24



ただ静かに、森の中の獣道を進んで行く。

私が奈落に操られたあの日から数日が経った。あれからなにか変わったかといえば特にそれらしいこともなく、私の体力が回復次第再開された旅は今まで通り続いている。けれどそんな中でも、ほんのちょっとの変化は確かに感じられた。


「りんちゃん、眠いの?」
「んー…」


阿吽の背で何度も目をこするりんちゃんに問いかけてみれば返事というには物足りない声が返って来る。これはもうほとんど寝ていると言っても過言ではない。私が呼び止めようと殺生丸さまの方へ振り向いてみると、彼はすでに足を止めてこちらへ振り返って来ていた。


「少し休むか」
「はい、お願いします」


この辺りなら妖怪の気配もなく安全だと言うことで、すぐに休息を取ることとなった。私は阿吽を木陰に連れて行ってはりんちゃんを降ろし、その場に伏せる阿吽の隣に寝かしつけてあげる。

――そう。変化と言えば、殺生丸さまが以前よりも私たちを気にかけるようになったことだ。

どうやら殺生丸さまは私が奈落に攫われ操られたことを気にされているらしく、あれ以来妖怪などの不穏な気配には一層敏感になられているし、なにかが近付こうものならすぐに助けてくださる。そして奈落に仕込まれたものによって身体的に無理をした私を労わってくださるのが延長して、体調が優れない素振りを見せるとすぐさま休息に移るようになった。

もちろん、これだけ気にかけてくださるようになった理由はお互いの気持ちを打ち明かし、より親密になったことも含まれているのだけど。


「志紀」


現代から持って来ていたブランケットをりんちゃんにかけていると、不意に殺生丸さまから呼びかけられた。その声に振り返ってみれば、殺生丸さまはこっちに来いと言わんばかりに踵を返して歩き出してしまう。
どこかへ行くんだろうか。ひとまず邪見に「留守番よろしくね」とだけ言い残してはすぐさま殺生丸さまの元へ駆けて行った。


――ほどなくして追いつくも殺生丸さまは足を止めることなく顔だけを振り返らせてきて再び前を向く。その隣に並んで歩みを進めていれば、辺りでさえずっている小鳥たちの声が安らかに木霊してくる。自然に包まれている、そんな感覚でふと頭上を見上げてみれば、せめぎ合う木々の隙間から木漏れ日が差し込み、まるでプラネタリウムのようだった。


「たまにはこんな時間もいいですね」


あまりない珍しい時間に、堪らずそう囁きかける。
私たちは基本的にみんな揃って行動をするため、私と殺生丸さまが2人きりになることはそうそうなくてこの瞬間がすごく新鮮に思えた。それを殺生丸さまも同様に思ってくださったのか、前を向いたまま「…そうだな」と返される。


「…ところで、どこに行くんですか?」
「もう少しだ。じきに見える」


そうは言われるけれど、辺りは一面緑一色の獣道だ。殺生丸さまは私になにかを見せたいようだけどこの光景がもう少しで変わるとは思えないほどに深く森が続いている。

それでも殺生丸さまの言葉を信じて歩みを続けていると、なにやら次第に明るく開けた場所が見えてきた。そこには鮮やかなものも見えて、なんだか輝かしさを感じて来る。
鬱蒼とした森の奥に、こんな場所があったなんて。それを思いながらつい小走りになって森を駆け抜けてしまえば、途端に広大な花畑が姿を現した。


「わ…すっごい綺麗…!殺生丸さま、この場所知ってたんですか?」
「匂いがしてな。お前が喜ぶかと思って誘ったのだ」
「そうだったんですね…ありがとうございますっ」


少しらしくなさも感じてしまうようなその気遣いが嬉しくて堪らず笑顔がこぼれる。せっかくだから2人でこれを満喫したくて、私は殺生丸さまの手を引いてすぐさま花畑に駆け込もうとした。

けれどその時、不意にずるっという音が響くと同時に私の体が大きく傾いて。思わず「あ゙っ」なんて情けない声を漏らした私はそのまま思いっきり花畑の中に倒れ込んでしまった。それも、殺生丸さまを巻き込んで。
途端にいくつもの花弁が舞い上がる中、私たちはお互いに向かい合うように倒れていてはっとした私は咄嗟に謝罪の言葉を口にしていた。


「す、すみませんっ、また殺生丸さまを巻き込んじゃって…」
「本当にお前は…いつも忙しないな」


そう言うと殺生丸さまは私の頬にかかった髪を優しく払いのけてくれた。よかった、怒ってはないみたい。そう思いつつも、私は苦笑を浮かべてもう一度すみません、と謝った。

その時、顔のすぐ傍でゆらゆらと揺れる一輪の花が目についてふと気を取られてしまう。私はそれにそっと手を触れながら、脳裏に甦って来る懐かしい記憶に思いを馳せていた。


「殺生丸さま…覚えてますか?私がこの世界に来て、初めて妖怪に襲われた日…あの時も、こんな花畑にいたんですよね」
「ああ…そうだったな」


殺生丸さまはそう返事をくれるものの私がなにを言いたいのかは分からないようだった。その様子をちらりと横目にしながら私は手の中の花を軽く弄ぶ。


「私、あの時…初めて本当に死ぬんだって思って、すごく怖かったんです。でも殺生丸さまがすぐに助けに来てくれて…本当に嬉しくて…もしかしたら私、あの時から殺生丸さまのことを意識してたのかもしれません」
「志紀…」
「最初はこの人信用してもいいのかなとか思ってたんですけどね」
「…………」


