22



不穏な風が頬を撫でる。気付けば志紀の後ろには遅れて来た奈落の毒虫たちが広がっていた。やはり奴の差し金か。それを悟っただけでも不快感を覚えたと言うのに、毒虫が鳴らす羽音が一層強く駆り立てて来る。

志紀は光のない瞳で私を見据えたまま刀を降ろし、襲い掛かって来る気配を見せない。時期を見ているのか、それとも…
私が思考を巡らせている中、驚愕に震える邪見が人頭杖を握り締めたまま囁くように問うてきた。


「せ、殺生丸さま…こやつ、本当に志紀なんでしょうか…!?」
「ふん…大方、奈落になにか仕込まれたのだろう」
「へっ…?」


私の言葉に邪見は目を丸くする。生憎私の目でもこやつの目でも、仕込まれたであろうそれを視ることはできなかった。だが仲間同士を争わせることを好む奈落のことだ。また同じような手を使って志紀を差し向けてきたのだろう。

うつけが。この殺生丸がその程度のことで怯むとでも思っているのか。

恐らくこれは私が志紀に手を出せぬとでも思ってのことだ。少し旅を共にしただけの人間の小娘を、この私が殺せぬとでも言いたいらしい。
まるで見下すようなその行為に苛立ちを覚えていれば、不意に邪見が志紀の元へ歩み寄った。


「志紀!貴様、せっかく殺生丸さまが面倒を見てくださったご恩を仇で…ぎょええっ!?」


突如邪見の言葉を遮るように志紀が距離を詰めてくる。やる気か。それを悟っては邪見を後方へ投げ飛ばし、闘鬼神を抜いた。直後志紀の刀と交えた瞬間に鈍い金属音が響き渡り、ほんの一瞬火花が散っていく。


(…ただの刀か)


志紀が手にするのはなんの細工もないただの刀であった。恐らくは丸腰の志紀のために奈落が渡したのであろう。…そんな刀、すぐにへし折ってくれる。
グ、と力を籠めれば、志紀の体はわずかに後方へ下がった。


「殺…生丸、さま…っ」
「!!」


思わず胸の奥でひやりとした感覚が広がった。今確かにほんの一瞬、志紀が悲痛な表情を見せたのだ。


(まだ志紀の意識が残っている!)


りんが駆け寄った瞬間の言葉。そして、今の言葉。それは明らかに志紀の意思で放たれた言葉であった。
志紀は抗っている。なんの力も持たぬ志紀が、触れたことのない力に必死に抗っているのだ。


「志紀」


名を呼ぶも志紀は再び光を失った瞳に私の姿を映すだけであった。また意識を乗っ取られたか。せめて志紀の意識がある内に勝負をつけねば…
そう決意を固めた瞬間、志紀の刀が怪しげな光を纏い始めた。


(…小癪な…刀にもかけらを仕込んだか)


それを悟ると同時に志紀の刀が強く迫ってくる。無力な人間にこれほどの力を与えるとは、厄介だ。小さく舌打ちをこぼしては闘鬼神を強く振るい、志紀の体を弾き飛ばした。
だがやはりその身体能力は圧倒的に飛躍しているようで、志紀は軽々と体勢を持ち直し怯むことなくこちらへ刀を向けて来る。


(本気で殺し合わせる腹積もりのようだな…)


一向に背を向けることのない相手に黒幕の影を見る。
本当に、鬱陶しい奴よ。

闘鬼神を握り直せば途端に志紀が駆けて来る。即座に距離を詰め、振り降ろされた刀を払うがまたしても躊躇いなく刀を振るって来た。その度に鳴らされる金属音が幾度も響く。
もはや私は、ただ振るわれる刀を防ぐばかりになっていた。

ギンッと鈍い金属音が響き渡った瞬間鍔迫り合いとなる。手加減してやっているとはいえ、人間の志紀がそれに着いて来るとは相当の力を要しているのだろう。それを悟ったその時、なにやら微かな音が聞こえてきた。これは…志紀の呼吸か。

釣られるように視線を上げてみれば、志紀の額にはいくつもの汗が滲んでいた。恐らくかけらの力に体が追い付いていないのだろう。このまま続けるのは志紀が危険だ。


「志紀!」


きつく呼び掛けてみるがやはり反応はない。早く志紀の意識を取り戻してやらねば志紀の身が滅びてしまう。


「いつまで続けるつもりだ。さっさと目を覚ませ」


再び咎めるように声を掛ける。志紀の意思が残っていると言うならば届かぬはずがないだろう。
それを思った刹那、その思いが通じたのか突如暗い闇を湛えたような志紀の瞳に一点の光が宿された。


「殺生、丸…さ、ま…」
「! 志紀っ」


わずかに意識を取り戻したらしい志紀が悲痛な表情を浮かべる。ひどく歪んだ目元には、涙が溜まっていた。


「ごめん、なさい…っ」


力なくそう呟くと同時に、大粒の涙がこぼれ落ちる。その光景に思わず目を見開いた直後、私は志紀の右肩を押さえ込むようにしてその体を押し倒していた。地面に叩き付けられた衝撃によって志紀の手から刀が離れて行く中、私は自身の髪を志紀に垂らしたままひどく力の入った右腕で志紀を押さえ込んだ。


「なぜ謝る…お前のその謝罪は、なんのためだ。答えろ志紀」


胸が強くざわつき立てるのを押さえられず、私は志紀の肩に一層の力を込める。しかし再びかけらに意識を奪われた志紀は昏い瞳で私を見据え、言葉を発することもなく抵抗しようとする。それを強く押さえつけながら、私は光のない志紀の瞳を正面から真っ直ぐに見つめた。


「…お前は散々私の手を煩わせておきながら、此度もまた繰り返すつもりか…」


呟くようにこぼした言葉は儚くも虚空に消え去って行く。だがそれによって、志紀の瞳から抵抗の色が消え失せた。その姿はまるでただ静かに、私の言葉を待っているよう。


「…聞け志紀…私は、いつでもお前を殺せる。いや…殺せたのだ。なんの力も持たぬか弱き人間のお前など簡単に…だがそれでも…ただの一度も、お前を殺そうなどとは思わなかった。それは今でも変わらぬ。…その意味が分かるか?」


もはや言葉など返って来ないことを分かっていながら、私は志紀に問い掛けると共にその体を起こしてやった。まるで魂を失ったように、人形のようにされるがままの志紀は変わらず光のない瞳で私を見つめて来る。

その目線に合わせ、膝を突くように屈んでは志紀の頬へそっと手を差し伸べた。


「志紀…私は、お前が好きだ」


その言葉を向けた瞬間、志紀の瞳が静かに見開かれる。私はそれを離すことなく見つめ、ただ志紀の心へ届くようにと言葉を紡いだ。


「最初は…気の迷いだと切り捨てていた…だが、お前が連れ去られた時…奈落にお前を渡したくないと、触れさせたくないと思った。お前に触れていいのは私だけだと、切に思っていた」


――その声を聞くのも、その髪を撫でるのも、私でなくてはならない。
私以外の者など、志紀に近付くことすら許しはしない。


「…志紀。このような想いを抱くのは…私だけか」


囁くように問いかけた時、志紀は両手で顔を覆い小さな嗚咽を漏らしていた。その大きく震える肩へ手を添えれば、抑えきれぬ滴を滴らせながら首を小さく左右へ振るって来る。


「いいえ…いいえ、違いますっ…私も…私も殺生丸さまのことが好きですっ…大好きですっ!ずっとずっと…想って、いました…っ」


志紀の悲痛な声が上がると同時に、キン…という音が小さく鳴らされる。それは志紀に埋め込まれていた四魂の玉のかけらが外れたことを意味していた。
周囲を取り囲んでいた毒虫共がすかさず刀とそれを回収していくが、今さら奴らに手を下すつもりもない。初めからかけらなどに興味はないのだ。


「志紀…」


抑え切れぬ声を漏らしながら涙を流す志紀へそっと手を伸ばし、濡れる手に添えるように触れた。すると志紀は嗚咽をこぼしながらも顔を上げて来る。


「気付くのが遅れて、すまなかった…」


それだけを告げた私は、志紀の体をしっかりと抱きしめた。


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