02



「貴様、名はなんというのだ」


二人が再び歩き出して、それについていく私が落ち着いた頃。不機嫌そうにそう問いかけてきたのは、殺生丸さまの元々の従者である小さい子――もとい邪見だった。
彼は私が同行することがやっぱり気に入らないようなのだけど、主である殺生丸さまが許可した以上、一応は受け入れてくれるみたい。

とはいえ優しくしてくれることはないようで、あれからずっと厳しい視線を向けられ続けている。


「えっと…風羽、です」
「はんっ。その奇妙な格好同様、おかしな名だな」
「お、おかしい…かな…」


は、初めて名前をバカにされた…しかも、さらっと服装まで…。そんな彼の態度に、私はただ困ったように笑うしかなかった。…のだけど、「わしのことは邪見さまと呼べ」なんて横柄な言葉を向けられてしまっては、ついつい渋い顔をしてしまった。

も、申し訳ないけれど…彼は“邪見さま”という感じではない気がする…態度も見た目も、小さい子供みたいだし…
なんて、素直に言ってしまうとさらに機嫌を損ねる気がして、その言葉はそっと心の奥底にしまっておくことにした。これ以上嫌われたくはない。今でさえピリピリしているんだから…。


「そ、そういえば…殺生丸さまはどこに向かってるの?」


話題を変えようと思って、後ろを歩く殺生丸さまをちら、とだけ振り返りながら、隣の邪見にそれを聞いてみた。どうして本人じゃなくて邪見に聞いたのかというと、行き先を決めているのがどうやら邪見のようだったから。
だから彼に聞けば教えてもらえると思ったのだけど、その邪見には「はあ〜?」と素っ頓狂な声を上げられて、さらに訝しげな顔まで向けられた。


「貴様がそれを知ってどうするというのだ。いつまでも図々しくついて来るつもりではあるまいな」
「わ、私だって早く帰りたい、けど…いつ帰れるかとか…分からないから…」


自分で言いながら、段々と肩を落としそうになる。だけれど、本当のこと。帰り道が分からなければ、帰り方だって分からない。そもそもここがどこかも分からないというのに、そんな状態で都合よくすぐに帰れるとは思えなくて、二人と一緒に過ごすことがしばらく続きそうだとさえ感じ始めているくらいだった。

だからこそ、胸の奥に居座っているどうしようもない不安に、ため息をつくこともできないほど深く俯いてしまう。


(おばあちゃん…大丈夫かな…)


やっぱり心配なのは、おばあちゃんのこと。私はこうして無事でいられているけれど、おばあちゃんはいま家に一人だけ。私がいなくなったからと心配しているかもしれない。腰を悪くしたばかりなのに、もし無理をして私を捜し回っていたらと思うと心配でたまらなくなる。
早く家に帰って、安心させてあげたい。心配かけてごめんねって、謝りたい。

そんな思いばかりが押し寄せてきて深く俯き続けていたせいか、ふと私を見上げた邪見がはあー…と大きなため息をこぼした。それも呆れ果てたような、面倒くさそうなため息。


「わしらは今、殺生丸さまの父君の墓を捜しておるのだ。お前の帰り道を捜す手伝いなど絶対にせんからな」


邪見には私が帰り道を捜してほしそうにしていると見えたのか、釘をさすように厳しく言い捨てられた。私はそんなつもりなんてなかったのだけど…なんだか、申し訳ないな。


「か、帰り道は自分で捜すから、大丈夫…そこまで迷惑はかけられないし…」
「はっ。当然だろう」


一応弁明するように言ってみたけれど、呆気なく一蹴された。
うう、やっぱり厳しい…。でも、この人たちと一緒にいないと、私は帰り道を見つける前に殺されてしまうかもしれない。そう思うと挫けてもいられなくて、懸命に邪見のすぐ傍をついて歩きながら、少しでも打ち解けてもらおうとなんとか話を続けてみた。


「と、ところで…そのお墓の場所は分からないの…? 殺生丸さまのお父さまのもの、なんだよね…?」
「分かっておったらこんな苦労はしておらんわい。父君はな、殺生丸さまに墓の在り処を教えなんだのだ。おかげで当てもなく、こうして一から捜すハメに…」


