23



柔らかな毛が風になびきながら擦れ合うささやかな音、無数の毒虫が震わせる翅の音が私たちを包む。辺りには、あの毒虫が私たちを取り囲むように飛んでいた。
巣を持っているわけじゃない。けれど、毒虫は私たちと同じ速度を維持して付きまとい続けている。


「この虫ども、いつまでついて来るのだ」
「私たちも…狙われてるのかな…」
「ふん…大方、この腕に仕込んだ四魂のかけらを捨てるのを、待っているのだろう」


邪見に続くように私が不安の声を漏らすと、殺生丸さまがそう言ってグイ、と着物を肌蹴させてしまう。その行動に驚いてつい目を逸らしそうになったけれど、晒された左肩の異変を垣間見ては、「ん゙!?」と声を上げた邪見と一緒に愕然と釘づけにされた。


「う、腕が…」
「腕の繋ぎ目が…体に向かって伸びている…!?」


大きく目を見開きながら、信じられないといった様子で邪見が言う。その言葉の通り、どうしてか左腕から血管のような気味の悪い管がいくつも伸びていて、まるで殺生丸さまの体を侵食するかのように蠢いていた。


「ふん…危なく腕に喰われるところだ…」


言葉とは裏腹に涼しげな表情でそう言い捨てる殺生丸さまは借りものの左腕を掴み込む。かと思えば、ふと私の方に視線をくれた。まるでなにかを考えるようなほんの少しの間。それに私が目を瞬かせた時、殺生丸さまは私に「目を閉じていろ」とだけ言った。

その言葉になんとなく殺生丸さまがやろうとしていることを悟った私は「は、はい」と返事をして、指示の通り目を瞑った。すると途端になにかをバキバキと折るような、千切るような嫌な音が響かされて。たまらず肩を揺らしてしまいながら、じっとそれに耐えようとした。
けれど激しい音はその一瞬だけで、次にシャッ、と風を切るような微かな音が聞こえると、「もう良い」という短い声が向けられる。

それにゆっくりと目を開けて顔を上げてみると、どうしてかあれほど付きまとっていた毒虫たちが呆気なくどこかへ去っていく様子が見てとれた。そして、目の前では先を失った左腕に着物を纏わせる殺生丸さまの姿。
それらから、殺生丸さまが腕をぎ取って毒虫たちに回収させたのだということがすぐに窺えた。

…ということは…今回の企ては、もう終わったのかな。犬夜叉くんの元からは離れたし、あの人…奈落という人との関わりもなくなったから…
なんて考えてしまうと、不意に、殺生丸さまが私たちを乗せたまま朝霧に包まれる森へと降下を始められた。それに少し驚いた私は、広がる殺生丸さまの白い毛に掴まりながら、彼の横顔を覗き込むようにして問いかけた。


「あ、あの、殺生丸さま…どこかへ向かわれるんですか…?」
「あの男の元だ」


端的に返される言葉にドキ…と嫌な鼓動が響く。あの男、それは間違いなくあの奈落という人のこと。
それもそうだ。殺生丸さまが自分を都合よく使って、さらには体を侵食しようとした相手を黙って見逃すはずがない。表にこそあまり感情が表れない人だけれど、きっと内心は怒っているんだ。

それを思うと引き留めることはできなくて。殺生丸さまが姿の見えないあの人の元へ迷いなく進んでいく中、私はざわつく胸を押さえながら固く唇を結んでいた。




ザワ…と木々が鳴く森の中。足音を立てない殺生丸さまに合わせて息を殺しながら歩いていると、まるで池のように水を溜める窪地の傍に、あの人の姿があった。それにビク…と肩を揺らしてしまいながら足を止める。

どうやらこちらには気が付いていない様子のあの人は、なにかを待っているかのように木々の向こうの空を見つめていた。するとほどなくして、その視線の先からさっき私たちを取り囲んでいた毒虫たちがやってくるのが見える。
同じものだと分かったのは、先頭を飛ぶ毒虫の手にさっきまで殺生丸さまが使っていたあの左腕が掴まれていたから。

やっぱり腕を回収するために私たちに付きまとっていたんだ。それを察した時、あの人が毒虫から受け取った腕を両手で持ちながらどこか疎ましげな声を漏らした。


「殺生丸め…しくじりおったか」


腕を渡した時とは違う、殺生丸さまを卑しむような物言い。けれどそれが言い切られるのが早いか、殺生丸さまが音もなくあの人の背後を取ってしまった。するとあの人は気配を感じ取ったようで、途端にバッ、と狒狒の皮を翻すほどの勢いで殺生丸さまから距離をとる。


「これは殺生丸さま…」
「奈落貴様…その腕で殺生丸さまを喰い滅ぼすつもりだったのか!?」


殺生丸さまに続いて、邪見が食い掛かるようにあの人へ近付き怒鳴りつける。けれどあの人は飄々とした様子のまま、取り返した腕の中から小さなかけらを取り出して私たちへ見せた。


