黄昏の保健室



「じゃあ、私は学校に行ってきますね」


そう宣言すれば唯一起きている殺生丸さまが頷いてくれる。りんちゃんと邪見は未だにソファや床で転がったまま起きる気配もない。

――現代へ帰ることができると分かった今、私はこうして学校へ行くためにちょこちょこ現代へ帰ることがあった。今回は昨日のうちにみんなで帰って来ていたからひとまずお留守番してもらって、放課後に戦国時代へ戻る予定だ。


「なるべく早く帰って来るようにしますので、りんちゃんたちのことお願いしますね」
「構わず行って来い」


何気なく玄関まで見送ってくださる殺生丸さまに小さく頭を下げる。それから鍵を握り締めてドアノブに手を掛け、いざ出発、と踏み出そうとしたその瞬間に「志紀」と呼びつけられてしまった。


「“がっこう”とやらはいつ終わる」
「え?終わるのは…大体16時半頃、ですかね」


なんで急にそんなことを聞いて来たのか分からないけど、時計を指差しながら答えてみれば殺生丸さまはそれをじっと見つめられる。私が小首を傾げてその姿を眺めていると「…分かった」とだけ返され、何事もなくこちらに向き直られた。

…なんでそんなこと聞いたんだろう。もしかして用事があるのかな。そう思って聞いてみたけれど殺生丸さまは「なにもない」と言うだけで、ついには早く行けと追い払われた。

なんだか腑に落ちないけれどこのままでは学校にも遅刻してしまうし、どれだけ待っていてもきっと教えてはくれないのだろう。私は殺生丸さまの目的を察することができないまま、大人しく会釈をして学校へ向かうことにした。



* * *




数日振りの登校にも慣れ始めてしまった私は友達からの“珍しく登校してきた”なんて目にもなにも思わなくなっていた。それどころかみんなに今度はどうした〜とか、不治の病で死ぬなよ〜なんて言われてネタにされてるレベル。いつも笑って誤魔化してるけどそろそろ本気で言い訳を考えないとやばいのが明白だ。

次は時期的にもインフルエンザが使えるしひとまずそうとでも言っておいて、その次は…
なんて考えながら席に着けば、私が学校で最も仲よくしている友達が寄ってきて頭をぱすんっと叩かれた。これは…ノート?


「ほら志紀。写すんでしょ?」
「…いつもありがとうございます…」


差し出されたノートを受け取っては深々と頭を下げる。いやはや、本っっ当に頭が上がらない。こうも毎度毎度借りてると申し訳なくて仕方がないし、早いとこお礼をしなくちゃな。

分からなかったら聞いて、とまで言ってくれる友達が席に戻っていく。と同時に先生が教室に入ってきた。それに思わずお久しぶりですと視線を送ってしまうと、なんとも乾いた笑みを浮かべられた。本当はダメなんだけど、これにももう慣れっこだ。


「HR始めるぞー」


先生からそんな声が上がって、いよいよ私の久しぶりの学校が始まる。さあて、追いていかれないためにも頑張るぞ!






(どこだここ…)


威勢よく意気込んだはいいものの、あっという間に5限の体育の授業を迎えたはずの私はどういうわけか白いシーツと布団に挟まれて仰向けに横たわっていた。教室でも体育館でもないこの天井は…保健室?よく見れば私の周りを質素なカーテンがぐるりと囲っている。

待てよ?なんで私は保健室なんかで寝てるんだ?確か今日は体育館でバレーをするはずで、久しぶりの体育にめちゃくちゃ張り切って……

ああそうだ…顔面に思いっきりボールぶつけられたんだっけ…。それ以降の記憶がないから、きっとその時気絶しちゃって運び込まれたんだと思う。病院に搬送される、なんて大事にならなくてよかった。

もはや自分の鈍臭さに乾いた笑みが浮かんで来てため息混じりに寝返りを打つ。と、なにかがカサ、と顔に触れた。それはどうやらメモのようで、“本当にゴメン!今日は塾だから帰るね。また今度絶対にお詫びするから!”と可愛らしい字で書かれている。


(お詫びなんていいのに…)


ついくす、と笑ってしまいながらメモをポケットにしまった。
ずいぶんと頭がすっきりしてるから結構寝てたのかも。私もそろそろ帰らなきゃな…いつの間にか天井が赤く染まってるし、部活終了の声が聞こえてくる。そっか、もうそんな時間……


(そんな時間!?)


思わずがばっと音がしそうなほどの勢いで体を起こした。その瞬間立ちくらみのような感覚に襲われたけれど、すぐに落ち着けてはカーテンの隙間から見える時計に目を向けた。そこでは長針と短針が“17時半すぎ”をしっかりと指し示している。
うそでしょ…こんな時間まで学校にいたら…


「せ、殺生丸さまに怒られる…!!」


今朝16時半頃には終わるって言ったのに1時間オーバーだ。これじゃ“話が違う”って怒られるに決まってる!
そう思った私が布団を押し退けてベッドを抜け出そうとした時だった。


「私がなんだ」
「ぎゃーーーっ!?」


急にカーテンが開かれて件の殺生丸さまが現れた途端思いっきり悲鳴を上げてしまった。うそでしょもういるなんて!逃げられないじゃん!!

