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「はひっ…せ…殺生丸さまああ…!」


よろよろと覚束ぬ足取りで人頭杖に縋りながら声を上げる。もう息も絶え絶えのわしは誰が見ても疲れ果てていることが一目瞭然のはずであった。それなのに殺生丸さまは全然振り返ってもくださらず、ただただ遠く先を見つめたまま歩き続けられておる。


「ここ最近っ、ずっと、歩いてばかりで…たったまには…休憩、しましょおお…!」
「ダメだよ邪見さまっ。すぐに志紀お姉ちゃんを助けに行くんだから!」


必死に懇願するも、殺生丸さまではなくりんの一言に呆気なく散らされてしまった。ぐぬぬ…阿吽に乗って楽をしているくせになにを偉そうな。わしだって阿吽でひとっ跳びしたいわい。


(はあ…こうなったのも全部志紀のせいじゃ)


思えば志紀が着いて来るようになってから休息も増えたし、面倒なりんの相手をすることも減って助かることは大いにあった。しかしながら、志紀のせいで殺生丸さまは以前とは変わられておる。

人間なんぞには全くの無関心であられたと言うのにりんに加えあやつが来て、どういうわけか2人に気を配っておられるようなのだ。中でも特に志紀にはてんで甘いというか、りん以上に構われておるような気がした。おかげで元より少ないわしへの気配りが、より一層減ったような気がしてとんだ大迷惑じゃ。

だが志紀はなーんにも気付いておらん。殺生丸さまに優しくしてもらえることをいいことに、村に行きたいだの宿に泊まりたいだの、現代に一緒に帰りたいだのとワガママばかり言いおる。少しは感謝しろ、と再三行っておるのに奴は“してるよ”の一言だけ。それでは足りんのだ、全く。

全然恩が返せておらんくせに、また此度も連れ去られるなんてヘマをしおって…


「あんな小娘…これだから連れて行くのは反対だったのだ…」
「邪見!」
「はひいい!!すすすすみません殺生丸さまあっ!」


ほんの小さなぼやきだったにも関わらず殺生丸さまに聞こえてしまったようで咄嗟に地面へ頭を擦り付けた。もう嫌じゃ…志紀が連れ去られて以来殺生丸さまがずっとピリピリなされておるせいで言葉も下手に選べんわい。


(さっさと帰って来んか、大バカ者)


薄っすらと雲が流れる空を見上げながら胸の内でぽつりと呟く。
お前がおらねばりんは落ち込んだまま、殺生丸さまも一触即発の雰囲気を放たれるのだ。それに…なんだかんだと言いながら、わしの愚痴を聞いてくれるのはお前だけなのだぞ。りんではわしの話が通じんこともあるしなにより聞いてもくれん。気晴らしもろくにできなんだら、いい加減気が滅入るわい。早く帰って来てわしらの相手をせんか。

――もうお前は、わしらと共におらねばならぬ存在なのだからな。


「…………」


姿の見えぬ相手へ胸中でぼやいていれば殺生丸さまの足が不意に止められてしまう。そのお顔は遥か上空へ向けられていてなにをお考えなのか察することもできない。


「殺生丸さま、どうなされたので…?」


堪らず問いかけてみるが案の定返事はない。なにかあるのかと釣られるように空を見上げてみれば、いつの間にか空には不吉な暗雲が立ち込めておって先ほどまで晴れていたとは到底思えぬ状態となっていた。その上、辺りには次第に湿った空気が流れ込んでくる。

嫌な空気じゃ…とても良いことが起こるとは思えん。そう悟った次の瞬間、辺りの木々が強くざわめいた。
その時だった、ドガッという轟音と共に巨大な穴が穿たれたのは。

しかし明らかに殺生丸さまを狙っていたその攻撃は的を外し、地面だけを抉り返しておる。事前に気配を察知された殺生丸さまは大きく後方へ飛躍し毅然としておられた。
さすがは殺生丸さまじゃ。それに比べ、殺生丸さまに喧嘩を売るなんぞ一体どこのばか者なのだ。今は雑魚に構っている暇はないと言うのに。

すぐに殺生丸さまの爪にかかってしまうであろう憐れな者の姿を一目見てやろうと土煙が巻き上がる大穴をじっと見つめてみた。それが次第に晴れていくに伴って露わになる姿に、わしだけでなく殺生丸さまでさえもが鋭く息を飲んでしまわれた。


「…志紀っ…?」


殺生丸さまの小さな声が漏らされる。そう、大穴の中心に膝を突くそやつは間違いなくあの志紀であった。志紀は屈んでいた体を立たせ、光のない瞳で殺生丸さまを見据える。

なにかがおかしい…奴のあんな姿、見たことがないぞ。それは殺生丸さまも同様に感じているようで、ただ静かに志紀の姿を見つめておられた。
しかしそんなわしらとは裏腹に、りんは志紀だと分かった途端阿吽から飛び降り、なんの躊躇いもなくすぐさま駆け出して行ってしまう。


「志紀お姉ちゃんっ!」
「ばっ、ばか!りん!待たんかっ」


慌てて声を上げるも、わずかに涙を浮かべるりんは聞く耳を持とうとはしない。よほど志紀に会いたかったのか、笑みさえ浮かべておった。

それを見ては制止するのもはばかられるような思いがした。だが今の志紀は普通ではない。このまま行かせるのは危険ではないのか。
わしがほんの一瞬の判断に迷っていればりんはあっという間に志紀との距離を縮めて行く。


「来ないでっ!!」


りんが2尺ほどの距離へ迫った途端に痛切な声が響き渡った。ほんのわずかな戸惑いにりんの足が止まりかけたその時、志紀の体が言葉とは裏腹に大きく踏み出して来る。その手にはどこで見つけたのか、一振りの刀が握られていた。

刃が光を反射させた次の瞬間――嫌な音が小さく響き渡る。


「な゙っ…」


呆然と目を見張るわしの前で赤い鮮血が舞う。だがそれはりんのものではなく、殺生丸さまのものであった。
咄嗟にりんを庇い、志紀の刀を腕で受けられたために傷を負われたというのだ。それはさほど深くないようだが、あの殺生丸さまに傷をつけること自体が信じられぬ。…やはり、なにかがおかしい。


「志紀…お姉、ちゃん…?」


目の前に立つ者の名を、りんは戸惑うままに震える声で呟いた。驚愕と悲しみが混ざったような、痛切な声で。だがそれとは対照的に、殺生丸さまは変わらず冷静に志紀を見据えておられた。


「…操られているのか」


刀からわずかに殺生丸さまの血を滴り落とす志紀の姿に、殺生丸さまは迷うことなく静かに悟られる。

その瞳の奥に、確かな怒りを秘めて。


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