭杖のようだった。翁の面の目を赤く光らせて、杖が独りでに動き出している。


「殺生丸さま。こちらのようでございます」


止まった人頭杖を掴んで邪見がそう言う。すると、殺生丸さまは無言のままその方角へ足を向け直した。私の手から殺生丸さまの着物がスルリと抜ける。
置いて行かれる、そう思った私は慌ててそのあとを追って、また怒られないように二、三歩後ろをくっ付いて歩いた。



* * *




やがて日も落ちた頃、私たちが向かっている方角にいくつかの灯りが揺れているのが見えた。そこにはなにかが複数いるみたいで、賑やかな声も聞こえてくる。
また怖い妖怪だったらどうしよう。そう思って足を止めてしまいそうになる私とは違い、殺生丸さまは邪見の「あそこのようですな」という声に足を進めていく。それをあとから追いかけようとする邪見を見て、私は慌ててその着物をむんずっと掴み込んだ。


「ぐえっ。な、なにをする風羽っ」
「ね、ねえ邪見…あの光、大丈夫…? 人を襲う妖怪とかじゃない…?」


構うことなく遠ざかっていく殺生丸さまの背中を遠目に見ながら、その向こうの光のことを邪見に訊いてみる。すると邪見は、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ私の顔を真正面に見据えて、「はあ〜?」と呆れたような馬鹿にするような、とても素っ頓狂な声を上げてきた。


「なにを怯えておるのだ馬鹿者。あれはただの人間どもだ」
「え、人…?」


恐らくどこぞの国の武士であろう。そう教えてくれる邪見の言葉に顔が上がる。
武士、というのが少し気になるけれど、やっと私と同じ人間という種族が見つかったんだ。もしかしたらその人たちにここがどこかとか、どうすれば帰ることができるか教えてもらえるかもしれない。そう思うと、なんだか胸が躍るような気がした。

わ、私も早く行こう…!
そう思って腰を上げた途端、元から騒がしかった向こうの人たちが今までとは違うざわめきを上げ始めた。その時すでに、私の目の届く場所に殺生丸さまの姿はなくて。もしかしたら向こうの人たちとなにかあったのかもしれない、と考えた私は、つい戸惑うように足を竦めてしまった。けれど、そんな私とは対照的に邪見は「ほれ、早く行くぞ」と言い残して、軽快にそこへと向かっていく。
絶対そんな風にひょいひょい歩いていくような雰囲気じゃないよ…。彼の姿についそんなことを思いながら、私もそろそろと様子を窺うようにゆっくり近付いてみた。

そこには大河ドラマなんかでよく見る、家紋の入った大きな幕が壁を作るように広げられていた。陣幕、って言ったかな…。ざわめく声はその向こうから響いているようで、私は幕の陰に隠れながら、殺生丸さまや邪見の姿を捜すように向こう側を覗き込もうとした。

その時、覚えのある不気味な悲鳴が聞こえてくる。これは…人頭杖の女の面の悲鳴だ。そういえば邪見が、ここがお墓かもしれないって言ってたっけ…。


「女の顔が鳴きましてございます。ここもお探しの墓ではございませんな」
「そうか…ところで、あの女はどうした?」
「風羽でございますか? それでしたら、恐らくそこに…」
「き、貴様ら人間ではないなっ」


呼ばれていると思って出て行こうとした瞬間、殺生丸さまたちとは違う乱暴な声が響かされて立ち竦んでしまった。そおっ、と覗き込んでみれば、そこではたくさんの男の人たちが物騒な刀を手にして殺生丸さまたちを囲んでいる。

着物の上に重そうな鎧を纏ったその人たちは、まさに大河ドラマに出てくるような武士そのもの。だけどどうしてか、ドラマよりも生々しく“時代”を感じてしまうような気がして。やっぱりここは私がいた時代よりも、ずっとずっと昔の日本なんだって思い知らされるような錯覚を抱いてしまった。

