15



太陽と月が逆転して間もなく、まだ明るさを残す山の裾野の彼方には巨大な暗雲が広がっていた。ただそれはいわゆる普通の雲ではないようで、鈍いと言われる私ですら感じられるほどの強い邪気を放っているようだ。


「あの邪気はまさか…」
「叢雲牙はあそこを根城にしたようじゃの…」
「急ぎましょう!」


嫌な予感が刀々斎さんによって肯定された瞬間かごめちゃんから威勢のいい声が上がる。もちろん私もそのつもりだった。だからすぐに身構えたのだけど、それが理解できないと言わんばかりの様子を見せて来る鞘のおじいさんがかごめちゃんの肩口から問いかけて来た。


「お前たち…まだ本気で行こうと思っているのか?」
「当たり前じゃない!」


かごめちゃんがはっきりと言い切るのに続いて私も強く頷いた。すると鞘のおじいさんは心底訝しげに顔をしかめてしまう。


「しかし、このことにどれほどの意味があるというのだ?」
「意味?」
「犬夜叉や殺生丸がこだわるのは分かる…が、お前たちには戦う理由などないではないか…なぜ、戦う?戦いが好きなのか?」


鞘のおじいさんには本当に不思議でたまらないんだ。その様子がとても分かる顔を私にも向けられた時、私は暗雲の向こうに殺生丸さまの影を見ながら胸の内を露わにした。


「もちろん戦いは嫌いです。でも私はあの方が…殺生丸さまが好き…あの方の傍でずっと、支えていたいんです」


彼方を見つめていた視線をおじいさんへ移してそう言い切る。これは、私がここまで殺生丸さまに着いてきた理由だ。強く頼もしく、それでいてどこか危うさを垣間見せる彼を、私が出来うる限りの…ううんそれ以上の力で、支え続けていきたい。

その思いをいっぱいに込めた視線を鞘のおじいさんへ向けていれば、おじいさんは驚いたように何度もぱちくりと瞬きをしていた。


「やれやれ…いくら年を経ても人間などというものは、よく分からんわい…」
「うむ、全くじゃ…」
「同感…」


やれやれといった呆れの様子。それがありありと醸し出される声をお父さまの知り合いさんたちに漏らされる中、私たちは叢雲牙がいるであろう暗雲の下を目指して一気に加速して行った。



* * *




やがて辿り着いたのは辺りを一望できる高台だった。正面には禍々しい城のような建物がそびえ立つ巨大な山。きっと叢雲牙がいるだろう場所だ。

無計画に城の前へ突っ込んでも危険なだけだろうということでここに身を下ろし、相手の状況を確認しながら作戦を練るそうだ。


「ほおほお、大した人数じゃの…」
「おお、あれが全部、死人の兵…」
「いくらなんでも殺しすぎだ…」
「叢雲牙め…また獄龍破を使いおったな…」


みんなが口々にこぼすその視線の先を見れば、確かに霧がかかる平野にいくつもの小さな影が群を成して蠢いている。

どうやら叢雲牙に殺された屍はその自由を奪われて生ける屍となってしまうらしい。以前私たちに襲いかかってきた鬼もそれだ。
だからこちらに行進してくるあれらも“人”…殺されて自由を奪われた、城の人たちだという。

今まで目の当たりにしたことがない状況にゾク、と背筋が冷える思いを覚える中、兵たちに鋭い視線を向けていた弥勒さんが小さく唸るような声で言った。


「敵はざっと見て二千…冥加さまと志紀さまとりんと猛猛を戦力外と考えて8人と2匹…ひとり200人の割り当てです…」
「すみません、戦えなくて…」
「こればかりは仕方がない。志紀さまはりんの傍にいてあげてください」


堪らず謝った私へ弥勒さんは優しく言い聞かせてくれる。

どうやら私と同じ現代人のかごめちゃんは私と違って、桔梗さんというすごい巫女さまの生まれ変わりであるがために不思議な力を持っているんだとか。だから妖怪とも闘えるとのこと。それに引き換え私は、不思議な力を持っていながらもそれは妖怪のエサ同然のもので、戦うことなんかこれっぽっちもできやしない。

情けない…私はここでも守られているだけなのか…。


「でも、生ける屍を相手にどうやって?」
「屍たちの邪気を弱めれば倒すこともできる…時間はかかるがな…」
「おい弥勒、か弱いおらがなんで戦力外にならんのじゃ?」


私がやるせない思いを抱く前で、小さな七宝くんが不安げな声を上げた。この可愛らしい七宝くんは狐の妖怪で、色んな術が使えるらしい。
…とはいえ、まだまだ小さな子供だ。七宝くんの言う通り戦力外に当たらないのかな、と思いながら弥勒さんの顔を窺ってみれば、そこにはとってもとっても怖い腹黒さを感じてしまうような微笑みがしっかりと浮かべられていた。


「なに言ってるんですか…あてにしてますよ、お前の狐火…」
「そうか…邪見、奴らを倒すには炎が効くんじゃ…頼りにしておるぞ…」


明らかに怯えて顔を引き攣らせた七宝くんがほぼ同類の邪見に向かって言う。そうだね七宝くん。でもその邪見は……


「この人頭杖の力、見せてくれるわ…」


私の隣で、阿吽の上に立ったままあり得ないくらいガタガタと震えています。おかげで阿吽が思いっきり揺れまくってて、一緒に乗るりんちゃんまですごくブレて見えるくらい。


「ねえ邪見…」
「めちゃめちゃ震えてるよ…」
「こ、こ、これは武者震いというやつじゃ!」
「そんなか細い声で言い訳されても」


私とりんちゃんの指摘にどう見ても苦しい言い訳をする邪見へ乾いた笑みが浮かぶ。

そんな時、不意に冷たい滴がポツ、ポツ、と体に触れた。雨だ。思わず空を仰げばそれは瞬く間に量を増やして、吹き荒ぶ風と一緒に私たちを打ちつけて来る。


「……っ…」


まるで嵐。より不吉さを増したこの状況に顔をしかめてしまうと、突然かごめちゃんから「犬夜叉!?」という声が上がった。咄嗟にその方角を見てみれば、確かに遠くに立ちはだかる犬夜叉くんの姿が見える。

けれどその周囲に、殺生丸さまの姿はない。

やはり行動を共にしているはずはなく、あの方がどこにいるのかここからでは知ることができないようだ。それでも私が殺生丸さまの姿を捜そうと視線を巡らせかけた時、犬夜叉くんが死人の兵たちに向かって勢いよく駆け出して行った。まさか、あれだけの数をひとりで…?

不安に思う私が見つめる先で、無数の槍を投げつけられる犬夜叉くんは全て避け切って鉄砕牙で立ち向かっていく。


「行きましょう!」


まるで犬夜叉くんに続くよう突如上げられた弥勒さまの声を皮切りに、私たちも一斉に戦地へ足を踏み込んだ。それぞれが猛猛や雲母に跨る中、私は阿吽に飛び乗ってりんちゃんの体を支えながら、人頭杖を構える邪見の代わりに手綱を握る。
そして私たちはそのまま全員散らばるように目下の兵たちへ向かった。

城に近付けば近付くほど邪気が強まって気分が悪い。それでも私は硬直する邪見が少しでも攻撃しやすいよう阿吽を兵たちの方へ寄せて行った。


「食らえ!人頭杖っ!!」
「頑張って、邪見さま!」
「足滑らせて落ちないでよ!」


声を上げるので精一杯なんじゃないかと思わされるような姿の邪見が必死に屍の兵たちを蹴散らしてくれる中、私たちは思い思いの声をかけながら阿吽の手綱を手繰った。

時折視線を巡らせてみるけれど兵たちの数が多すぎて殺生丸さまを捜す余裕がなくなっていく。きっとこの辺りのどこかにいるはずなのに。


「うわっ、邪見そっち!左から来てる!」
「きええええ!!」


咄嗟に邪見へ教えれば無我夢中で人頭杖を振るってくれる。そのおかげでこちらへ襲い掛かろうとしていた兵は呆気なく蹴散らされて行った。

人頭杖の威力がすごいからもうかなりの数を倒せているはずなのに、周囲の兵たちは全然減った気がしない。相当の数がいたことは事前に見ていたおかげで知っているけれど、まさかこんなにつらいなんて思いもしなかった。

私も闘えたら、少しは役に立てたのに…。




――そんな思いを抱えながら邪見をサポートし続けて、一体どれくらいの時間が経ったんだろう。敵の数も減っては来たもののあまりに終わりが見えない戦いが続いて、みんなかなりの体力を消耗しているようだった。

それはこちら側も例外ではなく、目の前の邪見も肩を大きく上下させるほど「はあはあ…」と荒い呼吸を繰り返していて、かなりつらそうな様子を見せている。


「いつ終わるのこれ…」


思わずため息混じりのぼやきをこぼしてしまった、その時だった。突然どこかからドオンという凄まじい爆発音が響いて来ると同時に、大気がわずかながらビリビリと震えた気がした。
咄嗟に音のした方へ振り返ってみたけれどそれはかなり遠く、そこに誰がいるのかなんて判別はできなかった。


「あっ邪見さま、前!」
「んも〜来ないで〜っ!!」


不意に上がったりんちゃんからの指示に慌てた邪見が涙目で頑張ってくれる。しまった…私もよそ見なんてしてないでサポートしないと。
そんな思いで前を向いた直後、なにかが地面に落ちたようなドサ、という音がすぐ傍で慣らされた。


「! て、天生牙…!?」


振り返った瞬間に見えたひどく覚えのある刀にドキッと心臓が跳ねる。かすかに煙を上げるそれは無造作に地面へ転がり、持ち主である殺生丸さまになにかあったのではと強い不安を煽ってきた。

思わず息を飲んだ私の様子に気付いたのか、振り返って来たりんちゃんが体の向きを変えたかと思うとなんの躊躇いもなく阿吽から飛び降りてしまった。


「あたしが拾って来る!」
「ま、待ってりんちゃん!」


無謀な姿に慌てた私はすぐさま飛び降りてりんちゃんを追う。いくら周りの敵を散らしたからってまだまだ安全とは言えないんだ。さほど離れてないとは言え、もし敵に絡まれでもしたら…――

そんな嫌な予想は無慈悲にも的中してしまい、天生牙を両腕で抱くように拾い上げたりんちゃんの目の前に屍の兵が迫っていた。


「きゃあ!!」
「りんちゃんっ!!」


刀を掲げる兵から守るよう咄嗟にりんちゃんへ覆い被さる。けれどその刀が振り下ろされることはなく、代わりにパアン、と大きな破裂音が響かされた。驚いた私たちが顔を上げてみれば、目の前にいたはずの屍の兵は一瞬にして消し飛ばされたようで姿が見えなくなっている。


「大丈夫!?」
「か、かごめちゃ…」


矢を放ってくれたらしいかごめちゃんが駆け寄って来る姿に安堵の表情がこぼれる。思わず“本当に戦えるんだ…”なんて感嘆してしまいながらもお礼を言おうと立ち上がりかけたその時、突然私とりんちゃんの服が背後から掴み込まれては抵抗する暇もなく体を高く持ち上げられた。


「きゃあああっ!!」
「いやっ、離して!!」
「なに、こいつ!?」


私が必死に抗おうとするも私たちを掴み上げた巨大な鬼はかごめちゃんすらも容易く掴み上げてしまった。

こいつ、前に私たちを襲ってきた奴らに似てる…。まさかあそこから叢雲牙に遣わされ続けているのかと悟った私の傍で、突然顔を出した鞘のおじいさんが慌ただしい声を上げてきた。


「おい、りんとやら!こいつの狙いは天生牙じゃ!」
「やだ!!これは殺生丸さまのものだもん!」


りんちゃんが強く拒否してしまうと同時に体を大きく揺らされて短い悲鳴を上げる。この鬼、私たちをどこかに連れていくつもりなんだ。
跳ねるように駆けられる揺れに怯えるりんちゃんを抱きしめれば、背後から犬夜叉くんの声が聞こえて来る。ああ、かごめちゃんを助けに来てくれてるんだ。大好きな人を、助けに……


(っ殺生丸さま…)


――ごめんなさい…あなたの足を引っ張ってばかりでごめんなさい。本当は自分でどうにかしなきゃいけないんだって、分かっているんです。頼ってばかりじゃダメだって。
でもこのままじゃ…なんの力もない私なんかじゃ、りんちゃんもかごめちゃんも助けられない…

だからお願いです、殺生丸さま…助けて――


「殺生丸さまあっ!!」


どこにいるのかも分からないまま、喉が張り裂けそうなほどに強く叫び上げた。同時に響されたりんちゃんの声と混じった私のそれは、くすんだ空の色に溶けるように消えていく。

どうか届いて――
ただ強くそう願いながら、私はりんちゃんの体を抱きしめた。


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