19



歪な足場に何度も躓きながら必死に駆け上がっていく。けれどそこは殺生丸さまたちの元へ続いてはいなかった。

今にも崩れてしまいそうなほど頼りないこの崖で、なんとか視認できるほどの距離の彼らを見つめる。
2人はやはりというべきか、協力の素振りを一切見せようとしていなかった。それどころかお互いを邪魔者のように扱っている始末。

このままじゃいけない。そう思った時、遅れて辿り着いたかごめちゃんが足を止めるなりグ、と大きく身を乗り出した。


「犬夜叉ーっ!殺生丸と一緒に戦ってちょうだい!」
「んなことできるか!」
「殺生丸!犬夜叉に協力してやってよ!」
「なっ…」


犬夜叉くんが反発したからかかごめちゃんは標的を殺生丸さまに変えた。けれど殺生丸さまは一切振り向くことなく叢雲牙へ向かって駆け出してしまう。
おかげでかごめちゃんが「聞いてるの!?殺生丸!」と声を荒げたのだけど、殺生丸さまは尚も反応することなく闘鬼神を叩き付けるように振るっていた。

せめて話を聞いてもらわなきゃ…そう思って1歩を踏み出そうとした瞬間、結界の中から聞き慣れた声が大きく上げられた。


「そうです殺生丸さま!犬夜叉如き半妖なんぞとつるむことはありませんぞ!」
「なっ…邪見、あいつ…!」


みんなの生死がかかってるのにそんなこと言ってる場合か。あとで絶対殴ってやる。

そう思い拳を握りしめた瞬間バキッ、という凄まじい音と「はう〜っ!!」という邪見の情けない悲鳴がほぼ同時に響き渡った。どうやら私よりも先にみんなからの総攻撃を受けたらしく、今度はすごくか弱い声で「殺生丸さま、ぜひ犬夜叉とご協力を…」と言い直していた。

けれどそんなことで納得してくれるなら苦労はしない。彼らは相も変わらず聞く耳すら持たないで、互いを押し退け合いながら叢雲牙へ襲い掛かっていた。


「っ…どうすれば…」
「あんたたちみたいな分からず屋…もう当てにしないわよ!」
「え!?」


我慢の限界だったのか、突然かごめちゃんが勢いよく弓を引いた。なんの躊躇いもないその姿に驚いたけれど、放たれた矢の清らかな光に目を奪われる。
ただの矢ではない、私には計り知れない力を秘めた矢。それが真っ直ぐ叢雲牙に飛んで行き左腕に刺さると、途端にそこから眩い光が発せられた。

叢雲牙が明らかに怯んでる…かごめちゃんには本当に不思議な力があるんだ。

思わず見とれるように呆然としてしまう私の視線の先で犬夜叉くんが隙を突こうと構えをとっていた。けれどその瞬間に殺生丸さまが犬夜叉くんを追い越し叢雲牙へ襲い掛かって行く。

どうしよう、これじゃかごめちゃんが隙を作ってくれた意味がない。やっぱり私も説得しないと…


「せっしょ…え゙、なにっ!?」
「きゃーっ!!」


思い切り彼を呼びかけようとした刹那、足元が不吉な悲鳴を上げたかと思えば突然大きく砕けるように崩れ始めた。幸いそれは私の目の前だったのだけど、そこに立っていたかごめちゃんは崩れた岩片と一緒に身を投げ出されそうになる。


「かごめちゃんっ!」
「かごめ!かごめーっ!!」


咄嗟に私の足元にしがみついたかごめちゃんの腕を掴んだ途端、血相を変えた犬夜叉くんがこちらへ飛び込んできた。

犬夜叉くん、かごめちゃんのために戻ってくれたんだ。そんな献身的な姿に形容しがたい感覚を覚えた時、私は殺生丸さまへ視線を移していた。

彼はいまも叢雲牙と剣を交えている。
犬夜叉くんのように私を気にかけてほしいとは言わない。ただ今は、私たちの声を聞いてほしかった。このまま叢雲牙と剣を交え続けても消耗するばかりで勝てないのだから、だから少しでいい、犬夜叉くんと協力してほしかった。