どうして私がこんな世界に…ついついその疑問をぶり返すように思いながら俯いていると、ふと視線を感じるような気がして顔を上げた。
殺生丸さまだ。なにをしている、早く来い、まるでそう言わんばかりに鋭い目を向けられている。それにびく、と背筋を伸ばした私は周りの武士たちに目をやって、誰も気が付いていないことを確認しては、すぐさま殺生丸さまの元へ飛び出した。

すると、私に気付いた武士たちが途端にどよめきを上げる。それに慌てた私はまた殺生丸さまの背後にくっつくよう隠れて、きゅっと小さく縮こまった。


「遅い」
「ご、ごめんなさい…お待たせしました…」
「さっさとついて来なければ置いて行くぞ」


一層肩をすぼめて謝る私に、殺生丸さまはまるで武士たちが見えていないかのように私へ視線を落としながら、ため息交じりに一括された。それにもう一度頭を下げようとした時、武士たちが私を見ながら訝しげな顔を見せてくる。


「な、なんだあの女は…奇妙な着物を着ておるぞ」
「おのれ。あれも物の怪の類かっ」
「なんだ人間ども、まだいたのか」


次々と声を上げる武士たちに殺生丸さまはいま気が付いたと言わんばかりに顔を向ける。とっくに去っているものだと思っていたのか、どうやら殺生丸さまは本当にあの人たちのことを見ていなかったらしい。
ただ不思議そうに、呆れているような目でそれを見ている。

――その時だった。


「退治してくれるっ」
「取り囲めーっ」


突然武器を掲げたかと思えば、武士たちは私たちに向かって一斉に駆け出してくる。思わず肩を大きく揺らして殺生丸さまにギュウ、としがみついてしまったけれど、その殺生丸さまは対照的にとても冷めた様子で


「鬱陶しい。邪見、貴様に任せた」


そうとだけを言い残して、呆気なく体の向きを変えてしまった。邪見が返事をするのも聞くことなく。
そんな殺生丸さまが不意に私の頭へ手を添えてきたかと思えば、「行くぞ」と言って強引に頭の向きを変えられた。あまりに突然のことでついよろけてしまいそうになる。

――その時、「ひへへへ。人頭杖の力、とくとごろうじろ」という邪見の楽しそうな声が聞こえたかと思えば、直後になにかが勢いよく噴き出す音と、耳を塞ぎたくなるような断末魔がほんの一瞬だけ聞こえた気がした。


「ひへっ、跡形もないわ」


そう言い捨ててしまう邪見の声に遅れて、なにかが焼けたような嫌な臭いが漂ってくる。それだけで、なんとなく邪見のやったことが分かってしまった。

人頭杖は火を噴ける。一瞬の断末魔に、焼けたような嫌な臭い。邪見の“跡形もないわ”という言葉…。連想するようにイメージを広げそうになってヒヤリとした私は、途端に思考を掻き消すように頭を振るった。考えちゃダメ。早く離れよう。そう思って、すぐに先を行く殺生丸さまを追い掛けようとした。

けれどそんな時、隣に並んだ邪見が不意に「こ、これは…」と驚いたような声を上げて足を止めてしまう。


「どうかしたの…?」
「杖が方角を変えた…動いておるのか? 牙の在り処は…」
「え…」


恐る恐る振り向いてみれば、翁の目を赤く光らせた人頭杖が独りでに大きな川の方へ進んでいく。さっきまで示していたのは、いま殺生丸さまが向かっている方角だったはずなのに。人頭杖はこの川の向こうに目的のお墓があると意見を変えた。

それが今度こそ正解なのかは分からない。けれど杖が方角を変えたことはすぐに殺生丸さまに知らされて、私たちはこの川を渡ることになった。
ちょうどここには手漕ぎの小さな舟もある。きっとあの人たちが使おうとしていたものなのだろうけど、殺生丸さまにそんなことは関係なくて、彼は近くの舟にさっさと乗り込んでしまわれた。すると舟が揺れて、水面に大きな波紋をいくつも広げる。それを傍でじっと見つめていると、私を見上げる邪見が人頭杖を振って促してきた。