「滅相もない。お貸しした四魂のかけらを、お返しいただく仕掛けをしておいただけ…」
「……用意のいいことだな…」


殺生丸さまの目が冷たく細められる。それに殺気を感じたのか、あの人はわずかに身構えるよう体を屈めた気がした。同時に、「ところで殺生丸さま、」と話をすり替えるように言う。


「以前よりひとつ、お尋ねしたかったのですが…」


意識を逸らすように、もったいぶるようにゆっくりとそう口にした――直後、視線の先にあったその姿が消えて、同時に、私のすぐ傍に、ひどく嫌な気配が現れるのを感じた。
体が強張って動かなくなる。それでも視線だけはそこへ向けると、私のすぐ後ろに、影のように佇むあの人の姿があった。


「微かに感じる妙な妖気…この人間の娘は、一体何者でしょうか」


そう言いながら向けられる視線が、私を見る。狒狒の皮の奥に見えた瞳。それが確かに私の目を真っ直ぐに捕らえていることに気が付いた途端、胸の奥のざわめきが大きな鼓動を皮切りに一層強く激しく渦巻いた。
瞳孔が縮小する。汗が滲む。呼吸が浅くなる。心臓が痛い。ドクドクと強い鼓動が鼓膜を支配してしまうほどに大きく音を響かせる。心臓を握りしめられるようなひどい苦しさに襲われる――

その時、私を見つめていたあの人の目が、不意に前を向いた。


「貴様には関係ない」


聞こえたのは、殺生丸さまの声。それが言い切られるか否かの瀬戸際、なにかが素早く横切ったと同時に、すぐ傍にあったあの人の首が飛んだ。
なにが起こったのか分からなくて、狼狽えるままに、体をよろめかせた。そんな私の背中になにかがトン、と触れる。まるで支えられるようなそれに呆然とするまま顔を上げてみれば、そこには、今しがた爪を振るった殺生丸さまの姿があった。私が触れたのは、どうやら彼の鎧だったみたい。

色んな感情のなにもかもが綯い交ぜになった頭でそれだけが理解できた時、ドン、と音を立てて落ちたあの人の首に邪見が駆け寄っていく様子が見えた。


「ざまを見ろ! 殺生丸さまをコケにしおって…」
「ちっ、逃がしたか…」
「は? な゙っ…いない!?」


殺生丸さまの疎ましげな声のあと、目の前で中身を失った狒狒の皮がバサ…と力なく地面に落ちる様子に邪見が目を見開く。直後、辺りの木々が不気味にざわめく音と一緒にあの人の声が聞こえてきた。


「怒りをお鎮めくだされ…いずれまた…犬夜叉めを殺す算段がついたら、お尋ねするやもしれませぬ……その娘のことは、いずれまたお聞きいたしましょう…」


どこかほくそ笑むような陰湿なその声が纏わりつくように降らされる。それに殺生丸さまは「つくづく…食えない奴だ…」と疎ましげに呟いていたけれど、私は、彼のように冷静でいられなかった。

あの人がまた来るかもしれない。来てしまったら、殺生丸さまたちがまたいいように使われる。あの人はきっとそういう人だ。分からないけれど、どうしてかそうだと断言できてしまうような感覚があった。
そしてあの人が来れば、またさっきみたいに、あの目が私を見る。心臓を鷲掴みにするような、あの目が――

途端、脳裏に甦る瞳。あれに見つめられていたあの時を思い出してしまっては、途端に胸の奥がざわめいた気がした。
苛立ちのような、恐怖のような、不可解な感覚。それが沸き立つように溢れ出して、私は体をガタガタと震わせるまま息を吐こうとした。けれど、昂る感情のせいか、喉が閉まってうまく呼吸ができない。呼吸が浅くなって、汗が滲み出す。

あの人に見つめられた時と、同じ感覚。それに包まれるまま荒い呼吸を繰り返していれば、それに気が付いたらしい殺生丸さまが私の肩に手を触れた。


「風羽…?」


怪訝そうな声で名前を呼ばれる。けれど、私は顔を上げる余裕もなくて。胸のうちに膨らむざわめきの塊に震えるまま、両手で胸を押さえていた。

いやだ、こわい。自分の中のざわめきに恐怖さえ覚えた――その時、ドクン、と響いた一際強い鼓動を合図に、胸の奥のざわめきが溢れ出した気がした。じわり、と胸を侵食される気がした。
たまらず目を見開いた。けれど、その視界はすぐに霞んでしまって。瞬く間に意識が遠退いていく中、驚いた様子の邪見が私を呼ぶ声が聞こえた。

その時同時に見えた、目の前の彼の驚いたような顔。遠ざかる意識の中で、それだけが強く脳裏に焼き付いていた。


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