どうすれば彼にそれを伝えられるんだろう。
そんなやるせない思いが胸いっぱいに広がって苦しさを覚えた刹那、またも地面が大きな揺れを響かせ始めた。

辺りの地面が隆起して、次いでは沈んで行く。とてつもない地響きを轟かせる大地は、どうやらあの不気味な塔のような巨岩を中心に穴を広げているようだった。きっとここも危ないはずだ。それを悟ったのは私だけではないようで、かごめちゃんに鉄砕牙の鞘を渡した犬夜叉くんは再び叢雲牙の元へ戻らんと大きく跳び上がった。


『獄龍破!!』


突如、叢雲牙の禍々しい声が響き渡る。
殺生丸さまを振り払ったらしいそれは勢いよく剣の腕を振るい、犬夜叉くんへ向けて獄龍破を放ったのだ。犬夜叉くんは咄嗟に鉄砕牙を押しつけるも、竜巻のように渦巻くそれは犬夜叉くんを跳ね返して私たちの目の前に叩きつけてしまった。

それでも獄龍破は止まることなく私たちの元へ迫ってくる。

思わず肝を冷やして身構えてしまうけれど、すぐさま犬夜叉くんが起き上がるなりもう一度獄龍破へ鉄砕牙を押しつけた。それでもあまりに強大すぎるその力はゆっくりと迫り、私たちが立つ岩を徐々に破壊して行く。


「くっ…爆流破!!」


突如犬夜叉くんがそう言い放つと同時に鉄砕牙を振り切った直後、光り輝く渦が獄龍破へ放たれて瞬く間に打ち消してしまった。爆流破はその勢いのまま叢雲牙がいる方へ叩き込まれるけれど、そこに立つあれは怯むこともなく不気味な笑みをこちらへ向けてくる。


『くくく…中々やるな…面白い…』
「くそっ…外したか…」


どうやら獄龍破を消すだけでなくその向こうの叢雲牙すら狙っていたらしい犬夜叉くんが悔しげな声を漏らす。けれど犬夜叉くんはここで待ってろ、とかごめちゃんに言い残し、すぐさま叢雲牙の元へと向かって行った。


『小僧!これはどうだ!!』


迫り来る犬夜叉くんに対して低く喉を鳴らした叢雲牙が左腕を振り上げる。その瞬間殺生丸さまが光の鞭を放ち、叢雲牙の左腕を拘束するよう巻き付いた。
けれど叢雲牙はそれを『効かぬ!!』と一蹴してもう一度躊躇いなく獄龍破を放つ。その獄龍破は渦ではなく、ひとつの玉のような形で殺生丸さまへ迫った。

その刹那、間に立ちはだかった犬夜叉くんがすぐに爆流破を放ち、再び獄龍破を打ち消そうとする。でもそれは先ほどのように上手くいかず、爆流破の方が容易く打ち消されてしまった。


「爆流破が効かねえ!ぬおっ!!」


咄嗟に鉄砕牙を地面に突き立てて身を守ろうとする犬夜叉くんへ獄龍破が襲い掛かる。なんとか押し留められていたけれど、それはとうとう暴発するように破裂し激しい光と風を広げた。

その間にも殺生丸さまは叢雲牙を追い込もうと距離を縮めている。でもその手にあったはずの闘鬼神は使えなくなったのか腰に戻されていて、自身の爪と拳だけで叢雲牙に対抗していた。

いくら殺生丸さまと言えど、素手では相当厳しいはず。

胸が強くざわめく思いを抱えるも、無力な私ではなにもできないことくらい分かっていた。だからこそもどかしくつらいばかりで、血が滲むほど拳を握りしめてしまう。

――そんな時、不意に背後から近付いてくるほんの微かな気配を感じ取った。


「! 陽光蝶!?」


釣られるように振り返ってみれば、そこには風に抗うよう必死に羽ばたいている陽光蝶の姿があった。翅を傷つけられていながら懸命にこちらへ向かって来るそれは、私が恐れ、私の中の蝶が求めるもの。

それでもこの時ばかりは異なる思いを抱くことなく、咄嗟に駆け寄ってはそれを包み込むように両手を伸ばしていた。

ハラハラと私の手の中に収まるそれは私に触れながらも確かにその形を保っている。どうやら触れただけで吸収されてしまうわけではないらしい。
それにどこか安堵したような気持ちを覚えながら小さく身を震わす陽光蝶を見つめると、まるで誘われるように自然と胸の内を明かしていた。


「私…あんたたちが幻夢蝶になった時、どうなるのかすごく不安だった…でも今は…今はそんなこと、どうだっていい。私は殺生丸さまを支えたい…だから陽光蝶…私が望めば、力を貸してくれる?」