「なにをぼーっと突っ立っておる。わしは舟を漕ぐのだから、お前が先に乗るのだぞ」
「う、うん…」


訝しげな邪見の言葉に呟くように返す。けれど、その足は中々踏み出せずにいた。

…というのも、私はこの手の舟があまり得意じゃないから。だからどうしても、足を竦めてしまう。
こうなってしまった事の発端は、小さい頃におばあちゃんと手漕ぎボートに乗った時。あまりに楽しくてはしゃいじゃった私は、無謀にも身を乗り出して、あえなく池の中に落ちてしまった。思っていたよりずっと深い池で溺れかけた私はそれがトラウマで…以来、舟を見ても避けるようになっていた。

だというのに…まさか、こんなところで乗らなきゃいけなくなるなんて…。

どうか落ちませんように…心の中で唱えるように願いながらそーっと足を伸ばして、舟の底をしっかりと踏みしめる。やっぱり揺れる…けど、ゆっくり乗れば行けそうかも。なんて思った矢先、


「ええい、さっさと乗らんかっ!」
「ひゃっ!?」


突然お尻を蹴り飛ばされたせいで前のめりになる。それどころか思い切りバランスを崩してしまった私は、そのまま舟の底に手を突きそうなほど大きく体を傾けた――その瞬間、反対の腕に一瞬だけ痛みが走る。するとどういうわけか、体は舟の底に打ち付けられる前にピタリと止められていた。それに恐る恐る目を開けてみれば、突然飛び込んできた光景にはっと目を見開く。

すぐそこは、殺生丸さまの首元だった。咄嗟に顔を上げれば、視界の端で私の腕を掴む殺生丸さまの手が見える。けれど、なによりも私の意識を引いたのは、すぐ傍の端整な顔。もう少しで触れてしまいそうなほどの距離に、殺生丸さまのお顔があった。


「えっ、あ…ごっ、ごめんなさ…!」


思わず顔をぼっ、と熱くさせた私は慌てて下を向く。まさかそんなことになってしまうなんて思ってもみなくて、殺生丸さまに腕を放されるとすぐにへたり込むよう手と膝を突いた。
顔が熱くて、鏡を見なくても真っ赤になっていることは明白で。とても顔を上げられなかった私は、殺生丸さまの足元で萎むようによろよろと小さくなっていく。

さっき一瞬だけ腕に痛みが走ったのは、殺生丸さまが咄嗟に掴んでくれたからだったんだ。もしそれがなかったら、私は今頃殺生丸さまに飛び込んでしまっていた…なんて、想像するだけで恥ずかしいやら申し訳ないやらで、余計に頭を上げられなくなる。

けれどそんな私とは対照的に、殺生丸さまは顔色ひとつ変えることなく邪見を鋭く見据えていた。


「余計なことをするな…沈めるぞ」


さらりと吐かれる言葉に私までびく、としてしまう。けれど邪見は私の比じゃないくらいの恐怖を感じたようで、一瞬で謝罪しては話題を逸らすように慌てて舟を漕ぎ始めた。

不安定に揺れる舟がゆっくりと進んでいく。
ようやく気を落ち着かせることができた私は、そーっと船から顔を上げてみた。けれど、辺りの景色は夜闇と深い霧に包まれているせいで、よく分からない。水面を覗き込んでみたけれど、そこには薄っすらと私の顔が映るくらいでほとんど暗闇同然だった。
これほど暗いと、深さすら分からない。そう思うと池に落ちてしまった時のことを思い出して、よろよろと舟の真ん中の方に身を寄せて縮こまった。

昔みたいに体が小さいわけではないし、そう簡単に落ちることもないはず。そう思っても溺れかけたあの経験はしっかりと私の中に刻み込まれていて、ついブル…と身を震わせた。
早く岸に着かないかな…。先の見えない景色にそんなことを願っていたら、不意に邪見から「おい風羽、」と呼び掛けられた。


「わしと代われ」
「ええ…」
「お前、ついて来る時に“なんでもする”と言ったであろう。わしは殺生丸さまにお話があるのだ。ほれ、早くしろ」


岸に着くまでじっと固まっていようと思ったのに、邪見はそう言って私に人頭杖を押し付けてくる。そのまま追い払われるように邪見と立ち位置を入れ替えて、私は渋々言われた通りに人頭杖で水面を掻いてみた。

舟を漕ぐなんてしたことがないけど、幅もない人頭杖じゃ全然上手くできやしない。むしろ邪見はよくこれで漕げてたなあ…なんて思いながら、その姿をちらりと窺ってみると、その邪見が先頭を向く殺生丸さまの背後でまごまごしていることに気が付いた。

なんだか緊張しているようにも見えるけど、話をするんだよね…? そんなに気を遣うような話って、なんなんだろう。そう思いながら眺めていると、彼はしばらく考えるような仕草を見せたあと、ようやく「殺生丸さま…」と控えめな声を掛けた。


「なんだ?」
「お墓の在り処…犬夜叉なら知っているのでは?」
「犬夜叉…」


邪見の言葉に少しだけ殺生丸さまが顔を上げる。

“犬夜叉”…というのが誰なのか分からないけれど、お墓の在り処を知っているかもしれないってことは、お父さんの知り合いとかかな。なんてことを考えた刹那、突然振り返ることもなく振るわれた殺生丸さまの腕が、ばき、と音を立てて邪見を舟から叩き落してしまった。それどころか殺生丸さまは驚いて硬直してしまう私から人頭杖を取り上げて、その先を彼の額にグイグイ押し付けて沈めようとしてしまう。


「胸くそ悪い半妖のことなど思い出させるな」
「あ゙ううっ、お許しを」


必死に顔を上げようとする邪見に対して絶えず人頭杖を押し込む殺生丸さま。それは本当に容赦がなくて、相手がいつもむかつく態度をとる邪見でもつい心配になってしまうほど、必死にもがく姿が悲惨だった。
けれど私に殺生丸さまが止められるはずもなく、あわあわと狼狽えることしかできない。

なんだか分からないけれど、彼に“犬夜叉”という名前は禁句だったみたい。邪見がこの話を切り出す前にすごく緊張していた理由がいまならよく分かる気がする。

殺生丸さまがこっちに振り返らないから表情は窺えないけれど、私までびくりと肩を揺らしてしまうほど、その声は確かに低くなっていた。


「第一、奴は生きてはおらん。封印されたと聞いているぞ」
「で、ですからその封印が、解かれたと…」
「なに?」
「それに時折、杖の示す先が動くのですっ。これはなにか犬夜叉の目覚めに関わりがあるのではと…」


ついに殺生丸さまが振り返るほどの反応を見せた。けれど、その手は依然として押し込まれたまま。むしろ一層深く沈めてしまうものだから、とうとう邪見の姿が完全に水の中に消えていた。

こ、このままだと本当に邪見が死んじゃう…! そう思って慌てた私は、すぐさま殺生丸さまの腕を上げるようにしがみついていた。


「せ、殺生丸さまっ、邪見が死んじゃいます…!」
「心配せずとも、こやつはこの程度で死にはせん」


さらりとそう言い返してくる殺生丸さまは私の手を引き剥がすついでに人頭杖を渡してきて、そのままもう一度先頭に向き直ってしまった。これは…殺生丸さまなりに手加減してあげていた…ってことなのかな…。

そう思ったけれど、無残にもぷかー、と浮かび上がる邪見の姿を見つけた私は思わず悲鳴を上げてしまったのだった。


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