なんて言い始めた邪見の小言は止まらず、足を進めるままぶつぶつと一人呟き続けていた。
それだけ不満が溜まっているということは、もうずいぶん捜し続けているんだと思う。だけれど未だに見つかっていないなんて、本当にお墓の場所を知らされていないんだって痛感してしまった。

普通なら自分の息子にお墓の在り処くらい教えるものだと思うのだけど…もしかしたら、なにか教えたくない理由でもあったのかな。そう考えると、不意に、二人がどうしてそこまでしてお墓を捜しているのか不思議に思えた。


「あ、あの…そもそもなんでお墓を捜してるの? お墓参り…って感じでもないよね…?」
「それほど気になるか?」
「ひゃっ!? せっ、殺生丸さま…!」


突然真後ろから邪見ではない声が聞こえてつい跳ね上がってしまった。咄嗟に振り返ったそこには、離れたところにいたはずの殺生丸さまの姿。足音を立てられないから、ここまで近付かれていることに全然気が付かなかった。

突然のことに驚いたせいで、どきどきどきと鼓動が早まる。それでも小さく控えめに頷いてみせると、殺生丸さまは静かに私を見やった。


「刀だ。父上の牙から打ち起こされた妖刀…それが、父上の墓に残されていると聞く」


フ…と外した視線をどこかへ投げて、呟くように言われる。その姿から、彼は決して嘘を言っているわけじゃない、ということは分かった。
けれど…お墓に刀って、一体どういうことなんだろう。それにその刀は、お父さまの牙から作られたっていうし…。

そもそも、殺生丸さまのお父さまには牙があるの? その牙から刀が作れてしまうの…?
とてもファンタジーなお話をされているような気がして、私の中の常識が音を立てて崩れてしまいそうだった。だって人間には牙なんてない。牙から刀を作るなんて聞いたことがない。しかもそれを、自分のお墓に遺すなんて想像もできない。

おかげでお父さまのイメージを固めることすらできなくて、無性に気になってしまった私は殺生丸さまのお顔を覗き込むようにして問いかけてみた。


「その…殺生丸さまのお父さまって、どんな方だったんですか?」
「……」


私の言葉に、殺生丸さまは小さな反応すらなく口を閉ざしてしまった。しばらく答えを待ってみたけれど、無言のまま。なにも答えてはくれない。

…も、もしかして、思い出させるようなことを言うのは無神経だったかな…お父さまはもう亡くなっているわけだし…。
そう思って殺生丸さまの表情を窺ってみるけれど、その顔は特に気分を害したようでもない、これまで通りの無表情。怒っているわけでもなさそう…だというのに、殺生丸さまはどこか彼方を見つめたまま、やっぱり答えてくれそうにない。

ど、どうしよう。やっぱりいいですって断った方がいいのかな。思わずそんなことを考えるほど焦り始めた時、隣の邪見が代わりと言わんばかりに「殺生丸さまの父君はな、」と自慢げな声を向けてきた。


「西国を根城にされていた、それはもうご立派な大妖怪であらせられたのだ」
「え…よ、妖怪…?」
「そうだ。妖怪も妖怪、大妖怪であって…って、なにを呆けた顔なんぞしておるのだ」
「だ…だっていま…妖怪、って…」
「はあ? 殺生丸さまの父君なのだから、妖怪であるに決まっておろう。なにをわけの分からんことを言っておるのだ」


そう言って邪見は小馬鹿にするように訝しげな顔を上げてくる。けれど、私はそんな邪見に怪訝な表情を返してしまった。だって、彼のその言い分では、いま私の隣にいるこの人…殺生丸さまが“妖怪”だって、そう言っているということなんだもの。

そもそも、この世界には妖怪が存在するの? なによりもそれが衝撃的で信じがたい話だけれど、現に、目の前で私に構わず話を続けている邪見こそ、どう見たってその類だった。それこそ、初めて姿を目の当たりにした時にも思ったくらいに。

じ、じゃあ、妖怪は存在するものだとして…。
殺生丸さまも、妖怪なの…?

