10



体が軽い。気が付けば私たちは黒い光の中を落ちているような、飛んでいるような、不思議な感覚のまま浮遊しているようだった。
…とはいえ、景色が変わらないおかげで進んでいるのかどうかも分からない。私たちはいまどこにいて、どこに向かっているんだろう…なんて思ったその時、突然目の前に眩しい光が広がった。


「っ…」


ブワリ、吹きつけてくる風。微かに感じる慣れない匂い。それを受けて思わず瞑ってしまっていた目をゆっくり開いてみると、目の前に現れる景色に「わ…」と小さな声が漏れた。

見えたのは私の足の向こうに広がる深い青空。そして頭上には、白い霧に包まれる果てのない荒野がずっと遠く、空と繋がる場所まで遥かに続いていた。

天と地が反転した、不思議な世界。これも妖怪の力かなにかなのかな…なんて、現実離れしたことの連続にそう考えてしまったのだけど、どうやらそれは私の勘違いのようだった。それを気付かせてくれたのは、私の手首を掴んで強く引き込んでくれる白い腕。


「いつまで呑気にひっくり返っている」


そんな声を向けられたのは、体を引き込まれる感覚と同時に視界が反転して、なにかの上に着地させられたあと。あっという間の出来事に呆然としながら顔を上げてみれば、傍で私を見下ろす殺生丸さまがいまにもため息をこぼしてしまいそうなほど呆れた表情を露わにしていた。

…どうやら私は黒い光の中で知らず知らずのうちにひっくり返っていて、そんなことにも気が付かないまま無防備にこの空を落下していたみたい。殺生丸さまの言葉と表情にようやくそれを理解した途端、危うく最悪の結果になるところだった…という思いがよぎってしまって堪らず身震いした。


「あ、あの…ありがとうござ…」


とにかくお礼を言っておこう、そう思ったはいいけれど、言い切る前に顔を上げた私の声はそこで途切れてしまう。持ち上げた視線の先、肩が触れ合うほど近くの殺生丸さまのその向こうに、なにやら不穏な影を見てしまったから。

それは茶色くて大きな、鳥のようなものの翼。その部分だけで私たちとあまり変わらないサイズをしているそれは、気のせいじゃなければ私たちの下から生えているような気がして。
瞬間、嫌な予感を覚えた私は、自分たちが乗っているものを確かめるようにゆっくりと視線を落としてみた。


「…ひっ!? ほ、ほほほ…骨…っ!?」


まさかといった思わぬものが視界に飛び込んできて、咄嗟に上げてしまった声が情けないくらいに震えてしまう。

――そう、どうしてか私たちはいま、翼以外がすべて骨になっている大きくて奇妙な鳥の上にいた。それは頭も胴体も尾も、内臓も肉も持たない白く硬い骨。だというのにこの鳥は確かに生きていて、私たちを背中に乗せながらも、揺らぐことなくしっかりと空を羽ばたいている。

いまのところは大人しいみたいだけれど…突然襲ってきたりしないかな…。ついそんな不安を抱いてしまっては、いますぐにでも逃げ出したいという気持ちが芽生えて、縋るように殺生丸さまの袖を小さくぎゅ…と握りしめた。

できればすぐにでも地上に降りたい、けれど、生憎ここは高い高い空の上。当然逃げられるような場所なんてどこにもなくて、私は早く降りられそうな場所がないかと恐る恐る地上の方を覗き込んでみた。

そんな時、地上に堂々と鎮座するとても大きなものの存在に気が付く。


(え…? なに、あれ…)


私が見たもの、それは霧に包まれる荒野の中央に腰を据えた、とてもとても大きななにかの骨だった。
人間じゃない、犬や狼のような動物の形をした骨。まるでお城のように大きなその骨は、どうしてか武将が纏うような物々しい鎧を身に付けていて、そのあまりの圧倒的な存在感と得も言われない異質さに、私は呆然と言葉を失うよう見入ってしまっていた。

