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「…ん……」


自分の指が意思に反してピク、と動いた感覚で意識を取り戻した。ずいぶん深く眠り込んでしまっていたようだけど、どれくらい寝ていたんだろう。

そっと目を開けてみれば知らぬ間にどこかの古い小屋のようなところに寝かされているようだった。一体ここはどこなんだろ…確か森の開けたところにいたはずなんだけど…。


「目が覚めたか」
「! 殺生丸さま…」


聞き慣れた声に顔を向けてみれば、すぐ傍に殺生丸さまが腰を下ろされていた。それと同じく視界の端に見えたのは見覚えのある白い布。私の体に掛けられているらしいそれを引っ張っては確かめるように顔の横まで摺り上げてみた。

これは…どう見ても殺生丸さまの着物だ。見れば確かに殺生丸さまはそれを羽織られていない。ということは…わざわざかけてくださっていたのかも。

寝起きの頭でようやくそこまで理解したものの、そもそもなぜこんな状況になったのかが思い出せない。確か私は現代から帰って来た時、殺生丸さまたちがいた森の中に出たはずだ。その時みんなへ首飾りを渡して満足したのと、殺生丸さまに嫌な顔をされなかった安堵からか急に眠くなって、ふらついて…

うん。私、きっとまた粗相をしたぞ。

ふらついたあとの記憶はないものの、その先なんて容易に想像ができてしまうものだから私は慌てて謝罪しようと飛び起き――たかったのだけど、それを察知した殺生丸さまが私の頭を押さえ付けてしまって体を起こすことは叶わなかった。


「大人しくしていろ」
「いやだって、そのっ……す、すみません…絶対、運んでいただきましたよね…」


起き上がることを諦めて情けなく謝罪をしてみれば、「気にするな」という声が降らされると共に頭をぼすっと撫でられた。撫でられた、というよりは手を乗せられたようなものだけど。

…それにしても、またお手を煩わせてしまったのか…。

申し訳なくなった私は目元を覆ったままの殺生丸さまの手を両手でずるりと退けて、なんとものろい動きで体を起こした。そして重い頭をうな垂れるように下げながらもう一度「すみません…」と謝る。
けれど殺生丸さまはもういつものことだと慣れてしまわれたのか、特に気にする様子もなく私の頬を撫でるように輪郭をなぞられた。くすぐったい。なんて思っている内にもそれが顎先へ辿り着き、ク、と顔を上げさせられた。


「あの…殺生丸さま…」
「…顔色は悪くない。もう動けるか?」
「は、はいっ…もう全然、平気です」
「そうか。ならば良い」


自然にやってのける動作にドキドキして少し上擦った声で答えれば、殺生丸さまは静かに手を離しながらほんの小さく微笑まれた気がした。

もしかしたら私が起きるまで心配してくださっていたのかも。なんて思うと申し訳なさを感じる反面、嬉しささえも感じてしまう。
心配をおかけしたのにこんな気持ちになるなんて、私はもうどうしようもないな。

殺生丸さまにベタ惚れの自分に呆れたような笑みが浮かんだ時、ふと外で爽やかな風が木々をザア、と揺らした。釣られるように外景を眺めてみれば私が帰って来た時の薄暗さはなく、すでに煌々と照らす太陽が木々を照らしているようだ。


「そういえば…私どのくらい寝てましたか?」


そう問いかけてみれば殺生丸さまは外の太陽をしばらく眺められた。時を数えてくださっているんだろうけど…太陽をそんなに見つめるほどの時間が経っているんだろうか。健康的にがっつり8時間以上寝ちゃったとか?

なんて呑気に予想をしている間にも観測が終えたようで殺生丸さまはこちらへと向き直られた。


「1日は寝ていたようだな」
「はっ…!?い、1日もですか!?」
「よほど疲れていたのか、なにをしても起きなかったぞ」


そう告げられる殺生丸さまの冷静さとは裏腹に、私は盛大な驚愕と焦りを覚えてしまっていた。まさか1日も寝ると思わなかったし、なによりもそれだけの間を待たせてしまったのが申し訳ない。なにやってんだ私〜〜。

…というか待って。
なにをしても起きなかった、ってどういうこと?私なにかされたの?変顔させられたりとか?顔に落書きされたりとか?

疑心たっぷりの目でじっと殺生丸さまを見つめてみるけれど、彼はただ意味ありげに小さく笑みをこぼすだけでそのまま顔を逸らしてしまった。


「りんと邪見が戻り次第、日が暮れぬ内に発つぞ」


問い質す間も与えないようにそう告げられて、私はただ悔しげに口をつぐませることしかできなかった。これはもうこれ以上聞いても教えてくださらないやつなのだ。諦めるしかない。

答えを知れない歯痒さに返事もしないまま、私はただ余裕な笑みを浮かべる殺生丸さまの横顔を恨めしげに見つめていたのであった。



* * *




「邪見さま邪見さま邪見さまー」
「やかましいわい!ちっとは黙らんかっ」


暇を持て余したりんちゃんに呼ばれまくるのがついに煩わしくなったらしく、邪見が人頭杖を振りながら吠えるように声を上げる。そんないつも通りの様子を眺め、私たちは殺生丸さまのあとを追うように殺風景な山道を登っていた。

