25



「ん……あつ…」


目が覚めると同時に、ついそんな声が口を突いて出る。体を捩ってみれば、全身に不快な感覚が纏わりついていることに気が付いて、たまらず薄く目を開くとゆるりと持ち上げた手を額に当てた。
そこに伝わる、冷たく濡れた感触。どうやら寝ている間にたくさん汗をかいていたようで、全身がしっとりと濡れて着物が張り付いてしまっていた。


(こんなに汗かいちゃうなんて…熱が高かったのかな)


そう考えながら、温度を確かめるために改めて額を触ってみる。けれど自分ではよく分からなくて、汗に濡れた感触だけが手のひらに残った。
どうしてか前髪が掻き分けられたように避けられていたけれど、寝ている間に汗を拭ったりしたのかな。避けられた前髪も濡れていて少しひんやりとしている。

うーん…今のところ気分が悪いとかはないし、きっともう治ったんじゃないかなぁ。そうは思うけれど、体温計がないから判断が難しい。他の人に確かめてもらおうにもここにいるのは私だけで、邪見も殺生丸さまも見当たらない。
いや…そもそも誰かいたとしても、これだけ汗をかいていたら“触って確かめて”とは言えないや…。全身びっしょりしてるくらいだもの…。

――と、そこまで考えて、ふと思う。


(…も、もしかして…いまの私、汗臭いかな…)


よぎる、嫌な予感。すぐさま試しに自分で嗅いでみるけれど、今は感覚が鈍っているのか自分のものだからなのか、よく分からない。

でも、殺生丸さまはただでさえ鼻が利くお方。それなのにこれだけ汗をかいていたら、近付くだけで不快な顔をされるかもしれない。
それを思うと、不快にさせてしまう申し訳なさと、嫌われてしまうかもしれないという怖さが込み上げてきて。せめて着替えだけでも、と慌てて立ち上がろうとした。けれど――


「目が覚めたか」
「! せっ、殺生丸さま…!」


不意に投げかけられた声にぎく、と肩を揺らす。慌てて振り返った先、小屋の入り口にはこちらを見る殺生丸さまの姿があった。
まさかこんなにすぐに一番避けたかった人が来るなんて…。せめて、せめて着替えたあとにきてほしかった…! ついそんな思いを抱いてしまいながらおろおろと狼狽えていると、殺生丸さまの足が一歩中へと踏み出されそうになってはっとする。


「あっ、だ、だめっ! こっちに来ないでください!」


慌てた私は咄嗟にそう口走りながら殺生丸さまへ強く両手を突き出す。
おかげで殺生丸さまの足はピタ…と止められたけれど、その表情はとても訝しげなもの。それどころか不愉快そうな雰囲気さえ醸し出されたものだから、私は慌てて両手を振るいながら「あ、あのっ、違うんですっ」と訂正の声を上げた。


「えと、殺生丸さまを拒絶してるとかじゃなくてっ、その…ただ、今だけは傍に来てほしくなくて、つい…咄嗟に…」
「何故だ」
「えっ。そ、それは…その…あの…お、お風呂っ。お風呂に入りたいんですけれど…どこかに、ありませんか…!?」


“自分が汗臭いだろうから近付いてほしくない”、なんて説明したら却って意識されてしまいそうで、なんとか話を逸らすようにそう問いかけてみる。実際お風呂には入りたいし、もしあるのなら人と離れられて臭いも落とせて一石二鳥だ。
そう思って返事を待っていると、殺生丸さまは怪訝そうな表情のまま少しの間を空けて言う。


「…この辺りに風呂などはない」
「そ、そうですか…あっ、川! 川でも大丈夫ですっ。体を洗いたいので、それができるならどこでもっ」


少し肩を落としそうになったけれど、諦められずに食い下がってみる。
川の水は冷たくて凍えそうになるけれど、このまま汗にまみれて過ごすよりは全然マシだもの。そう思って訴えかけるように殺生丸さまを見つめていたのだけれど、殺生丸さまはどこか呆れを含んだ様子で少しばかり眉根を寄せられた気がした。