あの骨は一体なんなのかな…。そもそも、どうしてこんなところに…? まさかあれも、この鳥みたいに動いたりする…?
…と、非現実的な光景を見ているうちにそんな疑問や不安が次々と湧き上がってきて、堪らず小さく身震いをしてしまった私はとにかく殺生丸さまに尋ねてみようと考えた。


「あの…」


口を開くと同時に顔を上げた途端、そんな声をちゃんと発せられたかどうかといったところで声を詰まらせてしまう。
それも、すぐ傍の殺生丸さまの横顔が、とても大きななにかを抱えているような気がしたから。その瞳に、色々な感情が含まれているように見えたから。

表情こそ変わらないけれど、どうしてかそう感じてしまう彼の目は真っ直ぐにあの大きな骨を見つめている。一体どうして、あの骨にそんな大きな思いを抱えているんだろう。それが不思議で堪らなくて、私はもう一度殺生丸さまと同じように大きな骨を見やって、そっと様子を窺うように問いかけてみた。


「あの、殺生丸さま…あの骨は一体…」
「…父上だ」
「……えっ!? あ…あれがお父さま、ですか…!?」


あまりに予想外すぎる答えに理解が追いつかなくて、ついワンテンポ遅れてしまうほど大きく驚いてしまった。するとそんな私に向かって「なにを驚いておる風羽。一目見れば分かるであろう」とどこか小馬鹿にするような邪見の声が追い打ちをかけてくる。

そ、そんなこと言われても…あれが殺生丸さまのお父さまだなんて、一目見ても二目見ても絶対分からないよ…。だって、どう考えてもお父さまが大きすぎる。殺生丸さまは人間とあまり変わらない姿なのに、あの骨は規格外の大きさだし、なにより骨格が違いすぎるんだもの。
“親子”というにはあまりにもかけ離れすぎてるよ…。

そう感じてしまう私は思わず殺生丸さまの言葉を疑いそうになってしまったけれど、この人がそんなウソをついて私をからかっているとは到底思えるはずもない。ということは、この夢のようで不可解なものたちは全部、現実。

そんな理解しがたい状況にとうとう私の頭がパンクしてしまいそうになった――その時。


「きゃっ」


バサッ、という大きな音と一緒に強い揺れが私たちを襲う。どうやら私たちの乗る骨の鳥が突然強く翼を打ったようで、それにバランスを崩してしまいそうになった私は咄嗟に傍のものを抱き込むようしっかりとしがみついた。
途端、背後から「なあっ!?」という邪見の声が響いてくる。


「き、貴様っ。殺生丸さまに抱き着くなどなにを考えておる! さっさと離れろっ」
「えっ」


邪見の怒鳴り声に耳を疑うよう目を丸くする。直後、自分の腕の中を見てみれば、そこに見覚えのある白い着物の袖が収まっていた。これは間違いなく、殺生丸さまの腕。それを自覚すると同時にゆっくり顔を上げると、どこか冷ややかな呆れの様子で私を見下ろす殺生丸さまと目が合った。
それに思わず「ひっ」とほんの小さな声が漏れて、私はあわあわと焦るままに弁解の声を上げる。


「あ…あの、殺生丸さまっ…だ、抱き着くなんて私…そんなつもりじゃ…!」
「…いつまでそうしている」


一蹴するように呟かれた一言にはっとする。咄嗟の弁解に必死になるあまり肝心の腕を放していなかったみたいで、それに気が付いた途端私はすぐさま腕を放し、慌てて小さく謝りながら深く頭を下げていた。

でも…やっぱりなにかに掴まっていないと、すぐに落とされてしまいそうで怖い…。そう思った私は「こ、これだけは許してください…」とさらに頭を下げながら、殺生丸さまの袖の端を小さく握りしめた。
するとそれだけは許されたのか、はたまた面倒になったのか。未だに小言を漏らす邪見とは対照的に、殺生丸さまはそれ以上のお咎めの様子を見せないまま、静かに私から視線を外してしまった。

