16



殺生丸さまに覚悟を問われた夜が過ぎると、彼はあの時と同じように「代わりとなる左腕を捜す」と私たちに告げた。それからは強そうな妖怪の気配を辿って歩いているようなのだけれど、いざその妖怪と出会ってみても、殺生丸さまは「…使えん」とだけ呟いて斬り捨てるばかり。
すごく嫌な気配…いわゆる邪気が漂うところにいた妖怪でも、はたまた時間をかけて赴いた先の妖怪でも、気に入ったものが見つからないのか殺生丸さまは妖怪を殺してしまうだけ殺して、その腕に触れようともしなかった。

…そもそも、代わりの左腕を捜すといって、どうして強そうな妖怪のところにばかり訪れているんだろう。代わり、というから、義手みたいなものを捜すのだと思っていたのに。
そんなことを考えながら必死に殺生丸さまのあとを追っていれば、今日もまた物騒で強そうな妖怪の元へとたどり着いた。


「そこにいろ」


妖怪がこちらに気が付いて咆哮を上げると同時に、殺生丸さまが短くそう言い残して一人それに向かっていく。始めの頃はこの光景に不安を感じていたけれど、こう何度も殺生丸さまの圧倒的な強さを見せつけられてしまってはそれもなくなって、ただ妖怪が殺されるところを見ないようにと目をつむってやり過ごすようになっていた。

そして聞こえる、妖怪の断末魔。続いてその巨体が倒れ込む音が聞こえてから、そお…と目を開いて様子を窺った。
そこに見えた殺生丸さまは爪の先にほんのわずかな血を滴らせて、横たわる妖怪の亡骸を見下ろしている様子。もしかして、今回もだめだったのかな…そう思った時、殺生丸さまが妖怪の左腕を静かに握って、グ、と力をこめるなり容赦なくそれをもぎ取ってしまった。

嫌な予感がして咄嗟に目をつむったおかげでその光景を見ずに済んだけれど…様子を窺うようにもう一度見てみれば、殺生丸さまの手にはもぎ取られた左腕がしっかりと握られていた。


(よ、妖怪の腕なんてもぎ取って…どうするんだろう…)


すごく気味が悪いそれを、私は顔を青くして小さく後ずさりながら見つめる。

もしかして、妖怪の腕を集めて義手を作るとかかな…? 状況が一向に見えてこない私がそんな予想をしていた時、殺生丸さまは妖怪の腕を自分の左腕の袖の中へ潜り込ませた。思わずえ、という声が漏れそうになる。けれどそんな声も出せないまま呆然と見つめていれば、やがて殺生丸さまの右手が妖怪の腕から離れていった。

するとどうしてだろう、妖怪の腕は落ちることもなく、殺生丸さまの体とくっついてしまったかのように袖の中にいる。それどころか、殺生丸さまが動かしているかのようにググ…と持ち上げられた。

ううん、違う…本当に殺生丸さまが動かしているんだ。


「…ど…どうして…?」


とても大きな混乱を抱えるあまり、腕の気味悪ささえ忘れてひどく見入ってしまいながら呟く。するとそれを聞いていた邪見が私を見上げて「前に言っただろう」という声を向けてきた。


「妖怪の体は人間と違って頑丈で特別なのだ。腕を付け替えるくらい、どうということはない」
「え…そ、そうなの…?」


当然だと言わんばかりの様子で説明してくれる邪見に思わず目を瞬かせてしまう。まさか倒した妖怪の腕をそのまま使うとは思ってもみなかったし、それをお医者さまもなにもなしでくっつけて、その場で難なく動かせてしまえるなんて信じられなかったけれど…妖怪にとってこれは珍しくもないことで、至って普通のこと…なのかな。

…やっぱり、妖怪って私たち人間とは全然違うんだ…。

現実味のない光景についそんなことを考えてしまいながら、それでもどこか納得するような思いが芽生えてくるのを感じる。そんな中で、私はただ呆然と殺生丸さまの姿を見つめていた。


