18



――あれから数日。結局納得のいく左腕が見つからないまま、時間だけが過ぎていた。
邪見にも腕捜しが任されてから何度か彼が戻ってきたけれど、一目見てダメだったり、試してみてすぐに捨てたりの繰り返し。おかげで邪見と一緒にいる時間が少なくなったことを実感するほど彼を見なくなったのだけれど、太陽が西へ傾き始めた頃、あの小さな足の忙しない足音が聞こえてきた。


「殺生丸さま〜!」


同じように、思ったとおりの声も聞こえてくる。
今回も無事に戻って来られたみたい、と思って振り返ってみると、息を切らせながらこちらへ向かってくる邪見がまっすぐに殺生丸さまの目の前へ駆け込んだ。


「殺生丸さま、今度こそ使えそうな腕を持つ妖怪を見つけてまいりました!」
「…それは確かだろうな?」
「も、もちろんにございまする!」


殺生丸さまの問い質すような目に邪見がそう言い張る。いままでもそう言いながら使えない腕だと切り捨てているから、殺生丸さまはほんの数秒の間、邪見を試すように見つめられていた。

けれど、それも時間の無駄だと思ったのか、殺生丸さまは「場所を教えろ」と邪見に言いながら腰を上げられる。
どうやら一応は試すみたい。それを感じ取った私が二人を見つめていれば、殺生丸さまは邪見から情報を聞くなり一人で先に飛んで行かれて。
残された私たちはそれを見届けると、「では行くか」という邪見の合図に立ち上がった。

――これが、最近のパターン。

これまでは邪見が妖怪を殺して腕を持ち帰ってきていたのだけれど、その成果があまりよくなくて、最近では邪見の力で倒すことが難しい強い妖怪の情報を持ち帰ってくるようになっていた。そして、妖怪を殺して腕をもぎ取る、という光景を見てしまっては私が顔を青くしてしまうため、殺生丸さまが一人で妖怪の元へ行って、私たちが辿り着く前にことを済ませてくださっている。

殺生丸さまからしてみれば、邪見が妖怪を倒すのを待つこととか、私がグロッキーになってしまうことなんかが煩わしいから全部一人でやってしまわれるのだと思うけれど、それがなんだか気を遣っていただいているみたいで、申し訳なく思いながらも少しだけ嬉しいと感じてしまう自分もいた。

…とはいえ、さすがにいつまでもこれだと本当に迷惑をかけてしまう。いい加減頑張って耐えられるようにしなくちゃ…とは、思っている、のだけれど…


「風羽。ここからしばらく左を向いておれ」
「え? どうして?」
「わしが獲物を探しておった時に襲ってきた妖怪が転がっておる」
「う…」


思った矢先に、そんな忠告を受けて口をきゅ、と結んでしまった。私の決意に反して、どうしても本能で怯えてしまう。
うまくいかない現実に少しばかり落ち込んでしまいながら、私は言われた通りに左を向いたまま歩いていった。

どうしてこんなに怖がりなんだろう…こんな世界にきてしまう運命なら、もっと強い性格でありたかったな…。なんて叶わない思いを抱えながら足を進めていると、「もう良いぞ」という声を向けられた。どうやら、もう妖怪の亡骸は過ぎたみたい。恐る恐る前へ向き直りながらそれを確かめては、ほ…と安堵のため息をこぼした。
するとそんな私に振り返ってきた邪見が呆れの色をありありと示すように目を据わらせた。


「もう慣れたことだが…お前の気の弱さは本当に大したものだな。いずれお前の祖先もすぐに見つかるのではないか?」
「ご先祖さま…? なんで?」
「お前の祖先ならば、お前のように臆病に違いないだろうからな。そんな人間がいればすぐ分かるに決まっておるわい」


けらけらと笑いながら邪見は言う。なんて失礼な…と思ってしまうけれど、それだけ気が弱いことは事実だから反論したくてもできなかった。
うう…やっぱりこの気の弱さ、どうにかしなきゃ…。

そう改めて思わされてしまうと同時に、なんとなく、私のご先祖さま、というのが気になった。
思えばここは私がいた時代よりもずっと昔なんだもの。ご先祖さまだってどこかにいるはず。それがどんな人なのか、少し見てみたいと思った。
邪見の言う通りで私みたいに気が弱いのか、それともしっかりしている人なのか…。もし後者だとしたら、ちょっと嬉しいかもしれない。この気の弱さを正す勇気をもらえそうな気がするから。

…なんて、ささやかな希望を抱いてしまいながら歩いていると、邪見がふと「もうすぐだ」という声を向けてきた。

それで気が付いたけれど、そういえば、今回は迷いもなく向かっている気がする。いままでなら先に行った殺生丸さまを追うように私たちも同じ場所へ行って、その辺りで腕を試されている殺生丸さまを探す…という流れだったのに、先導する邪見に彼を捜すような様子がない。
それに、今回はそもそも殺生丸さまが向かわれた方角とは違うところへ向かっているようだった。


「ねえ、邪見。今日はどこか待ち合わせ場所でも決めてるの?」


いつもと違いながらそれでもまっすぐ進んでいく様子に素直に尋ねてみると、小さな足でぺたぺた歩く彼は「うむ」と大きく頷いてくれた。


「この辺りに、日暮れ時に野盗を狙う妖怪が現れるという場所があってな。腕を試すにはもってこいだろうと思って殺生丸さまに伝えてあるのだ」
「そうだったんだ…」


そんなことを話していたなんて、全然気が付かなかった。
…ということは、殺生丸さまはもう腕を試して終わっているかも。そう考えながら歩いていると、やがて鬱蒼と広がる茂みの向こう、無骨な岩肌が覗く場所に立つ殺生丸さまの姿が見えてきた。


