11



殺生丸さまがあの光の柱からなにかを感じ取って歩き出した数時間後、夜と共に降りてきた雨がしとしとと辺りを濡らしていく。それも夜が深まるにつれて強さを増していき、私たちは道中の洞穴に身を寄せて一夜を過ごすことにした。

岩を伝ってきた雨水がカーテンのように滴り続ける様を見つめながら、私はまるで盗み見るように傍の殺生丸さまへ視線を向けている。けれど殺生丸さまは依然として洞穴の外を…いや、私には分からないなにかを想うように見つめられていた。

一体なにを求めてるんだろう。
それはきっと、未だにわずかな振動を繰り返す天生牙が示しているんだろうけれど、いくらそれを見つめてみたところで私には分かるはずもなかった。

ふ…とほんの小さなため息をこぼしてりんちゃんたちに視線を向けてみれば、彼女も邪見も暖のためにこしらえた焚火のそばで阿吽と一緒に丸まっている。私も気にしてないでさっさと寝てしまおうか、なんて考えた時、


「…叢雲牙…」


と殺生丸さまの微かな声が聞こえた気がした。
あまりに唐突で、小さくて、知りもしないその名前に思わず聞き返しそうになりながら振り返ってみれば、相変わらず一点を見つめたままの殺生丸さまが静かに天生牙へ手を添えていた。


「あの…そう、うんが…?って、一体…」
「…父上の剣だ。あの邪気…恐らく叢雲牙のものだろう」


長らく黙ったままだった殺生丸さまは硝子玉のような瞳に雨の色を写しながら、ようやくその重たい口を開いてくれた。
あの邪気、というのはきっとあの光の柱から感じたものだ。それを感じ取って以来どこか上の空のようにも思えるこの方が考えていることなんて、もう言われなくても分かってしまう。

欲しいんだ、その剣が。お父さまの形見である剣が。

カタカタと震え続ける天生牙に触れる殺生丸さまの瞳が、まるでそう語るようにとても強い意志を湛えていた。


「……殺生丸さま…」


気付けば私は、無意識の内に彼の名前を呼んでいた。


「私は、なにか…殺生丸さまのお役に立てませんか」


以前の邪見の一件から、いや、それ以前からずっと胸の奥深くで垣間見えていた感情。私はいつまで経っても守ってもらってばかりで殺生丸さまを支えられるような、役に立てるようななにかをしていないんじゃないかとずっと思っていた。

だから殺生丸さまの明確な目的が見えた今こそ、なにかで支えられないかと思った。


「志紀…」


囁くように名前を呼ばれてはついに金色の瞳がこちらへ向けられる。でもそれはどこか、驚愕の色を差しているようにも見えた。きっと私が突然こんなことを言ったから怪訝に思われてるんだ。


「なにを思ったかは知らんが…お前はなにも考えずとも良い。ただ私に着いて来れば、それだけで良い」
「っでも…!」


納得がいかない。そう思った私が思わず声を荒げそうになったものの、その先の言葉はなにひとつ出て来なかった。

きっとこれが答えなんだって、気付いたから。優しさとか、私を気遣っているからとかそんなことじゃなくて、これが殺生丸さまの望みなんだ。

それを痛いほど思い知った私は一度固く唇を結んで、わずかに震えそうになる声を強く振り絞った。


「…分かりました。私、なにがあろうと殺生丸さまに着いて行きます。だから…私のことは気にしないで、ご自身の望みを叶えてください。どれだけ置いて行かれようと、私は絶対…絶対に、着いて行きます」


足手まといには…しがらみには、なりたくないんです。
その思いを強く胸に秘めながらはっきりと言い切れば、殺生丸さまは私の頬に手を滑らせた。


「共にあるのがお前で…本当によかった」


予想もしなかったそんな優しい言葉に私は驚いて目を丸くしてしまった。こんなことを素直に言うようなお方じゃないから、言ってくれたというだけですごく嬉しかったのだけどそれとは裏腹に、ひどく胸を締め付けられるような思いすら感じていた。

