27



あの日から、殺生丸さまは私たちの休息時を中心に一人でどこかへ行かれるようになった。いつもどこでなにをしているのかは分からなくて、殺生丸さまも「待っていろ」と言付けられるだけ。私と邪見は残されるたびに“なにかあったのかな?”とお互い首を捻るばかりだった。

――そんなことが続いた、ある日。これまでと同じように休息中に出ていった殺生丸さまを待っていると、しばらくして彼がいつも通り私たちの前へ静かに降り立った。
けれどいつもと違ったのはそのあとのこと。これまでは戻ってくると「行くぞ」と言ってなにごともなかったように旅を再開していたのだけれど、今日だけはそれがなかった。代わりに――


「風羽。お前が現れた場所に、以前はなかったはずの奇妙な祠を見つけた」


という声を向けられる。
いつもとは違う言葉、それも私に関することで、理解に遅れた私は「え…?」と小さな声を漏らすまま殺生丸さまを見上げていた。

“お前が現れた場所”…というのは、私が初めてこの時代にきた場所、なのかな…。そんな場所に、前はなかった祠がある…? それも“奇妙な”って…?
なんとか理解しようと殺生丸さまの言葉を頭の中で反芻してみるけれど、考えれば考えるほど分からなくなってしまうような気がしてくる。

どうしても理解が追いつかなくて、ただ戸惑うままに殺生丸さまへ視線を上げてみた。すると殺生丸さまは変わらず私を見下ろされていて、やがてそっと口を開かれる。


「確かめてみるか」


私を見据えたまま、問うように向けられる言葉。

…もしかしたら、その祠が私となにか関係があるかもしれない。きっと殺生丸さまもそう感じたから、こうして私に教えてくださったのかも。そう考えた私は小さく息を飲んで、


「…はい。お願いします」


意を決するように、そう口にしていた。








――そうして、殺生丸さまが広げる尾に乗せられて辿り着いたのは、私と彼らが出会った峠の傍。私がこの時代に飛ばされて気を失っていた森の中だった。

そこを殺生丸さまに案内されるよう進んで行けば、「あれだ」という短い声と同時に足が止められる。それに釣られて足を止めた私と邪見は、殺生丸さまの背中からそっと彼の声が示す方を覗き込んでみた。


「あ…」


たまらず、小さな声が漏れる。顔を覗かせた視線の先に、確かに祠がひとつ、ぽつんと建っていたのだ。ぽつんと、といっても土台になっている岩を含めて二メートル近くの高さがあって、人がひとり収まりそうなほどの大きさをしている。

あの時――初めてここで目を覚ました時、いくら気が動転していたとはいえ、周りの様子はたくさん見て確認したはず。それなのに、不思議と存在感のあるこの祠を見落とすとは思えない。
…ということは殺生丸さまの言う通り、以前にはなかったということなのだろうけれど…

どうして突然、こんな場所に祠なんて現れたんだろう…。

理解のできない状況に、ただただ困惑するまま立ち尽くしてしまう。そんな時、私の隣で同じように眺めていた邪見が「んー?」と唸りながら足を踏み出したかと思うと、そのままなんの躊躇いもなくとてとてと軽い足取りでその祠に近付いていった。

えっ、こ、恐くないのかな…。そう思ってしまうほど腰が引けている私とは裏腹に、邪見は祠の目の前まで寄ってはまじまじとそこを見回し始める。


「ふむ…見たところなんの変哲もない祠のようですな。中を見てみればなにか分かるやも…でっっ!?」
「じゃっ邪見!?」


祠の戸へ手を伸ばした邪見が突然弾かれるように尻餅をついてしまって、驚いた私はすぐさま彼の元へ駆け寄ってその体を支えた。見たところ怪我はしていないみたいだけれど…同じく驚いている彼は祠に触れた右手をぴくぴくと小さく震わせながら、怪訝そうな顔で祠を見つめていた。


「こ、この祠…結界が張られておる」
「え…結界…?」


彼の思わぬ言葉に眉をひそめて、私も続くように祠へ目を向ける。
けれどそれはどう見ても、特に変わったところのない普通の古びた祠。だというのにそこには、いま目の前で邪見が弾かれたように目には見えない結界が張られているという。

でも、どうしてこんな祠なんかに結界が…?
そう思っていると、私たちの元まで歩みを寄せた殺生丸さまが祠を見据えるまま端的に言った。


「風羽。お前が試してみろ」
「えっ!? わ、私が、ですか…!?」


突然の思ってもみない指示に愕然として聞き返してしまう。けれど、どうやらそれは私の聞き間違いではないようで、殺生丸さまは静かに私の方へ視線を移しながら言葉を続けられた。


「恐らくこの祠はお前がこの世に訪れたあとに現れたものだろう。お前ならば、中を確かめられるのではないか」
「そ、それは…」


淀みなく向けられた、当然とも言える説得。それに私はつい言葉を濁しながら逃げるように目を逸らしてしまった。

もちろん、殺生丸さまの言い分は理解している。私だって、殺生丸さまがこの祠を見つけたと教えてくださった時には、もしかしたら私に関係があるのかもしれないと思った。
けれどいざ祠を目の前にしても既視感のようなものを抱くことはなかったし、心当たりだってない。そしてなにより、今しがた邪見が弾かれたところを見てしまったから、やっぱり怖くて近付くのを躊躇ってしまう。

どうしても私が確かめなきゃいけないのかな…。そんな思いでもう一度ちら…と殺生丸さまの表情を窺ってみるけれど、その視線は変わらず私に注がれるまま。お前が適任だと言わんばかりに真っ直ぐ見つめられ続けていた。

その視線が、無言が、私にずっしりと圧をかけているような気がして。次第に急かされているようにさえ感じ初めては、思わず「う…」と小さな声が漏れた。


「……わ…分かりました…私が行きます…」


見えない重圧に呆気なく負けてしまうと、私は観念したように肩を落として小さく宣言していた。
本当は怖いけれど、嫌だけれど…殺生丸さまに呆れられて見放されるのはもっと嫌だから、無理にでも覚悟を決めるしかない。そう思った私はそっと腰を上げて、祠に向き直りながらわずかに息を飲んだ。

だ、大丈夫…。結界もきっと身構えていればそれほど痛くないはず。邪見があんな風に尻餅まで突いちゃったのは、結界があるなんて思わなくて油断していたから…結界があるって分かっていれば、きっと大丈夫。大丈夫…!