「すごいんですね…妖怪の体って…」


頑丈だし、傷もすぐに治るし、腕だって種族も関係なくくっついてしまう。それに驚いて思ったままを口にしたのだけど、そのせいか、殺生丸さまが少しだけ怪訝な顔をされた気がする。

あれ…私、変なこと言ったかな…? そう思ってしまうと、普段通りの表情に戻られた殺生丸さまが不思議そうに、どこか呆れたように呟いた。


「青い顔をしたと思えば途端に褒めるなど…おかしな奴だ」
「えっ…変、でしたか…?」
「ああ。理解できん」


戸惑う私とは対照的に、さらっと言い捨てられたストレートな言葉が胸に刺さる。私自身は変なことを言ったつもりなんてなかったのだけれど…なぜだか、殺生丸さまには分かってもらえなかったみたい。

それにちょっとばかりしゅん、としてしまっていると、もう一度左腕に視線を落とした殺生丸さまがふと「違うな…」とだけ小さく呟かれて。途端、くっつけた腕を無造作にもぎ取って、妖怪の死骸へと放り捨ててしまった。
それを不意に行ってしまうものだから、腕をもぐ光景を目の当たりにした私はさあー…と血の気を引かせて、こちらを見上げてきた邪見に「今度はまた青くなったな」と鼻で笑われてしまったのだった。



* * *




そうしていつしか日が暮れた頃、私は戦国時代にきて初めてひどく暗い夜を迎えた。元々街灯もなにもないこの時代は暗くて月明りだけが頼りだというのに、この日ばかりはその月明りすらない。


「今宵は朔の日であったか」


私と同じように、星だけが瞬く夜空を見上げた邪見が焚火をいじりながらぽつりと言う。朔の日…その言葉に馴染みはなかったけれど、それが新月の日のことを表すということはすぐに分かった。なぜなら、星が綺麗に見えるほど晴れ渡っている夜空のどこにも、月が見当たらないから。

元の時代にいた頃は街灯もあったし、街の明かりが煌々としていて暗さなんて感じなかったけれど、戦国時代であるここは違う。月明かりがないだけで、焚火に照らされている範囲の向こうはひどい暗闇だった。
その暗闇を見つめているだけでも身震いしそうだというのに、夕食を終えた邪見は立ち上がって、その小さな足で砂を寄せ集めながらとんでもないことを言い出した。


「今日は少し風が強いから、火は消しておくぞ」
「えっ、け、消すの…?」
「どうせもう寝るのだから良いであろう。ほれ、さっさと寝ろ」


そう言って邪見は、私が風を変えるからと言い出すより前に容赦なく焚火へ砂をかけてしまった。すると焚火はあっという間に小さくなって、すぐに砂に埋もれてしまう。途端、焚火の灯りに遠ざけられていた夜闇が辺りを包み込んで、あっという間になにも見えないほど真っ暗になってしまった。

慌てて辺りを見回しても、もう邪見も殺生丸さまもどこにいるのか分からなくて、思わずぎゅう、と目を瞑る。そこに吹き付ける風に揺られる木々の音が、ひどく大きく聞こえる。

とてもじゃないけれど、こんな真っ暗な中で一人で寝られそうにない。せめて誰かと手を繋ぐくらいはしないと、不安で居たたまれなくなる。
小さく震えだす手を伸ばして、手探りで邪見を捜そうとした。邪見なら手を貸してくれるかもしれないと思ったから。だけど中々彼の元に辿り着けなくて、未だ暗闇に慣れない目を細めながら、懸命に手を伸ばした。


「!」


指先に触れた感触に、思わずビク、と肩を震わせる。誰かの手が当たった。ようやく邪見に届いたのかも、と思ったけれど、その手は彼のものより大きくて、形も私と同じような長い指をしていた。

…ということはもしかして、この手は…


「風羽」


すぐ傍で、殺生丸さまの声が聞こえた。まだ暗闇に慣れてくれない視界には、ぼんやりと彼の輪郭らしきものだけが微かに見える。それだけでもひどく安心するような気がしたけれど、相手は殺生丸さまだ。また鬱陶しいと言われて、払いのけられるかもしれない。
そう思った私は、今だけは、と殺生丸さまへお願いしようとした。けれどそれよりも早く、殺生丸さまの手が私の手を緩く握りしめてくる。


「えっ…せ、せっしょう…」
「寄れ。眠れんのだろう」


私の声を遮ってク、と手を引っ張られる感覚。それに驚いて戸惑ってしまったけれど、言われるままに、そろそろと体を寄せてみた。すると殺生丸さまは手を放す代わりに、肩に掛けていたふわふわの尾をいつかのように私の体へ巻き付けてくれる。


「抱いていろ。それなら、少しは眠れるだろう」


そう告げられる言葉にまた少し、驚いた。あの時は不用意に触ったら殺す、とまで言われたのに、いまはなにも言わず、ただ私にそれを差し伸べてくれている。それも、私が暗闇に怯えて眠れないことを分かっていて、考慮してくれるように。

それになんだか嬉しさのような、不思議な温かさを感じた――途端、ザアッ、と一際大きく鳴らされた音に肩が強く揺れる。草木の音でさえ、なにかがいるような気がして怖くて、私はぎゅうっと自分の手を握ったまま体を強張らせていた。


「…お前は少し、臆病が過ぎるな」
「す…すみません…私も…どうにかしなきゃとは、思っているんですが…」


カタカタと震える体をなんとか抑えるようにしながら言葉を返す。
私は昔から本当に怖がりで、すぐに縮こまってしまうところがあったから、私自身何度も直したい、克服したいと思っていた。けれどやっぱり怖いものは怖くて、私のちっぽけな努力は実を結ばないままここまで成長してしまっている。

戦国時代に来てしまったいまだからこそ、本当に克服しなければならないのに…。そんな悔しささえ感じてしまうような思いを抱えた時、不意に、殺生丸さまの大きな手が差し出されるのが見えた。え、と声が漏れそうになる。思わず殺生丸さまの顔を見上げれば、彼はこちらを見ることもなく、


「…握りたいなら、好きにしろ」


素っ気なく、そう言った。
どうしてそんなことを言ってくれるんだろう…。もしかして、私が邪見の手を握ろうとしていたことが伝わっていたのかな。詳細なんて分からなかったけれど、差し出された厚意を無碍にはできず、なんでもいいから縋りたかった私は、恐れ多くも殺生丸さまの手を小さく握り締めた。

…どうしてだろう。殺生丸さまの手を握るだけで、不思議と恐怖心が薄れていくような気がする。


「お前は手を握る方が落ち着くようだな…」
「え…?」


不意にこぼされた言葉にもう一度顔を上げる。するとそこに見えた殺生丸さまは私の手元へ視線を落としていて、まるでこうすれば私が落ち着くことを知っていたような、分かり切っていたような目をしていた。

それがどうしてなのか、私には分からなかったけれど。それでも、こうして気を遣ってくださる殺生丸さまの優しさに震えはいつしか治まっていて、私は胸のうちの温かい気持ちを押し込めるように、ふわふわの尾をきゅ…と抱きしめた。

――改めて思う。きっと変わったのは、邪見との関係だけじゃない。あの日以来、殺生丸さまもどこか、私に優しくしてくださるようになった気がした。ううん、間違いない。以前よりも確かに、気を遣ってくださるようになっている。
その理由は分からないけれど、それでも確かな変化につい表情が綻んでしまいそうになる私は、そっと殺生丸さまへ顔を上げた。


「殺生丸さま…ありがとうございます」


そう囁くようにお礼を言えば、殺生丸さまは一度私を見て。呆気なく、フ、と顔を逸らしてしまった。


「……明日は早くにここを発つ。だからこそ、お前が起きられんなどと言い出しては面倒だと思っただけだ」


どこか呆れたように、淡々と返される言葉。けれど、そんな言葉を向けながら手を振り払おうとしない姿に、つい、素直じゃないなんて思ってしまった。


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