(わ…)


思わず、声が漏れそうになった。夕焼けの朱に染まる殺生丸さまの姿が、あまりに妖艶だったから。どこか不気味ささえ醸し出しながらも、美しさをはっきりと残すその雰囲気が幻想的で、思わず見惚れてしまいそうになったから。
小さく、ため息さえ漏らしていた。

同時に、私は無意識のうちに立ち止まってしまっていたようで、それに気が付いた邪見が訝しげに振り返ってくる。そうして「どうした…」と声を掛けてきたのだけれど、それが言い切られる前に、彼はふとなにかを感じ取った様子で殺生丸さまと対になる方角へ振り返った。

なにやら、目を凝らしている様子。それに気が付いた私も釣られるようにその方角を見てみると、遠く地平線上に、馬に乗っているらしいたくさんの人たちがこちらへ向かってきているのが見えた。
なんだか物々しい集団…きっとあれが、邪見の言っていた野盗なのだと思う。それをなんとなく察した時、邪見が私の方へ向き直ってきて突然てきぱきと指示をくれた。


「風羽。ここで耳を塞いで背を向けておれ。わしがいいと言うまで振り返ったりするでないぞ」
「え? ど、どうして…?」
「お前ならば間違いなく気分を害すからだ」


そう端的に言い残して、邪見はさっさと正面の茂みの方へ駆け寄ってしまう。まるで、殺生丸さまの様子を窺うように。

…気分を害すって、一体どういうことなんだろう…。言葉の意味はよく分からなかったけれど、それを考えている間にも野盗のような集団がずいぶんと迫ってきていた。

野盗、といえば、それを狙って妖怪が出るという話だったはず。だけれど、妖怪の姿なんて見えない。しかもその間に野盗は殺生丸さまを見つけて、なにやら意気込むように声と腕を高く上げている。
もしかして殺生丸さまを狙ってるんじゃ…。そう悟った時、殺生丸さまが野盗の方へ振り返った。

――その左腕に、見慣れない鬼の腕を付けて。


(まさか、)


そう思ったと同時に、邪見の指示が脳裏をよぎった。そして私は弾かれるように背を向けて、強く耳を塞いだ。けれど、耳を塞ぎ切る一瞬の間、そこに、激しく嫌な音が聞こえてしまう。
たったそれだけで、それだけなのに、殺生丸さまがなにをしたのか、すぐ傍でなにが起こったのか分かってしまうような気がして。私は小さく震える手で、強く強く耳を塞ぎ続けていた。

すると不意に、小さな手が背中をトントン、と叩いてきて肩を跳ねさせる。恐る恐る手を緩めながら振り返ってみれば、そこには少し呆れたような表情をして私を見る邪見が立っていた。


「だから言ったであろうに…すぐに従わなんだな?」
「ご、めん…なにが起こるのか、分からなくて…」
「まったく、余計なことを考えずに従えばよかったのだ。まあ、その様子だと一応間に合ったようだが…とにかく、わしが片付けるまで茂みの向こうを見るでないぞ」


そう言い残して、邪見は私の返事も聞かないまま殺生丸さまの方へ走っていってしまった。すると「よっ、お見事でございます。さすが殺生丸さま」という声が聞こえてくる。恐る恐る振り返ってみると、茂み越しにかろうじて見える殺生丸さまは「邪見か…」と呟きながら、普段通りの表情で邪見を見下ろしていた。


「やはり青鬼を殺してもぎ取った腕だけあって、強うございますなー」


邪見が続いてそう言った直後、「あ゙ゔっ!」という短い悲鳴が上がった。茂みで見えなかったけれど、たぶん殺生丸さまに蹴られたんだと思う。


「貴様の目は節穴か。これはもう使い物にならん」


どこか不満そうに、つまらなそうに言う殺生丸さまが視線を向けたのは、持ち上げられたあの鬼の左腕。真っ赤な血に塗れたそれは骨が見えるほど崩れていて、折れているのか、一本の指が力なく揺れていた。
離れていても、それを目にするとぞっとしてしまう。それ自体も不気味だったけれど、その腕がそうなってしまうほどのことをしたのだと思うと気分が悪くなりそうだった。

ああ…邪見が言っていた“気分を害すぞ”って、こういうことだったんだ…。


「あらら、また駄目でしたか」
「もっとましな腕を持つ妖怪を探してこい。さもないと殺すぞ」


私が邪見の言葉の真意にようやく気が付いた頃、邪見は背を向けてしまう殺生丸さまに素っ気なく脅されているようだった。

これまでも殺生丸さまが満足することはなかったけれど、“殺すぞ”とまで言われてしまうのは、腕を探すようになって以来初めてのことかもしれない。それくらい、殺生丸さまも苛立ちが募っているのかも…。

感情の読めない人だから真相は分からないけれど、そう考えてしまった私はキュ…と手を握った。
私も、なにかお役に立たなきゃ。そう思って殺生丸さまの元へ行こうと、傍の木に縋るように立ち上がった――

――その時だった。


「お困りのようでございますな」


不意にすぐ近くで聞こえた、殺生丸さまでも邪見でもない男の人の声。それに、初めて聞くはずのその声に、私はドクン…と嫌な鼓動を強く響かせた。


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