どうして、こんな感情を抱くんだろう。
自分でもそれが理解できないまま、私は小さく微笑みを浮かべて見せていた。

…果たしてそれが、上手く笑えていたのかは分からないけれど。



* * *




雨も上がり、太陽が天高く昇った頃、私たちは再び殺生丸さまを筆頭に歩みを進めていた。昨夜の私の言葉を受け止めてくれたのか、殺生丸さまはまるで引き寄せられるかのようにひとり草原や森を歩き続けていく。

そんな足元には夜明け近くまでしつこく降り続いた雨に作られたいくつもの水溜まりがあって爽快な青空を映していた。けれどそれを波紋で歪めてしまう殺生丸さまが辺りの景色に一切の目をくれることはない。見つめるのはただ、一点だけ。


「殺生丸さまーっ!お待ちくだされ、殺生丸さま!!どこへ行かれようと言うのですか!?」


私の前を歩き、阿吽の手綱を懸命に引く邪見が必死な声を張り上げた。けれど殺生丸さまからの返事はおろか反応ひとつない。それどころか殺生丸さまの足は昨日よりも速く、徐々に距離を離されつつあった。

殺生丸さまはただひたすら天生牙が鳴らす小さな音と、風に乗って届くかすかな匂いを頼りに歩を進められている。


「(近いのか…?天生牙…だが…この臭い…)」



* * *




「殺生丸さま行っちゃった…」
「まだ見失ってないから大丈夫だよ。そろそろやばいけど…」


気付けば追っていたはずの主の姿が見えなくなってしまいそうなほど小さくなっていてりんちゃんが寂しげな声を漏らす。私はそれを宥めるようにしながら、遠い殺生丸さまの背中を見つめていた。

今はまだなんとか追えてるけど、そろそろ本当に見失って迷子になりそう。


「邪見、もう少し急げる?」
「わ、わしはもう疲れたわい…」
「だよねー…」


ずっと阿吽の手綱を引いてくれていた邪見はもう干し柿のように干乾びていて覚束ない足取りを見せていた。ちなみに私とりんちゃんは夜が明けてからずっと阿吽に乗っていてずいぶん楽をさせてもらっている。

このまま邪見に合わせていたら本当に殺生丸さまを見失い兼ねないし可哀想だからそろそろ交代してあげようかな。

早速阿吽から降りて交代を提案しようとすると、不意に湿った土の匂いが漂って来た。耳を澄ませば滝のような、水が激しく流れる音も聞こえてくる。ということは、傍に川でもあるのかも。

私は干乾びた邪見を阿吽に乗せてあげて手綱を手に音の元へ向かってみた。
幸い殺生丸さまが向かった方向と同じだし、ほんの少し足を止めても大丈夫でしょう。きっと恐らく、たぶん。それに阿吽と邪見に水分補給だってさせたいしね。

なんて思いながらほんの少しだけ足を速めて行けば、次第になにやら荒れた地が見えてきた。


「うわ…」


思わず声が漏れてしまう。私が目の当たりにした光景はとてもひどく、倒木は転がってるし地面はめちゃくちゃだし、なにより水分補給なんてできないくらい水が土色に濁り切っていた。

誰かが荒らしたようにさえ見えるけれど、それが殺生丸さまではないことは確かだ。私たちが見ている限り彼はそんなことなんてしていなかったし、わざわざ要らぬ手間を増やすようなお方でもない。だからこれは昨晩の雨で地盤が緩んだか、或いはどこかの誰かが…


「ん?なにかある…?」


思案していた時になにかが垣間見えて目を凝らした。興味本位で少し近付いて覗き込んでみれば、濁流が激しく飛沫を散らすすぐ傍の地面に不気味な色をした数体の鬼が横たわっている。寝ている、にしてはやけに奇妙だ。

ほんの少し小高い崖になっている足場からその姿を見降ろしてみれば、どうやら鬼の体には誰かにつけられたであろう深い傷が刻まれているようだった。


「うえ…ひっどい…」
「こりゃとっくに死んどるな。それにしてもこの邪気…一体なんじゃ?」


さすがの邪見も気になったのか、阿吽の背から懸命に首を伸ばして覗き込んでいる。確かに邪見の言う通り、なんだかこの地にはわずかな邪気が残っているような気がした。
私は邪気とか霊気とか、そういうものを感じ取る感覚が鈍いって言われてるんだけど、それでも感じ取ることができたくらいだ。相当強い邪気がここを通ったに違いない。

