25



――大きな泣き声が響き渡る。それを聞きながらようやく呼吸が落ち着いてきた頃、ぼんやりとした目で天井を見つめていればそこに重なるように白っぽい銀髪を揺らす女性が映り込んだ。


「よく頑張ったな、志紀」


傍へ腰を下ろしたお母さまが激励の声をかけてくださる。喪失感さえ覚えるほどの疲労の中、「ありがとうございます…」と声を振り絞ってはゆっくり振り返った。するとそこに見えたのはお包みを纏った二人の小さな小さな子供の姿。私の子供。男の子と、女の子。双子だった。

ついさっきまで自分の中にいたその子たちを確かにこの目で見た途端、じんわりと涙が込み上げてくるような安堵感が胸に広がった。


「私…無事に産めたんですね…」
「ああ。どちらも元気に泣いておる」


そう言いながらお母さまは息子を抱き上げ、私の腕の中へそっと降ろしてくれる。すっぽりと収まってしまう、本当に小さな体。あまりにも華奢な体にひやひやとするような、むしろ愛おしいような不思議な感覚を覚えてしまう。
見れば息子には私の、娘には殺生丸さまの髪色がすでに見えていた。


「ふふ、やっぱり私たちの子なんだ…」
「なにを当たり前のことを言っている」
「あ…殺生丸さま…」


ふと向けられた声に顔を上げてみれば殺生丸さまがそこにいた。お母さまが呼んでくださっていたようで、お母さまと入れ替わるように傍へ腰を下ろした殺生丸さまは、私と同じようにお母さまから娘を向けられていた。最初こそは「寝かせておけ」とお母さまに言っていた殺生丸さまだけど、やがてお母さまの押しに折れるようにそっと子供を受け止めて、静かにその視線を落としている。


「…小さいな…」
「本当に…生まれたての子供を見るのは、初めてです」


そう言って小さく笑えば殺生丸さまも釣られるように笑んでくれる。

一人っ子の私は弟や妹なんていなくて、生まれたての小さな子供を見るという経験をしたことがなかった。その初めてがまさか自分の子になるとは思ってもみず、なんだか不思議な感覚の中で私はただ静かに子供の姿を見つめていた。するとその静けさに段々落ち着いてきたのか、大きなあくびをこぼした子供はいつしか安らかな寝息を立てて静かに眠りについてしまう。

そんな姿にも、自然と笑みが浮かんでくる。目を伏せる我が子の柔らかな頬をそっと撫でてあげながら、愛しいその顔を眺めた。そんな時、なんだか既視感のようなものがぼんやりと私の中に芽生えてくる。


「この子の目元…殺生丸さまに似てますね」
「こっちは志紀に似ている」
「そうですか? でも…顔の形なんかは殺生丸さまそっくりですよ」


二人の子供と自分たちを見比べて、つい笑い合う。私や殺生丸さまに似ている箇所を見つけるたびに自分の子供だという実感が湧いて、その都度愛おしさが増してくるような気がした。
なんて幸せなんだろう、堪らずそんな思いを浮かべてしまうと、傍で私たちを見守っていたお母さまが目を細めて言った。


「我が子というものは愛おしかろう。初めての産はどうであったか? やはり、きつかったか?」
「はい…やっぱり未知の世界でしたから…でも、なんだかあっという間だったような気がします」
「そうだな。この先、成長もあっという間であるぞ」


そう言いながらお母さまは殺生丸さまを見てくすくすと笑う。私もそれに釣られて笑いながら「そうですね」なんて言っていると、ふと廊下の方からドタドタと慌ただしい足音が聞こえてきた。それはどうやら一直線にこちらへ向かってくる。


「志紀お姉ちゃん! もう産まれた!?」
「こらっ、りん! 静かにせんかっ!」


勢いよく飛び込んでくるりんちゃんに続いて、ひどく焦った様子の邪見が駆け込んでくる。けれどそんな彼の焦りとは対照的にりんちゃんの表情は明るく、とても嬉しそうなものだった。

実はりんちゃんはこの数ヶ月、いつでも人里に戻れるようにとかごめちゃんの知り合いの楓さんの村に預けていた。私と一緒にお屋敷に残ってもよかったのだけど、年頃のりんちゃんをこれ以上妖怪だけの場所に留めておくのはよくない、ということで殺生丸さまが却下したのだ。けれど今日は私が産気付いたため、邪見がりんちゃんを呼びに行ってくれていたらしい。