なーんて、と言おうとした寸前で殺生丸さまの目がジトリと私を見据えて来る。かと思えば明らかに私を沈めるであろう手が伸ばされて来て、慌てた私はすぐさま抵抗するようにその手をがしっと掴み込んだ。


「い、今は信用も信頼もしてますから!初見です、初見の時だけですっ」


慌てて懸命に弁解すれば殺生丸さまはなんとか手を戻してくれた。その際に「お前はいつも一言多い」とぼやかれたけれど、私に対する殺生丸さまの扱いも大概だと思う。お互い様ですよ。
なんて思いながらごろ…と仰向けに転がって空を眺めてみる。

確かに出会った当時は殺生丸さまの得体が知れず怖くて、本当に着いて行ってもいいのか不安に思ったこともあった。けれどそれはほんの一時だけで、実は優しいところがあることに気付いてからはむしろこのお方と一緒にいたいとさえ思い始めていたくらいだ。それはもちろん、今でも変わらない。

それを伝えようかと少し悩んでいれば、不意に殺生丸さまの手が私の頬を撫でるように滑らされた。あまりに突然のことで、ほんの少しだけ驚いた私はドキ…と心臓を跳ねさせてしまう。どうかされたのかな、なんて思いながら向き直ってみると殺生丸さまはなにやら少しだけ真剣な色をした瞳を向けて来ていた。


「志紀、」


囁くように名前を呼ばれたかと思えば真っ直ぐに見つめて来る視線を外すことなく、どこかほんの少し強張っているようにも見える表情で問いかけて来る。


「これからをどうするつもりだ」
「これから…ですか?」


唐突な問いは、私が現代に帰ることができると分かった時に投げかけられたものとなんら変わりのないものだった。けれどその答えはすでに告げている。だからこそ殺生丸さまがもう一度同じことを問うてきた理由がさっぱり分からなかった。


「あの、殺生丸さま…?一体…」
「現世へ、帰るか?」


私の声を遮ってもう一度はっきりと問うて来る。まさかとは思うけれど、殺生丸さまはあの時のことを思ってこんなことを言い出したんだろうか。私が奈落に攫われた、あの時を。

これから先、あのようなことがいつ起こるか分からないから。あんな思いをするくらいなら、安全な現代にいた方がいいのではないかと思ったから。きっとそれで殺生丸さまは、改めて問いかけて来たんじゃないだろうか。

どこか寂しげにも見えるその瞳がそう語っているように思えて、私はつい困ったような笑みを浮かべてしまっていた。


「殺生丸さま。私は殺生丸さまと…りんちゃん、邪見、阿吽…みんなと、ずっと一緒にいたいです」


なにがあろうと、私の答えはずっと変わらない。
もう二度と現代に帰れないわけでもないのだし、もし万が一、現代に帰れなくなってしまったとしても…なにがあったとしても、私は殺生丸さまのお傍を選ぶ。


「志紀…」
「はい」


殺生丸さまの呼びかけに応えるように囁いて、差し出された手を握った。すると私の手の中になにやら冷たい感触が落とされて思わずそっと手を離してしまう。


「! これ…私の…」


私の手に渡されたのは銀色の蝶のネックレスだった。攫われた時に落として失くしてしまったとばかり思っていたけれど、どうやら殺生丸さまが持っていてくださったらしい。


「これは私たちと過ごした証拠なのだろう。…もう、失くすな」


そう囁かれた殺生丸さまは私の手ごと覆うようにしっかりとネックレスを握り込ませてくる。私はその確かな感触を覚えるままにはい、と返事をしてはすぐさま殺生丸さまの右手を取った。そしてお互いの小指を優しくも確かに絡ませ、「約束します」と小さく笑って見せる。

ほんの少し驚かれた殺生丸さまがやがてフ…と小さく微笑まれると、突然その手を離して私の体を強く抱き寄せてしまわれた。


「志紀よ、もう一度言う」


殺生丸さまのその囁きに思わずえ、という声が漏れそうになる。そんな私を一層強く抱きしめられる殺生丸さまはそのまま耳元で、


「私の傍にいろ」


と優しくも力強く囁かれた。それを聞いた私は咄嗟に目を大きく見張ってしまう。

ああやっぱり、あの時の言葉は寝言なんかじゃなかったんですね。

私は思わず込み上げてくる涙をわずかににじませながら、声を震わせないようにしっかりと、精一杯の力を込めて返事をした。


「はいっ」



――この果てしなく広い世界を、あなたと共に。

いつまでもずっと、歩み続けて行きます。


End.


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