信じられなくて、隣にあるその姿をチラ…と見上げた。どう見ても私と同じ、人間の姿――だけど、言われてみれば確かに、不思議な点はいくつかあった。
銀色の長い髪に、金色の瞳。額の三日月や頬の模様に加えて、彼の耳は普通よりも尖った…いわゆる、エルフ耳と呼ばれる形をしていた。

突然色んなことに見舞われすぎて気に留めていなかっただけで、人間のような姿をした殺生丸さまにも、人間離れしたものが端々にあったんだと、今になってようやく痛感してしまう。ということは、やっぱりどこか信じられないけれど…殺生丸さまが妖怪、だって、納得してしまうような気がした。


(…だとしたら…妖怪が存在する、この世界は…)


一体、どこなんだろう。

膨れ上がる疑問に視線を落とす。足元の地面は舗装なんてされているはずもなく、辺りには街灯も見当たらない。それどころか、二人を追い掛けた丘で見た周囲に――麓に広がっていた広大な景色の中に、人工の光なんて見当たらなかった。ビルもマンションも、家もお店も…なにひとつなかった。

まるで、遠い昔の景色のように。

そんな考えがよぎった瞬間、はっと顔を上げた。私の目の前の邪見、隣の殺生丸さま。二人は今時見かけないような着物を、当然のように着ている。殺生丸さまは物々しい鎧まで身に着けているし、帯刀だってしている。普通はそんな鎧なんて必要ないはずだし、刀なんて持っていたら捕まってしまう。それなのに、この人たちにはやっぱりこれが当たり前のようだった。むしろ、私の洋服を“奇妙な恰好”と言ったくらいに。


(……もしかして…)


浮かび上がった可能性に、もう一度視線が落ちる。なにもない景色、二人の服装――たったそれだけの要素だけど、それでも感じてしまった。

私は、“タイムスリップ”をしてしまったのかもしれない、なんて。

信じられない、けれどもしそうだとしたら、これまでの全てに辻褄が合うような気がした。時代がいつなのかは分からないけれど、ここが私の元いた時代よりもずっと遠い昔なのだとしたら、殺生丸さまが鎧を着けているのも刀を持っているのも、納得できる。一切手を付けられていない広大な景色に、合点がいく。

――けれど、ひとつだけ分からない。
殺生丸さまたち、妖怪のこと。

今まで日本史なんかで昔のことを知る機会はあったけれど、そのどこにも、妖怪がいたなんて話は聞いたことがなかった。むしろそれは、おとぎ話の中の存在。実在するなんて、思ったこともなかった。

でも現に、二人は妖怪で、私の前にちゃんと存在している。それに私が目を覚ました時…あの時、初めて目にしたものも、妖怪だった。あれは人間よりもずっと大きくて、明らかに人の形をしていなくて…人を、たべて……


「っ…」


突然フラッシュバックするように甦ってきた光景に顔を歪める。余計なことを思い出してしまった。思い出さなければよかったのに、忘れてしまえばよかったのに、それでもあの光景は私の脳裏にひどく焼き付いていて、途端に連鎖するよう、鮮明に甦ってしまった。

ほんの一瞬のうちに、血の気が引いたのが分かる。嘔吐感がこみ上げてくる。思わずうずくまるようにして口を押さえてしまうと、そんな私に気が付いた邪見が振り返ってきて。訝しげな表情を浮かべたかと思うと、「ふんっ」と馬鹿にするように鼻を鳴らされた。


「早速音を上げたようだな。やはり貴様がついて来るなど無謀だというのだ。さっさと諦めて、勝手にどこかへ行くが良いわ」


さっきまで嬉しそうに話をしてくれていたのに、彼は途端にしっしっ、と払うよう手を振ってくる。よっぽど私が疎ましいんだろうな…嫌でも分かってしまうその様子に、私は小さく首を横に振ってみせた。


「そうじゃ、なくて…思い出したくないもの…思い出した、だけ、だから…」


誤解を解こうと声を振り絞ってみたけれど、吐き気に加えてひどい頭痛に見舞われた。頭をガンガンと殴られるような、激しい痛み。そのせいで余計に気持ち悪くなってきて、とうとう顔を上げることすらできなくなってしまった。