…じゃなくて、なんでここにいるの!?


「殺生丸さま、ここ学校ですよ!?」
「分かっている。私をバカにしているのか」
「そ、そうじゃなくてっ、なにしてるんですか!」
「迎え以外になにがある」


淡々とそう仰る殺生丸さまについ「え…?」なんて声を漏らせば、肩を掴まれてベッドに押さえ込まれてしまった。というかこれは押し倒されて…

それに気付いた時には殺生丸さまの顔が目の前にあった。それでもなお近付く主に心臓がドキドキとうるさく高鳴り始める。どうしてそんなに近くに…そう思うと同時に肩を押さえられる手に力が籠って、ベッドがギシ…と鳴いた。

距離が縮まる。私たちの瞳、鼻、唇……
それらが触れ合いそうなほどに迫った頃には、あまりの恥ずかしさにぎゅう、と目を瞑っていた。それでも感じる、殺生丸さまとの距離。
吐息が頬に掛かるのを感じながら力む体をそのままに、私はこれから訪れるであろう感触を待ち続けた。

――けれどそれは、いつまで経っても訪れない。
気になった私が確かめるために恐る恐る目を開けてみれば、本当にすぐ触れてしまいそうなほどの距離にいる殺生丸さまがどことなく意地の悪い、微かな笑みを浮かべて私を眺めていた。


「なにを期待している?志紀」
「な゙っ…き、期待なんてしてませんっ!」


完全に弄ぶような調子を見せられた私は一気に熱が昇った顔を逸らした。するとフッ、と鼻で笑うような音を降らされて。
恥ずかしさが頂点に達した私は布団を無理やり引っ張り込んで、頭まですっぽりと隠れてやった。


「…全く、お前の反応は見ていて飽きないな」


布団越しに聞こえて来るそんな声のせいで頬の熱が冷めないどころかむしろ増して来る。だから反発するように殺生丸さまの手を振り払ってやろうとしたのだけど先に放されて、あろうことか次に私が隠れている布団を掴んでグイ、と下げられてしまった。


「志紀」
「なっなんですか。もうからかわれるのはこりごりですよっ」
「そうではない。体調はどうなのだ」
「え…体調、ですか?」


予想外の問いかけに思わずきょとんとしてしまえば、「優れぬからこのような場所で休んでいたのだろう」と辺りへ目を向けながら続けられる。現代のことなんて全然知らない殺生丸さまが“このような場所”と称せるのはきっと、薬品の匂いや綺麗に整えられた簡易ベッドを見て悟られたからだろう。


「まだ優れんか。ならば、もうしばらく寝ていろ。りんと邪見には私から説明しておく」


そう言うと殺生丸さまは布団からスルリと手を放してしまう。そしてそのまま私に背を向けて遠ざかろうとした。


「ま、待ってくださいっ」


無意識だった。無意識の内に、私は殺生丸さまの袖を掴んで引き止めていた。というのも、なんだかいまこの方と離れてしまうのが、少しだけ寂しい気がしたから。


「…なんだ」
「あ…えっと…」


顔だけを振り返らせてくる殺生丸さまの視線と絡まった途端、竦んだように言葉が出て来なくなる。素直に“寂しいから”なんて恥ずかしくて言えるはずもないし、かと言って代わりになるような言い訳を考えているわけでもない。でもこのまま黙り込むわけにもいかなくて、しばらく視線をうろうろと彷徨わせては、思い切ったように殺生丸さまを見上げてみた。


「もう少し休めば帰れるので…そ、傍に、いてくれませんか!」


咄嗟に出た言葉。それはほとんど私の想いそのままで、言い訳にもウソにもなってすらいなかった。その事実に気付いた時にはすでに取り消すことも叶わなくて、やってしまったという思いが頬を熱くしていくのが分かる。

心なしか自分の目が潤んできた気がする。それを思うと殺生丸さまへ向けているのが恥ずかしくなって。
慌てて隠すように顔を逸らしてしまえば、「たまにはそのような顔もするのだな…」なんて呟かれた気がした。

その言葉の意味が分からずつい「え?」と小さな声を漏らすも殺生丸さまが言い直されることはなく、ただ静かに私の傍へ腰を下ろされた。2人分の体重を受けたベッドがギシ…と軋む音を耳にしながら殺生丸さまを見つめる。すると殺生丸さまは私が飛び起きたことでめくれた布団を手にして、横になれとその目で促してきた。


「目を覚ますまでいてやる。早く寝ろ」
「あ…ありがとうございます…」


素直に体を横たわらせてお礼を言えば、殺生丸さまはそれ以上なにも言うことなく布団をバサ、と掛けて来る。

素っ気なくて粗暴で…だけど、優しい。
そんな主の姿を見つめていた私は、やがてその袖を掴んだまま深い眠りに落ちていった。


「…全く、世話が焼けるな」


どこか煩わしげに、でもそれを嫌っていない様子でそう呟かれた殺生丸さまの声が、ほんのわずかに聞こえた気がした。


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