よかった…なんとか怒られずに済んだみたい…。と、思わずほっと胸を撫で下ろしたはいいけれど、こんな狭くて不安定な場所にいたらいつまた同じことをしてしまうか分からない。そもそも、ずっと殺生丸さまと肩が触れ合っているくらい狭いんだもの。少しの揺れでもまた咄嗟にしがみついちゃいそう。

そう考えては、次こそ振り落とされてしまいそうという嫌な予感が強く芽生えてきて、思わずぶる…と体を小さく震わせた。


(ま…また同じことをする前に、早くこの鳥から降りなきゃ…!)


そう慌てるように考えた私はすぐさま風を操ろうと、傍の風を前方へ向けて撫で下ろすように触れてみた。すると風が向きを変えて、それに身を任せるように飛んでいた骨の鳥は、私が思い描いた通りの道筋で空を飛んでいく。

…そういえば行き先を聞いていなかったけれど、お父さまの元へ行けばいいんだよね…? なんて思いながら骨の鳥がそこへ辿り着くのを待っていると、あと数メートルというところで不意に私のお腹へ腕が回された。

え、と小さな声が漏れる。堪らず振り返ってみると、殺生丸さまが私を小脇に抱え込みながらお父さまの骨を見下ろしていた。
あ、あれ…どうして私、抱えられてるの…? ついそんな思いをよぎらせてしまった次の瞬間、殺生丸さまはなんの躊躇いもなく突然鳥の背中からタン、と飛び降りてしまった。


(うそっ…落ちる――…!!)


重力に容赦なく引っ張られる感覚に声も出せなくて、思わず心の中で叫びながらぎゅっと目を瞑る。
けれど、やがて体に伝わってきたのはトン…という軽い音と痛みを感じないほど小さな揺れだけ。それに恐る恐る目を開けてみると、辺りの景色はとても大きな肋骨に囲まれた薄暗い空間に変わり果てていた。

…ということは…もしかして、お父さまの骨の中に入っちゃったの…?
あっという間の出来事に呆然と辺りを見回してみる。そんな時、ふと目に付いた殺生丸さまの足元に思わず短い悲鳴を漏らして、途端に委縮するよう固まってしまった。

なぜならそこには、頭蓋骨や肋骨、どの部位かも分からない色々な骨が無数に、地面の代わりとばかりにびっしりと敷き詰められていたのだから。

まさかお父さまの体の中がそんなことになっているとは思ってもみなかった私は見事に震えあがり、殺生丸さまの小脇に抱えられたまま“絶対に降りられない…”と彼の着物を握り締めていた。
そんな時、


「たまには気が利くようだな」


不意に、そんな声が頭上から降らされた。まるで褒めるようなその言葉。それに少し驚いた私がすぐに顔を上げてみると、殺生丸さまは確かに私を見下ろしていて、やがてその視線を静かに外してしまった。


(…え…? も…もしかしていま…殺生丸さまに、褒められた…?)


思わぬ言葉が素直に信じられなくて、確かめるように殺生丸さまの横顔を見つめてしまう。

いままで殺生丸さまが私を褒めてくれたことはないし、私自身、褒められるようなことをできた覚えもなかったから…まさかこうして褒めてもらえる日がくるなんて、思いもよらなかった。
きっと彼が言っているのは、骨の鳥をここへ誘導したこと。あれは私が早く降りたくてやったことなのだけど、偶然にも、殺生丸さまのお役に立てていたみたい。

それがなんだか少し嬉しくて、照れくさくて。つい表情を緩めてしまいそうになったのだけれど、殺生丸さまはまるでそれを遮るかのように突然私をどさ、とその場に落としてしまった。
おかげで触りたくなかった足元の骨に触れちゃって、私は声にならない悲鳴を上げながら跳び上がるように立ち上がる。