縋るような思いでそう問いかけるも、音もなく翅を開閉するそれからの返事はもらえない。それどころか背を向けていた叢雲牙から不吉な声が響き渡ってきた。


『2人一緒に冥界へ送ってやる!!』
「邪魔だっ!」
「殺生丸さまっ!?」


高く跳び上がった叢雲牙から獄龍破が放たれた瞬間、殺生丸さまは犬夜叉くんを突き飛ばすように押し退けた。そのため犬夜叉くんは軌道から外れたけれど、殺生丸さまが――

そんな私の不安を的中させるように、獄龍破は殺生丸さまを飲み込まんばかりに襲い掛かった。


「殺生丸さまあっ!!」


気付けば叫んでいた。けれどそれはなんの意味も果たさず、私は獄龍破の禍々しい光が消えて収まるのを待つことしかできなかった。

そしてその時が訪れたそこに、光る天生牙を手にした殺生丸さまの姿を見る。けれど彼は無傷でいることは叶わず、肩で息をするほど疲弊した状態でその場に膝を突いていた。


「いやっ…殺生丸さま…っ」


殺生丸さまがあれほど追い込まれている姿を初めて目にして、私は呼吸の仕方すら忘れてしまいそうなほどの焦燥感と絶望感を味わった。

きっと殺生丸さまがあの時犬夜叉くんを押し退けたのは、自分ひとりで獄龍破を受け止めるためだ。
それを感じ取ったその時、再び強く振り下ろされた叢雲牙の腕から犬夜叉くんへ向けて獄龍破が放たれる。犬夜叉くんは負けじと爆流破を放とうとしたのだけど、どうしてかそれは形にならず犬夜叉くんも成すすべなく獄龍破に弾き飛ばされてしまった。

思わず息を飲んだ私の隣でかごめちゃんが悲痛な声を上げる。地面に叩き付けられた犬夜叉くんは、そこに力なく身を伏せていた。


『ふはははは!己の無力を思い知ったか半妖!殺生丸!!次は貴様の番だ!』
「! 殺生丸さまっ!」
「まだ終わってねぇ…」


咄嗟に私が声を上げた刹那、力尽きたかと思われた犬夜叉くんから掠れる声が通された。私だけでなくかごめちゃんや殺生丸さまも驚いたように犬夜叉くんへ視線を戻す中、彼は地面に手を突いてその体を持ち上げようとしていた。


「だから…言っただろ…人間の血を受け継いだおれは…諦めが悪いんだってな!!」


犬夜叉くんが再び立ち上がり言い放つ言葉。それに声を詰まらせた私とは対照的に、唸るような笑い声を上げる叢雲牙は刃の腕を天高く掲げてみせた。するとそれを中心に辺りが禍々しい光に覆われていき、龍の姿をした煙のようなものが飛び交って消える。


『ならば、今度こそ引導を渡してやる!人間の小娘共々冥界へ落ちろ!!』
「来やがれ!!なんとしてでも爆流破で弾き返す!」
『獄龍破!!』


叢雲牙の刃が眩い光を湛えた次の瞬間、周囲を大きく抉り返してしまうほどの獄龍破が放たれた。


「いけええっ!!爆流破!!」


犬夜叉くんが負けじと強く振り降ろした鉄砕牙から爆流破が放たれる。それらが互いにぶつかり合い凄まじい音を立てる中で、叢雲牙はまるで勝ち誇ったように腹の底から湧き上がる笑みをこぼしていた。


『バカめ!!鉄砕牙だけで勝てるものか!貴様がどう足掻いたところで黄泉の国はこの現世を飲み込むのだ!』
「ゴチャゴチャうるせえ!おれには守るものがある!だから絶対諦めねえ!!」
「!」


――ドクン、

喉が張り裂けんばかりに放たれた犬夜叉くんの言葉に、私の胸の奥でなにかが強く鼓動を打った。そして手の中でハラハラと羽根を揺らすものへ誘われるように視線を落とすと、心の奥にあったわだかまりが溶けて消えて行くような錯覚に包まれる。

今しかない。
もしかしたら“余計なことを”って怒られるかもしれない。
でも私は…少しだけでもいいから、

殺生丸さまのお力になりたかった。


「お願い幻夢蝶…私に、力を貸して」


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