なんだかんだと言いながら、やっぱり邪見もりんちゃんのことが放っておけないんだな。なんてことを思いながら、起きてしまった子供を不慣れな手つきであやしてあげた。


「ごめんなさい…起こしちゃった…」
「大丈夫だよ。それより来てくれてありがとう、りんちゃん」


肩を落とすりんちゃんにお礼を言って笑いかけてあげれば、その表情はまたぱあっと花咲くように明るくなる。りんちゃんが村に行ってからもたまに会ってはいたけれど、最近は体調が優れなかったりしてあまり会えないことが増えていたから、こうして久しぶりに会えたことがよほど嬉しいらしい。
私も元気なりんちゃんを見られたのが嬉しくて、なんだか元気を分けてもらえるような気さえする。そんな思いを抱えながらりんちゃんに「見る?」と子供を向ければ、りんちゃんはどこか緊張したように背筋を伸ばしてお包みの中を覗き込んできた。


「志紀お姉ちゃん、二人も産んだの? すごいねー。…赤ちゃんって小さいね、邪見さま」
「ふ、ふむ。まあその、なんだ、志紀にしては頑張ったようだなっ」
「うわあ…邪見、むかつく」


いつまで経っても上から目線のままの邪見に率直な感想を述べてはジト目を向けてやる。素直におめでとうも言えないのか、といつもの調子で思ってしまった時、ふとりんちゃんが心底不思議そうな顔をして邪見を見つめ始めた。


「ねえ邪見さま。志紀お姉ちゃんのことそんな風に言ってていいの? みんなに怒られない?」
「え゙」


至極真っ直ぐに、純粋に投げかけられた言葉に邪見の顔色が変わった。かと思えば目に見て取れるほど大きくたじろぎ始めた。

確かにりんちゃんの言うことは一理ある。私はいま殺生丸さまの正妻としてここにいるわけで、殺生丸さまの従者である邪見は本来私にも下手に出なければならない立場になったはずなのだから。もちろん私たちは今までのことがあるから、邪見のこの態度も減らず口もなんとも思わない。けれど、それを知らない人たちからすれば“なんて偉そうで失礼な従者なんだ”と思われ兼ねない状態なのだ。

それを思うと改めさせるべきかと思うのだけど、私に対して下手に出る邪見の姿を想像するとなんだか気持ち悪くて、得も言われぬ寒気すら覚えるような気がしてくる。周りには説明しておけばいい、そう思った私は顔をしかめながら遠慮するように邪見にひらひらと手を振ってみせた。


「今まで通りでいいよ…今さら改められても気持ち悪いだけだから…」
「な゙っ、気持ち悪いは余計だっ!」


素直に言ってやれば邪見は途端に跳び上がるように反論してくる。けれどその声が大きくて、やっと落ち着いた子供たちがまた泣き出してしまったものだから即座に殺生丸さまの鉄拳が飛んだ。
もはや懐かしさすら感じるこの光景。子供をあやしながらも思わず涙がにじむほど笑って、久しぶりに心置きなく楽しく過ごしていた。



* * *




――あれから、三年。

分からないことだらけの毎日はお母さまの言う通りあっという間に過ぎて、気付けば子供たちも自分の意思で走り回るようになっていた。双子は遊び相手に困らず、自分たちで勝手に喧嘩して、勝手に遊んで、母親の私なんて見えてないくらい元気に駆け回る。
散歩として訪れたこの草原でも、二人は私と殺生丸さまを置いてあっという間に走って行ってしまった。


「危ないからあんまり遠くに行かないでねー」
「「はーいっ!」」


私の呼び掛けに何倍も元気な声が高らかに返ってくる。あの勢いにとうとうついて行けなくなってしまった私は二人を遠目に見つめながら、隣に座る殺生丸さまへそっと身を委ねるようにもたれ掛かった。なんだかこうして二人でゆっくりできるのも久しぶりな感覚。それを思いながら愛しい温もりに目を伏せて、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐように呟いた。


「私…ずっと、この先どうなるんだろうって…大丈夫かなって、そんな不安ばかり抱えていたんです。でも…案外、変わらないものですね」
「そうだな…」


心地よい声が私を包む。殺生丸さまの腕をそっと抱くように手を回せば、殺生丸さまはその手に自身のそれを重ねてくれた。温かくて大きな手が私の指を撫でるように滑る。かと思えば、不意に殺生丸さまがフ…と小さな笑みを浮かべられた。