「……まだ完治していないだろう。体を冷やすなど、悪化するだけだぞ」
「す、すぐに焚火で温まるので大丈夫です! きっと…」


必死に、けれど殺生丸さまの視線に少し自信を無くしながら説得する。そのせいか殺生丸さまは表情を硬く変えないまま、私のことをどこか疑うようにじっと見つめられていた。

元々表情の変化が乏しい方だけれど、今は腑に落ちないといった気持ちがすごく表れているような気がする…。そうだよね…私だって殺生丸さまの立場なら、“悪化するからダメ”って言っちゃうと思うもん…。

…このままだと、却下されて問答無用で近付かれるどころか、口答えできないようにって強引に寝かされてしまうかもしれない。そんなことになったら、臭いだけじゃなくて汗にまみれてることとか、もっと色々不快に思われてすごく嫌われちゃうかも…。

そう考えてしまった途端、焦りが一層増して戸惑っちゃって。殺生丸さまの足が踏み出されてしまう気配のような錯覚に慌てながら、正直に全てを白状することにした。


「その…寝てる間に、すごく汗をかいてしまって…殺生丸さまはお鼻が利くから、臭うのが申し訳なくて…なにより…は、恥ずかしくて…」


言いながら顔がかああ、と熱くなるのが分かって、隠すように深く俯いてしまう。それでもなんとか必死に、小さな声ながら懸命に訴えかけるように伝えてぎゅっ…と縮こまっていた。
お願いだから意識しないで…臭いを確かめたりしないで…そう願いながらじっと返事を待っていると、私の思いが伝わったのか、殺生丸さまは呆れたようにため息をこぼされて「分かった」と短い声を返してくれた。


「川まで連れていってやる。もし悪化させたら、その時は置いていくぞ」
「は…はいっ。ありがとうございますっ」


素っ気ないけれど、待ち望んでいた返事。それが嬉しくてたまらなくて、私はつい弾かれるように顔を上げてしまいながら表情を明るくさせていた。
おかげで“そんなに喜ぶようなことか?”なんて言いたげな目を向けられた気がしたけれど、それだけ嬉しい私は洋服が入った風呂敷をいそいそと抱えて殺生丸さまの方へ向き直りながら立ち上がった。
そうしてつい、「あ…」と声を漏らしてしまう。


「ご、ごめんなさい…これ以上近付くと臭ってしまうかもしれないので…少し、先を行ってもらってもいいですか…?」
「……」


申し訳なく思いながらも少しだけ後ずさってお願いすると、面倒くさいと感じられたのか、殺生丸さまは白い目をじ…と向けてくる。その視線がちくちくちくと刺さって痛くて。たまらず小さくなった私はもう一度「ごめんなさい…」と謝りながら、先を行ってくれる殺生丸さまのあとをついて歩いていった。



* * *




やがて、なんとか体をひとしきり洗うことができた私は、一緒に汗を吸ってしまっている着物なんかも簡単に洗って、殺生丸さまと二人で小屋へ戻ってきた。
するとそこにはいつの間にか戻ってきていたらしい邪見がいて、小屋の前にくべた焚火でとかげなんかを炙っている様子。だけれど、久しぶりの洋服姿の私を見て少し訝しげな顔を向けてくる。かと思えば、「そういえばそのような奇天烈な着物を持っておったな」なんて言われてしまった。

なんだか懐かしささえ感じる反応…。やっぱり邪見にとって、現代の洋服は奇天烈なものみたい。出会った頃と変わらない認識にそう思って小さく苦笑してしまいながら、私は小屋の中で見つけていた長い棒に着物を干していく。
それが終わったら邪見にお願いして、着物の傍にも焚火を設けてもらった。