ただ…あの光の柱が見えた時に感じたそれと、どこか似ているような気がした。


「うーん…これは、殺された?ばっかりなのかな…うええ気持ち悪…」
「嫌なら見るでない。死んだ鬼などに構っているとまた殺生丸さまを見失ってしまうわ」
「そうだね…」


邪見のもっともな意見に賛同して、込み上げてくる気持ち悪さを押し込みながら踵を返す。

誰がどうしてこんなことをしたのかなんて分からないけれど、これほどの鬼たちを蹴散らしてしまうくらいだ。相当の力を持った奴に違いない。もしかしたらこの先そんな人と対峙してしまうんじゃ…なんて考えた瞬間にゾッとした。考えるんじゃなかった。

堪らず自分の体を抱くように擦りまくっていると、不意に背後から石が転がるような、カラ…という軽い音が鳴らされた気がした。


「…ん?」


私の後ろに物音を立てるものなんてなにもなかったはず。
そう思って振り返ってみれば、ちょうど真正面で赤く輝く双眸とばっちり目が合ってしまった。


「じゃ…じゃけーーーん!!」
「な、なんじゃ…って、どえ゙え゙え゙!?」


私の渾身の叫びに振り返って来た邪見が思いっきり間抜けな叫び声を上げる。

私たちが目にしたもの、それは息絶え横たわっていたはずの巨大な鬼たちだった。目をこれでもかというくらい大きくかっ開いて驚く私たちの目の前で、突如鬼は屈強な両腕を高く掲げ始めている。


「逃げろ志紀ー!!」
「言われなくてもー!!」


思いっきり叫ぶように声を上げた私は咄嗟に阿吽の手綱を握りしめて走り出した。その直後、振り降ろされた腕がドオンッと凄まじい音を轟かせて地面を破壊し、まるで波に乗り上げたように私の体が宙に投げ出されてしまった。

すみません殺生丸さま。追いつくより先に逝ってしまいそうです。

フワリとした感覚に全身を包まれながら殺生丸さまへの謝罪に専念していると、突然背後からパーカーのフードを思いっきり引かれる感覚に襲われた。んぐえ、なんて情けない声を漏らして振り返ってみれば、私のパーカーを咥える阿吽とその背中で轡を握り締めるりんちゃんが見えた。よく見れば阿吽の片割れの首に、同じように着物を咥えられた邪見がぶら下がっている。


「阿吽っりんちゃん!ありがとうっ!」
「志紀お姉ちゃんも邪見さまも大丈夫!?」
「大丈夫っ。よし邪見!人頭杖であいつらなんとかして!」
「な゙っ…わしに任せるつもりか!?」
「頼れるのは邪見しかいないの!」


だって武器持ってるのあんただけだし!
とは言わず、強い眼差しで見つめてやれば“頼れる”という言葉に気を良くしたのか、邪見が一瞬とんでもなくだらしのないにやけ顔を浮かべた。けれどそれもすぐにきりっと引き締まり、邪見は両手で人頭杖を握り直して鬼を睨みつける。


「よかろう。ここはこの邪見さまが…喰らえーい!!」


そんな掛け声と共に大きく振り回された人頭杖の翁の顔から凄まじい火炎が吹き出した。せめて威嚇にでもなればと思っていたけれど、邪見の頑張りのおかげか見事1体の鬼が真っ赤な炎に飲まれて行く。その瞬間響く、けたたましい断末魔につい顔をしかめてしまう。

どうやら効果があったらしい。焼かれた鬼はよろめき、ついには大きく飛沫を上げながら濁流に倒れ込んでいった。この一瞬の出来事で実は邪見もすごいのかもしれないと考えを改めさせられる。ありがとう邪見。

――そうして鬼の死骸から逃げ延びた私たちは、天高く昇りながら消えた主人の姿を探し始めた。


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