「志紀はようやく落ち着きを覚えたようだがな」
「もう、人がお転婆だったような言い方して…そういう殺生丸さまこそ、父親らしく、優しくなられたと思いますよ」


意地悪な一言に言い返すようにすれば殺生丸さまは返事代わりにもう一度笑みをこぼされる。思わずそれに釣られるようにくすくすと笑みを浮かべてしまうと、ふと殺生丸さまが思い出したかのように「時に志紀…」と口を開かれた。


「その呼称、いい加減変えてもいいのだぞ」
「“殺生丸さま”…ですか? 実はその、練習はしたんですが…やっぱり恥ずかしくて」


一人の時に何度か試していたことを思い出しては頬に熱が昇るのを感じてしまい、誤魔化すように笑いかけた。実は以前お母さまにも“殺生丸でも殺でも、好きなように呼んでやれば良い”と言われていたのだけれど、今まで慣れ親しんだ呼び方だし、関係の変わった今でも呼び捨てやあだ名なんて私にはハードルが高すぎるような気がした。だから簡単に口にすることもできず、この呼び方のままここまで来てしまったのだ。

でも…殺生丸さまが変えてほしいなら…
そう切り出そうとした時、歩幅の小さな足音がこちらに近付いてくることに気が付いた。


「母上ー。寝ちゃったー」


我が子がそう言って指差した先には、横たわり眠っているもう一人の我が子の姿。さっきまで元気に遊んでいたのに、子供って本当に自由で目が離せないな。ついそんな思いを浮かべながら立ち上がると、殺生丸さまが「そろそろ帰るか」と同じく腰を上げた。「そうですね」そんな一言を返した私は芝生に覆われた地面に横たわる我が子の元へ駆け寄って、あっという間に大きくなってしまったその体を抱き上げた。

子供の成長は本当に目まぐるしい。あの頃は本当に潰れてしまいそうなほど小さくて華奢だったのに、今ではもう私が抱き上げるのも精一杯というくらい大きくなった。そろそろ鍛えないと持ち上がらないかも。
そんな幸せを噛みしめながら殺生丸さまの元へ戻れば、彼の腕の中にも眠る我が子。あの数秒の間に、私たちを呼びに来たはずのこの子まで眠ってしまったらしい。


「あっという間でしたね…」
「志紀が行ってすぐだ。眠かったのだろう」


そう教えてくれる殺生丸さまの表情には控えめながらも優しい、柔らかな笑みが湛えられていた。本当に、愛おしそうな瞳。その姿を見つめていた私まで誘われるように微笑みを浮かべれば、不意に爽やかな風がフワリと私たちの頬を撫でた。

それはどこか覚えのある、心地よい風。
私たちの間を吹き抜けていくそれを追うように振り返っては、緩やかに風にそよぐ草原を静かに見渡した。


「ここ…私たちが初めて出会った場所ですよね…」
「…気付いていたのか」
「はい。ここは私にとって…始まりの場所、ですから」


月光蝶に宿られて、初めて訪れた戦国の世。この時代のこの草原で、私は恋仲に――夫になるとは思いもしなかった方と出会った。大袈裟かもしれない、けれど、私の人生はここから始まったと言っても過言ではないと思った。

そう、私の人生はまだ、始まったばかり――


「殺生丸さま…」


呼び掛ければその人は私に振り返ってくれる。幾度となく見つめ合った色褪せぬその琥珀色の瞳を見つめて、私は心から湧き上がる言葉を旋律に乗せるよう語りかけた。


「私はあなたさまと、この子たちと…まだ見ぬ果てしない未来を、ずっと…いつまでも、紡いでいきたいと思っています」


願うように、決意するようにこぼした声は風に消えて行く。けれどそれはしっかりと彼へ胸に届いたようで、真っ直ぐ見つめてくれていたその琥珀が柔和に綻んだ。


「私もだ、志紀…共に、歩んで行こう」


そう言って差し出された手に自分の手を重ねる。そして、どちらからともなく指を絡め、握り合った。


二度と離したりはしないように――

あなたと繋いできた今を、未来にずっと、紡いでいられるように。



End.


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