これなら少しは乾きやすくなるはず。そう満足していると、隣の邪見から「ったく…」と小言が漏らされる。


「わしをこき使いおって。この枝はお前のために集めてきたのではないのだぞ」
「ごめんね。あとで私も集めに行くから…」
「ばか者。お前は調子を戻すのが先だろうっ」


私の提案に邪見はそう怒ると「早く火にあたれっ」と焚火を指して促してくる。
うう、もっともすぎてなにも言えない…。思わず縮こまってしまった私はいそいそと焚火に近付いて腰を下ろすと、両手のひらを焚火へ向けて言われた通りに火にあたっていた。

すると邪見が続いて焚火の傍に腰を下ろして。それに少しにじり寄った私は、邪見の耳元へ顔を寄せながら声をひそめるようにして問いかけた。


「ね、ねえ邪見。私…臭いが残ってたりしないかな? ちゃんと落ちてる?」
「臭い? そんなもの、自分で確かめればよいだろう」
「自分じゃ分からないんだもの…殺生丸さまに確かめてもらうわけにもいかなかったし…」


そう言いながら、少し離れた木の根元に腰を下ろしている殺生丸さまへちら…と振り返る。
ここへ戻ってくるまでに特になにも言われなかったから、きっと大丈夫なのだと思うけれど…自分では確かめようがないからどうしても不安で仕方がなかった。だから邪見に確かめてもらいたくてじっと見つめていると、彼は呆れのため息をついて観念したように私へ顔を近付けてくれる。


「…ふむ、特に変な臭いはないようだな」
「ほんとっ? よかったあ…臭いが残ってたらどうしようかと…」
「まあそうして心掛けるのはいいことだが…そんなことより風羽、お前少し顔が赤いぞ。まさか悪化させたのではないだろうな?」


今度は邪見からじっと見つめられながら言われて、思わず「えっ」と小さく漏らしながら頬を触ってみる。確かに頬は少し熱を持ってきたと思うけれど、感覚的にこれは熱が上がったというより、冷たい川の水に冷やされた反動のような気がする。


「きっと焚火に当たって温まってきたからだよ。大丈夫」


心配させないようにそう言いながら笑いかける。それに邪見は「本当か〜?」と疑いの目を向けてきたけれど、私は「平気平気」と口にしながら握り拳を持ち上げて無事をアピールしようとした。

――けれど突然、ヒタ、とおでこに手があてがわれて固まってしまう。
もちろんそれは邪見の手じゃない。むしろすぐに相手が分かってしまったからこそ、硬直して動けなくなってしまった。けれど、しばらくすると目の前で白い袖が揺れて、細くも男らしい大きな手が私から離れていく様子が見てとれる。


「熱は上がっていないようだが、まだ温いな」
「せ、殺生丸さま……って、え…?」


不意にこぼされた声に遅れて疑問を抱く。

“熱は上がっていない”って…まるで体を洗う前の温度も知っているような言い方。だけれど、私が起きてから殺生丸さまにはなるべく近付かないようにしてもらっていたから、おでこを触ったりして確かめられていないはず…。
それなのに、どうして分かるんだろう。殺生丸さまは触らなくてもそういうことが分かるの…? でも、それなら今も触る必要がないと思うのだけれど…。

突然触れられたことの緊張と、そんな疑問に戸惑いながらちら、と殺生丸さまを見上げる。すると殺生丸さまは身を低く屈めて、器用にも右腕だけで突然私の体を掬うように持ち上げてしまった。


「えっ!? せっ、せっしょ…」
「邪見。中の囲炉裏に火を灯せ」


あまりに唐突すぎる出来事に驚く私の声を遮って、殺生丸さまは邪見へそう指示を出す。それには邪見も少し戸惑いを見せるけれど、すぐに「は、はいっ。ただいま!」と返事をして小屋の中へ駆けていった。

殺生丸さまは私を抱えたままそれに続くように小屋の中へ踏み込んで、邪見がばたばたと囲炉裏を整えている横にふわふわの白い尾を広げる。かと思えば、私をそこへ寝かせるように下ろしてくれた。

な、なにが起こったの…? どうなっているの…? なにも状況を飲み込めない私の戸惑いは止まらなくて、ただただ困惑するままに傍の殺生丸さまのお顔を見上げていた。
すると殺生丸さまはそのまま私のすぐ傍に腰を下ろされて、ついには私を包み込むように尾を柔らかく巻きつけてくる。


「あ…あの、せ…殺生丸さま…? これは…」
「着物だけでなく(しとね)まで洗って布団がないだろう。今夜だけは触れることを許してやる。だから早く休め」


淡々とした様子でそう言ってしまう殺生丸さまの横顔にはどこか呆れが含まれているよう。
確かに私はお布団代わりの着物も敷いていた褥も、全て汗を吸っているからと洗ってしまってお布団がない。でも、だからといって、殺生丸さまがあまり触らせないようにしている尾を使わせてくれるなんて…。

それだけ気を遣わせてしまったのかな、と思ってしまうと、なんだか申し訳なくて。これ以上ご迷惑を掛けないためにも、殺生丸さまが言う通りに早く寝ようと体の力を抜いてふわふわに身を委ねようとした。

――そんな時、殺生丸さまに言おうと思っていたことをふと思い出してしまう。それに閉じかけていた目を開けては、囲炉裏の支度を終えて出ていく邪見の後ろ姿を見ながら、そっと殺生丸さまを呼びかけた。


「殺生丸さま…あの…申し訳ないんですけれど…この先、もし私が臭ったりとか汚れていたりとかしていたら、遠慮なく言ってください…は、恥ずかしいけれど…ご不快にさせてしまう方が、もっと嫌なので…」


そう伝えるのもなんだか恥ずかしくて、殺生丸さまのお顔を見られないまま呟くようにお願いしてみる。

臭う、なんて言われたらショックだろうけれど、それよりも殺生丸さまに嫌われてしまう方がもっと嫌だもの。だから、なるべくそうならないように気を付けていたい。嫌なことは嫌って言ってほしい。
そんな思いで伝えてみたものの、殺生丸さまは無言のまま。こちらを見ているような気はする反面、言葉だけはいつまでも返ってくる様子がなかった。

聞こえて、ないのかな…? そう思ったと同時に、視界に大きな影が差した。それに釣られるように視線を上げてみると、どうしてか殺生丸さまのお顔がこちらへ近付いていて――


「え、ひゃっ」


触れそうなほど近いところに、首元に殺生丸さまのお顔が寄せられて、私の耳のすぐ傍でスン、と小さな音が立てられる。それに驚いてびく、と身を縮めてしまっては、そのあまりの距離の近さに耐えるように、ただただ強く目を瞑っていた。
けれど、殺生丸さまはそれ以上なにかをすることはなくて。恐る恐る、そおっと目を開けてみると、「…変わらんな」と小さく呟く殺生丸さまのお顔が静かに離れていく様子が見えた。

それに「え…?」と、声になっているかどうかというほど小さな声を漏らしてしまえば、殺生丸さまはなにひとつ変わらない様子で私を見下ろしながら言う。


「お前からは変わった匂いがすると思っていたが、それだけだ。不快に感じたことなどはない」


抑揚少なく、至極自然に落とされる言葉。さらには「あまり気にするな」とまで言われてしまう。

そんな殺生丸さまを、私は少し驚くような思いで見ていて。途端に気恥ずかしさというか、むず痒さというか、少し落ち着かない感覚を抱いてしまっては、視線を彷徨わせるようにして地面へと落とした。


「そ、そう、なんですね…それなら、その…よかった、です」


戸惑うような思いのまま、なんとかひねり出したのはそんな一言。

…きっと殺生丸さまは気になるほどのものじゃないとか、そういう単純な思いで言ったのだと思う。思うけれど…私にはなんだか、その言葉が嬉しく感じられて、でもやっぱり、恥ずかしくて。
ドキドキと高鳴ってしまう胸の大きな音を聞きながら、ほんのり熱くなる顔を隠すようにぎゅ…と殺生丸さまの尾に埋もれていた。


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