必死に自分へ言い聞かせるように心の中でそう唱えながら、ゆっくりと祠へ近付いてみる。やがて手を伸ばせば触れられる距離に立って、一度深呼吸をするべく意を決するように握った自分の手へ視線を落とした。

――そんな時、不意に感じた風にドキ…と鼓動を響かせる。

咄嗟に顔を上げた。見たのは、祠の中。上半分が格子状になっている戸の向こうの暗闇。どうしてかそこから、懐かしい風が、匂いが、流れてきたような気がした。


「…おばあちゃん…?」


風に運ばれてきたほんの微かな匂いに声が漏れる。
まさか、そんなはずない。だってこの先は祠で、中におばあちゃんがいるはずなんてない。そもそも私が今いるこの世界は元いた場所とは全然違うはずで、おばあちゃんとは会えるわけがなくて…

でも、この匂いは確かに、大好きなおばあちゃんの匂いだ。


「どうして…」


信じられない思いに心臓が鼓動を強くする。あるはずがない、けれどわずかながら確かに感じられる匂いに否定ができなかった。どう考えてもおばあちゃんがここにいるはずがないのに、微かに流れてくる風が、運ばれてくる匂いが、この先におばあちゃんがいると伝えてくる。

あり得ない、頭ではそう分かっているのに、気が付けばあれほど感じていた恐怖心も忘れて祠の戸に手を掛けていた。ガラ…と古めかしい音を立てながら戸を開くと同時に後ろで声が上がった気がしたけれど、私はそれに足を止めることもないまま、身を屈ませるようにして祠の中へ足を踏み込んだ。

――その瞬間、


「きゃあっ!?」


どこからともなく現れた突風が私の体を強く包み込む。思わず目を瞑ってしまうと同時、まるで風に連れ去られるような浮遊感に襲われた私は体を縮ませて必死に耐えようとした。

けれどその風は、決して暴力的ではなかった。むしろ優しささえ感じるほど柔らかく支えられていて、私をどこかへ運んでいくかのように緩やかに流れていく。
そんな不思議な風はやがて解けるように弱くなっていくと、いつしか体の浮遊感さえ薄れていくのを感じる。そうしてそっと降ろされる感覚を味わうと、足、手と順に床へ触れた。


「……ここ…は…?」


湿っぽい板張りの床に座り込んだまま、呆然と辺りを見回してみる。けれどすごく暗くて、ここがどこなのか確かめようがなかった。灯りは頭上の四角いなにかの隙間から細く光が差し込む程度で、唯一把握できるのは、どうやらその光が漏れる場所へ階段が続いているらしいことだけ。
それ以外は暗闇に包まれていて分からず、どんどん膨らむ恐怖心に鼓動が早くなっていた。

と…とにかく、階段を上がってみよう。もしかしたらあの光が漏れているところから外に出られるかもしれない…。
そう感じた私はゴク…と小さく息を飲んで、手探りで階段の方へ向かった。

妖怪がいたらどうしよう、なにか怖いものがいたら…そんな思いに駆られて一歩ずつ恐々と進んでいくけれど、幸いこの空間に私以外の気配は感じられない。それでも暗闇への恐怖心はやっぱり拭えなくて、急ぎたい気持ちと音を立てないように慎重に進みたい気持ちのせめぎ合いの中、必死の思いで階段へと辿り着いた。


「…あれ…?」


思わず、小さく声が漏れる。

どうしてだろう…この階段に、既視感があるような気がした。暗くてよく見えないからはっきりと思い出すことはできないけれど、遠いいつか、どこかでこんな階段を見たような気がする。頭上の光が漏れる四角いものもそう、いつか…どこかで……

――そうして思考が深みを増していくほど、鼓動がドクン…ドクン…と確かに強さを増していくのを感じる。
よく見えないけれど、それでも私は、もう分かってしまっていたのかもしれない。信じられないけれど、信じたい。そうであってほしい。そんな思いが湧き上がって呼吸さえ忘れてしまいそうなほど緊迫する中、古い木製の階段を踏みしめるようにゆっくりと上がっていく。
そうして光が漏れる四角い天井に手を触れると、無意識に息を飲みながらそこをグ…と押し上げた。

途端、眩しいくらいの光が差し込んできて思わず目を細める。それでも抗うように薄く目を開いて辺りを確かめようとした――その瞬間、


「あ……」


力なく声が漏れる。ドクン、ドクン、と激しく鼓動が響く。戸惑い、歓喜、困惑――様々な感情が渦巻くのを感じながら、私は目の前に広がる景色に言葉を失っていた。

いつの時代からあるのかも分からないくらい古い書物や家具、それらに似合わないスチール製の棚やそこに並ぶ雑貨、扇風機なんかの現代的な家電――

そんな至極普通の物置らしい景色。
それは紛うことなく、私の家の蔵のものだった。


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