少しでも落ち着かせたくてゆっくりと息を吐いてみるけれど、嘔吐感があるためにうまく吐き出せない。少し息を吐いては、込み上げてくるものを押さえて、冷や汗を滲ませる。
そんな無様なことをしていたせいか、地面を映していた視界に黒い履物が踏み込んできた。


「気分が悪いのか」
「ごめ…なさい、少し…」


振らされた言葉になんとか返事をする。私のせいで足を止めさせてしまったと思って謝ったのだけど、殺生丸さまはなにも返してはくれなかった。
たぶん、呆れた様子で私を見下ろしているんだろうなって、彼を見上げることもできないまま考えた。

するとようやく発せられた殺生丸さまの声は、こちらではないどこかを向いているような、ほんの少し離れて聞こえた気がした。


「邪見、そこに火を起こせ。今宵は一度休む」
「へっ? あ、ただいまっ」


予想外な殺生丸さまの言葉は彼にとっても意外だったのか、驚いたように返事をした邪見がばたばたと走る足音が遠ざかっていく。火を起こせと言われていたし、邪見はきっとその準備に向かったんだんと思う。

私だって、手伝わなきゃ…。そうは思うのに、頭は痛いし気分は悪いし、おまけに目まで回ってきたような気がして、自分の体が全然使い物にならないことをひどく痛感してしまった。

けれどいつまでもこうしてうずくまっているのも許されなくて、頭上から「立て」と短い声が降らされた。私はそれに返事もできないまま、それでもなんとか立ち上がろうとした――の、だけど、想像以上に力が入らなくて、ふらつく体を支えることで精一杯だった。
そんな私に呆れたのか、小さくため息をこぼした殺生丸さまが私の二の腕を掴んで、グイ、と強引に私を立ち上がらせた。


「わっ…」


突然のことに足がもつれて、咄嗟に殺生丸さまへ縋りついてしまう。すると殺生丸さまは私の二の腕を掴んだまま、「…軽いな」とほんの小さく呟いた。
思わず、彼を見上げる。けれど、思っていた以上に殺生丸さまのお顔が近くて。はっと目を見張った私は、「ごっ、ごめんなさい…」なんて小さく謝りながら、すぐに顔を俯かせてしまった。

それでも、殺生丸さまから続く言葉はない。彼はただ、そのまま私を引き摺るようにしながら、向こうの木の傍までゆっくりと歩いて行かれた。
そこに、私を座らせてくれるみたい。


「あ…ありがとう、ございます…」


木に手を突いて、絞り出すようにお礼を言えば、殺生丸さまは掴んでいた腕を放してくれた。「礼を言われる覚えはない」なんて、素っ気なく言い捨てながら。
そうして殺生丸さまが少し離れた場所へ歩き出すと、私は木にもたれ掛かって、ずるずると滑るように腰を落とした。

色んなことに見舞われすぎて、体も追いついていないのかもしれない。元々、環境の変化には弱いタイプだし、慣れないことばかりで混乱してるんだろうな。戻ってきた邪見が焚火の準備を済ませる様子をぼんやりと見つめながら考える。

こんなんじゃダメなのに、気分の悪さは晴れなくて嫌な汗ばかりが溢れ出る。体も熱い。
あまりよくないのは分かっているけれど、発熱する自分の体の熱さと溢れてくる汗に耐えられなくて、私はぼうっとした頭のまま、小さく持ち上げた手で自分を仰ぐようにこまねいた。するとそれに応じるように、サア…と音を立てるそよ風が吹き込んでくる。
私はそれを汗に濡れた体で受けながら、心地よさと押し寄せる重たい疲れに瞼を落としそうになった。そんな時、


「貴様のそれは…」


殺生丸さまが小さく、私になにかを言い掛けた気がした。なんだろう…そう思って私は返事をしたつもりでいたけれど、実際にその口から声が出ることはなくて。疲労感に包まれるまま、私の意識はゆっくりとまどろみの中に沈んでいくよう、遠ざかっていった。


back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -