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「殺生丸!」


突然強く響かされた声。それに思わず肩を跳ね上げてしまった私とは対照的に、殺生丸さまは「うん?」と小さな声を漏らすだけの薄い反応を見せる。その顔が持ち上げられるのに続くよう、私も同じく声の元を見上げてみれば、そこには険しい顔をした犬夜叉くんがこちらへ向かって飛び降りてきている姿があった。


「まだ決着はついてねえぞ! 散魂鉄爪!」
「ひっ…きゃ!?」


勢いよく振り下ろされる鋭い爪に萎縮しそうになった瞬間、体を軽々と引き込まれる感覚に襲われる。直後、私たちが立っていた場所に犬夜叉くんの爪が容赦なく叩き込まれて、代わりにそれを受けた無数の骨が粉々になるほど激しく散らされていた。

その衝撃に私は思わず目を瞑ってしまったのだけど、散らされる破片がこちらへ届くことはなくて。恐る恐る目を開けてみると、私の体はまたも殺生丸さまの小脇に抱えられていることが分かった。そしてその彼は、刀が刺さる台座の装飾に悠然と腰を下ろしている。


「どうした犬夜叉。自分の墓穴でも掘りに来たのか?」
「くっ」


殺生丸さまの冷たい物言いに犬夜叉くんの顔が歪む。対する殺生丸さまは冷静なままだ。表情ひとつ変えなくて、ただ静かな余裕を見せている。

…殺生丸さま…私を助けてくれたのかな。そんなことを考えながら殺生丸さまの顔を見上げていると、不意にばっちりと目が合った。思わず驚いて目を丸くした私に、殺生丸さまはやっぱり表情を変えないまま、


「お前がいても邪魔だ。どこかへ行っていろ」


端的にそう言って、私をぽい、と台座の脇に放り捨ててしまった。あまりに突然のことで驚いて、地面に足を着くと同時にバランスを崩しそうになる。それでもなんとか耐えて確かめるように殺生丸さまの方へ振り返ってみるけれど、彼は“早く行け”と言わんばかりの目を向けるだけで、ついには呆気なく私から顔を背けてしまう。

じゃ…邪魔だからどこかへ行っていろ、って…。確かに殺生丸さまの言う通りだけど、もう少しオブラートに包んではくれないのかな。さっきは助けてくれて優しいのかも、なんて思いかけたのに…
やっぱり殺生丸さまは、まだよく分からない。

なにか言葉を返そうとするもそれは思いつかず、ただ開きかけた口を閉じた私は素直にその場から離れて邪見の元へ駆け寄った。
するとそれを横目に確認していたらしい殺生丸さまは犬夜叉くんを見据え、「それとも貴様も…」と低い声を差し向けた。


「父上の牙の剣…鉄砕牙を抜きに来たのか」
「鉄砕牙…?」


殺生丸さまに問われるも、犬夜叉くんはその刀自体のことを分かっていない様子。
自分のお父さんが遺したものなのに、彼は殺生丸さまと違ってなにも知らないのかな…。そう思って犬夜叉くんを見つめていると、その肩の上でなにか小さいものがピョンピョンと跳ねているのが見えた気がした。


「犬夜叉さま抜きなされ! 殺生丸さま、あなたさまには…鉄砕牙は抜けなかった。そうですな!?」
「……犬夜叉になら抜ける……と申すのか」
「当然じゃ、父君が犬夜叉さまに墓を託されたのがなによりの証拠! さ、犬夜叉さま早く」


ここからではよく見えないけれど、なにか小さいものが犬夜叉くんに刀を抜くよう促しているのは分かった。けれどその犬夜叉くんは険しい表情を見せて「けっ」と吐き捨ててしまう。


「おれはこんなオンボロ刀に興味はねえ!! 殺生丸! てめえよくも…散々おれをコケにしてくれたな!」


突然犬夜叉くんが殺生丸さまへ飛び掛かって鋭い爪を伸ばす。それに息を飲んでしまう私とは違い、殺生丸さまは涼しい顔のまま軽々とそれを避けてみせた。その直後、犬夜叉くんは負けじともう一度襲い掛かるのだけど、やっぱり彼の爪が殺生丸さまへ当たることはなく、それどころか掠ることさえない叶わないくらい戦力の差を見せつけられているだった。

なんだか、アクション映画でも見ているかのよう…。そう思ってしまうほど現実離れしたその激しい動きに圧倒されていると、またも犬夜叉くんが殺生丸さまへ襲い掛かろうとした。


「犬夜叉さま丸腰では勝てぬ! 刀を…」
「うるせえ!」


絶えず催促するなにかに犬夜叉くんが反発した――その時。


「犬夜叉、抜いちゃいなさいよ!」


場の空気を遮るように突然響いてくる声。はっと顔を上げた先にいたのは、壁に伸びる木の根にしがみついたあの女の子だった。どうやら彼女もここまでついて来ていたようで、あっという間にこの場の全員の注目の的となってしまっている。
けれど女の子はそんな視線に臆することもなく、ただ必死に訴えかけるように犬夜叉くんへ身を乗り出していた。


「その刀、殺生丸には抜けなかったのよ! それをあんたが易々と抜いたら、殺生丸の面目丸潰れよ! 赤っ恥よ!!」
「あの小娘〜〜! 言わせておけばなんということをっ」
「わっ、だ、ダメだよ邪見っ」


突然人頭杖を握り締めて走り出そうとする邪見を押さえ込む。小さい体を持ち上げてぬいぐるみのように抱きしめれば、「こらっ放さんか!」と声を上げながらじたばたと暴れられた。
だけど、放したら邪見は間違いなく彼女に危害を加えてしまう。そう思った私はとにかく邪見を落ち着かせようと、より一層ぎゅうっと抱きしめていた。

そもそも、あの冷静沈着な殺生丸さまだもの。きっとこれくらいで怒りはしないから大丈夫だよ。邪見にそう言い聞かせようと思って確認のために振り返ってみると、なにやらその殺生丸さまが少しばかり白い目をして女の子を見据えているように見えた。


(え…あ、あれ…? もしかして、怒ってる…?)


予想外の反応に思わず目をぱちくりと瞬かせるほど驚いてしまう。感情表現の乏しい人だからいつも分かりづらいはずなのだけど…この時ばかりは女の子の言葉が“気に食わない”という顔をしているのがはっきりと表れているような気がした。
あの殺生丸さまでもそんな顔をしてしまうんだ…なんて、どこか物珍しさを覚えたその時、刀へ振り返っていた犬夜叉くんが低い声を漏らした。


「なるほど……そいつはすげえ嫌がらせだな」
「抜けるものか」
「ふっ。てめえの吠え面が…見たくなったぜ!」


犬夜叉くんがどこか意地の悪い笑みを浮かべたかと思えば、目の前の刀の柄を強く握り込んだ。そこにあの激しい光はない。私がそれに気付いたと同時に、腕の中の邪見が愕然と目を見開きながら「ひえっ。うそっ」と素っ頓狂な声を上げた。


「殺生丸さまを跳ね返した結界が…犬夜叉を受け入れた!?」
「やはり…鉄砕牙は犬夜叉さまが持つべきものなんじゃ!!」
「ぬおおおおおお!!」


周りが騒ぎ立てる中で犬夜叉くんが雄叫びを上げながら刀を強く引く。その畳みかけるような展開に誰もが目を見張って息を飲む中、台座から霧のような煙が吐き出され、瞬く間に刀が見えなくなるほど辺りに充満し始めた。

刀は…と思わず身を乗り出しそうになるほど、みんなの視線が犬夜叉くんの手元へ集まっていく――その時、煙が薄まり始めたそこを同じように見つめていた女の子から、突如「あれ?」と間の抜けた声が漏れた。
それは、私もこぼしてしまいそうになった声。


「抜けて…ない…」


思わず私の口からほんの小さな声が漏れる。けれどその声さえよく聞こえてしまうほど静まり返ったこの場では、誰もが呆気にとられるように目を丸くして立ち尽くしていた。

それもそのはず、あれだけ派手に見せられた光景が嘘だったかのように、その刀は台座に刺さったままびくともしていなかったのだから。見る限り、きっと一ミリも動いていない。それくらい変わりない様子に目を瞬かせていると、どこか気まずそうな顔をした犬夜叉くんが「…おい」と肩の小さな姿に呼びかけた。


「抜・け・ね・え・じゃ・ね・え・か・よ」
「なっ、なぜでしょおおっ」


ひどく顔を迫らせた犬夜叉くんが指先でその小さな姿をみしみしみしと押し潰そうとする。よく分からないけれど、犬夜叉くんなら抜けるというのはあの小さななにかの憶測だったみたい。

でも…じゃあなんで結界は発動しなかったんだろう。殺生丸さまの時にはあれだけ激しく閃いていたのに。
私がそんな疑問を抱いた時、ふと呆れたように「茶番は終わりだ」と呟いた殺生丸さまが、突如目にも留まらない速さで犬夜叉くんの目と鼻の先へ跳び掛かった。


「鉄砕牙は貴様如き半妖の持つ刀ではない!」
「! くっ」
「我が毒爪にて昇華せよ」


犬夜叉くんを壁際へ追い込んだ直後、殺生丸さまは「毒華爪!!」という声とともにしなやかな腕を素早く突き込んでみせる。その瀬戸際で咄嗟に頭を逸らした犬夜叉くんは毒爪を免れたけれど、その真横、背後にある大きな骨は一瞬にしてドロドロの液状になるほどひどく溶かされてしまった。
しばらく一緒にいた私でも見たことがない、殺生丸さまの毒爪。その凄まじい威力に言葉を失うほど目を見張っていると、邪見がその隙を突くように私の腕を振り払って。なにをするかと思えば、犬夜叉くんの方へ悪い顔を向けながら人頭杖をクル…と回すように掲げてみせた。


「ひへへっ、殺生丸さまご加勢を…」
「じゃ、じゃけ…きゃっ!?」
「ぐえっ」


邪見を止めるべきかと思ったその時、突然女の子が邪見を踏みつけるように力強く飛び降りてきた。それに驚いた私が後ずさってしまう中、見事潰された邪見はすぐに女の子を振り払おうと人頭杖を向ける。けれど女の子はその人頭杖を掴み込んで対抗し、二人は「小悪党〜」「こっ、この小娘え〜」なんて言い合いながら押し問答を始めてしまった。

ど、どうしよう…。この女の子、たぶん悪い子じゃないと思うのだけど…うう、でもやっぱり、私は仲間の邪見を助けなきゃ…!


「や、やめてっ。その手を放して!」
「! あなた…」
「良いぞ風羽! 今度は負けぬ!」


女の子が私を見てなにか言いかけた一瞬の隙、邪見は人頭杖を強く握り直して大きく振り切ってみせた。その瞬間女の子の体が弾き飛ばされて、彼女は台座の傍に強く打ち付けられてしまう。

邪見を助けられたのはいいけれど、女の子を痛い目に遭わせてしまった事実に堪らず狼狽えそうになる。つい駆け寄りそうになりながらその姿を見つめていれば、女の子は「くっ…」と小さな声を漏らして刀を握り、その体を起こそうとした。

その時、背後で犬夜叉くんが強く地面に叩き付けられるダン、という音が聞こえて。それに振り返った途端「あ…」と声を漏らした女の子が顔色を一変させた。


「犬夜叉…」


とどめを刺されそうになった犬夜叉くんへ駆け出す女の子。だけどその瞬間に鳴らされたスコ…という小さな音に女の子の声が萎むのが分かる。同時に私も邪見も、爪を下そうとしていた殺生丸さまやその下の犬夜叉くんでさえ、愕然と目を見張った。
そのほんの一瞬の間に邪見と犬夜叉くんの短い声が聞こえた気がしたけれど、それもすぐに消えてしまうほど、場がひどく静まり返る。


「ごめん…抜けた…」


そこに小さく落とされた声。それでも誰一人として声を発することができないまま、ここにいる全員が揃って呆然と女の子を見つめていた。

――誰にも抜くことのできなかった刀をしっかりと手にした、彼女の姿を。


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