気付けばもう太陽が姿を隠さんと地平線へ向かっている中、手持ち無沙汰なりんちゃんは邪見を相手に色んな話をしてはすぐに飽きたと話題を変える。古屋を発ってから数時間、ずっとこんな調子なのだ。
邪見が時折助けを求めるような視線を向けて来るけれど私はそれを面白半分でスルーしたまま、2人の行く末を眺め続けている。そろそろ邪見に怒られそうだな。
なんて思っていると、ついに邪見に飽きてしまったりんちゃんが阿吽の手綱を引きながら私の隣へ駆けて来た。


「お空真っ赤だねー。燃えてるみたい」
「そうだねー」


りんちゃんの言う通り、私たちの視線の先に広がる森や田園たちは真っ赤な太陽光に余すことなく染められていた。
私はその景色に視線を向けながらふと物思いに耽る。景色に見惚れているわけではなく、これと同じ色をしたあれへ対するもの。


(赤い…陽光蝶…)


かつて一度だけ見た、私の中の月光蝶が求める妖怪の蝶。

その存在を知らされた後、最初こそは捜そうという提案が出されたのだけどあまりにも情報がなく、どこにいるのか心当たりもなく検討もつかないために今は月光蝶の匂いに誘われるのを待つことにしていた。
故に今はいつも通り、殺生丸さまの目的を優先してそれに着いて行くばかりなのである。一体殺生丸さまがどこへ向かっているのかは知らないけど、たぶん犬夜叉くんのところとか…その辺りだと思う。


(陽光蝶も途中で見つかってくれればいいんだけどなあ…)


希望的観測を抱きながらほんの小さなため息をこぼしてしまう。本当は体の中に妖怪がいるなんてもちろんいい気はしないから、早いとこ番を見つけて綺麗さっぱりいなくなってほしい。

…とは思うけれど、どうしても朴仙翁さんの言葉が脳裏にちらついて仕方がない。

朴仙翁さんはこの妖怪蝶が消えたあともこの生活が続くとは思うな、というような言葉を投げかけてきていた。それが一体なにを示唆しているのか私には分からなかったけれど、あまりいいことではないのかもしれないということだけは読み取ることができた。だってあの時殺生丸さまと私に向けられた朴仙翁さんの顔は、なんだかひどく険しくて……


「志紀。なにをぼんやりしておる。そんなでは殺生丸さまに置いて行かれてしまうぞ」
「えっ?ああ…ごめんごめん」


唐突に邪見から呼びかけられては現実へ引き戻される。思案が深まるたびに歩を緩めてしまっていたらしく、前を向けば確かに殺生丸さまとの距離が離されている気がした。邪見が教えてくれなかったら本当に置いて行かれていたかも知れない。


(…陽光蝶のことはあまり深く考えないでおこう)


いくら考えたって私には分からないんだし、そっちに気がとられて殺生丸さまにご迷惑をお掛けするわけにはいかない。またいつかじっくり考えられる時間はあるはずだから、今は大人しく殺生丸さまに従って着いて行こう。

そう思ってすぐに殺生丸さまの背を追いかけたものの、突然足を止められて私たちも釣られるように足を止めた。けれど彼に動きはない。
不思議に思いながらただ殺生丸さまの背中を見つめていると、カタカタ…という小さな音がどこかから鳴らされていることに気が付いた。

それはなにか、金属質な音。耳を澄ましてみればその音は殺生丸さまの方から聞こえるようだった。


「……?」


ひょい、と覗き込んでみれば、殺生丸さまのお腰に携えられる天生牙が見えた。それはなにかに反応するように、ひとりでに身を震わせている。
どうしたんだろう。そう思っていれば、殺生丸さまが天生牙へほんの少しだけ視線を落としてすぐにその目を背後の鮮やかな赤へと向けられた。


「天生牙…」


殺生丸さまが振り返り際にそう呟かれると同時に、突如邪気のようなものが現れたように感じてビク、と肩を揺らした。
なんだかとても禍々しい、嫌な気配。それはかつて対峙した、あの奈落とはまた違ったもの。

遠いそれの正体を探るように振り返ってみれば、紅く染められるのどかな大地の中心に天高く伸びる光の柱が立っていた。


「なに、あの光…森から…?」


不穏なそれに堪らず眉をひそめながら小さくこぼしてしまう。揺らぐことのない光の柱は毒々しく感じる赤紫色をしていて、まさに“不吉なことの前触れ”だと思い知らされた。

まるで自分を抱くように腕を握り締めれば、すぐ傍から「ふっ…」と小さな笑みのような吐息が聞こえて来る。釣られるようにその主へ視線を向けるとどこか好戦的な、なにかに歓喜するようにほんの小さな笑みを浮かべる殺生丸さまの姿があった。

どうしてあの光の柱を見て、そんな表情をしてしまうんだろう。
胸の内にわずかな不安に似た感情を抱える私とは裏腹に、ふと殺生丸さまの表情を盗み見てしまった邪見が途端にビクッ、と肩を跳ね上げた。


「(ヒッ!殺生丸さまが笑っておられる…これはきっとよくないことが起こるぞ…)」


長年の勘なのか、大きく顔をしかめながらいくつもの冷汗を浮かべる邪見はこれから起こるであろう出来事を感じ取ってものすごく顔を青ざめさせていた。
その気持ちはなんとなく分かる。けれど殺生丸さまが考えていることがなにやら危険な予感がして、私はただ焦燥感に駆り立てられる胸を小さく抑えながら主の姿を見つめていた。

そしてその殺生丸さまはというと……


「(あの日の夢を見たのは必然か…)」


ただ真っ直ぐ光の柱を見つめて、その先に待ち受けるなにかへ思いを馳せているようだった。


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