どうして突然…。落とすなら落とすって一言言ってほしかった…というよりも、せめて立てるように解放してほしかった…。どうして落とすの…
そんな思いで悲しみながら抗議の思いをぶつけようと顔を上げた時、殺生丸さまは私に少しも目をくれず、ただ真っ直ぐになにかを見つめているようだった。かと思えば、その足が確かに踏み出される。

まるで引き寄せられるような彼に釣られてその視線の先を追ってみれば、そこにはなんだか見慣れない装飾が施された台座と、その中央に突き立てられる一本の古い刀が見えた。

どうしてこんなところに、あんなものが…? そう思ってしまう私とは対照的に、殺生丸さまは着実にそれへ歩み寄って、やがて台座の前で足を止められる。


「ついに辿り着いたぞ。父上の骸の体内に納められし宝刀…」


そう呟く殺生丸さまの表情には微かに、それでも確かに笑みが浮かんでいた。

ということは…あれが、殺生丸さまたちが捜し続けていた刀…。すごく強い殺生丸さまが欲しがっていたくらいだからどれだけすごいものなんだろう、と思っていたけれど、その見た目はなんの変哲もないただの日本刀のようだった。
…ううん、それよりもひどいかもしれない。だってあれはひどく錆びついていて、刀身全体がガタガタになるくらい刃こぼれしているんだもの。

こんなものが…本当に宝刀、なのかな…。

あまりの見た目に私はつい疑念を抱いてしまうのだけれど、殺生丸さまは刀への距離を縮めて、柄巻がひどく乱れたそこに手を伸ばした。


「一振りで百匹の妖怪を薙ぎ倒すという…牙の剣…鉄砕牙」
「鉄砕牙は父君の牙から研ぎ出した刀と聞き及びまする。すなわちこれを手にするということは…父君の妖力を受け継ぐも同じ…」


続くように話す邪見の声を聞きながら、グッ、と刀を握った殺生丸さまがその手を引こうとした――直後、殺生丸さまの手元からバチ、という強い音と電撃のような閃光が溢れ出した。それも束の間、光はまるで殺生丸さまを拒むよう瞬く間に激しさを増して、その勢いに驚いた私と邪見は「きゃっ!?」「うひゃっ!」とそれぞれ短い声を上げながら大きく後ずさってしまう。


「……」


やがて光が治まる頃、ドキドキと鼓動をうるさくさせる私とは対照的に、視線の先の殺生丸さまは静かに自身の右手を眺めていた。見ればそこにはチロチロ…と揺れる青い炎が纏わりついていて、さっきの光や音がただのこけおどしではないことを思い知らされるようだった。
それでも殺生丸さまは動じないどころか、眉をひそめることも炎を振り払うことさえしない。そんな姿になんだか私の方が戸惑ってしまいそうになるけれど、傍で私と一緒に驚いていた邪見が刀を見て、途端に大きく目を見張りながら「ひ…? 抜けない…!?」と驚愕の声を漏らした。

確かに彼の言う通り、殺生丸さまが引き抜こうとしたあの刀は、台座に固定されているかのように一切の緩みさえ見せてはいなかった。
けれど殺生丸さまはそれに対しても冷静なまま、


「用心深いことよな。結界が張ってある」


と、つまらなそうに呟いてしまう。

結界…そんなものも存在するんだ…と思うと同時に、どうしてあんなボロボロの古い刀に結界を張るんだろうと不思議に感じてしまう。だってあの刀、とても使えるものには見えないんだもの。使おうものなら、刀の方が先に折れてしまいそう。
そう思ってしまうくらいひどい姿なのだけど…見た目では分からないところに、確かに宝刀と呼べるくらいの価値があるもの…なのかな。

どうしても腑に落ちなくて、気になって。もう少しだけ近くでその刀を見てみたいと思った私は、刀が突き立てられる台座の方へそっと足を踏み出した。
――その刹那、


「殺生丸!」


聞き覚えのある声が、頭上から木霊するほど強く大きく響かされた。


back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -