13



あの瞬間――
殺生丸さまともう会えなくなってしまうような気がして、すごく怖かった。

なんでそんなことを思ったのかは私自身も分からない。分からないけれど、得も言われぬ不安が押し寄せて仕方がなかった。まるで果てしなく遠くに行ってしまうような、決して届かないくらい離れ離れになってしまうような、そんな不安……

――でも、違う。
私はどこまでだって絶対に着いて行くし、この騒動が終わればきっといつも通りの日々に戻るはずだから。
不安なんて感じている場合じゃない。今は私ができることを、少しでも率先してやっていかないと。


「…大丈夫、大丈夫…」


不安を打ち消すように自分自身へ言い聞かせながら拳を握り締める。その時ふと持ち上げた視線の先に、知らない方々が犬夜叉くんを取り囲んでいるのが見えた。すぐ傍でかごめちゃんが横たえる中、犬夜叉くんは鉄砕牙を拾い上げながらその人たちとなにやら真剣に話しているよう。

それをただ黙って見つめていると、不意にクイクイっと袖を引かれた。


「志紀お姉ちゃん、これ…」


そう呟きながら、りんちゃんは振り返った私に手のひらを掲げてくる。なにかと思えば邪見の額に叩き付けられたものと同じ勾玉と、暗い紫色の数珠のようなものがそこにあった。

そういえばさっき弾け飛んだんだっけ…あの首飾りはいつも着けてた気がするし、大切なものなのかも。

そう考えた私は起きない邪見を放っておいて、りんちゃんと一緒に勾玉や数珠を捜し始めた。辺りに視線を巡らせてそれらしいものを拾っていくけれど、想像以上に散らばっている。邪見が気絶したくらいだ。もっと遠くに飛んで行ってる可能性もある。

ひたすら歩き回って集めてみたけれど、私たちにはこれで全部なのか分からない。せめてかごめちゃんが起きてくれたらいいんだけど…


「…あれ?」


縋るように振り返ってみれば、知らない間に犬夜叉くんがいなくなっていた。まさか犬夜叉くんも叢雲牙を追って…?

とにかく私は詳細を知るため、りんちゃんを邪見の傍に残らせては見知らぬおじいさんたちの方へ近付いてみることにした。怖い人たちじゃなきゃいいけど…。


「あ、あの…かごめちゃん、大丈夫ですか?」
「ん?お前さんは…」
「志紀って言います。普段、殺生丸さまと…」
「志紀〜?ああ、お前さんが殺生丸の“嫁っ子”か」


…………はい?

なんだかとんでもない言葉が聞こえた気がして思わず硬直してしまった。い…いやいやいや、いくらなんでも今のは聞き間違いでしょう。さすがにね。


「えっと、私…」
「だから嫁っ子だろ。話は聞いてるぜ」


聞き間違いじゃない!!?

顔の半分は占めてそうなくらい目が大きなおじいさんが耳をほじりながら平然と言って来るのはあまりにも飛躍しすぎた肩書きだった。私まだ嫁になった覚えなんてないし、はっきり言って交際させていただいてるだけでも未だに夢なんじゃないかと思うくらい恐れ多いって言うのにそんなこと…

そもそも話は聞いてるって誰にだ。


「なんかすごい誤解されてるんですが…私、殺生丸さまのお嫁さんではないです。お付き合いはさせていただいてますけど…」
「なに?おい冥加、お前朴仙翁から聞いたんじゃねえのかよ」
「はて。わしは朴仙翁どのから、殺生丸さまがついに思い者を紹介しに来たと聞いただけなのじゃが…」


冥加と呼ばれたおじいさんが汗を浮かべながら知らないという様子を見せて来る。それにしても小さいなこのおじいさん。ノミ…っぽい。

どうやらお2人にはどこから話がねじ曲がったのか分からないらしく、一番驚きたい私を差し置いてお前が誰がどいつがと言い合いされている。おかげで私が冷静になって来たよ。きっとあれだね、噂がひとり歩きしちゃったんだね。


(そんな噂…現実になったらどんなに嬉しいことか)


…なんて、叶いやしない夢だけれど。



* * *




「人間が持てば、この世の終わりまで殺戮を続ける剣、か…」


おじいさんたちの話を聞いてそう呟いたのは犬夜叉くんの仲間の法師さんこと、弥勒さんだ。

とっくに日が落ちて無慈悲な夜闇に包まれる中、私たちは気を失ったままのかごめちゃんを連れて犬夜叉くんのお仲間さんたちと合流したあと、深い深い森の奥へ身を移していた。この森の木は外周数十メートルもあろうという壮絶な太さをしていて、それ故か果てしないほどの高さも誇っている。

そんな巨大すぎる木々たちに囲まれてより一層冷たく暗い闇に包まれる中、ふたつの焚火を頼りに佇む私たちはおじいさんたちから叢雲牙の話を聞かされていた。


「かつて何人もの人間たちが、この世の覇者になろうとして叢雲牙を求め、奪い、そして殺し合った…そんな果てしない争いを終わらせたのが…」
「殺生丸さまのお父さま…ですか?」
「左様…」


冥加さんが感慨深く頷くのを横目にしながら、私は揺れる焚火をぼんやりと眺めていた。

ただでさえ強く、完璧と言っても過言ではない殺生丸さまが憧れを抱くようなお方…それが殺生丸さまと犬夜叉くんのお父さまだという。殺生丸さまより強くてあの叢雲牙を従えていたとは…私なんかじゃ想像もできないような、本当にすごいお方なんだろうな。

…ところで、お父さまは殺生丸さまに似てらっしゃるんだろうか。もう亡くなってしまってるけれど、もし生きていたなら一言くらい挨拶をしておきたかったな…

って、私はなに変なこと考えてるんだ。さっき突拍子もない誤解をされたせいかちょっと浮かれてるぞ。

我に返った私はいけないいけない、と慌てて首を振るって思考を掻き消した。いくらなんでも呑気すぎる。身の程をわきまえろ自分。なんて思っていると、不意に子狐の妖怪だという七宝くんの声が聞こえて来た。どうやらかごめちゃんが目を覚ましたらしい。


「犬夜叉は…?犬夜叉はどこへ行ったの…?」


弱々しく体を起こすかごめちゃんが呟くように問うた途端、邪見から「へっ!」と吐き捨てるような声が漏らされた。


「犬夜叉なんぞどーでもいいわい!」
「こら邪見。そういうこと言わないの」
「志紀ちゃん…?あなたたちはどうしてここに…?」
「それは…」
「べ、べ、別に殺生丸さまに置いてきぼりにされたわけじゃないぞ…」
「されたのね…」
「「うん…」」


私とりんちゃんが声を揃えて素直に答えた直後、邪見が「あ゙あ゙あ゙…」なんて情けない声を漏らしながら涙を浮かべ始めた。なんで誤魔化したんだ。どう見ても誤魔化しようがない状況でしょうに。


「もう、言うな言うな!ああ、こうしてはいられん!一刻も早く殺生丸さまを追い掛けねば!」
「ダメだよ邪見さま…ちゃんとかごめさまにお礼を言わないと…」
「そうだよねー。邪見、りんちゃんが正しい」
「わしは助けろなんて言っとらんぞ!!」


私が追い打ちを掛けるように言ってやれば邪見は地団太を踏みながらそんな声を上げ出した。変なところでプライドが高い邪見だから、人間に…それも殺生丸さまが疎ましがる犬夜叉くんの仲間に助けられたということを認めたくないんだと思う。いいから認めろよ。

私が呆れつつも厳しい目を向けていると、不意に隣に座っていたりんちゃんが立ち上がってかごめちゃんの方へ駆けて行った。かと思えば、両手で握り締めていた包みをかごめちゃんに渡している。


「言霊の念珠…集めてくれたの?」
「志紀お姉ちゃんと2人で…全部あるか分からないけど…」
「ありがとう…」
「ううん…あたしの方こそ助けてくれてありがとう…」
「私からも…ありがとう、かごめちゃん…」


私がりんちゃんの隣に並びながらお礼を言うとかごめちゃんはほんの小さく微笑んでくれる。その姿を見つめながら、身を寄せて来るりんちゃんの頭を撫でてあげていると不意にかごめちゃんが言霊の念珠とやらに視線を落とした。それも痛ましいくらい、切ない表情で。

それはかごめちゃんだけではないようで、傍に座る珊瑚さんも同じ顔をしたまま儚げに呟いた。


「もう誰にも犬夜叉を止めることはできないのかな…」
「………」
「まったく犬夜叉のアホ!毎度毎度世話が焼ける奴じゃ!」
「大体鞘どのがいかんのですぞ!鞘どの!!」
「…ん?なんだ?どうした?」


叢雲牙の鞘に乗った冥加さんが突然がなり立てた先は完全に眠りこけている白い幽霊のようなおじいさんだった。この人(?)が叢雲牙の鞘そのものらしく、今まで叢雲牙の力を押さえていたんだとか。

鞘にまでこんな姿があって喋れるなんて、今さらだけどこの世界は本当にすごいなと思ってしまう。どう考えても私たち現代人から言う“過去”じゃなくてパラレルワールドだとしか思えない。そうだとしてもかなり強引な気がするけれど…。


「おめえ、700年くらいは封印できるって言ってたじゃねえか…」
「ん〜?そうだっけ?」
「でも、どうして叢雲牙がうちの神社にあったのかしら…?」


かごめちゃんが不意に呟く。確かに私やかごめちゃんみたいに現代とこちらを行き来できる人間がいればものを移動させることも容易だろうけど、冥加さんたちが話している時代にはそんな人はいないようだしどう考えても不可能だ。

さっぱり分からない原理に私が唸りを上げそうになった時、冥加さんが4本の腕を組んでぼんやりと思い返すような様子を見せて来た。


「仕方ない…順を追って話してやろう…あれは今は200年ほど前、犬夜叉さまのお父上が亡くなった時じゃった…」


そう語り始められた過去。それは冥加さん、刀々斎さん、鞘さんの3人の話だった。

殺生丸さまのお父さまが亡くなられた時、3人はお父さまの武器を遺言通りに持ち出したのだと。鉄砕牙はお父さまの亡骸と一緒に黒真珠の向こう側とやらへ。天生牙は殺生丸さまの元へ、と。
けれど残った叢雲牙、これだけに関しては遺言が残されていなかったらしい。


「お父上の持っていた鉄砕牙、天生牙、叢雲牙は天下覇道の3剣と呼ばれ、その力は三界を制すると言われておった…」
「三界…って、なんですか?」
「三界とは、天、地、人の3つの世界のことを言います…」


聞き慣れない言葉に聞き返してしまった私を含めたみんなへ、弥勒さんが丁寧に語りかけてくれた。


「天界とは、つまり、仏や神の住まわる場所…地界とは黄泉の国、あの世のこと…人界とは、今、私たちが生きている、この世のことです…」
「3剣はそれぞれの世界に対応しておっての…“天”の天生牙は一振りで百の命を救う…“地”の叢雲牙は冥界を開き、一振りで百の亡者を呼び戻す…“人”の守り刀鉄砕牙は、一振りで百の敵を薙ぎ払う…」
「それ全部、犬夜叉の父上が持ってたんだ…」
「欲張りじゃな…」


七宝くんが意外と容赦なく言い放つ言葉に思わず苦笑してしまう。でも確かにそれだけの剣を持っていたからとてつもなく強かったのかな、なんて思いが浮かぶも、むしろ逆だろうと自己否定してしまう。それだけ強かったからこそ、それだけの剣を扱えていたんだ。


「それから、どうしたんですか?」
「結局、いい方法が思いつかず、わしらは途方に暮れておった…」


そう告げながら、難しい顔で昔話が再開された。

鞘さんから叢雲牙を殺生丸さまへ渡してしまうかという話も出たらしいけれど、癒しの天生牙を渡されたことで腹を立てている殺生丸さまに殺されたくないから近づきたくない、ということで却下されたらしい。残るは犬夜叉くんだけど、当時の犬夜叉くんはまだ赤ん坊だったのだと。

冥加さんたちが万策尽きたと思ったその時、鞘さんから驚きの提案が出た。大人しくさせるだけなら、700年ぐらいはできる、と。そして妖怪の骸を捨てるといずこかへ消え去ると言われる骨喰いの井戸に叢雲牙を投げ入れろと。

そうして実行された結果、見事叢雲牙はこの世界から消え去ったとさ。


「それでうちの神社にあったんだ…」
「つまり、こちらでは200年しか経ってなくとも、井戸の向こうでは、たっぷり700年は経っておるということじゃな…」
「かごめが井戸の中を通った時に年を取らんのはなんでじゃ?」
「なにせ、妖気渦巻く骨喰いの井戸じゃからな…」


あ、なんか今鞘さんがすっごいご都合主義で流した気がする。
私が咄嗟に疑惑の目を向けてしまうも、かごめちゃんは身を乗り出してまで鞘さんに問いかけていた。


「おじいさん、叢雲牙をやっつける方法ってなにかないの?」
「…ひとつだけある…鉄砕牙と天生牙じゃ…1対1では叢雲牙の方が勝っておるが、鉄砕牙と天生牙を合わせて戦えば、叢雲牙に勝てるんじゃ!」


まるで言い聞かせるように真剣な様子で告げて来る鞘さんの言葉に思わずごくりと息を飲んだ。


「鉄砕牙と天生牙…ってことは…」
「犬夜叉と殺生丸が力を合わせれば…」
「ひゃーっはっははは!!殺生丸さまが犬夜叉なんかと力を合わせる!?アホかあ!そんなこと天地がひっくり返ったって起きるわけがない!」


突然邪見が腹を抱えるほど笑い転げて大声を上げた。その様はあまりにも大げさすぎてかごめちゃんたちをイラつかせないか心配になったけれど、冷静に考えてみれば邪見の言う通りだ。

あれだけ犬夜叉くんにいい思いをしていない殺生丸さまが、いくら叢雲牙を大人しくさせるためとは言え犬夜叉くんと協力するとは到底思えない。そりゃあ私としては協力してほしい。
だけど殺生丸さまの胸の内も明確に知ることができない私が無責任に協力してくれだなんて言えるはずがなかった。

私が知らないだけで、私が思っている以上に、犬夜叉くんを嫌う相当な理由があるのかも知れないから。それを知らない私には口を挟む権利なんてないように思えた。


「その…どうにか鞘さんがもう1回叢雲牙を封印することってできないんですか?」
「無茶を言うな…1000年も頑張って、わしの力はカラカラじゃ…」
「「まだ200年でしょ…」」
「わしもずいぶん年を取ったわい…」


思わず私とかごめちゃんの声が揃ってしまうほど鞘さんへ呆れの念が向けられるけれど、当の本人はなにも気にした様子はなく疲れたことをアピールするように肩を叩き始めた。


「志紀にかごめ、あんまりそれは期待せん方がいいぞ…」
「左様左様…鞘どのはアテにならんからな」
「はい。そんな気がします」
「はは…」


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